L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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ライトノベル創作教室ラノベりあん 中二病でも書けるライトノベル教室♪

小説の楽しい書き方講座ブログ 毎週開催の創作塾と連動中!

野望にむかって突き進む師弟

日昌 「ふう、ようやく『中二病でも書けるラノベ講座』の本編がスタートできそうだ」
可南 「自己紹介から半月が経過してしまいましたね、師匠」
日昌 「ふたりのスケジュールが合わずに伸び伸びになってしまったからな」
可南 「急いでもロクなことないですって」
日昌 「そういうもんでもないんだが……のんきな」
可南 「なるようになりますよ、ささ早いとこ野望を達成させちゃいましょう」

とある休日の午後、池袋のカフェにて。
日昌晶(ひよしあきら)と大庭可南(おおばかなん)師弟は顔を突きあわせていたのだった。

可南 「ところで野望、野望ってどうすればラノベで日本を支配できるんですか?」
日昌 「いい質問だ。元ネタの『サルまん』を熟読するとだな、いろいろと方法があるわけだが
    実際に劇中劇のような作品を例に成功する法則を見つけていくというのがセオリーのようだな」
可南 「つまり、このギャグマンガのヒゲのおっさんが師匠で、貧相な青年が私ということですか」
日昌 「早い話が役回り的にはそういうことだな」
可南 「なんかやだなぁ。この人たち、すぐ裸になってるじゃないですか」
日昌 「それは漫画だからであってだな……」
可南 「女の子のパンツの描き方の歴史とか真面目に語られても……」

パチンッ――そのとき日昌晶の愛の鞭という名の平手が飛んだとか飛んでいないとか。

日昌 「この軟弱者っ!」
可南 「す、すみませんでした、師匠」
日昌 「わかればよろしい」
可南 「ということで閑話休題ですね(ケロリ)」
日昌 「ま、まあ……そうだな。さっさと本題に入らないと時間がないからな」
可南 「で、この『サルまん』だと『とんち番長』ってマンガを連載してるってことになってますけど
    私たちはどんなライトノベルを書けばいいんでしょうね?」

日昌 「よくぞそこに気づいた。さすが我が弟子だな」
可南 「で、師匠には考えがあるんですよね?」
日昌 「いや、ないけど」
可南 「じゃあ、どうするんですか!」

このとき勢いづいた可南の手にカップが当たって、あやうく落ちかけたのだった。

日昌 「落ち着いて。だから君の書きたいものを尊重しようというのだ。あくまで書くのは私ではなく君だし」
可南 「そういうことになってるんですか?」
日昌 「そうだよ。だって作家デビューしたいんだろ?」
可南 「そちゃあ、もちろんそうですけども……」
日昌 「で、どうする? 『とんち番長』並みに凄いやつをひとつ頼むよ」
可南 「そう言われましても……」
日昌 「なんかあるだろ、ひとつくらい」
可南 「じゃあ、ゾンビがいいです」
日昌 「ゾンビってジョージ・A・ロメロとかの?」
可南 「えっ!? だれですか、ジョージって?」
日昌 「君はロメロを知らないでゾンビとか言ってたのか?」
可南 「いや、師匠がブログでゾンビゲームのこと書いてたから、つい……」
日昌 「それだけ?」
可南 「いや、バイオハザードも好きでしたよ。ゲームセンターの銃でバンバン撃つやつ」
日昌 「それはバイオハザードじゃないけどな」
可南 「そうでしたっけ?」

ここで日昌晶はこの不肖の弟子を放逐しようかと逡巡したが、せっかく志願してきた弟子が
つぎにいつ現れるのかわからないので、ここはひきつる顔でむりやり笑顔を作ってみた。

日昌 「うん、いいんじゃないかな、ゾンビ。マニアもいるから一定の需要もあるし」
可南 「おおっ、そうなんですか、いいじゃないですか『とんちゾンビ』!」
日昌 「いや、それはないな」
可南 「じゃあ、『ゾンビ番長』ですか?」
日昌 「そうじゃなくて『とんち番長』から離れようか」

そんなこんなで、これ以降も不毛なやりとりが続いたりするのですが、その話はまた次回に。
はたして、こんなことでラノベを日本を支配できるのか不安になってきた日昌晶と
まるでなにも考えていないような気もしないでもないけど、実はいろいろと深く考えていて
きっとなにか秘めたるものを持っているはずの大庭可南の運命はいかに!

次回は比較的早くつづきます。

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「ためになった」で終わらせないために

長く創作を教えるオフを開催してきましたが、毎回しつこく言っているのが
「実践できて、はじめて実力になる」ということです。

頭で理解しているつもりでも、ただ表面的な知識として知っているだけのことが多いのです。
以前にもたとえとしてだしましたが、なにか手品を披露したときに「それ知ってる」と言う人と同じです。
その手品の演目を知っているだけのことで、トリックやスキルを知っているわけではないのですね。
「sinθ」の定義はわかってるつもりだけど、実際に三角関数の問題は解けないというのも同じです。
手品や数学の問題なら「できる」「できない」がはっきりするわけですが
こと創作活動においての「できる」「できない」は、なかなか自覚症状がないんですね。
特に「できない」人ほど自覚していない場合が多いのは、よくあることです。

だからこそ誰かから話を聞いたとか、本を読んで新たな知識を得たとか、そういうときにも
ただ「ためになった。よかった」とか「勉強になりました。たのしかったです」といった
感想だけで終わりにしないで、必ず獲得した知識をどういうかたちでもいいので実践してください。
そのために、どうすればいいのか考えるくせをつけてください。

みなさんも経験あると思いますが、たいがい「ためになった」と思った知識ほど役に立たないものです。
創作活動で本当に役に立つのは意識することもなく見たり聞いたりしていた些細なことだったりします。
こういう些細なことは憶えておこうと意識しているわけではないので、普通なら聞き流してしまうわけですが
なにかしら自分の経験なり体験とリンクしているからこそ憶えているわけなんですね。

だからこそ知識を自らの血肉に変えてください。それがあなたの本当の実力になるのです。

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『厨ラノ』の元ネタ『サルまん』を読め!

『中二病でも書けるライトノベル講座』、略して『厨ラノ』の元ネタは
ご存じのとおり『サルでも描けるまんが教室』なわけですが、まだちゃんと紹介していなかったので
いまさらですが紹介しておこうと思います。

ということで、いつものWikipediaからの引用をしてみましょうか。

『サルでも描けるまんが教室』は、相原コージ、竹熊健太郎による漫画。愛称「サルまん」。
「漫画の入門書」という形式をとってはいるが、実質はギャグ漫画仕立ての漫画評論であるといえる。
パロディ、メタフィクション、実験的表現などが多く取り入れられ、
特に当時の漫画事情を的確に分析した、時には身体を張った痛烈なギャグは、
読者・漫画関係者たちから多くの反響を得た。
1989年「ビッグコミックスピリッツ」に連載。




そのおもしろさは藤子・F・不二雄先生すら絶賛したという折り紙つきの作品なのですが
ギャグマンガでありながらも創作に関するアドバイスもしっかり練りこまれていますので
そのまま鵜呑みにすると危険すぎますが、しっかりと内容を理解すれば役立つこと請け合いなのです。

もちろんライトノベル創作にも共通することが多くありますよ。
しかも創作の基本は普遍なので、20年以上経過していても色褪せない名作となっています。
まあ、かなり下品な表現が散見されますが、それも実験漫画として好意的に読んでください。

サルまんを読んでから厨ラノを読むと創作力が10倍スキルアップしますので、ぜひおすすめです!

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アイコンを創りしものよ

アイコンというとコンピューター関連を連想ちがちですが、もともとは「イコン」でありまして
キリスト教における「聖像」のことで、特に東方教会(ギリシア正教、ロシア正教)の聖人画が有名ですね。
あの金色にきらきらと光っているわりに、ちょっと稚拙にも見えるキリストや聖人、天使の絵です。
つまりアイコンとは偶像なわけです。

キリスト教ではモーゼの十戒によっていっさいの偶像崇拝を禁止していまして
同じアブラハムの神(ヤハウェ)を信仰するイスラム教では今も厳格に偶像崇拝を禁じていますよね。
モスクには幾何学的なアラベスク模様ばかりで神や天使の像や絵がないのはもちろんのこと、
世界文化遺産だろうとなんだろうと仏像なんかも破壊してしまう人もいるくらい徹底しています。

宗教はさておき、偶像とはつまり実体のよくわからないものを具現化したモノなんですね。
そのものを直に見ることができないから、どんな姿形かよくわからない、
あるいはそもそも存在しないからわからないようなものに象(かたち)を与えたのが偶像なのです。
アイコンというのは、つまりわけがわからないものを見える(感じられる)ようにしたものなのです。

それこそつまり、私たちの行っている創作活動に似ていると思いませんか?
もともとなにもないところから紡ぎだされた物語と、そこに登場する魅力的な人々。
そう、私たち作家はアイコン(偶像)を創造しているのと同じなのです。
私たちの頭の中にあるもやもやとした妄想に明確な輪郭と心を吹きこむことが我々の仕事です。

あなたはみんなに崇拝され、憧れられるようなアイコンを創造していますか?

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アナログゲームの対初心者的欠陥を考えてみる

なんだか久しぶりにアナログゲームについて考える機会がありまして
どうしてドイツゲームを中心とするアナログゲームが、初心者に普及しないのかと思ったとき
最大の要因は遊ぶ機会がないなど物理的な理由によるものだとは思うのですが
つぎに思いついたのが、流行っているゲーム、評価の高いゲームとして販売機会の多いゲームが
どうにも初心者向けではないということではないかと思うわけです。

たとえば「カタンの開拓者」や「ドミニオン」とかですね。
知らない人はまったく知らないでしょうが、アナログゲーム界では定番とも呼ばれるくらいヒットしていますが
これがどうにも個人的な感想も踏まえていえば、まったく初心者向きではないのです。
それでなにが初心者向きではないのかと考えたところ、その原因は「勝利条件」にあるのではと思ったわけです。

そういえばカタンもドミニオンも勝利条件が”○点先取”なんですよね。
つまり決められた勝利点を誰よりも早くゲットすれば勝ちというルールなわけです。
これが初心者にとってはどうにもわからないのです。イメージできないのです。
ゲーマーなら「なんで?」と思うかもしれないでしょうが、まさにそこが罠なんでしょうね。

たとえばカタンの開拓者というゲームはカタン島という未開の島に道や町を建設しようというモチーフですが
それはそれで具体的でわかりやすいのに、なんで道や町に得点が決まっていて、
合計10点を先取しなければならないのかと思うわけですよ。
百歩ゆずって道や町に点が決まっているのは価値として理解できるとして、なんで10点なの?
その根拠が開拓というモチーフにはまったくないわけなんですね。

たぶん「5点でも20点でもいいんじゃないの?」という素朴な素人の問いに対して
ゲームデザイナーやベテランプレイヤーはこう答えるでしょう。「ゲームとしてちょうどいいから」
要は「開拓」というモチーフとは無関係でゲームシステム上の理由で決められた点数なわけです。
たとえばゲームが終了した結果、総合得点での勝負ならギャンブルとかもありますし
ポイント=お金とイメージすると勝利条件はすんなり理解できるわけです。
またはチェスのように相手を倒す、最期まで生き残るといった勝利条件はもっとわかりやすいでしょう。

そして、なぜ「先取」しなければならないのかというのも、よくわからなくしている原因でしょう。
はっきりいって日常生活では「誰かより一定のものを獲得する」状況がないのです。
「先着順」はままあることですが、一定のモノを誰よりも早く集めるなんていうのは
ゲームの世界でしか起こらないような状況なのですね。これでは初心者にはハードルは高すぎます。
逆にオセロなんかはわかりやすい極致ですよね。マスを全て埋め、その結果、白黒どちらが多いかという
視覚的に一目瞭然なゲームの目的と勝利条件(結果)があるわけですからね。

ドミニオンにいたっては領主の領土拡大というモチーフのあるカードゲームなのですが
勝利得点でもある領土や施設のカードがまったくうれしくないんですね。
カタンなら町を作れば資源カードの獲得機会が増えるし、対戦者の開拓を阻害することにもなるので
それなりに勝利点を稼ぐことはおもしろさに通じるところがあるわけですが
ドミニオンの勝利点のあるカードはプレー中にはまったく「いらないカード」なんですね。
自分の領土を獲得したり建造物を建設してもゲームで得することがないどころか
有限の手札を圧迫してしまうので、金銭カードやアクションカードが減って
身動きがとれなくなってしまうという矛盾をかかえてしまっているんですね。

こうして考えてゆくと、わかってくることはゲームにおいては日常生活でイメージしやすいかどうかというのが
かなり初心者には大事な要素になってくるのではないかということですね。
さらにモチーフと合致していれば、さらにイメージしやすいと。
これはゲームだけでなく、小説作品など物語にも共通の要素なわけです。
どんな異世界だろうと、荒唐無稽な設定だろうと、読者が登場人物に共感さえできれば受け容れられるけど
反対に日常的な学園ものでも登場人物に共感できなければ、まったく反応は薄くなってしまうわけです。
ターゲットとなる消費者層な普遍的な感覚をいかに鷲掴みするかがゲームでも物語でも求められているのです。

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中二病とゾンビの微妙な関係(その1)

前回の適当な流れで大庭可南が書いていこうという作品のコンセプトは「ゾンビ」と決まったようですが
本人はロメロ監督の存在さえ知らないゾンビ初心者だったことが発覚!
はたして厨ラノは「ラノベで日本を征服」できるのでしょうか?

日昌「ということで、ゾンビものを書こうということになったわけだけど、どうなの?」
可南「どうなのと言われても……はい、なにもわかりませんよ」
日昌「まあ、なんとかオブ・ザ・デッドとかゾンビ映画が量産されてるけど観たことある?
   ゲームも多いよね。『バイオハザード』シリーズとかいろいろあるけど」
可南「う~ん、タイトルはわからないですけど、何本かは観たと思います」
日昌「で、どう思った?」
可南「ああ、ホラーだなって」
日昌「…………。怖かった?」
可南「怖いというか、普通のホラーよりは怖くなかったような」
日昌「正当派のゾンビものというのは終末世界をどう生き延びるかというサバイバルなサスペンスだからね」
可南「なるほど」

日昌「で、ライトノベルやマンガでもゾンビものっていくつかあるわけだけどね」
可南「そうなんですか?」
日昌「マンガだと『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』っていうアニメ化した作品もあるし
   ライトノベルだとやっぱりアニメ化した『これはゾンビですか?』とかいろいろあるわけですよ」
可南「結構あるもんなんですね」
日昌「ただライトノベルというのはキャラ重視なわけで、ゾンビの蔓延する世界観というよりは
   死んで甦ったキャラみたいな感じで扱われることが多いみたいなんだけどね」
可南「ほほう、それはゾンビであっても”ゾンビもの”ではないんじゃないですか?」
日昌「そう、そうなんだよね。ライトノベルで正当派作品はたしか1作はあったはずだけど題名を忘れました」
可南「なんだか奥が深いんですね。なんだか不安になってきたんですけど」
日昌「きみがよく考えずに決めたんだからしかたない。イヤなら別のコンセプトを見つけてね」
可南「とりあえずゾンビでがんばります……たぶん」

日昌「そうそうアメコミに『LENORE』っていうゾンビ少女の不条理ギャグマンガがあったな」
可南「なんです、それ?」
日昌「何年か前にアメコミの研究にハマっていたときに参考資料で買ったんだけど
   結局ぱらぱらとしか読んでなくてね。たしかフラッシュアニメみたいになってたから
   探せばネット上に転がってるかも。全部、英語だけど台詞がわからなくてもだいたいわかると思うよ」
可南「そんなのもあるんですか?」
日昌「あるんだよねー。アメリカ人はとにかく男の子はゾンビ好き、女の子はヴァンパイア好きだからw」
   なんせスパイダーマンやXメンのアメコミヒーローがゾンビになって人々を襲いだすとかいう
   トンデモ設定のアメコミが同人誌ではなく正規ものとしてシリーズ化されてるくらいだし」

※後日、検索したら『LENORE』Youtubeで視聴できるようです。

日昌「そうそう、ゾンビじゃないけど江戸川乱歩作品の屍体愛好(ネクロフィリア)も相当なもので
   『虫』という短編もなかなかだから、参考までに読んでみるといいかもしれないね」
可南「なんだか気持ちが悪くなってきたような」
日昌「ゾンビなんて不快感そのものだから。で、それをライトノベルとどうマッチングさせるかが
   成功の鍵になるんじゃないだろうかというわけだよ」
可南「なるほど! それができれば野望にまた一歩近づけるわけですね」
日昌「きょうもまた一歩、野望に近づいてしまったな!」

ということで大庭可南はゾンビものを理解するために、いろいろ資料を当たってみるそうです。
さてさて、資料を読み解いて、そこからどんなアイデアがだせるかが勝負となります。
次回は大庭可南さんのお手並みを拝見したいと思います。

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てっとり早くアイデアをものにする方法

そんなうまい話はないといっては身もふたもないですが、なきにしもあらずなんですね。

昔から貿易商というのは羽振りがいいことで有名ですよね。
やってることはというと本邦にはまだない舶来ものをいち早く紹介して売りさばくわけですよ。
明治の昔はまだまだ日本にはないものが多かったし、それは昭和でも似たようなものでした。
そして平成の世もたいして変わりはしないと思いませんか?

そして、それは商品だけでなくアイデアだって同じなのです。
海外で流行っているものを誰よりも早く紹介できると、それだけで仕事になるんですね。
さらに今はネットもありますから、ツールとツテさえあればいくらでも情報は入手できます。
言語の壁だって無料翻訳があるわけですしね。やるかやらないかは労を惜しむかどうかの差なのです。

海外に目を向け(海外にこだわらず国内でもいいですが)、まだ多くの人が知らないものを見つけてきて
それをアイデアにして小説作品のなかに取りこむんでしまえば、あなたはその第一人者になれるのです。

そうそううまい話ばかりではないですが、こういう手法もあるということを知っていてやらないのと
知らずに過ごしていたのでは、大きな差となりますよ。ものは試しにやってみるの手ですよ。

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WHFB初対戦してみました

はじめて以来、ミニチュアを作ってばっかりだったウォーハンマーでしたが
ようやく先日、ミニチュアを本来のゲームの駒として使用する機会に恵まれました。

ウォーハンマーを展開するゲームズ・ワークショップの日本直営店であるホビーセンターにて
「ビギナーズバトルデー」なるイベントが週末に開催されるというので参加してきました。
とりあえず完成しているスタートセット他のスケイブン(ネズミ人)を持っていそいそ出かけました。
着いてみると先客で他に1組対戦中だったので、スタッフの方にレクチャーしてみながら対戦です。

ルールブックは一応、読んではみたのですが、なんだかよくわからなかったので
ほぼ一から教えてもらいながらゲームを進行していったわけですが
小規模なバトルながら6ターン終了するまでに3時間くらいかかってしまいました。
慣れてくれば、この半分もかからないとは思うんですけどね。
これがコンピューターゲームなら数値の処理は瞬時に終わるので正味30分間くらいのゲームなんでしょうけど。
ただ長丁場のぶんだけ双方のコミュニケーションを楽しむのはアナログゲームの醍醐味のようです。


結果としては、ダークエルフ相手に大敗に終わりました。
まあ、なにをどうすればいいのかわからない状態で駒を動かしたり、攻撃していたので
当然といえば当然の結果なんでしょうね。
それでもゲームの流れはだいぶ掴めました。
思っていたよりも殲滅戦に近い感覚だったのと、わりと士気喪失して潰走してしまうんですよね。
それとスケイブンの特性は接近戦には滅法弱いので、白兵戦に持ちこまれる前に
砲撃と魔法攻撃でいかに敵を漸減させるかが鍵になってくるようですね。

今後は500~1000ポイント程度の小規模バトルは、このスケイブンを軸に場慣れしようかなと思っています。
とはいえ、つい誘惑に駆られてしまって、ウォーハンマー世界の帆船艦隊戦を再現した
『ドレッドフリート』なんかも購入してしまっているんですよね。
こちらは1箱で完結しているゲームになるわけですが、超巨大ガレオン船や幽霊船なんかのミニチュアが
どうも精密すぎてペイントに時間がかかりそうです……
個人的には怪魚に喰われてゾンビ化したスケイブン海兵が操る「スケイブラス号」なんかいい味だしてます。
巨大怪魚オーブ・リヴァイアサンの死骸をそのまま軍船に改造して使用とか日本人の発想にはないですよね。
旧約聖書ヨブ記の鯨(レヴィヤタン)を彷彿とさせる設定には脱帽でした。
ほかにも空飛ぶ幽霊船にドワーフの飛行船搭載型装甲艦など個性ある帆船汽船が10隻と島などの情景モデル
テーブルクロスのような大きさの布製プレイマット(海原模様)なんかもあって
輸入ボードゲームとしてみるならコンポーネント的にはいいですね。完全日本語化されているし。

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幼年時代の原風景

ふと急に思いだしたんですが、小学校1年くらいの頃だったでしょうか。
近所の神社の境内に私設のこども図書館があったんですね。

当時はまだ地域の図書館は数も少なく、近所にあまりなかったこともあってか
狭い部屋に本があふれ、それ以上に子どもたちでたくさんにぎわっていました。

こんなことをわざわざ書いたわけですが、私は一度しかこの図書館に足を運んでいません。
その日いっしょに遊んでいた学校の友達が本を返すというので連れだって行っただけなのです。
それなのになぜかその日の記憶が鮮明に今も思い浮かぶのです。
あの日、なんとなく手にとって開いた絵本、そして図書館のおばさんひとりに大勢の子ども。
それも自分と同じくらいの年齢の子どもたちが楽しそうにひしめいている光景。

たぶん、それが私がはじめて本を意識した瞬間だったのではないかと思うのです。
それまでも保育園でも学校でも本に接してはいたはずなのですが
本とたのしそうな笑顔、それこそが私が「本」というものが
人をたのしませるものなのだということを幼心のどこかに刻み込んだのでしょう。

自分がたのしむものではなく、人をたのしませるという感覚を、そのよろこびを。

あなたは本との出会いを憶えていますか?

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モテラノベ第10の法則 モテ期を逃すな

不定期ながら連載している法則シリーズも第10弾なんですね。
さて今回はモテ期についてです。昨今は漫画原作の『モテキ』がドラマ化に映画化にと話題になっていますが
人間だれしも1回あるいは数回はモテ期なるものが到来してくるものです。
実際に経験されてきた人もきっと多いはずです。

ライトノベルの主人公の少年もずっとモテなかったのに、つぎつぎと美少女に好意を寄せられますよね。
「現実」には美少女かどうかはわかりませんが、少なくとも異性からのアプローチがあったりします。
文化的に女性のほうが頻繁にモテ期がやってくるようですが、男性だって皆無ではありません。

ただし、ずっと引きこもっていたり、男しかいない環境で暮らしていて異性とコンタクトする機会がないとか
男女問わずに避けられるほど不潔にしていたりといった場合は除きますけどね。
そういった人はこれまでの法則を参考に環境を変えてください。
特に「モテ期」が訪れやすいのは、容姿は「まあまあ」だけど「目立たない」「おとなしい」男性です。
少年向けライトノベルの主人公たちを見れば、その傾向はたいがいわかるでしょう。
あんな感じほど、ちょっとしたことでモテ期に突入して大フィーバーすることがままあるわけです。

しかし、ここで物語と現実とを勘違いしてはいけないことが1つだけあります。
物語的には主人公がモテ期に突入しても、もたついたり、すれちがったり、誤解したりして
なかなか恋愛が成就しない、もどかしさなんかが読者を「おもしろがらせる」わけですが
現実世界には読者なんていません。いるのは当事者と他人だけです。
ですから、だれかを「おもしろがらせる」必要なんてまったくないんですね。
だから、もたつかなくてもいいし、すれちがわなくてもいいし、誤解しなくてもいいのです。
いや、そんなことは絶対にしてはいけません!

架空のキャラクターは主人公の周囲(物語内)でしか存在できないわけですが
現実の人間はあなたの周囲にいなくても、まったく困ることなく暮らしていけるのです。
ですからモテ期といえど、あなたがタイミングやアクションを間違えれば、それでゲームオーバーになるのです。
それも、唐突にモテ期が到来したのと同じように、あっけなく去ってゆきますよ。
そうならないためにも、モテ期になってから女性慣れ、男性慣れすることなく、
あらかじめ場慣れしたり訓練したりしておきましょう。
そもそも実績もないのにぶっつけ本番で成功するわけがないのです。
ゲームでもリアルでもフラグはしっかり押さえて先に進むことを考えましょう。
※ただし現実にはセーブポイントはありません。

それともうひとつ注意したいのは、モテ期になったからといって
だれでもかれでもモテモテになるということはないってことです。
数少ない私の経験談からすると、まだ自覚のないままモテ期に突入したばかりの頃に合コンをしたんですね。
そのときの女性の1人には「生理的に無理」と拒絶されてしまったことがあり、かなり凹みましたね。
結果的には、でも他の女性数人からは、かなり好意をもたれたんですけどね。
そんなこともあるんですよ。「蓼食う虫も好き好き」とはいいますが、逆に嫌われることもあるみたいです。
ですから1人や2人に蛇蝎のごとく嫌われようとも気にしなくてもいいんです。
あなたのことを一時的であっても魅力的に感じて好きになってくれる人は必ずいます!

それでは次のモテ期を不意にしないよう、今から準備を怠らないでください。
そなえよつねに――これはボーイスカウトのモットーですが、すべての人にこの言葉を捧げます。

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