L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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小説の楽しい書き方講座ブログ 毎週開催の創作塾と連動中!

現代の完全犯罪を考えてみる【その2】

監視カメラ網や科学捜査の発達によりリアルでの完全犯罪がどんどん難しくなってくる中で
小説なりフィクションにおいての完全犯罪トリックの敷居も不可能になってきている昨今、
どうすれば完全犯罪を完遂できるかを考察する第二回目です。

前回も示した完全犯罪(殺人)を遂行するために必要なポイントは下の2点でしたね。
・警察に殺人が露見しないこと
・遺体が発見されないこと

今回は「遺体が発見されないこと」について考えてみましょう。
殺人の場合、どのようなかたちであっても遺体というのは痕跡として残るものです。
これをいかに始末するかというのが、犯罪者にとっては昔から最も頭を悩ませる問題でした。
ミステリードラマでは、まず遺体が発見されないと事件にならないので、たいていは見つかるように遺棄しますけどねw
本当に犯罪を隠そうとするのであれば、跡形もなくマジックのように消してしまわないといけないわけです。

たとえば製鉄所の溶鉱炉に遺体を投げ捨てるなり、生きたまま突き落とすなりすれば、遺体の痕跡なんてまるで残らないでしょう。
でも、そのシチュエーションに持っていくまでが至難の業なので、なかなか実現できません。
ベーシックな死体遺棄ということであれば、埋めるか、沈めるかのどちらかということになります。
では、埋めるのと沈めるのはどちらが有効かを考えてみましょう。

日本の国土は火山地帯というこで酸性度であり、遺体が残りにくいという性質がありますが、それは考古学的なことで
数万年単位での話ですから、犯人が生きているうちに遺体が消失してしまう可能性はありません。
そうすると基本的に人や動物に発見されないところに埋めないといけないんですね。
実際の殺人だと最も手軽な山に埋めに行くケースが多いのですが、これは悪手です!
山には屍食性の野生動物もいますから、浅く埋めると動物に掘り返され、山菜採りに来る地元民に見つかりやすいのです。
動物に嗅ぎつけられないよう少なくと1メートルも深さが必要とされています。
そうなると人の通らない険しい地形の山中で、しかも深夜に1メートルの深さを掘るのは至難の業ですよね。
まず単独犯では体力的に不可能ですし、できたとしても痕跡を多く残してしまうでしょう。
なにより不必要に遺体を運ぶのに自動車を使ったりすれば、たちまちNシステムにひっかかって警察に疑われてしまいます。
こういう山中や産廃施設に埋めてもバレないのは暴力団など組織犯罪など手慣れた人たちのみです。
さらに言うと犯罪行為が状態化している組織的な複数犯なら山に埋めるより、ビルの建設現場などで
基礎コンクリートの中に埋めてしまったほうが楽だし、ビルを壊す日まで絶対に見つからないので確実性が高いですよね。
オウム真理教クラスになると施設内に高性能焼却炉を建設して骨まで灰にして証拠隠滅していましたね。
組織力さえあれば遺体処理はどうとでもなりますが、単独犯の場合は制約が多いのです。
単独犯では自宅敷地内や所有地へ埋めるほうが山に埋めるより露見しにくい事例が多いのですが
見つかったら最後もう言い逃れができないのが最大のデメリットでしょう。
なので、どやら埋めるという処理はあまり有効な手段ではなさそうです。

こうなると沈めるのがよいでしょうか?
沈めるのは海、湖、沼といろいろありますが、こちらは意外と手軽です。
問題は死後、遺体の腐敗によって発生するメタンガスなどで浮き上がってくることです。
この場合の解決策としては、非常に細かく解体してしまうか、錘をつけて沈めるかのどちらかです。
錘は鉄アレイなどくらいでは浮いてきてしまいますので、少なくとも遺体と同じ重さの錘を鎖などにくくりつけないといけません。
主にコンクリ塊などが利用されるらしいですが、準備が必要です。
また腹部にガスがたまりやすいので投棄する直前に腹部、特に胃腸を念入りに切開してガスが抜けるようにします。
遺体さえ浮いてこなければ、かなり短い日数で甲殻類や魚類などに分解され痕跡はほとんどなくなります。
充分に水深のある海などであれば、たとえ沈めた場所がわかっていたとしても引き上げは困難です。
より露見しないようにするには、沈める前に徹底的に解体するほうがよいでしょう。
この場合は錘は必要なくばら撒くだけでOKです。ただし流され海岸に漂着してしまうことを予想しておかないといけません。
そのため頭部や手足、指先など一見して人体の一部と判別できる部位はミンチ状まで解体する必要があります。
なかなか普通の精神状態では実行しきれないのが玉に瑕ですが……
ただし海洋投棄の場合は自前でボートなり船舶を持っていないとなかなか実行しにくい面があります。
川や湖沼では投棄後に発見されやすいというデメリットはありますが船舶の必要なく実行できるメリットがあります。

さらにもう一つ、かなり露見しにくい遺体処理の方法があり、数々の犯罪者によって利用されていますが、それは次回にまた。




現代の完全犯罪を考えてみる【その1】

昨今の警察の捜査力やSNSなどネットの普及により、なかなか小説のネタとしての完全犯罪は難しくなってきましたよね。
そのため細かいところは気にしないことにするか、もしくは操作技術が未熟な古い時代を舞台に選ばないと成立しにくくなっています。
そこで今回はどうすればリアルの世界で”完全犯罪”を完遂できるかということを考えていきたいと思います。

まず創作を抜きにしてリアルな現代社会において完全犯罪に必要な要素はなにか?
ここで完全犯罪とは殺人に絞って考えてみたいと思います。
そうすると2つの重要なものが存在しているのがわかってきます。

・警察に殺人が露見しないこと
・遺体が発見されないこと


これさえ遵守していれば、これは完全犯罪となりえます。なにしろ事件化されませんからね。
興味深いことに現代日本では、なんと年間1万件とも2万件とも言われるほど露見しない殺人が成立しています。
少なくとも統計上でわかる範囲でも毎年10万人からの日本国民が理由不明のまま消えていっているのです。
信じられないかもしれませんが、その中のかなりの数の人たちが人知れず殺され、しかも犯人は捕まっていません!
そういう殺人のケースは、ほとんどが上記の2点に合致しているからですね。
この2点に沿うように犯行を行えば、あとは多少の運さえあれば完全犯罪となります。

さて、ここで詳しく考えてみると、遺体が発見されないというのはなんとなくわかるかもしれませんが、
どうも殺人が露見しないというのはちょっとわかりにくいですよね?
どうしたら警察に露見せずに人を殺せるかというと、そのヒントとなるのが「失踪者」です。
これは失踪者というのが統計上で10万件以上と非常に多くて、その中で既に死亡しているであろう者、
かつその死に事件性があったのではないかという者は、けっして少なくないわけです。
さらに推測の域ですが統計から漏れている者も含めると2倍になり、年間で殺害されている人数は膨大な数にのぼります。

いわゆる失踪者の多くはいわゆる家出人、特に若者が多いのです。
家出人は全国で警察に捜索願が受理されるのは10万弱で、実態はその倍になるかもしれません。
特に日頃の素行が悪い、非行歴、補導歴があるような若者の場合、警察もいちいち本気で捜査していられないし、
目撃者や血痕など顕著な証拠がなければ事件性なしとして、たとえ失踪したとしてもまともに捜査されません。
たとえまじめな者の失踪でも全国の警察署や交番にポスターが掲示される程度ですから推して知るべきでしょう。
そもそも家出人の7割は1週間以内に見つかるということもあって警察もそれほど本腰を入れられない事情もあります。

しかし膨大な失踪者の一部の者たちは、家出でなく何らかの事件に巻き込まれて殺害されていたりするケースもあるでしょうし、
最初は普通の家出だとしても家族と音信不通のまま暮らしているときに殺されてしまうこともあるでしょう。
そうなれば家族や親しい友達でもなければ捜索願は出されないままです。
家出人が働けるような職場だと無断で辞める人が多いので、またかとたいして気にしてもらえなさそうです。

このような失踪者以外にも同じような環境として、両親と死別して天涯孤独だったり、ホームレスだったりと
失踪人と似た環境の人は意外と多いものです。さらに家族や友人、職場の同僚などと接点が乏しければ
たとえ急にいなくなったとしても改めて警察に捜索願が出されることもなく事件が露見しないわけです。
それに失踪者の数に較べて身元不明の「行旅死」、つまり行き倒れとして確認される遺体の数はそれほど多くないですから
その差分だけ故意に遺体を始末されているという可能性が非常に高いのです。
もちろん身元がわかれば、即事件化して殺人事件として捜査されます。

よって完全犯罪を狙うのであれば、”いなくなっても誰も警察に通報したり、捜索願を出す人がいない者”を狙えばいいのです。
もしくは日本の犯罪史上最も残虐とされる「北九州拉致事件」のようにまるごと家族ごと何組も拉致してしまえば、
通報する人はいないでしょうし、周りの人もまさか拉致されてお互いに殺し合いをさせられてるなんてことは思いもよらないので
夜逃げでもしたのかと思うくらいで、警察にわざわざ通報しようなんていう人はほとんどいなくなるでしょうね。

とはいえ特殊なケースを除けば、裕福なステータスのある者ではなく、貧困に苦しむ最下層に近い人たちこそが狙い目です。
というか、そういう人を狙わないと完全犯罪はほぼ不可能になってしまうでしょう。
殺害対象者に対していなくなって困る人や悲しむ人がいなければいないほど完全犯罪完遂率は高まっていきます。
よって2時間ドラマによくある遺産狙いや家元の跡目相続といった目的で殺人を行うのはけっして避けなければなりません!
とはいえ、そんな孤独で貧しい人を殺す目的をするというのは、創作の中においてはかなり限定されますけどね。

次回は遺体の処理について考えてみたいと思います。



読書感想文が書けないのは当たり前で、小説が書けないのと同じ

学生さんはすでに夏休みに突入しましたね。
小中学校の夏休みの宿題として定番なのが今も昔も読書感想文のようです。
ところが読書感想文なんて子供に書かせても、たいていあらすじで9割を埋めて、最後に「おもしろかったです。また読みたいです」
とでも書くくらいが関の山だったのではないでしょうか? だいたい私もそんな感じでした。

では、どうしてそんな読書感想文とは言えないような読みに堪えない作文を書いてしまうのでしょうか?
それは当たり前のことなんですが、学校の先生が読書感想文の書き方を教えてくれないからです。
少しやる気のある先生なら読書感想文コンクールの受賞作を生徒に読ませたりもするでしょうが、
たいていは「本を読んで思ったことを自由に書きなさい」とかいう曖昧模糊な指導しかしないんだから
そんな指導で書けるわけがない。おそらくそんな適当な指導で書ける生徒は1%いるかどうかでしょう。

そして、なぜ教師が読書感想文の書き方を丁寧に教えないかといえば、授業時間の制約もありますが
そもそもは教師も子供の頃は読書感想文なんて書けない生徒だったからです。できないことを教えることはできませんよね。
教師という仕事は大人になってみればわかりますが、たいてい学校の勉強が得意だったような生徒は教師になりません。
だいたい学力的に中間よりも少しいいくらいの生徒が教師になってるケースが多いのですから、
上位数%が書けるかどうかという読書感想文の書き方なんて能力的にわかるわけがないのです……

でも、書き方自体は実はわかってしまえば簡単なんですよね。
間違っても学校の先生が適当に言っていた「思ったことを自由に書くこと」ではありません!
簡潔にいえば「読む前と読んだ後で気付いた自分の気持ちの変化について」を書くことこそ読書感想文なのです。
だから原稿用紙を埋めるために書いていたあらすじなんて書く必要はなかったんですね。
「どうしてこの本を選んのか」「読んでいる最中、どんなことを考えたか」「読んだ後にどんな気持ちになったか」
そんな感じのことを多少のエピソード(前半退屈だったので挫折しかけたとか、眠れない夜に読んだとか)を交えて
本を通して気付かされたことに対して自分の気持ちの変化を書いてゆくと、ようやく読むに堪える作文となるわけです。

そしてコンクールなどで入賞も目指すのであれば、その気持の変化が前向きであり善良である必要があります。
サイコキラーの実録を読んで自分もちょっと人を殺してみたくなったみたいな気持ちの変化を書くのも立派な感想文ですが
そういう作品は受賞以前にいろいろと担任に呼ばれたりして厄介なことになりますから提出するのは避けるべきです。
そして受賞作品というのは、たぶん思っていもいない気持ちの変化をそれらしく書いたものであり、
それも実力ある大人の指導を全面的に受け容れて大人ウケしやすいように書き換えられた作品なんでしょうね……

そして小説というのも同じです。
好きなことを自由に書くことではありませんよね。常に読者のことを考えつつ書いてゆくものです。
そして大概は作者ではなく主人公の気持ちの変化(それに伴う決断と実行)というのが主題となります。
そういうことを知っているかどうかで、新人賞に通るかどうかも決まっていきます。
独創性を問われる前に踏まえておかなければならないお約束をちゃんと作品の中で踏んでいるかどうかで成否が決まります!

あなたは昔書いていた読書感想文のようなデタラメな小説を書いてしまってはいませんか?




『怪獣倶楽部』が残念なわけ【反面教師に】

深夜ドラマ『怪獣倶楽部~空想特撮青春記』(全4回)が放送されるということで70年代オタクの青春を題材とするドラマが
どういうふうに描かれてゆくのか愉しみにしていました。しかし第2回まで視聴した現段階での評価はイマイチです……

第1回はメトロン星人、第2回はガッツ星人、第3回はゼットン、第4回はゴース星人をモチーフとしたエピソードということなんですが
怪獣倶楽部なのになぜか宇宙人もしくは宇宙人っぽい造形のゼットンばかりというのは置いておいて……
エピソードのストーリーラインにまったくウルトラ怪獣(宇宙人)が絡んでこないんですよね。
たぶん設定を10年進めてガンダム倶楽部にしても舞台をアメリカにしてスタートレック倶楽部にしても問題ないようなお話でしたね。
ちなみに第1回は「彼女とサークル、どっちを優先するか」で、第2回は「いかに彼女の存在をサークルメンバーから隠すか」といったもので
使い古されたネタをひねりもなくそのままやっているのにはちょっと衝撃を受けるくらいでした。

このブログでも前にも書いていますが、そういう代替が可能なものというのは総じて物語としておもしろくありません!
せっかく怪獣好きの濃いオタクが集まっているというのに「彼女」を中心にする必要はないんですよね。
たしかにいつの時代の青年も女の子に興味津々ではありますが恋愛が主題ではないだろうというのが私の意見です。
放送2回分を観るに、彼女とサークルのどっちを優先するか軸足の決まらない優柔不断な主人公の青年は
はっきり言って魅力がまったくなくなってしまっています。

やはり1話完結30分とショートストーリーなわけですから、主人公に絶対的な魅力ないしインパクトがないとしまりません!
ですがこの作品の主人公の性格は煮えきらないので、サークルのメンバーの中で一番ニワカなメンバーになってしまっています。
本来であれば誰よりも怪獣に対して熱い情熱を持つ存在でないと、このテーマを選んだ理由がなくなってしまいます。
同じようにオタク青年の青春を描いた『アオイホノオ』は同じく実話をベースに描いた作品でありますがおもしろさが格別です。
『アオイホノオ』の主人公青年は誰よりも熱い情熱を持っていて物語を進め、読者を引きこんでいきます。
もちろん女子に恋したり、同級生の庵野の才能に嫉妬したり、目標を漫画やアニメなどころころ変えたりと節操がなかったりしますが
それでも彼は彼なりに誰よりも熱い情熱を持って漫画(挫折するとアニメに変節、また挫折して漫画)に接してるんですよね。
そんな青臭い一生懸命さが視聴者(読者)におもしろさを感じさせるものとなっています。

それとせっかくウルトラ怪獣をテーマにしているのに、ほとんどそのうんちくは喫茶店でのミーティングで行われる
メンバー間の意見交流のかたちでしか現れていないのも残念なところですね。つまり物語的にほぼ無関係のシーンです。
しかもキャスティングの俳優陣がどれも濃いメンツなのに、みんな相手の意見をうんうん納得して肯いてしまい、
意見の対立や喧嘩、ライバル関係もないので緊張感もありません。ただのトリビア発表会です。
やはりキャラクターを立てるためには対立関係を際立たせるのが創作のセオリーなのに、それが皆無なんですね。
だから怪獣倶楽部の面々は個性は俳優ぞろいなのに印象が薄くステレオタイプなオタクのモブキャラようにしか見えません……

ここで一度まとめるとするならば、あなたが創作をするうえで以下のことを反面教師として学んでください。

1:一般的に主人公は誰よりも情熱的であり一生懸命であるべき!
  その一途さに読者は感動を覚え、また暴走にハラハラドキドキすることになる。
 (ただし優柔不断な主人公は三角関係ラブコメならマッチする)

2:キャラの個性は意見の対立で差別化すべき!
  同じ意見のキャラは読者の注意を換気できず無個性になってしまう。

3:テーマとストーリーラインは不可分であるべき!
  基本的な設定が代替可能なものは基本的にありふれていることが多く、おもしろくない。
  (テーマ以外にも主人公の性格や性別が反対でも特に問題なくストーリーが進行できるなら、それは駄作でしかない)

久しぶりの投稿になりましたが、今回はこのへんで。



ダウンロードできるものが売れない時代に

出版不況と言われて久しくなりましたが、小説だけでなく雑誌、新聞など全般的に売れない時代と言われています。
より正確にはまったく売れないというわけではなく、一握りの売れるものはとてつもなく売れるけど、大半は売れなくなったというべきか。
情報化社会により「この作品はおもしろい」みたいな情報が一気に広まるので一強になりやすくなっているんですね。

とはいえ、今後の展望としては違法DLも含めダウンロードできる「コンテンツ」は衰退傾向にあります。
つまり活字、音楽、映像、ゲームなどいわゆるソフトと呼ばれるものです。
この手のものは無料版も多いうえに、ちょっとしたコツで有料版でも違法DLできてしまいますので
消費者はどうしても無料で手に入るものにお金をかける気にはなかなかなれないわけです。

またソフトは資本が非常に少なくてすむので、供給者と消費者の垣根が曖昧になっていて、
だれでも情報発信できるようになったことも大きな影響でしょうね。
特に小説や漫画なんて昔は同人誌を作るにもそこそこお金がかかっていましたが儲けようと思わなければ
インターネットにつないだパソコンがひとつあれば気軽に公開できてしまうわけですからね。

対してネットの普及は当初の予想に反して物が売れる時代になりました。
通販が盛況すぎて配達業者が悲鳴をあげるくらい、ネットを介して物が売れていますし、この傾向は続くでしょうね。
ファッション通販サイトのゾゾタウンの創業者の資産が現時点で2000億円以上ですからね!
バンド活動のかたわらに始めたA4用紙1枚のカタログで海外CD通販からスタート、20年程度で巨万の富を築いたわけです。
それも未だに社用のメールアドレスすら持たず、出社するのも週に3日ほどとのこと。
お金儲けのために働いている意識はまるでなく、ただ自分がしたいことを楽しんでるだけと豪語してます。
かつてのクレイフィッシュのような悪意ある人物と遭遇しなかったという幸運はあったと思いますが羨ましいライフスタイルです。

ソフト関連のビジネスも無形のソフトだけで売れないので、ことあるごとに有形のグッズを付けていますよね。
雑誌ではおなじみの付録はどんどん豪華になり、書店では店舗オリジナルグッズを付けたり、
映画もキッズ映画のオマケだけでなく一定回数鑑賞すればフィルムがもらえたりなんてサービスも目立ってきました。
最たるものはCDに握手券など「物」ではないけど、体験というダウンロードできない商品価値込みで販売されるようになりました。

ソフトである小説もどのようにビジネス展開をしてゆくかも今後は考えてゆく必要があるのではないでしょうか?
たとえば企画・執筆段階からグッズ商品化を見据えておくとか、そういうことも作家に求められるようになるかもしれませんよ。

ヒキのたいせつさ

週刊連載漫画などでよく使われるキーワードに「ヒキ」というものがありますよね。
読者に次回への期待を引っ張るようにという意味として使われています。

連載漫画同様、古くからヒキというのは連載小説などにもよく使われています。
古典的作品だとアレクサンドル・デュマの『三銃士』は新聞連載小説だったので特にヒキが多様とされていますよね。
特に冒頭部では、ダルタニアンが三銃士の3人とひとりずつ出会っては、それぞれと決闘の約束をしてしまう。
しかも時間と場所は3人とも同じだったりして、次はどうなるんだろうみたいな読者のわくわく感を煽っています。

たとえ連載でなくとも、そういうヒキのテクニックは必要です。
テレビアニメと違って小説はぼんやりしていたり、ながらで消費できるものではありません。
小説では読者にページをめくらせ文字を読ませるという能動的なエンタメですから、常に読者の興味を牽引するものが必要です。

では、どのくらいヒキを作ればいいのかというと、それは作風などにもよりますが一般には多いほうがよいとされます。
まあ、可能な限り多くヒキを作ろうとしても、なかなかできるものではないので多すぎるということはまずありません。
目安としては10ページに1箇所くらいの割合でヒキを作って、読者を引っ張ることができると飽きられずに読んでもらえます。

どんなヒキがいいのかというと、実はこの続きがどうなるかわからないという「意外性」で引っ張るよりは
読者の予想通りの展開である期待を煽る「待ち」で引っ張るほうが読者の食いつきはいいですね。
歌舞伎で「よっ、待ってました!」という掛け声がかかるような感じです。
そこに至るまでに焦らしに焦らして、かつ飽きられないようにヒキを作るのが理論上はもっとも強いヒキになるようです。

ぜひ淡々とストーリーを展開するのではなく、どこがヒキになるのか、またはヤマになるのかを考えつつ展開を考えてください。



小説家向きな性格の矛盾 「いい加減さ」と「マメさ」を併せ持とう

小説家に限らずクリエイティブな仕事に向いている性格の人とまったく向かない人の性格があります。
性格なんていうものは素養の問題なのでいかんともしがないのですが心構えという点においては少し改善できるかもしれません。

では、どんな性格の人が作家に向いているのかというと、プロ作家やデビューしてゆく生徒たちなど
周りを見回してみるとだいたいわかってくるようになったのは、タイトルにもあるのふたつのポイントです。

ひとつめは「いい加減さ」です。
本音を言ってしまうと、まじめすぎる人、頑固な人といった人にはあまり向いていない職業なんですね。
なぜかというと作家なんていうのはお役所仕事とは真逆で俗っぽく言えばヤクザなお仕事ですから
普通の会社員のようにルール通りに適切に業務を淡々とこなすように「人に言われたまま、その通りにする」ことは
かえって失敗する原因になりますし、たいてい成功にはたどり着けません。
かといって自分の信念を貫いて邁進すると更に状況はさらに悪化することになってしまいます。
周りを見て何事も柔軟に対応でき、常識に対してあまり頓着しないタイプのほうが大成しやすいですね!
でも根っからのいい加減な性格だと飽きっぽくて小説一本を書き上げるだけの努力や忍耐力に欠けてしまったりするのです。

そこでふたつめの「マメさ」が必要なのです。
とはいえ、相反するような性格のためひとりのなかに併せ持っているという人はあまり多くないのかもしれませんし、
だからこそ作家に憧れる人は多けれど、なれる人はごくわずかとなってしまうのでしょう。

まじめな人は小説を書き上げられるけど作品がおもしろくない。
いい加減な人はアイデアはおもしろくても作品として完成しない。


もちろん上記以外の「いい加減でつまらない」というケースが全体の80%を占めているのは言うまでもありませんが。

ふと思うのは、いい加減でマメな性格っていうのは女の子にモテる男子の性格だったりしますよね。
そういえば作家チャラ男は少ないとは思いますが、基本的にモテる人も多いというのは当てはまるようです。
作品の中ではニート、非モテ、ダメ男のストーリーばかり書いているような作家さんが
実は美女を連れ歩いているリア充だったなんて珍しくないわけですしね。

ということで性格をいきなり変えられないでしょうが「いい加減さ」と「マメさ」が肝要だということだけは忘れないでください。
まじめな人なら、ときにいい加減になれるよう、いい加減な人は飽きずに続けるマメさを持てるようがんばってください!



『ティンダロスの猟犬』を読むと意外にも……

「ティンダロスの猟犬」といえばクトゥルフ神話好きなら、ほぼ100%の認知度があるってくらいの超有名キャラですよね!
猟犬とは言いますが異次元の生物なのでイヌとはまるで違う姿をしているという神話的生物なのです。

ですがゲームやビジュアルなどではおなじみのこのティンダロスの猟犬の登場する作品、
その名も『ティンダロスの猟犬』を読んだことがある人はどのくらいいるでしょうか?
作者はフランク・ベルナップ・ロング・ジュニア(Frank Belknap Long, Jr)で米国の『ウィアード・テールズ』といった
パルプフィクション(大衆小説雑誌)に作品が掲載されていたホラー・SF小説作家です。
ロングの作品として最もポピュラーなのは短編小説『千の足を持つ男』でしょうか。邦訳もいくつかのバージョンが出ています。
そしてくだんの『ティンダロスの猟犬』もまたロングの代表作なのですが、この作品が読めるのは
『暗黒神話体系シリーズ クトゥルー5』(青心社)の中に収録されているくらいなんですよね。

今回、私もキャラの名前は知れど、どんな作品なのかを確かめるべく、この本を取り寄せて実際に読んでみました。
なんと文庫本にして27ページしかない本当に短い短編でした。本当に短い。
何本もの短編や連載小説を掲載するパルプ・フィクションの作品の中でもかなり短い作品です。
そのためストーリー的にもたいした内容ではありません。ちょっとしたエピソードですね。

読んでみたいという人も少ないでしょうから簡単に要約すれば「友人が死んだ。それはティンダロスの猟犬のせいだ!」
以上です。本当にそんなものです。
なにしろ作品の主人公(視点)はティンダロスの猟犬を見ていないんですよ。友人からこんな存在だと聞いただけです。
ただティンダロスの猟犬の放つ臭いを感じたくらいですね。
そのためただでさえあまり怖くないクトゥルフ神話作品においても更に怖くないのです。
ここでラヴクラフト御大であるなら「私のところにもやがてティンダロスの猟犬がやってくるだろう……なんだ、あの音は!」
というような感じでホラー小説のセオリーを守ってくれたのでしょうが、そういう余韻もないんですよね。

そういうわけでキャラとしては独り歩きして非常に有名になった存在なのですが、出典はそれほどおもしろくありませんでした。
でも、これだけ愛されるキャラを考えるというのはロングの手腕だとは思います。
あらゆる鋭角を通して異次元から執拗に襲ってくるというモンスターは創造すると恐怖でしかありません。
それこそ江戸川乱歩の『鏡地獄』のような球体の中にでも避難しない限り助からないでしょう。
それはそれで発狂してしまうんですけどねw

同じようにドラキュラだってフランケンシュタインの怪物だって、ほとんどの人が原作小説を読んだことがないでしょうが
世界的にこれらのモンスターたちを知らない人ってまずいないわけですよ。
あなたの作品に登場するキャラクターは作品としては朽ちても時代を越えて生き続けることができますか?


婚活ブログがおもしろい

最近のエントリーから派生して、いろいろとネットを徘徊してみたのですが、何かと話題の婚活ブログを非常に興味深く読んでいます。
特にオタク婚活というのを中心に男女のブログを渉猟しているのですが、その世界ならではの専門用語とかもあるんですよね。

たとえば最初まったくわからなかったのが【FO】と【CO】という頻出語だったのですが、なんの略号かわかりませんでした。
で、調べると【フェードアウト】と【カットアウト】ということで、自然消滅かお断りをいれるかってことみたいですね。
あと普通の男女交際とはちょっとちがって強制的にペアになるようなところがあるので【仮交際】と【本交際】が明確に別れてます。
たとえば婚活パーティーなどでカップルになってから、ちゃんと結婚を前提としたお付き合いを双方が確認するまで仮交際で
確認してからが本交際なんだそうです。また仮交際のあいだのいわゆるデートは【面接】と呼ばれているようです。
なので「1回面接した相手にLINE既読スルーされてFOになった」みたいな感じでブログが書かれています。

そして私が知っている過去のカップリングパーティー、ねるとんパーティーとはだいぶ異なっていて
婚活パーティーでは比較的カップル成功率が高めなんだなというのが第一印象なんですが
結婚という大前提があるので、その後の展開がかなりシビアになっているみたいなんですよね。
今でいう恋活であるなら、とりあえず付き合ってみるか的な余裕があるわけですが、年齢が高くなるほどもう余裕がないので
無駄な時間を使いたくないとばかり男女とも見極めを早めにしようとするんですよね。
で、結局カップルが成立してもその日だけで、いちども会わないままFOなんて展開が多いようです。
特に女性側がたいてい無料か低額設定なので大枚をはたいている男よりも執着心も少ないため即FOも多いようですよ。

あとはオタク婚活ブログに限って言えば、男女とも「恋人いない歴=年齢」の人が非常に多く、
そうでなくても恋愛経験が極端に少ない人が目立っているというか、そういう人のほうがブログとしておもしろかったです。
本人の価値観とか異性への接し方、偏見といったものが独特なため個性的です。
いろいろなタイプがいて千差万別なのですが、自分のことを棚にあげて異性への注文が厳し目ですぐ切っちゃうんですよね。
恋愛経験値を積むためにもう少し様子を見たほうがいいのになと思うようなケースでも即断でお断りしてしまう。
しかもすぐ次があるかというと、男性の場合なかなか次に恵まれないんですけどね。
で、下手に年収があってプライドが高かったりすると、こだわりの強い人ほど出会えてないですねー
相手を見下しているようでいて実際のところは逆に見下されてしまっているような感じでした。
ただ容姿がよければ、たいていのことはどうにでもなるという裏の側面も見え隠れしているのも婚活の現実ですが。

うぶな男女が異性をどう見て、どんなほうに判断しているのか、また何を悩んでいるのかといったことが
赤裸々にわかるので、キャラ造形のためにも読んでみる価値は非常に高いと思います!

当事者的にはアラサー、アラフォーになってから、恋愛経験なしにいきなり婚活に挑むようなことは避けたほうが幸せですよ。
日常に出会いがないというのなら20代前半からどんどん街コン、恋活パーティーなどは参加しておいたほうがいいでしょう。
多少高くつきますが出会いがないのなら、成否に関係なく対価を払うだけの価値はあると思います。
若ければたくさん失敗しても何度でもやりなおせます。やはりリミットがあるので30、40からスタートしたら、そう失敗できません。
それに今は昔と違ってオタクとかいろいろな趣向に合わせて出会いの場がビジネス化されているので選び放題です。
ここで見栄をはったり、ケチったりすると、結局のところ後になって出費も嵩むわ、チャンスは減るわ、成果も低くなるだけですよ。




なぜモテない男は多いのか? 女が男を好きになる確率について

各種統計をだすまでもなく、まったくモテない男子は山ほどいるのに対して、まったくモテないという女子は非常に少ない。
語弊はありますが、女の子であればよほどのことがない限り、誰からも誘いを受けないというはありませんが
男の子に限ってはさほど悪くはない程度であっても、まるで相手にされないことが多いという不条理を実感したことはありませんか?
実際のところ、これはだいたい男が原因であって、穴が空いていれば誰とでもやりたいという輩が一定数いるためであり
女性にはそういうタイプはいないとはいいませんが、ゼロに近いほど稀な存在だからです。

ではなぜ、そういうことになってしまうのかというと、それは男女の恋愛対象への意識の仕方が異なるというのです。
ざっくり言ってしまえば男性が女性を見るとき、恋愛対象になるかどうかの判断は【ストライクゾーン】によって決定されます。
「だいたいこのくらいの女の子ならOK!」みたいな感覚が男にはたいていあるんですね。
ところが女性にはそういう感覚ではなくて、非常にピンポイントで恋愛対象になるかならないかを判断することになります。
そして、その確率は非常にシビアで「およそ男性の7割はキモい」と感じているとのことです。
言うまでもなく「キモい=生理的に受けつけない、付き合えるわけがない」ということになります。
男子は同世代の女子が10人もいれば平均的には6、7人を恋愛対象にしてしまえるのに
女子はというと、そもそも10人中7人の男子には眼中にもないということです。
前回のエントリーに美醜の比率を美:普通;醜=1:2:2としましたが、男はたいてい普通まで恋愛対象なのに対して
女は普通レベルはほぼ対象外ということになってしまうわけです。

この恋愛観の不均衡さは本能によるものなので、いかんともしがたいわけです。
よく言われるように、オスはできるだけ多くの子孫を残すためにより多くのメスと交尾する機会を持ちたい。
メスは妊娠機会が限られるので、より優秀なオスとのみ交尾したいというやつですね。
とはいえ、高度な人間社会は単純な弱肉強食の野生の世界とは異なり、多用な価値観があるのが救いです。
力が強いだけが選ばれる理由ではなく、ときに美しさ、ときに経済力、はたまた性格、趣味、共依存など
女性が男を選ぶ基準はかなり美醜にこだわったものになりますが、女性は男よりも選ぶ基準が多いんですね。
これによりかろうじて男女の自由恋愛は成り立っているといっても過言ではありません。

ライトノベルの中でヒロインが主人公である少年を好きになるというシチュエーションはお約束ですが
そのヒロインがなぜ主人公少年を好きになったかということを突き詰めて考えてみるとおもしろいかもしれません。
よくある展開では結局のところ「やさしさ」や「一途さ」にほだされてしまうのですが、それでいいのでしょうか?
多くの読者のなかでイケメンとかスポーツ万能、頭がいい、といった属性を持つのは一握りであるのに対して
性格的な理由というのは、どうとでも理由づけできるし「オレにもワンちゃんあるかも!」的な自己投影が簡単なので
こういった性格的理由から”性格に難のある絶世の美少女”が好意を寄せてくれることになります。
では、このヒロインがキモいと感じて相手にすらしなかった7割の男子というのは、いったいどんな男だったんでしょうね?
いくら性格がよくたって7割も振り落とされるのでは、それはかなり厳しい選抜を予感させてくれます。
その選抜基準がユニークだったりすると、それはそれでおもしろい展開になるかもしれませんよ!





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