L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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ライトノベル創作教室ラノベりあん 中二病でも書けるライトノベル教室♪

小説の楽しい書き方講座ブログ 毎週開催の創作塾と連動中!

表から裏まで多角的視点をもとう

あしたは月に1回のライトノベル創作オフということで、ストーリー創作方法について講義します。
そこで今回は、そのさわりだけでもここに書いてみようと思ったしだいです。

さて物語を考えるとき、アマチュアがもっとも犯しやすいミスというのが、
物事を一面からしか見ないで、作品を考えてしまうことなんですね。

ライトノベルに限らず小説で、登場人物が社会的に隔絶した場所でたった独りしか登場しないなんてことは
ほとんどありえないわけで、主人公をはじめ登場人物は複数人が登場しているはずです。
このとき、あまり深く考えない人はというのは、主人公の視点でしか物事を考えないんですね。
そうすると主役はいいけど脇役は典型的でつまらない人物設定になってしまったり、
主人公が置かれている社会についても舞台大道具のカキワリみたいに表面的なものになってしまいがちです。

これでは活き活きとした人物を描くことも緻密な世界観を描くこともできませんよね。
ですから、よりよく描くには多面的な視点が必要なわけです。
できればひとりひとりの人物になりきって心境を描いてやるくらいの覚悟もほしいですね。
そうしないと、あなたの作品のキャラクターは決められたシナリオに沿って
都合よく動くだけの”あやつり人形”になってしまいかねませんから。

それに人間の行為に絶対なんてものはありません。
だからいかに正義の味方でも、そこには裏があるし、それは敵側も同じです。
たとえばウルトラマンが怪獣を倒して地球を救ったとしても、
その格闘のさなかに、ウルトラマンに両親を踏みつぶされた人は、きっとウルトラマンを恨むでしょう。
また悪事に手を染める犯罪者であっても、犯行には止むに止まれぬ哀しい理由があるかもしれませんよね。
そういうことを常に多角的に考えてみると、作品の幅も広がりますし、思わぬアイデアがうかぶかもしれません。

とはいえ、実は結果をだせていないアマチュア作家の半数以上は主人公の視点でさえ見えてないんですけどね。
なにも見ていないで、勘と手探りだけで書いてしまっている人って本当に多いんですよ。
みなさんもぜひ注意して、自分の作品の裏の裏まで覗けるように気を配ってみてください。

土曜日はオフ&雑誌取材でした

7月2日に6月ライトノベル創作オフをやりました!
今回は新会場での2回目、受講生も今年4月からの新しい人が大半ということもあり
全体の雰囲気としてフレッシュな感じでしたね。
ストーリーの書き方について基礎をふまえながら実践してもらいましたよ。
ワークショップでは『ツンデレ百人一首』の美少女や『ツンデレかるたっ!?B』のイケメンを選んでもらい
それを主人公としたストーリーのプロットを実際に考えてもらい、発表してもらったりもしました。
なかなかの力作ぞろいの課題作品に笑いが絶えませんでした。

今回は6月オフがずれこんでしまいましたが、次回の7月オフは7月31日(日)になりますので
たのしく小説を書きたい方からライバルに差をつけたい人まで、参加者をお待ちしてます!

それとサプライズ企画というわけでもないんですが、雑誌取材が入りまして
オフ参加者の方にもいろいろと取材協力してもらいました。
掲載誌はリクルートのフリーペーパー『R25』で、7月下旬頃に記事が掲載される予定なので
ぜひ掲載号の『R25』を読んでみてくださいね!


クイックチェス

余談ですが、クイックチェス用の携帯ボードをフェルトで作ってみました!
クイックチェスとは5×6マスのボードを使って遊ぶミニサイズのチェスで
アメリカでは、はじめて子供がチェスを学ぶときによく使われるそうです。

駒数も少なくボードも半分以下だから、1ゲーム10分程度と気軽に遊べるので
カフェなんかで、ひまつぶしに遊んでみたいなと思ってます。
コンポーネントも小さくてかわいらしい感じが気に入ってます。

駒の並べ方のちがいでペティチェス、スピードチェス、エレナチェスともよばれています。
日本でも「5五将棋」や「どうぶつしょうぎ」とミニ将棋がありますが
やはり立体的な駒のチェスのほうが見映えがしますよね!
ミニサイズの自作チェッカーボードは制作費500円以下のハンドメイドですが
写真の駒はフランス製、しかもツゲ材の高級品なのでウン万円したりしますw

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結局、ぼくらはヒーローを求めている

最近ではすっかりプロ野球人気は衰退してしまい、サッカー日本代表戦にとってかわられてしまいました。
これも時世なのでしょう。プロ野球が唯一最大の国民的スポーツだった時代は終わったのです。

しかしプロ野球はずっと国民的スポーツだったわけではなく、その歴史は意外と浅いと知っていましたか?
そもそもプロ野球が隆盛を極める以前、日本でもっとも人気があったのはプロレスでした。
まだテレビが一家に一台にない頃、街頭テレビに映しだされるモノクロ画面に日本国民は一喜一憂していました。
巨漢の白人レスラーを空手チョップでバッタバッタと薙ぎ倒す力道山こそは
米軍に完膚無きまで打ちのめされた日本にとって、まさに日本人(実際は朝鮮人)のヒーローだったのです。
その後、力道山がチンピラに刺殺されたことで、馬場の全日と猪木の新日に分裂したりしたこともあり
プロレスはプロ野球に国民的スポーツの主役を明け渡すことになりました。

しかし野球のなかでもプロ野球が最初から人気があったわけではありません。
もともと戦前から野球といえば、東は六大学野球、西は甲子園の高校野球の人気がダントツで
遊びを金儲けにしているといったイメージのあったプロ野球は二流あつかいだったんですね。
しかし1958年、プロ野球に最大の転機が訪れます。
六大学野球史上最大のヒーローだった立教大学の長嶋茂雄がプロ入りしたのです。
この長嶋のジャイアンツ入団により、プロ野球は名実ともに国民的スポーツの第一に躍りでるのです。
誤解している人も多いかと思いますが、そもそもは巨人が人気だったというよりも
長嶋個人の人気のが高かったわけで、彼が六大学野球からプロ野球に移ったから
長嶋ファンがこぞってプロ野球、特に読売ジャイアンツに流れていったといってもいいくらいなんですね。

しかしプロレスはジャイアント馬場、アントニオ猪木というふたりのヒーローが長く君臨したことで
国民的なヒーローを生みだすことができず、一時はゴールデンタイムで週に3本もあった
プロレス番組は、たまに深夜にやっている程度にまでなってしまいました。
野球も同じく不世出のヒーロー長嶋茂雄をひきずりすぎたために、今のような状況になってしまいました。

ここでスポーツに、あまり関心がなさそうなライトノベル作家志望の人にも考えてほしいのは
人々は常にヒーローを求めているのであって、そのヒーローの活躍する舞台にはこだわらないということです。
スポーツである必要もなく、戦時にはもちろん軍人がヒーローとしてもてはやされます。
そもそもヒーローとは「英雄」であり、神話などは常に英雄について語り継がれてきたわけですよね。

さて、あなたの書く作品には読者に熱狂的に支持されるようなヒーロー(ヒロイン)がいますか?
読者はあなたの物語を支持するよりも、登場人物を支持するのだということを忘れないでください。

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発想力のある人、ない人

作家志望者にもいろいろとタイプがありますが、そのなかに「発想力のある人」と「発想力のない人」がいます。
ここでいう発想力というのは、いわば頭の中にアイデアの泉をもっているかどうかんですね。

アイデアの泉が頭の中にあると、使えるアイデアも、どうしようもないアイデアも常に湧いていて
アイデアの枯渇に悩むことがあまりないのですが、あまりにたくさんアイデアが思いつくものですから
そこで満足してしまって、なかなか執筆までいたらず苦手という欠点があります。

反対にアイデアの泉がない人、正確にはまったくないわけではないのですが、
ちょろちょろとしか出てこない人というのも一方ではいます。
こちらは、とにかくアイデアが出てこないようなんですね。
たとえ出てきても、ほとんどはオリジナリティに欠け、読者を魅了するほどのインパクトもありません。
しかし悪いことばかりではなくて、そういう人は執筆が早いタイプの人が多いんですね。

こんなことを書いたのも、わけがありまして、私はどちらかというと前者タイプであり
現在指導している弟子の夢見照子は後者のタイプなんですね。
私からすると、アイデアなんてものは、その場ででっちあげるくらい、すらすら出てくるので
アイデア出しに苦労するという感覚があまりないわけですが、照子はずっと苦しんでいます。
しかし私としてはアイデアが出てこないというのが、あまりにも実感がもてなかったりして
どうやって指導してよいものか、ちょっと悩んでいるところだったりします。

アイデアが出てこないのは、どうもセンスの問題ではないようです。
センスというのは、出てきたアイデアが良いか悪いかといったことで判断するわけですから
そのアイデアが出てこない以上は、センスとはちがう素質なのでしょう。
では、なにかと考えたときに思い浮かんだのは、論理的思考の使い方なのではないかと思うのです。
森羅万象、この世にあふれる情報を自分なりに咀嚼して、新しい意味で解釈するには
情報処理能力が求められるわけですが、この情報の処理の仕方に差があるのではないのかなと。

アイデアが浮かばない、出てこない人というのは、どうも固定概念に縛られがちで
1つの情報の入力に対して、出力が1つしかないような考え方をしているように思えるのです。
たとえるなら「りんご」という情報の入力に対して、出力は「赤い」だけしかないみたいな感じですね。
そこには青りんごの「緑の」ということもなければ、味の「甘酸っぱい」というのもないんですね。
実際はもっと複雑なのですが、こんな感じで物事を画一的に割りきってしまえるタイプだといえます。

こういうタイプの人に発想力を身につけてもらうには、日常生活においても多角的に物事をとらえ
考えてゆくように心がけ、実践してゆくしかないのかなと思うしだいです。
そのためには、いろいろなことに興味をもってほしいですね。
発想力のある人というのは、この実践がごく自然にそれができるし、逆にやらないと気持ち悪いんです。
発想力のない人には、かなり努力が必要だし、つらいことでしょうが、やらなければならないのです。

あなたは発想力のある人ですか? それともない人ですか?

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第1回日昌晶掌篇文学賞 5月期選考結果発表

さて、だいぶ遅くなってしまいましたが5月期の結果発表です!
5月期の投稿作は35作品でした。
今回は特に選考に悩みましたが、結果は下記の通りとなりました。

【金賞(5月期月間賞)】 (副賞:700円ギフト券)
『執念』 古都たん

ホラー作品です。これまでもホラー作品は多かったのですが、今月は投稿作も多くて
ホラー作品が豊作のときでしたが、その中でも直接的に恐怖が書かれているのではなく
読了してから読み解いて、じわじわと恐怖を感じるタイプなのが特に印象的でした。
掌篇という短い文章の特性をうまく利用していたと思います。


【銀賞】
『秘密基地』 雪希

幼い日のなんでもない情景をきれいに描いていて好感が持てました。
しかもオチもしっとりと決まっていて心地いいんですね。
せりふの関西弁も情感を豊かにしてくれていて効果的です。
欲をいえば、ちょっと冒頭部が技巧的になりすぎたことで頭でっかちになっているので
もっと軽快な文章表現にしたほうが全体の雰囲気にあっていると思います。

【佳作】
『桜の森の満開の』 KAIN
『ラブ&ピース』マブ
『新しいフォルダ』 ポニィ。
『剣はパンに、鎧は鍋に……』 金色のミヤ
『・・・』 守安
『叫び』 01仁杉
(以上6作品、投稿順)


『桜の森の満開の』にはやられました。アイデアが秀逸でしたね。
いわゆるメタ小説というもので「入れ子構造」になっているんですね。
作中の視点は、この日昌掌篇文学賞の投稿者(読者)なのです。
さらに坂口安吾の『桜の森の満開の下』と3月期の金賞受賞作の『黒い桜』
および梶井基次郎の『桜の樹の下には』の3作品をかけています。
しかも選者の私が純文学のオマージュ作品を高評価するのを喝破していて
そのことに対して皮肉まではいっているんですから、もう脱帽です。
ですが一般読者には少々わかりにくいので、申し訳ないですがキンショウではないです。

『ラブ&ピース』を評価したポイントは、ちょっとうがった視点であることと独特のテンポです。
飄々とした感じがすごく自然に読ませるんですよね。
ただし結末が若干わかりにくいので、書き方を含もう少し工夫してもらって
全体を引き締めてもらえていたら上も狙えたかもしれません。

『新しいフォルダ』は今月のホラー作品のなかでも秀作となっています。
同様の題材としては古くから怪談にあるのですが、得体の知れない相手の見えない恐怖を
コンピュータのモニターのみを舞台にして描ききっているところなんかは
小説という媒体を巧妙に活かした演出となっていました。

『剣はパンに、鎧は鍋に……』はファンタジー作品の裏側の非情さが描けていて
しかも悲惨な話なのに童話的なトーンで語られているギャップがとてもよかったです。
掌篇小説ではなかなかファンタジー色の強い作品は世界観説明が充分にできないので
かなり不利になってしまうのですが、この作品では読者の既成概念だけの知識だけで
理解できるようになっているわけですが、なかなかできることではないですよね。

『・・・』はコミカルな作品ですが、これもメタ小説になっています。
コンセプトの発想自体は古くからあるのですが、今回のようなオチはおもしろいですね。
ちょっと世相を反映して社会風刺が加味されているところなんかも評価しています。
星新一の『未来いそっぷ』を彷彿させていて、個人的に好きな作品です。

『叫び』は5月期にホラーが多いなかで、ストレートなホラー作品のふりをした
コメディ作品ということで、意表を突いた感じがすごく印象的でした。
惜しむらくは会話だらけになってしまっているので、もう少し文章を工夫してもらえると
もっとわかりやすくなって上を狙えたと思いますので、今後もがんばってください。

《総評》
夏でもないのにホラー作品が本当に多い月でした。
そういえば冬はやたらと人が死ぬ、殺される話が多かったりということもありましたね。
季節によって投稿者の傾向が気持ち的に変化しているのでしょうか?
とっても興味深いテーマなので、今後も年間を通して注意してみたいですね。
すぐに6月月間賞に年間大賞の選考にも追われていますが、本当に選考が難しいので
日数がかかってしまうので、遅れがちなのは大目に見てやってください。
短い文章を書く練習は、そればっかりやっていてもしょうがないのですが
身につけたものは、ぜったいに長編にも活きてきます。
たとえば無駄なシーンや会話をぐだぐだ書いてしまうことがなくなり
自然と作品がひきしまって格好よく、しかも読みやすくなったりとかですね。
今後もみなさんの作品に期待していますので、よろしくお願いいたします!


執念 古都たん著

 彼女が亡くなった。
 飛び降りだったそうだ。
 遺書は無かったという。
 だった、と言うのは彼女の死を人伝に聞いた為である。
 私は彼女の遺体を見たくなかったのだ。
 彼女が居なくなった事をどうしても認めたくなかった。

 気付いてやれなかった自分を何度も責め続けた。
 仕事も上手くいっていた様だし、家族や友人関係でトラブルも無い…とも言えないか。
 彼女の事なら誰よりも、何でも知っていると自信があった。
 しかし現に彼女は私に黙って死んだ。
 もしかしたら私の知らないところで何かあったのかも。
 彼女は優しすぎる性格だから、きっと私に心配をかけたくなかったのだろう。
 死んでしまうくらい辛かったんだ。
 私がもっと早く気付いてやれていればこんな事態にはならなかったのに。
 幾ら後悔しても全て後の祭りだった。

 訃報の三日後くらいか、変な事が身の回りで起こるようになった。
 物が別の場所に移動していたり無くなっていたりと本当に些細な事だが、私は絶対に彼女だと確信した。
 間違いない。
 彼女は死んでからも、私の側にいてくれているのだ。
 そう思うと嬉しくなった。と、同時にやる気が出た。
 また彼女と話したい。
 気付いてやれなかった事を謝りたい。
 どうして私を置いて死んでしまったのか、聞きたい。
 そして、彼女を苦しめた奴を、知りたい。

 それからの私は実体の無い彼女とコンタクトをとろうと試みていた。
 馬鹿馬鹿しいと思えるような後霊術や死者を蘇らせる魔術なんかにも手を出してみたが、成果は一つとして得られなかった。

 行き詰まった私は乗り気ではなかったものの、藁にでもすがる思いでその道の専門家に頼むことにした。
 イタコ、という後霊術専門の職業らしい。
 これでようやく彼女と話せるのか。

 ・ ・ ・

 初老のイタコは小さな体をカタカタと震わせ、俯き加減で小さく呟いた。

「―貴方は、誰?」

 あぁ、なんだ。
 こいつもインチキか。


秘密基地 雪希著

 鬱蒼とした葦の密林を抜けると、そこは楽園だった。
 ざわわ、と青嵐が駆けていく。
 時折そよ吹く薫風が鼻腔を擽る。
 綺羅綺羅と万華鏡の様な水鏡の煌めきに誘惑され河面を覗く。
 小魚やザリガニが驚き慌てて身を隠した。
 そんな水面下の騒動など意にも介せず水黽がすいすいと滑り行く。
 遠い日の宝物に出会ったような感覚に懐かしさを覚え瞳を閉じ深呼吸。
 肺が、むっとした青々しい草いきれに満たされた。
 背の高い葦の森の中心にぽっかりと空いたこの場所は、世界から隔離された秘密の箱庭のように静謐で時間の流れがゆったりと流れているように思えた。

「おっさん、何しとん」
 惚けていた私は甲高い声で現実に引き戻された。
 おっさんと言う言葉に憤然としながら振り返る。
 そこにはよれたTシャツに短パンを履いた少年がいた。
「ここはわいの秘密基地や、出てってや」
 そう言われてよくよく周囲を見回してみる。
 薄汚れた虫網、穴の空いたバケツ、枝に凧糸を結んだ手製の釣り竿。
 来た時には気にも止めなかったが、なるほど子供の宝物が溢れていた。
得心がいき顔が綻ぶ。
 私も昔は秘密基地を拵えたものだ。
 潮風にざわつく松林を抜けて、浜辺の端に鎮座していた灰色の城壁。
 テトラポットの隙間を縫い、秘密の場所を求めて探検したのを覚えている。
 しかし残念な事に私は大人になった。
 心を鬼にしなければならない。
「河川工事で危険な場所になるから此処で遊ぶのは止めて欲しいんだ」
「嫌や、わいが先に見つけたんや!」
 少年には残酷な正論は感情論の即答で打ち消された。
 私は考えた。
 少年を追い払っても、男の帰巣本能がこの場所へと戻らせるだろう。
 それではただのイタチごっこだ。
 そう言えば私の時はどうして諦めたのだろうか?
 そう、確か
「『秘密』基地は誰かに知られた時点で秘密じゃなくなるんじゃないかい?」
 こうだった。
 悔しそうに私を睨みながら少年は駆けて行く。
 新しい基地を求めて去るその背を、私はいつまでも見送った。

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韓流ドラマっていいよね

けっこう反発している人もいますが、韓流ドラマは創作の参考になります。
というのも”おもしろさ”のエッセンスがヒネリがなく、ストレートに表現されているんですよ。

日本ドラマというと、視聴者がマンネリを嫌ってきた結果、かなり変則的になってしまったんですね。
トレンディドラマとかジェットコースタードラマとか歴史的にもいろいろあるわけです。
たとえば刑事ドラマでも、最初は『七人の刑事』のような地味めな作品からはじまり
『太陽にほえろ!』『西部警察』ではカーチェイスに銃撃戦メインの派手な作品となり
さらにはキャラ重視の『あぶない刑事』から組織重視の『踊る大捜査線』と視聴者の好みを反映しつつ
多用な変化をしてきたわけですが、韓国のドラマというのは、このような変化がほとんどないんです。

だいたい日本の60年代、70年代くらいのドラマの趣向をそのまま現代に引き継いでいます。
というか日本文化開放前の時代はシーン割りからセリフの一言一句までコピーしたパクリ作品も多く
さらに大日本帝國併合時からの影響もあって、実は朝鮮独自のものというのはそんなに色濃くなく
細部にのみ韓国独自の時世や流行などを採りいれているだけなので、日本人も共感しやすいんですね。

そのため昔のドラマ展開みたいで懐かしく安心して観られるので日本の中高年が好んでいるわけです。
以前、このブログにも古い漫画やアニメはシンプルなので、創作の参考にしやすいと書きましたが
この韓国ドラマもまた”おもしろさ”のエッセンスを高純度で抽出しやすいものとなっています。

ですから、韓国のドラマでよくある展開というのは、そのまま一般的視聴者の好みでもあり
日本人視聴者、ひいてはライトノベル読者にもまた共通する”おもしろさ”でもあります。
創作の初心者はどうしてもなにがおもしろいのかわからない、感じられない人が多いので
ぜひ毎日大量に電波で垂れながされている韓流ドラマを視聴してみてください。
どこかツボなのか、何作か観れば、たいていわかるようになると思います。

そして、そこで感じとり、学びとった”おもしろさ”のエッセンスを自分なりに理解し消化して
オリジナリティを加えて、自分なりのおもしろさを作品のなかで読者にサービスしてください。

嫌韓の人も食わず嫌いせず、どんどん韓流ドラマを観てみましょう!
ビニール製の鎧を着た戦国大名がプリンを食べたりとか、おもしろシーンも盛りだくさんですよ。

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趣味の多様化? それとも細分化?

「若者の○○ばなれ」の原因のひとつとしても必ず指摘されるのが趣味の多様化ですよね。
某ブログで実は多様化しているのではなく、細分化しているのではという疑問が投げかけられていました。

選択肢が多岐わたって増えるというのは「多様化」も「細分化」も一緒なわけですが
どこに選択肢が増えるかとうところに差が生じてくるんじゃないでしょうか。
多様化というと、従来路線とはちがった方向性、新機軸のところに選択肢が増えることで
細分化というのは、従来路線は変わらず分岐してゆくかたちで選択肢が増えていくイメージですよね。

そうすると、多様化なのか、細分化なのか、そのちがいによって対策は自ずと異なってきます。
多様化であれば、パイが同じなら広範囲に散らばってしまうわけですが、
逆に考えれば、今までなかったジャンルにも人がいるということですから新規開拓が望めます。
ところが細分化であれば、方向性は同じでも、個々の好みが狭く深くなっているため
かゆいところに手の届くようなカスタマイズが求められるわけですよね。

多様化であれば新ジャンルを発見して新規開拓する大変さやギャンブル性がありますし
細分化であればマニアックなカスタマイズの手間がかかり、その割りには大きくシェアがとれません。
でもマーケットを考えたとき、多様化と細分化のどちらかにきっちりわかれているわけではありません。
ある部分では多様化していて、ある部分では細分化しているでしょう。局地的には集中もあります。
マーケットは均質なモノではなく局所的にムラがあるのが正常な姿です。

ひるがえってエンターテイメント業界、殊にライトノベルはどうでしょうか?
みんなに好かれる作品を作って、大きく支持されるような作品はすでに消滅してしまいました。
子供も大人もみんな観ていた『鉄腕アトム』は遠い過去の存在であり
子供であれば誰もが熱中していた『ウルトラマン』や『仮面ライダー』はもうありません。
『機動戦士ガンダム』なら、なんとか当時の男子の9割くらいが観ていたわけですが
『新世紀エヴァンゲリオン』まで下ってしまうと、その認知度は全体の3割以下でしょう。

ですから、あなたはマーケティング的に多様化路線か細分化路線のどちらかをめざすしかりません。
あなたが勝負に打ってでるエリアは、多様化方面ですか? それとも細分化方面ですか?

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なぜ人はゲームをするのか? 《コンピュータゲーム編》

なぜ人はゲームするのかと考えてみたとき、3つ要素が重要なのではないかという考えにいきつきました。

ひとつめは「スリル」です。
人は現実では実現できないような行為に憧れ、やってみたいという欲求があります。
だからこそゲームでは普段の生活とは、ちがった常識(ルール)が定義されていて別世界を構築しています。
またモチーフのあるゲームについては、一般人では経験できないような非現実的なものが多いですよね。
モチーフが戦争やカーレースであったり、舞台も広大な大宇宙であったりとか異世界とかなわけです。

ふたつめには「安全性」です。
人は身勝手なもので、スリルを求めているわりにはリスクを怖れます。
特に命に関わるものについては忌避する傾向にあります。しかしゲームは安全です。
ギャンブルとしてお金を賭けなければ、命や財産を奪われる危険性はほぼ皆無です。
完全に身の安全が保証されるからこそ、すぐに死んでゲームオーバーになるゲームにも気楽に挑めるのです。
もし漫画の『ガンツ』みたいな本当に死んでしまうようなゲームだったら、
ほとんどの人は怖じ気づいて、やってみようなんて思わないでしょう。

そして、3つめが「公平性」です。
実はこれがいちばん大切な要素じゃないかと思うのです。
なにが公平化というと、ゲームはルールという制約が強い世界ですから、
現実社会でのしがらみをほとんどひきずらずに済むんですね。
どういうことかというと、ネットゲームのMMORPGを考えてみましょうか。
このゲームの中のプレイヤーは、課金アイテム等の有無こそはありますが、ほぼ公平な立場です。
つまり引きこもりのニートでも、年収数億円の国際弁護士でも、人気絶大のサッカーの日本代表選手でも
このゲームの中では同じひとりのプレイヤーであり、その能力もまたほぼ均質です。
知名度や年収、はたまた年齢やスキルも関係なく、倒せるモンスターの数はだいたい同じだから
得られる経験値やゴールドも似たようなもので、純粋なまでに平等が約束されているのです。

差が生じるのはプレイ時間の長短だけ、つまり頑張れば頑張っただけ成果があがり評価されるのです。
もちろん、こんな理想的なことは現実社会にはありませんよね。
世の中は不条理なもので、頭のいい人は授業をなんとなく聞いてるだけでテストで高得点がとれるし
どんなに努力してもプロスポーツ選手になるには、卓抜した才能がなければ門前払いです。
社会に出れば出たで出世するのは、人当たりがよくて要領のいいやつばかりというのもあるでしょう。
さらに溯れば生まれたときから貧富の差でスタートラインまでちがってきています。
こういったことが、たいていのゲームにはまるでないんですよ。
たしかに格闘ゲームやシューティングゲームには多少の資質が影響するでしょうが
まったく資質が関係しないゲームも数多くあるのですから、無理に選ぶ必要もありません。

以上のことから「スリル」「安全性」「公平性」、この3つこそが
人のメンタリティが求めているゲームの柱なんだと思うわけです。
そして現実社会の不条理から解放してくれるツールとしてゲームがあるのではないでしょうか?

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日本人の名前の種類についての考察(その1)

きょうは日本人の名前について、ちょっとだけ考察してみましょう。
一口に名前といっても現代日本には、いろいろなタイプがありますのでまずは由来などから分類してみます。
歴史的に見て、厳格に定義すると名前は男子だけに与えられたものなので、まずは男性名についてです。

(1)古来系……「~彦」「~麿」など神話にも出てくるような古式ゆかしい名前
(2)役職系……「~介(輔)」「~左衛門」「~兵衛」など官職にまつわる名前
(3)諱(いみな)系……漢字2字からなり訓読みとなる名前で最も一般的な日本人名
(4)俗称系……「~太郎」「~丸」など俗称、字(あざ)に基づく名前
(5)一字名系……嵯峨源氏系に多い一字名、漢字2字でも一字名っぽい呼び方の名前(例:「孝史」など)
(6)その他……以上に分類できない名前全般

だいたい日本人の名前を大別すると以上のようにわけられるのではないでしょうか。

そして元々の日本人(支配階級)の姓名については5つに分かれていていました。
5つとは、氏(うじ)、姓(かばね)、苗字、諱、字(俗称、通称)です。
このうち姓は中世の頃にはすっかり使われなくなり、ほとんどの人が自分の姓がわからなくなってしまいました。
このことを本居宣長などは非常に嘆かわしいことだと言っています。
で、残る4つについては明治の頃までは、まだ使われていました。

たとえば有名人でいうと上野に銅像のある西郷さん。
彼の場合はというと「西郷隆盛」というのは後世の呼び方で、正しくありません。
通常は4つ全て併記するか、「氏」と「諱」、あるいは「苗字」と「字」がセットになるんですね。
ですので「西郷」は苗字ですから、続くのは字のほうの「吉之介」なので「西郷吉之介」が正しく
諱の「隆盛」を使うなら氏の「平」をとって「平隆盛」(たいらのたかもり)となります。
もっとも諱というのは、大陸文化の影響もあり、天皇や主君あるいは親の前でのみ使うかしこまった名であり
日常生活では字(俗称、通称)を使う風習がありました。
なので西郷さんも明治天皇の前では「平隆盛」を名乗り、普通は「西郷吉之介」で通します。
ですので徳川家康というのも後世になってからの便宜的な呼称であって、当時の呼称ではありません。
「徳川内府」とか「源家康」というのが正解です。織田信長も同様に「織田上総介」「平信長」ですね。

特に高位の武士は通称として官職名を用いることが一般的でしたから、
それを真似た中位下位の武士たちも兵衛府の武官でもないのに「権兵衛」とか名乗ってみたり、
右衛門府とは関係ないのに五右衛門とか名乗るのがはやり、そのうち農民までも名乗るようになりました。

現代は戸籍法によって、氏と苗字とが、そして諱と字もひとつにまとめられてしまって
「苗字(姓)」と「名」のふたつしかなくなってしまいましたが、そもそも大きく意味が異なっていたんですね。
ちなみに氏は一族血縁に受け継がれるので、女子が婚姻しても改姓されませんが
苗字というのは領地や屋敷の場所から派生したものなので、嫁入りして住む場所も変わるので改姓されます。
もともと古来より日本では、氏は夫婦別姓で、苗字は夫婦同姓なんですね。
中国や朝鮮には苗字という概念はなく姓(氏)だけなので、基本的に夫婦別姓となるわけです。

ここでライトノベルで使われる名前を考えると(2)役職系ないし(4)俗称系、(5)一字名系が多いです。
どうしても(3)諱系の名前は堅苦しい感じがする一方で、(4)俗称系は親しみやすいんですね。
同様に一字名系の名前も親しみやすいイメージがあるので多用されます。
ここでちょっとおもしろいのは(2)役職系もかなり目立って使われていることです。
少年向けライトノベルの主人公少年というのは、どちらかとうと内気で保守的な性格が多いので
諱ほど格式張ってはいないけれど、ちょっと古めの名前が好まれているのかもしれませんね。

少女向け作品になるとライトノベルもマンガも男子は(5)一字名系が多いです。
ちょっと(6)その他と区別がつきにくいんですが、発音の音節が短いですよね。
たいてい女性がカレシを呼ぶときは、愛称として名前の最初の2音で呼ぶことが多いこともあってか
登場人物だと最初から名前が2音、3音しかない場合が多いんですね。
また男性名に最も多い諱系の4音の名前は大仰、古めかしいというイメージがあって
洗練された名前として短い音節の名前が好まれているというのもあるでしょう。

まあ、作品の中でなら、どんな奇抜な名前をつけてもいいのですが
もしも自分の子供につけるときはよくよく注意してください。
なぜならイケメン、美少女ならどんな名前だって似合うのです。
フィクションであれば、いくらでも美形に設定できますが、現実はちがいます。
そして現実はさらに年を経てゆくということも忘れてはいけない要素ですね。
若いときはいい名前でも、年をとってからいかがなものかという名前とかありますからね。

ということで自分の作品の登場人物に名前をつけてあげる際には
字面とか響きなんかも重要ですが、読者の抱くイメージについても考慮してみてくださいね。

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昔の人の身長格差

ふと思ったことなんですが、昔の歴代天皇って偉丈夫が多いんですよね。
これって、やっぱり食生活の問題があると考えられます。

つまり昔は高価な料理=おいしい料理=栄養豊かな料理なんですよね。
食品添加物とかないですし、無農薬有機野菜に天然物の魚介類など栄養満点なわけです。
江戸時代になると、白米食が普及して、それまで玄米に含まれていたビタミン類が除去されてしまい
栄養失調になったりすることもあったようですが、それまでは栄養のバランスもよかったんですよね。

そして天皇や公家といった人たちは食べるものには困っていませんから、
栄養豊かな食事をふんだんに食べることができたわけです。
それでいて脂っぽい料理や甘い菓子は少ないし、機械によって自動化していないので
王侯貴族といえど日常生活の運動量はそこそこあるので肥満にもなりにくいわけですから
それは健康的に栄養を摂取して、(日本人としたら)やたら体格がよかったようなのです。

それに対して農民の大半は食べるのに汲々としていたわけですから栄養がいきわたっていません。
日本の戦中育ちの人たちが総じて小柄だったりするのでもわかるように、
農作業で体格はがっしりしていても小柄な人が多かったことでしょう。

そうすると、高位の人ほど体格に恵まれ、平均より一回りも二回りも体格が大きいわけですから
存在からして下々の人たちの目には、それこそ貴種、別世界の住人に見えたんじゃないでしょうか?
ですから今とはちがって当時は見た目からして権威があったんだと思いますよ。

ですから異世界ファンタジーを書くときにも、農民出身なのに筋骨隆々の大男や
華奢で小柄な貴族というのもなかな希な存在であって、もしそういう設定でやるなら
それなりの理由がなければおかしいと自然に思うくらいの感覚は身につけてほしいですね。
そうすることによって物語に深みやリアリティを付加させることができるのです。

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