L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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男女で違う作家の描く友情【女子編】

前回は男性作家の描く友人関係について分析してみましたが
今回は逆に女性作家の描く友人関係について考えてみたいと思います。
とはいえ、私自身が男ですので、完全に理解しきっているわけではないのが痛いところですが……

男性同士の友人関係が主に「腐れ縁」によって構成されているとするならば
一方で女性同士の友人関係というのは「相互承認」によって構成されていると言えるでしょう。
どういうことかというと「わたしたち友達だよね?」「もちろん友達よ」ということで
お互いが友達であることを確認することで、友人関係が成立するという構図です。
なので一方が友達であることを承認しないと破綻してしまいやすいんですね。
しかもことあるごとに友達であることを有形無形のかたちで確認しあわないといけません。
男性から見て女性の友人関係のつきあいやなれあいが面倒に思えてしまうのは
この友情の相互確認について、男は必要としていないからでもあります。
しかし女性同士にとっては友情を維持するために必要な事柄なので
面倒だとは思っていないし、おそらく半ば無意識で行っていることもあるでしょう。

そして友情を確認するためには、言葉だけでなく”なんらかのカタチ”を必要とします。
カタチとはイベントといっていいかもしれません。
男には縁さえあればいいので、お互いのあいだに特にイベントは必要ありませんから
友達でいる理由というのが曖昧であり、それがゆえにゆるくつながりますが
女性間では、かなりタイトな関係になりやすいともいえます。

女子の仲良しグループがつるむのもそうした緊密性はゆえであり
単に一緒にいて楽しいから一緒に行動するといった行動原理だけではなく
友達であり続けるために一緒に行動するといった意味合いも強いんですね。
うがった言い方をすれば相互監視的な意味合いさえあるといえます。

そういわけで、女子同士の場合、男子のような「悪友」は生まれにくいんですね。
悪友みたいな友達でいることによって自分に不利益になるけど、
馬が合うからというだけで、つるむような友達はあまりありません。
相互承認が必要なので自分にとって益になると認めないと友達にならないからです。
自分にとって、どういうかたちにしろ「居心地がいい」とか「引き立て役になる」とか
そういう友達でいることの理由がなければならないんですね。
よくも悪くも打算的なんです。ただし意識的にやっているわけではないようです。

ですから女性の描く作品の主人公の友達は男でも女でもたいてい相談役になりやすいんですね。
逆に男性の描く友達といえば悪友なのでトラブルメーカーがつきものですよね。
そういった対照的なスタンスの違いから差異をわかってもらえるといいのですが
これを描きわけるというのは、とても至難だということだけはわかってください。
前回は男性作家の描く友人関係について分析してみましたが
今回は逆に女性作家の描く友人関係について考えてみたいと思います。
とはいえ、私自身が男ですので、完全に理解しきっているわけではないのが痛いところですが。

男性同士の友人関係が主に「腐れ縁」によって構成されているとするならば
一方で女性同士の友人関係というのは「相互承認」によって構成されていると言えるでしょう。
どういうことかというと「わたしたち友達だよね?」「もちろん友達よ」ということで
お互いが友達であることを確認することで、友人関係が成立するという構図です。
なので一方が友達であることを承認しないと破綻してしまいやすいんですね。
しかもことあるごとに友達であることを有形無形のかたちで確認しあわないといけません。
男性から見て女性の友人関係のつきあいやなれあいが面倒に思えてしまうのは
この友情の相互確認について、男は必要としていないからでもあります。
しかし女性同士にとっては友情を維持するために必要な事柄なので
面倒だとは思っていないし、おそらく半ば無意識で行っていることもあるでしょう。

そして友情を確認するためには、言葉だけでなく”なんらかのカタチ”を必要とします。
カタチとはイベントといっていいかもしれません。
男には縁さえあればいいので、お互いのあいだに特にイベントは必要ありませんから
友達でいる理由というのが曖昧であり、それがゆえにゆるくつながりますが
女性間では、かなりタイトな関係になりやすいともいえます。

女子の仲良しグループがつるむのもそうした緊密性はゆえであり
単に一緒にいて楽しいから一緒に行動するといった行動原理だけではなく
友達であり続けるために一緒に行動するといった意味合いも強いんですね。
うがった言い方をすれば相互監視的な意味合いさえあるといえます。

そういわけで、女子同士の場合、男子のような「悪友」は生まれにくいんですね。
悪友みたいな友達でいることによって自分に不利益になるけど、
馬が合うからというだけで、つるむような友達はあまりありません。
相互承認が必要なので自分にとって益になると認めないと友達にならないからです。
自分にとって、どういうかたちにしろ「居心地がいい」とか「引き立て役になる」とか
そういう友達でいることの理由がなければならないんですね。
よくも悪くも打算的なんです。ただし意識的にやっているわけではないようです。

ですから女性の描く作品の主人公の友達は男でも女でもたいてい相談役なんですよね。
逆に男性の描く友達といえば悪友なのでトラブルメーカーがつきものですよね。
そういった対照的なスタンスの違いから差異をわかってもらえるといいのですが
これを描きわけるというのは、とても至難だということだけはわかってください。
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男女で違う作家の描く友情【男子編】

女性作家の青春小説を中心とした作品を読んでいてよく感じることなんですが、
男同士の友人関係というものが、実際の男同士の友情関係と微妙にちがうというか
違和感を感じてしまうことって、男性のみなさんはないでしょうか?
同じく男性作家の描く女同士の友人関係というのも同じ感覚が生じているはずです。

なにがちがうのかというと、なかなか言葉にしにくいのですが
やっぱり男と女とでは友達関係というものの捉え方や在り方に差があるからなんでしょう。
今回はそのことについて考えていこうと思います。
まずは私も男なので、より身近な男子編からです。

まず男同士の友人関係というを一言でかたづけるなら「腐れ縁」とでもいいましょうか。
男性作家の描く理想的な友達関係というのは、たいていこれに尽きますし
現実の友達関係というのも、この「腐れ縁」につながっているものが多いはずです。
これは多分、女子には理解しにくい概念なんじゃないでしょうか。

基本的に腐れ縁なので、互いに「親友」だとか「かけがえのない友達」なんてことは
ほとんど思っていないというか、反対にこいつと付き合ってるとろくなことがないし
自分もダメになってしまうので、できれば縁を切りたいと思ってたりすことさえあるわけです。
ところが偶然の巡りあわせだったり、性格や趣味で妙に馬が合ってしまったり、
あるいは一方的に好意を寄せられて、しぶしぶ付き合うハメになったりしつつも
拒絶しにくいし、憎みきれなくてついついつるんでしまうとか、そんな感じです。
こんな関係の延長線にあるのが、男同士の友達関係なんですね。

ですから感情的な「好き」とか「嫌い」とかいったものを超越したというか
別次元の関係性で付き合ってゆくことになるのが男同士の友情の特性です。
その代わり「腐れ縁」ですから「縁」がないと成立しにくいのもまた特徴ですね。
この「縁」というのも説明しにくいのですが、接点とでもいうものですかね。
それは物理的な接点かもしれないし、心理的な接点かもしれませんが
ともかく何かを共有している必要があり、そこが友情の深さを決める要素となります。

しかしまた一方で少年漫画で腐女子がハマりやすい男性同士の友情話があります。
でもあれは実は男性視点で見て解釈すると「恋愛」でしかないんですよね。
この前、読んだ記事にあったのですが『北斗の拳』作者の原哲夫先生は
「いいか、こいつら(登場キャラ)はホモなんだ。そう思って描け」と
アシスタントに指示していたそうですし、元からそういう風な目線で描いていたんですね。
だからリアルな友情ではないし、だからこそカップリングなんてものが生じてくるわけです。
実は少年漫画なんかにあるのは「友情」というよりも「男惚れ」なんですね。
少年漫画の場合、対象読者の年齢層的な事情からラブコメ以外では「友情」は「恋愛」の代替表現なのです。
これは江戸時代以前流行った「衆道」に通じるものなんですが、ここでは割愛します。

このあたりをわかっていないと女性が少年向け作品を描くときに
男の真の友情について言及しようとすると、どうしても男性ウケしなくなってしまうことになるのです。
でも、こういう機微をしっかりと描きわけている女性作家を私はまだ知りません。
どうしても女性感覚の友情をそのまま男同士にも投影してしまっています。
これがどうおかしいのかというと、たとえば『けいおん!』の友情関係は
男の友情感覚をそのまま女子に投影しているという逆転現象になっているので
女性から見ると、彼女たちの関係性がどうもしっくりこないのと一緒だと思います。

次回は女子編になります。

夜這いの民俗学(第4回)

さて久しぶりの更新は備忘録もかねての夜這いの民俗学の4回目です。
3回目までは東北地方の農村部における明治から昭和初期までの夜這いについて考察してきましたが
4回目は関西地方の農村および都市部における夜這いの実態についてです。

ちなみに過去の連載はリンク先をどうぞ。
夜這いの民俗学(第1回)
夜這いの民俗学(第2回)
夜這いの民俗学(第3回)

さて基本的に東北も関西も農村も都市もやることは変わらないというか夜這いの風習は根強くありました。
ただし時期的には、都市部も農村も戦前の昭和初期くらいから衰退していき途絶えていきますが
最終的には山間部の農村、さらには漁村においては戦後の高度成長期あたりまで残存していたようです。

そして、やはりというか東北の素朴な夜這いに反して、関西の夜這いはというと
同じ農村であっても、洗練されているというか、夜這いにも儀式的なものがあったようです。
たとえば、はじめる前にお経を唱えたりするとか決まりがあったり
「柿の木問答」というような文句を唱えながらはじめることで、初対面で緊張したふたりでも
スムーズにできるように工夫されていたりしていたようですね。
ちなみに柿の木問答は新婚初夜でも使ったようですが、実際の文句は以下のようなものです。

男:あんたとこに柿の木あるの?
女:ハイ、あります。
男:わたしが上がって、ちぎってよろしいか?
女:ハイ、どうぞ、ちぎって下さい。
男:そんならちぎらしてもらいます。

それにしても共同体として性の問題をうまく処理しているのが夜這いだったようです。
はじめての者に対しては、男女ともベテランがみっちりと仕込み教育するシステムが整い、
死別したり出戻ってきた女衆も男に困らないようにできているわけです。

そして、もっとも感嘆したのが、この時代にはレイプ問題がほとんどなかったであろうことですね。
実際には現代と同じく無理矢理に襲われることはあったし、その確率はかなり高かったのですが
平均して13歳、早ければ8歳くらいから夜這いされるのが当たり前の女たちにとっては
もう村中の男性のほとんど全員と肉体関係があるわけですから、今さら道ばたで襲われたとしても
現代のように心に大きな傷を負うとか、トラウマを抱えることもなかったと思われます。
ただし男の子が男たちに襲われることも多かったらしいので、その場合はかなりショックだったようです。

当時は「性」と「恋愛」と「結婚」は、まったく別ものであって、現代のような三位一体ではないんですね。
そもそも「恋愛」という概念がほとんどなかったのが特徴でした。
「性」は純粋に娯楽だし、「結婚」は家と家の関係であり、同じように考えてはいなかったのです。
ですから「子供」も単純に労働力の確保という側面で見ると、なにも自分の子である必要もないということで
夜這い相手との子であっても、父親はあまり気にしなかったわけです。
夜這いを嫌うのは誰の子かが重要となる「政略結婚」の必要性のある上流階級くらいのものでした。

次回は都市部における夜這いの特徴について書いていきます。

夜這いの民俗学(第3回)

さらに昨日のつづきです。
今回は過去と現代の相違について考えてみましょうか。

【9】夜這いの衰退と絶滅
明治政府の罰則強化やマスコミの啓蒙活動も劇的な効果をもたらさず、戦前の都市部以外においては、いたって普通に行われていた夜這いの慣習も、さすがに高度経済成長期を境に衰退していった。
戦後直後は徴兵によって男手を奪われ、その多くも戦死してしまったため、残り少ない男によって夜這いは一時的に多くなったようだが、昭和初期よりの減少傾向には抗えず、慣習としては昭和30年代にはほぼ絶滅してしまったようだ。実は夜這いはそれほど昔の風習というわけでもないのに驚かされる。
その後は日本にも欧米風の「恋愛文化」が奔流となって流入したことで、恋愛結婚や同棲などがブームとなり、恋愛関係とは別次元に存在する夜這い文化は「悪しき風習」「淫らな悪弊」とされてしまうことになる。これ以降、夜這いは完全に強姦といった性犯罪としてあつかわれることになってしまう。
21世紀となった今現在、夜這いが残っている地域はまずないだろう。最後まで夜這いの風習が残っていた山奥の村落も過疎化で若い男女が絶えてしまったので、夜這いしようにもできる状況ではない。ただ完全に途絶えてしまったとはいえない。日本のどこかに秘境があるかもしれない。少なくともツチノコよりも可能性は高いはずだ。

【10】夜這いを継ぐもの
しかるに神々の妻問婚など神話時代から綿々とつづく夜這いが完全に消えうせたかというと、そうではない。かたちこそちがえど、その後継となる慣習や文化は尽きていない。
盆踊り時の逢い引きや乱交といったものは、日本文化にハレとケの意識が希薄になったことで、特定の季節やイベントを問わず、やろうと思えば一年中24時間可能となった。年に1度の盆踊りは毎夜営業されるディスコ、そしてクラブへと変遷しつつも常にダンスと密接につながっているのは興味深い。気持ちが高揚するのはやはり本能的にダンスと近いものがあるのだろう。しかしかつては踊りの輪を離れれば、いくらでも逢い引きをするための暗がりが拡がっていたが、今ではクラブのトイレなどなかなか狭苦しい状態となっているのは少し淋しいものがある。
またクラブなどのダンスフロアだけでなく、出会いそのものはインターネットの普及で極大化した。かつては狭い村の中、気力のあるものは隣の村まで足を伸ばすのが精いっぱいだったのが、今では人口密度もちがうし、可能であれば海外さえも気軽にコンタクトできるのだ。物理的な移動範囲から考えると、かつての夜這い対象となる女性は多くても数百人が限界であったのが、首都圏なら数十万人くらいに拡がったのだ。
ところが規模が大きくなったから肉体関係をもつのが容易になったかというと、そうではなかった。かつては家屋に忍びこむためのスキルが求められた夜這いと同じく、今度は相手の心に忍びこむためのスキルが求められたのだ。これにより現代の男はコミュニケーション能力が重視されることになっていった。

【11】夜這い消滅による難民の増加
かつて夜這いはほとんどの男がたのしむことができたことがうかがわれる。病気や身体的な欠陥などによる障害のない健康な男であれば、たいてい問題はなかった。おそらく軽い知的障害があっても可能であったろう。
しかるに現在は過半数の男が不可能な状態といってもいいだろう。たしかに風俗産業は栄えているが、素人女性相手ということでは、恋愛主義の台頭もあって、その敷居が高くなっているためだ。
しかし、いっぽうで最近「インスタント・セックス」なる言葉が出現してきたように恋愛関係にとらわれず、シンプルに性愛をたのしむ人々が男だけでなく女性も少なからず存在しているのも事実だ。しかし、このような層は限られており、そういった特殊なコミュニティに所属しなければ、なかなか普通に出会えることはない。
そもそも一般男性はそのような特殊なコミュニティに所属することを敬遠しがちだ。ただし望めば参入障壁は低く、商売である風俗などよりも安く気軽に参加できるのではあるが。

そういったことから恋愛もできない人たちの受け皿となりうるはずの性愛の享受は完全に閉ざされてしまっていて、性愛を謳歌できる層とまったくできない層が二極化して格差が生じてしまって、さまざまな問題を生みだしている。
いうなればセックス難民である。彼らに救いを差し伸べるならば、今こそ夜這い文化が必要だと思わずにはいられない。

たぶんつづく


現代のエロ関係はすべてサブカル、アングラに流れてしまっています。
表層的なことしか知らない一般人には、まったく無縁の世界でしょう。
たぶん、このブログを読んでいる読者のほとんどもアングラワールドについては無知でしょう。
ただし本人が望むなら18禁ゲームの内容程度であるなら、だれでも享受することはできます。
費用も18禁ゲームソフト1本を買うより安いし、「ただしイケメンに限る」なんてこともないわけです。
もしも、なんでもありの裏世界に興味があれば、ネットで情報を収集するだけでゲートは開かれます。
ゲートをくぐるもくぐらないも本人の選択ですし、中から戻れなくなってもすべて自己責任です。

Chechttp://lanovelien.blog121.fc2.com/blog-entry-628.htmlk

夜這いの民俗学(第2回)

前回のつづきになります。
第1回では基本的な夜這いについての説明について書いていきましたが、
今回はもう少し深く探っていこうと思うわけです。

【5】夜這い以外
夜這いの習慣がある地域では、夜這い以外の性的交わりも並行して行われているのが通例である。特に盆踊りなどの祭りの夜の行為は夜這いのない地域においても、ハレの日としての性格上、性的放縦さが解禁される日として有名なのは言うまでもない。
盆踊りの作法については、太鼓を叩く櫓の周りを踊りながら男女が入り混じって踊るのは現代の盆踊りと大差はないが、その踊り手は若者が中心である。また現代よりもずっと暗く、少し離れれば真っ暗闇であることも忘れてはならない。だから男は踊りの最中に目当ての女の手をとって踊りの輪を離れていっても、あまり目立つことはなかった。そのまま暗がりに連れこんで屋外にて密会し、行為が終われば、また踊りの輪に戻ることも多い。それを祭りの夜中、繰りかえすことになる。

地域によっては連れだし上記の1対1の方式ではなく、廃寺の古堂などに若い男女が集団で一所に集まって乱交状態になることも珍しくなかったという。ただし今回の資料では複数対複数なのか、1対1にペアに分かれて行われるのかは不明だが、農村は性的には放縦であっても性戯においては素朴であったようなので、おそらく後者かと想像される。

若者だけでなく既婚者の場合は夫婦交換や乱交もままあった。そもそも夫婦は農作業の労働力確保と子孫を残して家を継続させる目的でしかないため、性愛的には未婚と既婚はさして区別はなかったようで、妻は隣家の男に誘惑されてもさして抵抗しないくらいに寛容であった。ただし夫や父は妻や娘に対して所有権を主張することで、そうした間男に対して厳しくする者も多かった。
ほかにも道すがら行き交ったところを半ば強引に押し倒すような者もいた。これは農作業以外に薪拾いや山菜採りなどで里山に入ることも多く、人気のない道を歩くことが多かったので、あまり人目につかなかった。ただし、この場合、かなり一方的な強姦に近いことも行われていたらしい。

【6】好かれるタイプ、嫌われるタイプ
当然ながら村の男には、ほぼ全員OKをもらえる男もいれば、ほとんど拒否されてしまう男もいた。やはり偉丈夫で男前あるいは床上手な男が人気であるが、マメな男がモテたのは、現代とあまり変わらない。なかには吹雪の山道を片道5キロも通って来るような男もいた。男も雪や雨の日に行くと女のサービスがよくなるといって、わざわざ悪天候のときに精力的に出かけた。一方で乱暴者だったり、傲慢な者、素行不良な者は嫌われた。モテる男は若い娘の夜這いも可能だが、あまりモテない男は比較的許可してくれやすい人妻や未亡人相手が多かった。
そして誰が誰に夜這いしたか、そして成功したか失敗したかなどの情報は、他の情報と同じく一瞬にして狭い村中に広まるため、悪い噂が立つと誰も相手にしてくれなかったり、よい噂が立つと女たちが夜這いに来いと追いかけ回されることもあったという。

【7】妊娠と性病
夜這いにおいて避妊はあまり行われなかったらしい。そのため誰の子かわからない子供を産んだ場合は”みんなの子供”ということで女なら愛称として「みな子」と名付けたそうだ。
特に避妊が行われた様子はなく、あるエピソードでは夜這いした男がコンドームを女の体内に残したまま帰ってしまい、翌朝にその女の体内から垂れさがるコンドームを見て「腸が出た!」と騒ぎになって病院に駆けこんだというものがあったくらいだから避妊具そのものが物珍しかった様子がわかる。

性病についてはあまりわからなかった。戦後ならば抗生物質(ペニシリン)により治療が可能だったはずなのだが、昭和中期以降は夜這い文化はほとんどなくなっていたはずだ。
梅毒などは自然治癒しないため、罹患して十数年で外貌を著しく醜くさせながら死に至るはずなのだが、これらに関して心配した様子がない。閉ざされた村内であるため性病が蔓延することが少なかったからなのかは不明。しかし村落内にいったん性病が蔓延すると、ほとんどの村民が相互に肉体関係があるため、全員が感染して村落が全滅するリスクも高いはずなのだが。
附言として江戸末期に来日した外国人の証言では驚くほど梅毒患者が多かったという。

【8】結婚
婚前の夜這い経験の有無は結婚において、まったく問題がなかった。かえって処女で嫁ぐと失敗して実家に返されると、積極的に夜這いを受け容れる風潮さえ見られた。基本的には夜這い相手と結婚相手はまったくの別物であり、家同士の決まり事、労働力の確保と家計の調整ということが主目的となっていて、近所に嫁ぐこともあれば、近隣の村に嫁ぐこともあった。ただし、あまり素行が悪くよい噂のない女は遠くの村に嫁ぐ傾向にあった。ちなみに再婚の場合だと結婚相手の条件が不利になるのが普通だった。近くに嫁いだり、婿をとった場合は、結婚後も夜這い相手と続くことも多かったが、夫も絶対に阻止してやろうという男は多くはなく、夫も別の女に夜這いしていた。この当時の夫婦間に現代でいうところの欧米式の「愛情」はなかったようだ。どちらかというと今でいう「同志愛」的なものだったのかもしれない。

つづく

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ムギャオーの叫び声に学ぶ人間失格キャラ

私自身はTRPGはやらないのですが、TRPG界のこまった人たちの報告をまとめたサイトがあります。
TRPG経験者ならば、だれでも知っているのでしょうが、そのサイトというのが……

ムギャオーの叫び声 困ったちゃんのまとめ

よくある2ちゃんねるのまとめサイトのひとつなのですが、『クトゥルーの叫び声』をもじった感じからして
TRPGらしさがあふれていて、ほほえましいですよね。
しかし、ここで星の数ほどといっていいほど報告されている困ったちゃん(通称「困」)は
クトゥルフ神話の旧支配者たちよりもコズミックホラーじみていて、燦然と輝いてます。
キャラクター創作において、ダメキャラを考えるときに、本当に役立つ実例集なんですね。
架空の存在とかではなく、いちおう実在の人物たちなので、やることなすこと活き活きとしていて
周囲の人々の困惑ぶりや阿鼻叫喚ぶり、修羅場の数々が手にとるようにわかるんでよね。

ダメ人間というものを描きたいときは、ぜひ覗いてみてください。
きっとあなたの予想の斜め上をゆく困ったちゃんたちが、あなたの作品のモデルになってくれるでしょう。

ちなみに「ムギャオー」というのは、かつてゲーム中に自分の思い通りの展開にならないことに
逆上したベテランの某プレイヤーが「ムギャオー!」と謎の奇声を発してゲームを途中放棄し
走り去っていったという故事に由来しているそうです。

Chechttp://lanovelien.blog121.fc2.com/blog-entry-619.htmlk

夜這いの民俗学(第1回)

先日のモテラノベの記事で「夜這い」という単語を使ったのですが、
よく考えるとその実態については、ほとんど知らないことに気付いてしまい
ちょっと調べてみようかということで、関連書籍を漁っていますが、これがまたおもしろかったので
ラノベりあんでも記事にしようと思いたったわけです。

現代日本人が常識として考えている恋愛観とはまったく埒外の感性で暮らしていた人々がいたのです。
それも今から60年前くらいまでは、夜這いの風習がしぶとく残っていたわけですから
つまりまだまだ元気に暮らしている経験者もいるんですよね。感慨深いですよね。
以下はメモ書き程度にまとめたものの一部です。


【0】はじめに
夜這いとは不可思議な風習である。現代人の結婚観や恋愛観とはまったく別の次元の感性により行われていたことに注目した。現代日本人の恋愛観や結婚観は近世以降の武家の感性と明治以降の欧米的なキリスト教倫理観に大きく転換されたものであって、日本人古来のもっていたものとは大きくかけ離れていたのだ。そんな打算なく快楽を追求する原始の姿は見ていて清々しくさえある。

【1】歴史
夜這い文化は古代農耕地域では世界的な規模で普遍的に見られた風習だが、アブラハムの神の教義(ユダヤ教、キリスト教、ユダヤ教)により衰退もしくは隠されていった。『デカメロン』『ロミオとジュリエット』『シラノ・ド・ベルジュラク』など古典文学にも夜這いシーンが多数見られる。
日本においては『古事記』に神々の代から夜這いが見られ、『源氏物語』や『土佐日記』などは夜這い文学そのものといえる。

【2】時代
経験者からの口から採録された夜這い話については、明治大正の頃は一部農村地域では、まだまだ盛んであり、かなり廃れたとはいえ終戦直後の話も見うけられた。江戸時代においては言うにおよばずである。明治政府により夜這いは姦通罪などで刑罰を課されるようになるも、あまり効果はなかった。
しかし昭和13年の津山事件(『八つ墓村』のモデルとなった30人大量殺人事件)の犯行動機に夜這いが密接に関わっていたことで、新聞各社が大々的に悪しき旧弊として撲滅キャンペーンを行ったことも衰退の原因となっているのかもしれない。

【3】分布地域
明治、大正の頃まで盛んだったのは、山深い山間部の村落が中心であり、当たり前のように行われていたものだった。貧しく他に娯楽がないということも理由だろうが、特別な理由があるわけでもなく古くから続いてきた因習であったにすぎない。また当時の人々も夜這いについて疑念を持ってはいなかったのは言うまでもない。

【4】システム
夜這いの管理は若者衆(現代の青年部に相当)により柔軟に管理され、「村の娘と後家(未亡人)は若者衆のもの」とも言われていた。男は16歳くらいになると若者衆に入り、結婚すると抜ける。ただし既婚者の夜這いも普通に盛んだった。女は早いと13、14歳(数え年なので満年齢だと最低11歳)くらいから夜這いの対象となった。また上は60過ぎの老婆(当時の感覚で)に対しても普通に行われていた。

夜這いの方法には大別して2通りあった。1つは日中に約束を取りつけて夜這いをかける方法と、もう1つはいきなり寝所に忍びこむ方法がある。どちらも半々くらいだったようで、成功率は前者は邪魔が入らなければ100%だが、後者は20~30%くらいだったらしい。
女の家に忍び込むには、戸を開けておくなど女の協力がないときは忍者のごとき秘術が尽くされたという。そのため夜這い初心者は夜這人(よばいと)と呼ばれるベテランに弟子入りして、見張りなどをやらされる見習い期間がある。夜這いではなく性体験自体については年上の女に手ほどきしてもらう場が用意されている地域もあった。

かつての農家の家屋は鍵などかかっていなかったが、戸の立て付けが悪かったり、床が軋むなど音を立てやすかった。また娘と両親は同じ部屋に並んで寝ていることが大半であり(よくて板障子一枚隔てる程度)、いかに親に気付かれないよう音を立てないかが肝心だった。
また親も夜這いに寛容な家もあれば、資産家や旧家など夜這い防止に戸締まりが厳重な家もあった。ただし見つかって現場を押さえられると、たいてい袋だたきにあうのが普通であり、ときには槍で刺し殺されたり、銃で撃たれたりした事件もあった。
もっとも重要なこととして、夜這いは屋内に月明かりさえ届かない真闇の中で行われていたということにつきる。これは現代人にはなかなか想像できないシチュエーションだろう。そのため準備手段として、明るいうちに娘の床の位置を確認しておき、現地では完全に手探りで行動することになる。そのため娘のつもりで母親や祖母に夜這いしてしまうことや、男に行ってしまう場合も多々あった。わざと一夜で母と娘の両方に夜這いをかける精力家も珍しいことではなかったらしい。

男は夜這い相手の女にいくばくかの土産を用意するのが一般的だった。わずかな金銭もしくは飴などの菓子類が多く、羽振りのよい者は白粉や化粧水を渡した。
男が女を選ぶ基準は美人かどうかが多いが、サービスがいいかどうか、また相手から誘われたかどうかでも大きく変わっていった。女同士の見栄もあって、だれも夜這いの来ないのは恥ずかしいという感覚もあり、また純粋に性欲の昂ぶりを隠すということがあまりなかったから、女から積極的に誘いをかける者も多かったという。
さらには肉欲の追求だけでなく、ゲーム感覚で親が厳重に夜這いを警戒している家にわざわざ挑戦する攻略を目的とする場合もあった。あたかも昔年のリアルなメタルギアソリッドである。
そして全国的ではないが女から男へ夜這いに行く村落も少数ながら点在していたようだ。さらに特定の男だけを受け容れる女もいれば、絶対に断らない女とがいて、後者のような女の場合、あぶれた非モテ男たちが多いときには十人以上が列をなしていたというが、女としては三人目くらいを相手にしているうちに寝てしまって意識はなかったらしい。このような400人以上(村の人口を考えると数世代に渡る男の村人全員だろう)の相手をしたとされる女は驚くほど健康で長生きであったとも言われる。

つづく


実際、リアルなファンタジー小説を書こうなんてことになると、このような事柄も含めないといけません。
モデルとなる中世ヨーロッパも実際には日本と変わらず夜這いが盛んだったわけですし。
たびたび教会が弾圧する魔女のサバトなども、この手の農民たちが古代から行ってきた
夜這いや乱交のことをさしているのは言うまでもないことでしょう。
特にキリスト教のような唯一神教ではなく多神教のファンタジー世界なら、この傾向は更に強くなります。
しかしながら青年読者層には刺激が強すぎるのと、読者の感覚と完全に乖離してしまっているので
ここまで描くことはないとは思いますが、架空の世界観に深みを与えるのに知っておくのは悪くないと思います。

Chechttp://lanovelien.blog121.fc2.com/blog-entry-618.htmlk

かんたん!プロットの書き方【基礎編2】

きのうのつづき、後編になります。
簡易プロットに書くべき4項目のうち、三つめと四つめでしたね。

三つめは【世界観】です。
この世界観を考えるのが大好きな人ってきっと多いはずです。特に男性ですかね。
ただし、世界観を考えるのが好きな人ほど、世界観をだいなしにしていることが圧倒的に多いのも事実です。
世界観を考えることの好きな人というのは、もう微にいり細にいり詳細に設定してゆくわけですが
この段階で、そんなことをする必要はありませんし、それだけでなくやってはいけません。
なぜなら詳細に設定を決めようとすると、世界観に一本とおった筋がなくなってしまうんですよ。
現実世界には筋なんてないのですが、架空の物語作品は読者にわかりやすくするためにも絶対に必要です。
まずは筋を決めましょう。そのためにも世界観は一言で表せるようにしないといけません。

最後の四つめが【ストーリー】です。あらすじ、梗概とも言います。
ここも簡易プロットの段階ではシーン割りとかいりません。
投稿作品くらいの作品なら原稿用紙2枚以内で書ききれるようにしましょう。
これもダラダラ書いたところで百害あって一利なしです。
とりとめもなくなってしまいまして作者自身がどこに力点を置いて書くべきか、わからなくなってしまいます。
簡潔を心がけつつ、それでいて平坦にならないようにしましょう。
つまり物語の始まりから終わりまでを均等に書こうとしないことが重要です。
読者に読んでもらいたい箇所、作者が自信を持っているシーンに紙幅をより多く割いて書きましょう。
そのためにも、どうでもいいところは極力、割愛して流しメリハリをつけるのです。

以上が簡易プロットで書いてほしい4項目です。
これだけ押さえておけばプロットは内容のクオリティを除けば問題ないはずです。
「本当にこれだけでいいの?」と思うかもしれません。でも、たったこれだけいいんです。
ただし、ここまでに書いたことをしっかりとできる人はそんなに多くありません。
何度注意しても、その場では理解してくれるのですが、できない人はどうしてもできなかったりします。
ですから楽勝だとバカにしないでくださいね。

そして、2日にわたって書いてきたプロットの書き方をマスターしたとしても勝負はそこからです。
たとえるなら数学において、πとかsinθ、Σとかの意味や定義を覚えただけの段階なのです。
これを頭に叩きこんで、そこから実際の問題にとりくむことが求められているわけです。

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かんたん!プロットの書き方【基礎編1】

今回は簡潔にプロットの書き方をおさらいしてみましょうか。

作品を書くときに、いきなり原稿にとりくむ人というのは、よほどのベテランか天才、あるいはド素人です。
もしあなたがベテランでもなく天才でもないのであれば、プロットなしで原稿を書くのはやめましょう。
ベテランだって紙やデータとしてプロットを書かないだけの話で、頭の中ではしっかり組んでいるわけです。
天才なら、このブログを読まなくても、すぐに作家デビューできてしまうでしょう。

さてプロットにもいくつか種類がありまして、アイデアや着想を物語におとしこむ簡易プロットもあれば
原稿におとしこむための詳細プロットもあるわけですが、まずは簡易プロットについて説明します。

簡易プロットは、ワープロソフトで印刷してA4用紙1枚ないし2枚程度の簡単なものです。
ここであまり詳しく書いても、結局は迷走してしまうだけなので、要点のみを書くことに集中します。
書いてほしい項目は4つあります。

一つめは【ジャンル・テーマ】です。
いったい作者はなにを書こうとしているのかを明らかにしましょう。
自分がコメディを書きたいのか、悲劇を書きたいのかといったジャンルをしっかりと決め
友情のたいせつさとか、恋のせつなさとか読者になにを伝えたいのかといったテーマを決めておきましょう。
プロットとは作品を書いてゆくえうでブレないための錨、アンカーであり、ジャンルやテーマはその根本です。
けっしておろそかにしてはいけません。自分とよく向かいあって書いてください。

ここがどうしても巧く書けない人というのは創作者として地に足がついていない人が多いですね。
何事も「なんとなく」と漠然としてしまっていて、しっかり言葉にできていないのです。

二つめは【主要登場人物】です。
ライトノベル、ひいてはエンタメ小説においては、ここが最重要項目となります。
今までのブログでもここをいかに書くかということについて何回も書いてきましたので
あまり多くは語りませんが、ここはもっとも力をいれて書いてください。自然と文章量も多くなります。
そして、ここで書くべきは登場人物の「人となり」です。
経歴や肩書きは最小限にとどめ、できるだけ内面の設定を書きましょう。
キャラの魅力は外見からではなく内面から滲みでてくるものです。

そして主要登場人物は3、4人にしておきましょう。
文庫本1冊で登場させられるメインキャラクターは3、4人が限度です。
たいていの場合は、主人公、異性の相手役、ライバルか敵役くらいのものですから。
たくさん登場するんだとしても重要度を鑑みて数を絞ってください。

次回以降につづきます。

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日本人の名前の種類についての考察(その1)

きょうは日本人の名前について、ちょっとだけ考察してみましょう。
一口に名前といっても現代日本には、いろいろなタイプがありますのでまずは由来などから分類してみます。
歴史的に見て、厳格に定義すると名前は男子だけに与えられたものなので、まずは男性名についてです。

(1)古来系……「~彦」「~麿」など神話にも出てくるような古式ゆかしい名前
(2)役職系……「~介(輔)」「~左衛門」「~兵衛」など官職にまつわる名前
(3)諱(いみな)系……漢字2字からなり訓読みとなる名前で最も一般的な日本人名
(4)俗称系……「~太郎」「~丸」など俗称、字(あざ)に基づく名前
(5)一字名系……嵯峨源氏系に多い一字名、漢字2字でも一字名っぽい呼び方の名前(例:「孝史」など)
(6)その他……以上に分類できない名前全般

だいたい日本人の名前を大別すると以上のようにわけられるのではないでしょうか。

そして元々の日本人(支配階級)の姓名については5つに分かれていていました。
5つとは、氏(うじ)、姓(かばね)、苗字、諱、字(俗称、通称)です。
このうち姓は中世の頃にはすっかり使われなくなり、ほとんどの人が自分の姓がわからなくなってしまいました。
このことを本居宣長などは非常に嘆かわしいことだと言っています。
で、残る4つについては明治の頃までは、まだ使われていました。

たとえば有名人でいうと上野に銅像のある西郷さん。
彼の場合はというと「西郷隆盛」というのは後世の呼び方で、正しくありません。
通常は4つ全て併記するか、「氏」と「諱」、あるいは「苗字」と「字」がセットになるんですね。
ですので「西郷」は苗字ですから、続くのは字のほうの「吉之介」なので「西郷吉之介」が正しく
諱の「隆盛」を使うなら氏の「平」をとって「平隆盛」(たいらのたかもり)となります。
もっとも諱というのは、大陸文化の影響もあり、天皇や主君あるいは親の前でのみ使うかしこまった名であり
日常生活では字(俗称、通称)を使う風習がありました。
なので西郷さんも明治天皇の前では「平隆盛」を名乗り、普通は「西郷吉之介」で通します。
ですので徳川家康というのも後世になってからの便宜的な呼称であって、当時の呼称ではありません。
「徳川内府」とか「源家康」というのが正解です。織田信長も同様に「織田上総介」「平信長」ですね。

特に高位の武士は通称として官職名を用いることが一般的でしたから、
それを真似た中位下位の武士たちも兵衛府の武官でもないのに「権兵衛」とか名乗ってみたり、
右衛門府とは関係ないのに五右衛門とか名乗るのがはやり、そのうち農民までも名乗るようになりました。

現代は戸籍法によって、氏と苗字とが、そして諱と字もひとつにまとめられてしまって
「苗字(姓)」と「名」のふたつしかなくなってしまいましたが、そもそも大きく意味が異なっていたんですね。
ちなみに氏は一族血縁に受け継がれるので、女子が婚姻しても改姓されませんが
苗字というのは領地や屋敷の場所から派生したものなので、嫁入りして住む場所も変わるので改姓されます。
もともと古来より日本では、氏は夫婦別姓で、苗字は夫婦同姓なんですね。
中国や朝鮮には苗字という概念はなく姓(氏)だけなので、基本的に夫婦別姓となるわけです。

ここでライトノベルで使われる名前を考えると(2)役職系ないし(4)俗称系、(5)一字名系が多いです。
どうしても(3)諱系の名前は堅苦しい感じがする一方で、(4)俗称系は親しみやすいんですね。
同様に一字名系の名前も親しみやすいイメージがあるので多用されます。
ここでちょっとおもしろいのは(2)役職系もかなり目立って使われていることです。
少年向けライトノベルの主人公少年というのは、どちらかとうと内気で保守的な性格が多いので
諱ほど格式張ってはいないけれど、ちょっと古めの名前が好まれているのかもしれませんね。

少女向け作品になるとライトノベルもマンガも男子は(5)一字名系が多いです。
ちょっと(6)その他と区別がつきにくいんですが、発音の音節が短いですよね。
たいてい女性がカレシを呼ぶときは、愛称として名前の最初の2音で呼ぶことが多いこともあってか
登場人物だと最初から名前が2音、3音しかない場合が多いんですね。
また男性名に最も多い諱系の4音の名前は大仰、古めかしいというイメージがあって
洗練された名前として短い音節の名前が好まれているというのもあるでしょう。

まあ、作品の中でなら、どんな奇抜な名前をつけてもいいのですが
もしも自分の子供につけるときはよくよく注意してください。
なぜならイケメン、美少女ならどんな名前だって似合うのです。
フィクションであれば、いくらでも美形に設定できますが、現実はちがいます。
そして現実はさらに年を経てゆくということも忘れてはいけない要素ですね。
若いときはいい名前でも、年をとってからいかがなものかという名前とかありますからね。

ということで自分の作品の登場人物に名前をつけてあげる際には
字面とか響きなんかも重要ですが、読者の抱くイメージについても考慮してみてくださいね。

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