L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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ライトノベル創作教室ラノベりあん 中二病でも書けるライトノベル教室♪

小説の楽しい書き方講座ブログ 毎週開催の創作塾と連動中!

大人の科学 電子ブロックminiを買う

きのう発売された『大人の科学Vol.32』をさっそく購入してみました。
今回の”ふろく”は電子ブロックminiなのです。

10年ほど前にも復刻版が出たのですが、そのときは購入に至らず
今回のふろくとしての簡易版ならということで買ってみたわけです。
とはいえ電子ブロックがなにかを知らない人もいると思うので簡単に説明すると
発光ダイオードやらトランジスタなどの電子部品がブロック状になっていて、
それを箱型の本体に並べると、ラジオやうそ発見器など数十の電子回路が組めてしまうという
オモチャなんですが、かなり本格的な学習教材でもあったりします。
今回のminiでも50回路、ラジオだけでも10種類近いいろいろなタイプの回路が組めるんですね。
かつての最上位機種ともなると200近い回路が組めました。

だからこそ私くらいまでの年代の人にとっては、憧れの高級電子玩具だったんですね。
それこそお金持ちのお大尽のお坊ちゃんくらいしか買ってもらえなかったんですよ。
当時は欲しくてもなかなか買ってもらえなかったオモチャといえば
この電子ブロックを筆頭に1/60スケールのガンプラ、それとラジコンカーですかね。
電子ブロックはないから学研の科学のふろくのラジオ、ガンプラは300円の1/144スケール
ラジコンは無理でもミニ四駆とか、そういう感じで普通の子どもたちは代用していたのです。

とはいえ、この電子ブロックもファミコンの台頭により売上が落ち込み、生産終了となりました。
やはり遊びとしてのおもしろさはゲームのほうが格段に上ですからね。
しかし逆にいうと作ることの楽しさは味わえなくなる時代の幕開けでした。
ファミコンが子どもたちの間に席巻している頃はまだマイコンなんかで
自作ゲームをプログラミングするマニアも結構いて、そういう人たちがゲーム業界にはいり
さらなる革新的ゲーム機やゲームソフトを生みだしていったのは事実なのですが
それ以上に非生産的な完全消費者というのが爆発的に多くなったんですよね。

かつてオタクといえば、インターネットどころかビデオさえない時代には録画もできませんから
本放送を全身全霊で視聴して、セリフの一言一句からシーンの構図まで頭に叩きこんでいたなんて
懐かしい時代もあったんですね。さすがに私の世代はちがいますが。
その昔、『ひょっこりひょうたん島』が好きだった某小学生は放送を真剣に視聴しては
毎週ノートにびっちり各回のセリフや設定を書きとめていて、数十年後にひょうたん島を書籍化するときには
NHKが台本をなくしてしまった回については、この少年のノートを参考に再現したなんてこともありました。
余談ですが、この賢いマニアな少年は後に東京大学に進学したそうです。
ところが今はDVDもあればBDもあるし、ネット視聴でもできる。わからなければネット検索で補完。
東大に進学する頭脳がなくとも、いつでも好きなアニメを好きなだけ再現することが可能です。

グッズ販売や同人活動にしてもそうですよね。
マニア向けの商品なんて昔はなかったから自分で作ったり専門店を開業したりしていたわけです。
たとえばフィギュアだって安価に美麗なものが簡単に入手できますが、
ほんの20年も前はプラモデルよりも作るのに技術のいるレジンキットを高額で買わねばならず
作るのもパーツの微調整や加工が必要だし、彩色もかなりのテクニックが必要だったわけで
好きだからといって、ちょっとお金を出したくらいでは手にはいらなかったのです。

かつてのオタク、つまりは今現在、大御所と呼ばれている世代の人というのはパイオニアでした。
無から有を生みだしていったパワーを持っていたんですね。
だから今のなんでも簡単に手にいれてきた若い世代に対して不甲斐なさを感じるのでしょう。
たいした努力もなく、今あるものを適当に焼き直して再生産してゆく劣化コピー商法が気にいらないのです。
開拓者からしてみれば軟弱に見えてしまうのはしかたないのかもしれません。

しかし現オタク世代の大半が創造性も開拓精神もない完全消費者であっても、全員がそうではありません。
このような風潮の中でもクリエイティブな人はいます。そして、あなたはそのひとりですか?

あなたは今まで小説以外になにかクリエイティブな実績はありますか?


 

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番外編:童貞だっていいじゃないか

いつも思いだしたように連載されるコーナー「モテラノベ」です。
今回はモテる法則ではなくて番外編ということで書いていきましょう。

大前提として世は草食男子化時代に突入しまして、もはや童貞なんて珍しいことではなくなりました。
かつては童貞であるからとコンプレックスを抱く人も多かったのですが
昨今では童貞であることを恥ずかしがることなく自ら公言する人も多くなってきました。

各種の統計データを私なりに見てみると、だいたい10代後半から30代くらいまでの未婚男性のうち
半数近い人は童貞なのですから、なにも驚くには値しないことなのです。
既婚者を含めたとしても4人から5人に1人は、ふつうに童貞なのです。
社会的に見れば、交際経験が豊富な層とまったくない層に二極化したといえるでしょう。
格差社会といえば格差社会なのですが、見た目にはわかりませんし
かつての風潮や趣向とは異なってきまして、もはや男女交際以上に重要度の高い趣味など
興味の範囲が多様化することによって、性愛の占める重要度が低くなったともいえます。

また、かつては遊郭などリアルな性風俗産業のみしかなかった時代に較べて現代は二次元をはじめ
アンリアル、バーチャルな性風俗産業が手軽かつ無料あるいは安価に手にはいる時代なのです。
昔はなにかと不便な時代だったのをご存じですか?
江戸時代、高級娼婦である花魁(おいらん)で性欲を満たそうとするなら
高いお金を払っても初回は見るだけ、2回目にはお茶一杯、3回目に少し話せて
それから4回目以降に花魁自身がOKをだせば、ようやく同衾というシステムだったわけです。
もちろん見るだけでも1回は1回ですから、最高クラスなら座敷に呼ぶのに10両はかかります。
当時の貨幣価値は1両=10万円くらいとすれば、ベッドインするまで400万円以上かかります。
それ以降も1回10万円かというと、そういうわけにもいかず幇間(たいこもち)やら三味線芸者など
お付きの人や周りの人にもお金を配るので数十両がかかったといいます。
ただし夜鷹や飯盛り女など下級娼婦なら数千円で遊べたそうですし、農村には夜這いの風習がありましたけどね。

そうそう、いま流行りの男の娘(おとこのこ)ですが、当時は色子(いろこ)と呼ばれていまして
今の神田駅のあるあたりには色子専門の遊郭「陰間茶屋」がたくさんあったそうです。
あのエレキテルで有名な平賀源内は当時は発明家としてより男色家として有名でしたので
男の娘専門風俗ガイドブック『男色細見』なんてのも発行していたのは知る人ぞ知る同人活動です。
もちろん色子には若い歌舞伎役者も含まれていましたので、お金のある大店の奥様もまた
今でいうところのジャ○ーズのイケメンをはべらせるために通い詰めることもあったとか。

閑話休題。そんなこんなで時代は大きく移り変わったわけです。
今と昔はまったくちがうわけですから昔の常識にとらわれることもありません。
だから昔の童貞と今の童貞はまったくもって意味がちがってきます。
世の独身男性の半分は童貞であり、だいたい25歳の時点で童貞だった場合、
9割以上が生涯にわたって最期まで童貞のまま過ごすことになるそうです。
(脱童貞した1割の8割がソープによる卒業であり、恋愛による卒業は全体の3%以下とか)
30歳まで童貞だったら魔法が使えるのだったら、この世は魔法使いだらけになってしまいますよ。
そんなことはないのです。あくまで普通の人です。少数派ですらないのです。

ですので、あえてモテたい、女の子とイチャイチャしたいんだという人だけが
そのための努力をすればいいだけのことなんですね。
マラソンがしたい人は、そのための練習や努力をする必要がありますが
鉄道模型が趣味の人が同じ練習や努力をする必要はまったくありません。
それよりももっと他にすることがあるはずなのです。

モテラノベのコーナーでは、そんな世相と逆行してモテたいという奇特な人
今どきアマチュア無線をやりたいという人並みにレアな人たちを応援するニッチなコーナーなのです。

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昔の趣味について考える……BCLからハムまで

先日購入した『大人の科学』の電子ブロックminiでいろいろ回路を組んで実験したりしています。
25個のブロックで50回路もの電子回路を組めるわけですが、検証用、実験用回路が半分くらいで
実用的な回路というのはラジオをはじめ、そんなに多くないんですが、
それでも自分で回路を作ってみるのは実験みたいでおもしろいですね。
昔の小中学生(お金持ちの子)は、こんな玩具で遊んでいたんだなと感慨深い思いです。

さて、そんなことを考えていると、昔の趣味について思うところがありました。
私自身は幼くてまだ適齢期にはなっていなかったので、身近にやっている友達はいなかったのですが
1970年代の一時期、BCLというのが熱狂的に流行ったことがあるのを知っていますか?
たぶん若い人はまず知らないでしょうね。
説明するならば、BCLラジオ(オールバンドレシーバー)を使って日本各地および海外の
短波ラジオ放送を視聴するという、まあ、それだけの趣味なんですけどね。
ちょうど、この時期に日本で短波放送がはじまりまして受信機が発売されたこともきっかけのようです。
とはいえ、BCLラジオは1970年代で最低でも1万円、高級機なら5万円以上もしました。
普通のお子様に変える代物ではないですね。
しかし、こんな高い物を買って、ラジオ放送を聞いてなにがたのしいかというとですね、
海外のラジオを傍受して、その受信レポートを送るとベリカードというのがもらえたのです。
で、このカードがいろいろと各国の特色ごとに趣向が凝らされていてコレクションしがいがあったんですね。
はい、高級ラジオを買っても、やることはガキです。ただのカード集めだったわけです。

で、当時はプロパガンダの目的もあって、特に共産圏のベリカードがよかったらしいですね。
欧米とちがってモスクワの声(ソ連)、北京放送(中国)、平壌放送(北朝鮮)は日本語でもやっていて
ベリカード以外にいろいろなものをくれたそうです。
たとえば中国ならベリカードのほかに今もパンダなんかの切り絵がもらえるそうですし
北朝鮮なら金日成の絵ハガキに金日成のカレンダー、金日成の本、金日成を讃えるレコードなどなど
ちょっと子どもがひいてしまって、怖くなってしまうくらい、いろいろなおまけがついてきたそうです。
当時の体験談を読むと、調子にのって北朝鮮にレポートを送って北朝鮮からいろいろもらっていたら
いつしか登下校中にだれかに見られているような気がしてグッズを全て捨てたとかいう話も。
その子供曰く、北朝鮮の工作員か日本の公安警察だったのではないかと。
真偽のほどはわかりませんが、ちょうど北朝鮮による拉致事件が最盛期のころの話です。

とはいえ、しょせんガキですからベリカードをもらってしまうと、あとは放送を聞いても
外国語で意味わからないし続ける意欲がなくなり(共産国家は毎回デザインがちがったそうですが)
そのうちブームがあっというまに過ぎ去ってしまうのでした。そもそも子供は飽きっぽいですからね。
最近までソニーとパナソニックが細々とBCLラジオを作っていたようですが今は中国製しかないようです。

それでもBCLラジオで無線工学に興味を持った子供はアマチュア無線、通称ハムに流れていったわけです。
そう、実は日昌晶も4級アマチュア無線免許を持っていたりするんですね。
私の場合は無線に興味はなく、もともとボーイスカウトのキャンプでの通信手段用に取得したのですが
免許取得後にキャンプに行く機会がなくなってしまい、ついに一度も使っわなかったんですけどね……

で、当時は多くの中学高校大学には無線部なるものがどこにもあったのですが、いまはもう絶滅してます。
アマチュア無線でなにをやるのかというと、結局は通信することがたのしいだけなんですね。
離れたところの仲間と雑談とか、世界中の見知らぬ誰かと交信とかいった目的もあるわけですが
そんなものは今では携帯電話とインターネットがあれば、より確実に目的を満たすことができますから
消えゆく宿命(さだめ)だったのでしょうね。単純に無線工学に興味がないといまはやりません。

でも昔からネクラなイメージのある無線部(いまでいうコンピューター部)がやっていたハムなのですが
バブルの時期に大ブームを巻き起こしたこともあったんですよ。
それはトレンディードラマ(石田純一とかがよく主演していたアレ)の先駈けとなる映画で
アイドルの原田知世(ブレンディのCMのひと)主演『私をスキーに連れてって』(1987)にて
三上博史がカッコよくスキー場での通信手段とするシーンが多用されたのがブームのきっかけでした。
当時の携帯電話は移動電話と呼ばれ、かなり大きな箱型の本体を肩からベルトでさげるタイプでしたので
ハンディトランシーバーは当時の若者の目には、それはそれはトレンディに映ったのです。
猫もしゃくしもスキー場に押しよせたバブル世代は、こぞって無線機にも食いつきました。
電波は大渋滞で空き周波数を見つけるのも一苦労、しかも免許が必要と知らずに購入した人も多く
無免許の違法使用者であふれていたりと、電波の世界もまたバブルの狂乱を味わったんですね。
そしてご存じのように、すぐに携帯電話サービスがはじまり、あっという間にニワカが消えます。
今では本当に無線好きな50歳以上の電波紳士が細々やっているか、トラックドライバーの違法使用ばかりで
あれほど空きのなかった周波数帯はガラガラで通信相手を見つけるのも一苦労と逆転してしまったそうです。

いま流行っているものもいずれはこうして「昔あったよね」的な話になってゆくんでしょうね。
特にバブル期までは、情報化されていないのでマスコミに扇動されやすくて
趣味でも流行でも1つに集中していた時代でしたから、特に傾向が顕著だったんですよね。

信じられないかもしれませんが大学生とか若者ならば
冬はスキーに行かなくていけないという強迫観念さえ存在していたのです。
で、本当にみんなスキーが好きなのかというと、そんなわけがありません。
みんなが行ってるから流行に乗りおくれまいという意識も強かったですし
なにより夏の海と同じく男女の出会いの場として、アフタースキーが主目的の人も多かったんですね。
そんな男女のリゾート地での恋愛模様を歌った爆風スランプの『リゾ・ラバ』という曲もありました。
ゲレンデではみんなデカいゴーグルをかけているので、だれでも原田知世や三上博史に見えてしまうとかで
リゾート地で一時的に盛りあがってはしまうけど、家に帰ってくると醒めて関係が途絶えるなんてザラでした。
残念ながら私はまだ男女の駆け引きをたのしめる年齢に達していなかったので、まったく無縁でしたが……

★今回のまとめ

・ガキはいつの時代もカード集めが大好きだ!
・若者はヤレるところなら雪が降っていようが群がってくるぞ!
・コンピューター部員の祖先は無線部員だった!

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「どうして好きなのか?」を考えよう

あなたの好きな作品はなんですか?
そして、それはどうして好きなのですか?

あなたは、この問いに明確に応えられますか?
応えられるのなら、それはよいことです。
しかし理由をと言われると、ちょっとまごついてしまう人もいるでしょう。
そんな人に向けて、きょうはヒントをだしておきます。

まず、あなたはその作品の中の世界に行きたいと思っていませんか?
めくるめく冒険の世界、あるいは青春を謳歌できる学園生活、
そんな世界に浸ってみたいと思っているはずです。
こんな世界で暮らしてみたいなとか、俺だったら主人公とはちがう選択をしてもっとうまいことやれるのに。
そう思わせてくれる作品を、あなたは好きになったのではないですか?

そして登場人物と恋仲になったり、友達になりたいと思っていませんか?
登場人物としてではなく、自分と対等の人間としてキャラに愛着や憧れをいだいているはずです。
そういう魅力的なキャラだからこそ、あなたは好きになったのではないですか?

ひるがえって、あなたの作品はどうでしょうか?
あなた自身もまた、その世界観やキャラに人並みならぬ感情をいだきますか?
そして私の知っている作家志望者の多くは、いずれも「いいえ」と応えました。
作者さえ好きになれていない作品をだれが好きこのんでくれるでしょうか?

少なくとも読者は作者自身よりも厳しい目で作品に評価をくだすことをお忘れなく。

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そろそろオタクと非モテをわけて考えるべきか

ここ最近の受けとり方として、どうやら「オタク」の定義が「マニア」と同義になってきたようです。
かつてはネガティブなイメージの強かったオタクという言葉はすでに薄れつつあり
さすがにポジティブではないにしろニュートラルなイメージが強まってきました。
すでに親世代がアニメ漫画直撃世代なだけに抵抗も薄れ、国民総オタク化といっても過言ではないでしょう。

実際にオタク趣味でもリア充ライフをエンジョイしている人も多くなってきました。
すでにオタクかオタクでないかということは、たいした差ではないのです。

そしてライトノベルといえば、それはもう漫画以上に読者層はオタクが多かったわけですが
ここにきてオタクというものの変化によって読者層が変わってきているのではないかというのが
今回の記事の提言だったりします。

もともとライトノベルの最大のテーマは「ボーイ・ミーツ・ガール」なわけですが
はっきりいってリアルが充実している層、つまりかわいいカノジョ、かっこいいカレシがいる人は
熱狂的に支持してくれる人は、そんなにいないわけですね。
好きという人はいるでしょうが、「俺の嫁」などと熱狂的に入れこむ人はまずいません。

そうなると今までのライトノベルはオタクの読者を想定して作品を書いてきたわけですが
オタクの定義が拡大し、かつ社会的評価も高まってきた今、リア充系オタクに対して
ライトノベル、特にハーレム路線はそれほど訴求力がないのではないのかと考えるようになりました。

もはやライトノベルはオタク向け作品としては通用しなくなってしまったのかもしれません。
では、だれに向けて書けばいいのかという問いにたいする答えが「非モテ」でした。
モテない――これこそはかつてのオタクの持っていた属性の最たるものです。
それは今もオタクの一部と重なるものではありますが、いっぽうで非オタクでモテないという人もいます。
たとえばアニメや漫画を嗜好する傾向はあるけれど、オタクと呼ばれるほどではない超ライト層とかですね。
特に古い世代のオタクの人から見ると、知識も造詣もなく、ひたすら受け身的な消費活動をするだけの
単なる一般人(パンピーなんて死語もありましたね)でしかないような自称オタクが増えてきていて
そのなかにはリア充の人もいれば、非モテの人もいて、その割合は半々くらいではないのかと思うのです。

今後のライトノベル、いえ今現在のライトノベルもまたオタク相手を一歩脱して
非モテ相手への作品としての意識変革が必要になってきたのかもしれません。
これがどういう変化をもたらすものは、まだ小さな変化かもしれませんが
いずれ大きな潮流となる可能性も秘めているのではないかと。

あなたはどう感じますか?
オタクを対象にする作品と、非モテを対象にする作品とでは、どこがどうちがくなるのでしょうか?
あなた自身でぜひとも考えてみてください。

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私的ゲーム考

最近よくゲームをやるようになりました。
相手はいつも彼女なのですが、よくやるのは「ローゼンケーニッヒ」と「バトルライン」で
ほかに「オセロ」「チェス」「バックギャモン」なんかもやってます。基本はボードゲームですね。

世界的に見て最も伝統的に遊ばれているゲームは「チェス」「バックギャモン」「トランプ」でしょうか。
日本だと「将棋」「囲碁」「双六」となるんでしょうかね。
「チェス」と「将棋」はどちらもインドの「チャトランガ」から派生したゲームなのはご存じのとおりで
「バックギャモン」と「双六」は古代メソポタミア起源で古代エジプトから古代ギリシア・ローマを経由し
5世紀頃には完成し、日本には奈良時代に中国経由で伝来したので、ほぼ同じといっていいゲームです。

日本にトランプが入るのは、ずっと遅くて江戸時代にポルトガル経由で入ってきたときは
賭博のご禁制を逃れる意味もあって「うんすんかるた」から「花札」へとローカライズされました。
(当時のポルトガルのトランプというのは、絵札3種に数字が1~9の48枚構成だったこともあって
これを元に考案された「うんすんかるた」や「花札」も12ヶ月が各4枚の48枚構成となったようです。
ちなみにドイツのトランプは32枚構成で、英国式52枚が標準トランプになったのは20世紀になってからです)
そして囲碁のようなガチガチのアブストラクトゲームは欧米では流行することはなかったようです。

日本人の生真面目な性格ゆえか、囲碁将棋は高尚な芸能として幕府の庇護をうけるまでにいたりますが
双六に至っては運の要素があるゲームであり、貴族から庶民に至るまで賭け事に使われたので
奈良時代から江戸時代まで、時代を問わず何度も何度も禁止令が出ている始末なんですね。
囲碁将棋は実力差が勝敗に直結してしまい、上級者が初級者に負けることはまずありませんが
双六は連戦すればトータルでは勝ち越せても、1ゲームごとの勝敗は賽の目しだいで初級者も勝てるので
多少の実力差があっても、たのしく遊べるゲームだったんですね。
しかし江戸中期頃に急に衰退して、かわりに子供向けの絵双六のほうが主流になってしまいます。

話は変わって現代になると、テレビゲームや携帯ゲームなどデジタルゲームを除けば
もっとも遊ばれているのは遊戯王をはじめとするTCG(トレーディングカードゲーム)になります。
若干の衰退傾向にあるとはいえ、まだまだ人気は根強く関連アニメや漫画も多いのが特徴ですね。
とはいえシェアの大半を占める遊戯王がTCGの中でいちばんおもしろいわけではないのと同じく
TCGがこれまでのアナログゲームのなかで群をぬいておもしろいのかというと、それは別の話でしょう。
実際、今のTCGは一般のアナログゲームに較べてルールが煩雑で直感的にわかりにくく、
一定期間ごとにカードが増えることもあり、ゲームバランスが崩れやすいという致命的な欠陥を抱えています。
これに加えて、より有利に遊ぶためにはカードを大量に購入するための投資も多額にのぼります。
トッププレイヤーレベルを維持するなら1年間に10万円は軽く投資しないとやっていけません。
チェスなどなら10万円の高級セットを買えば、壊さない限り数百年でも遊べるのとは対照的です。

泳ぎ続けないと死んでしまうサメと同じく、TCGはプレイヤーもメーカー常に遊び、売り続けないと
あっというまに衰退して終了してしまうリスクがあり、人気のわりに非常に脆い市場でもあります。
それはなぜかと考えると、主な原因は社会的認知度の低さなんでしょうね。
ここらへんはライトノベルの状況とよく似ているのではないかと思わずにはいられません。
あくまで子供向け、一部のオタク向けという低俗の烙印から逃れられず、
市場規模ほどの正当な評価を受けにくい環境にあるのです。

しかしながら、それでも熱狂的に支持するプレイヤーも多いのも事実です。
もっとも多い理由は、みんなもやっているからという消極的な理由なのでしょうが
対戦相手を必要とするゲームにおいて、これは最も大事なことです。
いくらおもしろくても対戦相手がいなくては遊べないのですから。
もっともおもしろいけどユーザーの少ないゲームよりも、まあまあおもしろくてユーザーの多いゲームです。
つぎに勝ちやすいということでしょうか。具体的にいうと投資と努力が報われやすいんですね。
たとえば囲碁や将棋へどんな情熱を傾けようとも、なかなか上達しない人が大半なのです。
ところがセンスのある天才は外から見ると、なんの苦労もなくスイスイ勝ち上がってゆくんですね。
こういう天賦の才が幅をきかすゲームではなく、それでいて運だけのゲームではないという着地点に
TCGというゲームスタイルがあったのではないかと思うわけです。

まずいくら天才でもなんの努力もなしに勝つことはできません。
いくら才能があってもスタートデッキでは勝てないので、投資によってカードをそろえないといけません。
また素人レベルのゲームとしてはデッキ構築など事前準備にかける時間が膨大だったりします。
そのぶん、ゲーム中に考えることがチェスなどに較べて格段に少なく、選択すべき分岐点も少ないんですね。
ということは準備やシミュレーションといった努力の比率が高く、その場のひらめき要素が少ないため
ゲーム展開にたいする創造力が豊かでない凡人にも勝機が残されているわけです。
また選択肢が限られているために、最適解を求めやすいというのもあります。
チェスや将棋はその天文学的な展開に未だに最適解や必勝法を見いだすことは、まだできていませんが
TCGの場合、数ヶ月もあれば最適解もしくはそれに近い必勝法が編みだされてゆきます。
(ゆえに定期的に新カードを出し続け、強すぎるカードを規制し続けないといけない欠陥ともなります)
そして、なによりデッキ構成によって勝敗がほぼ決まるため、同じカードをマネして使用してしまえば
凡人やそれ以下の人でもある程度のレベルで模倣することがたやすいんですね。
これはほかの伝統的ゲームにはできないことです。
ここらへんの「だれでも強くなれる」可能性が多分にあるというところがハマる人の多い理由ではないかと。

以上の理由は昨今のネトゲーをはじめモバゲーやグリーの携帯ゲームにも共通しているところです。
凡人でも消費時間と投資によって、才能をカバーでき、頂点に立つことを可能としているシステム。
これは実社会(勉強やスポーツなど)では絶対にありえないシステムなのです。
たとえば知能指数130以上の人だけがキャラの成長速度が10倍とかいうゲームをやりたいですか?
あるいは運動神経が悪いと、どんなに頑張っても平均より下までしか成長できないゲームでたのしめますか?

ゲームというのは現実にはない理想的な平等という非現実をたのしむものなのかもしれません。
だとしたら小説とはなにをたのしむものなのでしょうね?

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モテラノベ第11の法則 やさしくあれ

だいたい女性にアンケートをとると、相手の男性に望むことの第1位は「やさしさ」なのが定番です。
しかし世の多くの非モテ男性は「そんなの建前だ」「ただしイケメンに限るんだろ」と反論します。

ライトノベルの主人公を見てみると、それはも「やさしい」人たちばかりですよね。
逆境に生きていたり、過去に暗い過去を背負っていても、その本質はやさしさの塊です。
そんなやさしい人がモテないわけがないのです。そう、本当にやさしい人はモテます。これは真実です。
イケメンもフツメンも関係ありません。ときとしてブサメンやキモメンだって大丈夫なのです。
やさしささえあれば、二階級特進ランクアップまちがいなしなんです。
イケメン、フツメン、ブサメン、キモメンと4つの階級があるとするなら、
最下層のキモメンだって、やさしいだけで2ランクアップでフツメン待遇になれるのです、体感的に。

しかし世の男性の多くはやさしさをはきちがえているんですね。女性も同じですが。
本多透著『電波男』でも「オタクは相手をやさしいから他の人を傷つけない」というふうに書いていましたが
実際のところ、それは見方がまちがっていると指摘せざるをえません。

日昌晶の見解では「やさしい」から「人を傷つけない」のではなく
「自分が傷つきたくない」から「やさしい」素振りを見せているだけなのです。
ありていに言ってしまえば「保身」ですよ。
「人を傷つけない」のは「やさしい」からではなく「ことなかれ主義」なだけです。
だからこそ匿名掲示板では保身の必要がなくなるのでカゲキになりやすいですよね。
そこに気付かないからこそ、モテない人はまったくモテないのですね。

よく不良っぽい男が雨にうたれている捨て猫を拾っているシーンなんかを見て
少女漫画のヒロインがキュンとしてしまうのを、オタク男たちよくバカにします。
あんなのは見せかけだけ、きまぐれなだけで、やつの本質は悪のDQNなのだ。騙される女はバカだと。
しかし、本当にそうでしょうか?
その不良は猫にたいして「保身」で助けの手を差し伸べているわけではありませんよね。
少なくとも、そのときだけは猫にたいしては無私の心で助けているのです。
ここが保身からくる「やさしさモドキ」とのちがいであり、ヒロインがハマってしまうかどうかのちがいです。

たいてい自称やさしいという非モテは、自分なんかが女の子に誘ったり、話しかけたりしたら
迷惑だろうと思ってしまう「やさしさ」があるから、行動にでないのだといいわけをします。
しかし本音は断られたり、拒絶されるのが怖いだけのことですよね。
下手したら、さらし者にされて大勢の人に笑われるかもしれないと思えば、なおさらです。
だれだって、そんなこと避けたいと思うのは当たり前です。
でも、それって真実のやさしさですか?

ラノベの主人公少年たちの言動を見てください。
彼らは人に笑われるからとか、変に思われるからとかいって正義や信念を曲げて
へらへらと笑って、その場を穏便にことをすませようとするでしょうか?
特に交際しているわけでもなく、普段は自分をバカにしているようなヒロインが困っているときに
はたしてどんな行動をとるでしょうかね? ……自ずと答えはわかったと思います。

DQNといってバカにされるような人たちは、ワルぶっているので権威にたいしてつっぱります。
だから女の子は、いざというときに世間体とか権威に逆らってでも自分を守ってくれそう――
そんな幻想をイメージさせてくれるからこそ、悠久の昔から「不良男子」はモテてきたのです。
少なくとも自分が小突かれたり殴られたりしても、へらへら笑ってその場をやりすごそうとしている人が
自分が困っているときに助けてもらえるとは思えませんよ。だからオタクはモテないのです。

女子のいう「やさしさ」とは自己を犠牲にしてでも自分を庇ってくれる、あるいは助けてくれるという
意味合いを含むものであって、「怒らない」とか「非暴力主義」とかとは別次元の問題です。
ここをかんちがいして、自分はやさしいのに、なんでモテないんだと憤る人が多いわけです。
だから、それは「やさしい」わけじゃないんですよ。そう、やさしい人なんてそうそういないのです。
常にモテる条件の第1位に燦然と輝いているのには理由があるのです。

あなたは本当にやさしい人ですか?
それとも単なる自己保身のことなかれ主義者ですか?

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最終回パチモンサミット2011冬に行ってきました

7年かけて14回開催されてきたパチモンサミットも残念ながら今回がひとまず最終回となりました。
日昌晶は第10回から参加したにわかだったので、もう少し続いてほしかったんですけど
さすがに7年もやっていると話題にすべきネタも出尽くしてしまっているという状況もあるんでしょうね。
7年前はパチモン界はまったくの未開の荒野、白地図状態だったのがパチモンサミットなどで
考古学的な貴重な遺物も大概発見され、またオリジナルパチ怪獣なる市場開拓も整ったこもあり
一応の使命をまっとうしたことでの幕引きとなったそうなのです。
しかし出演者3名(唐沢なをき、堤哲哉、喜井竜児)のトークショーは不定期に開催されるそうですが
もうおみやげのソフビ怪獣はなくなってしまうんですかね……?

パチモンサミット2011冬

今回は「許されるパチ、許されざるパチ」の定義について真剣に議論してみたり、
上画像にもあるように唐沢先生の名称も遊び方も不明な小さなメンコのような玩具のコレクション紹介など
今回もなかなか興味深い内容となっていました。

そして、いつものように中野貴雄監督らと一緒に仮面ライライのゲスト出演もありました。
新キャラクターのレディーマックスなるセクシーキャラも登場しましたが
コスチューム以外なにも設定が決まっていないということで、ちょっとだけの出演。
写真がうまく撮れなかったので、どんなキャラかは中野監督のブログ「王子様に乗った白馬」を見てください。
『仮面ライライ』のDVDも持っているのですが、内容は基本的にキャットファイトですね。
ライライは脱ぎませんが、怪人の女の子のポロリはあります。そんな作品です。
最新作は大蛸怪獣と巨大化した海女が戦う『海女テラス大神』なる作品です。

それと中野監督は『大怪獣サロン』というCafe&Barを開店したそうです。
もともとはやはり映画監督の河崎実監督のバー『ルナベース』という店なのですが
水曜夜と土曜日は客も店員も着ぐるみで集まる大怪獣サロンになるそうですので興味ある方はどうぞ。
普通の日はルナベースとして、SFっぽい宇宙服のコスプレをした女子店員がいます。
怪獣より女の子が好きな人は水曜と土曜以外がよいかもしれません。

さて今回の戦利品も紹介しておきましょうか。
今回のおみやげソフビは腐乱獣ドドロか前回にも登場した昆虫怪獣バナンガのいずれかということで
私がもらってきたのはバナンガのほうでした。前回、前々回はムチーだったのでバナンガはなかったんですよね。
塗装もメタリックでなかなかよくできているのではないかと思いますよ。
そして抽選会で当てたのが水色のナゾラ。見たからにメカゴジラのパチモノっぽいところがいいですね。
口のところが空いていなかったのですが、見本を見ると開口部になっていたのでカッターで切りとりました。
歯のところに切取線もついていたし、これがオリジナルの姿なのだと思います。
そして今回参加できなかった彼女へのおみやげに購入したナス怪獣です。かわいいでしょう?

パチモンサミット2011冬戦利品その1

下の画像は別アングルから見たところです。
バナンガが昆虫怪獣たる唯一の証拠である甲虫のような鞘翅がついているのがおわかりでしょうか。
けっしてバナナの怪獣ではないのですね。
そしてナゾラはなんと頭部が別パーツでとれるのです。
そう、初代メカゴジラがゴジラに頭の電子頭脳を破壊されてしまったのをフィードバックして
メカゴジラ2号機は頭部を破壊されても大丈夫なようになっていたわけですが
このナゾラもメカゴジラ2号機にちょっと似た感じになってます。しかもちょっと顔みたいです。
ギミックとして足の裏にはマグネットがついていて、バッチリ冷蔵庫にもくっつきますよ、奥さん。

パチモンサミット2011冬戦利品その2

そんなわけで今回のレポートは終わりです。
こういう珍妙なイベントに顔をだすのも創作意欲をかきたててくれるきっかけにもなりますので
たまには自分で足を運んでみるのもいいと思いますよ。

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夜這いの民俗学(第1回)

先日のモテラノベの記事で「夜這い」という単語を使ったのですが、
よく考えるとその実態については、ほとんど知らないことに気付いてしまい
ちょっと調べてみようかということで、関連書籍を漁っていますが、これがまたおもしろかったので
ラノベりあんでも記事にしようと思いたったわけです。

現代日本人が常識として考えている恋愛観とはまったく埒外の感性で暮らしていた人々がいたのです。
それも今から60年前くらいまでは、夜這いの風習がしぶとく残っていたわけですから
つまりまだまだ元気に暮らしている経験者もいるんですよね。感慨深いですよね。
以下はメモ書き程度にまとめたものの一部です。


【0】はじめに
夜這いとは不可思議な風習である。現代人の結婚観や恋愛観とはまったく別の次元の感性により行われていたことに注目した。現代日本人の恋愛観や結婚観は近世以降の武家の感性と明治以降の欧米的なキリスト教倫理観に大きく転換されたものであって、日本人古来のもっていたものとは大きくかけ離れていたのだ。そんな打算なく快楽を追求する原始の姿は見ていて清々しくさえある。

【1】歴史
夜這い文化は古代農耕地域では世界的な規模で普遍的に見られた風習だが、アブラハムの神の教義(ユダヤ教、キリスト教、ユダヤ教)により衰退もしくは隠されていった。『デカメロン』『ロミオとジュリエット』『シラノ・ド・ベルジュラク』など古典文学にも夜這いシーンが多数見られる。
日本においては『古事記』に神々の代から夜這いが見られ、『源氏物語』や『土佐日記』などは夜這い文学そのものといえる。

【2】時代
経験者からの口から採録された夜這い話については、明治大正の頃は一部農村地域では、まだまだ盛んであり、かなり廃れたとはいえ終戦直後の話も見うけられた。江戸時代においては言うにおよばずである。明治政府により夜這いは姦通罪などで刑罰を課されるようになるも、あまり効果はなかった。
しかし昭和13年の津山事件(『八つ墓村』のモデルとなった30人大量殺人事件)の犯行動機に夜這いが密接に関わっていたことで、新聞各社が大々的に悪しき旧弊として撲滅キャンペーンを行ったことも衰退の原因となっているのかもしれない。

【3】分布地域
明治、大正の頃まで盛んだったのは、山深い山間部の村落が中心であり、当たり前のように行われていたものだった。貧しく他に娯楽がないということも理由だろうが、特別な理由があるわけでもなく古くから続いてきた因習であったにすぎない。また当時の人々も夜這いについて疑念を持ってはいなかったのは言うまでもない。

【4】システム
夜這いの管理は若者衆(現代の青年部に相当)により柔軟に管理され、「村の娘と後家(未亡人)は若者衆のもの」とも言われていた。男は16歳くらいになると若者衆に入り、結婚すると抜ける。ただし既婚者の夜這いも普通に盛んだった。女は早いと13、14歳(数え年なので満年齢だと最低11歳)くらいから夜這いの対象となった。また上は60過ぎの老婆(当時の感覚で)に対しても普通に行われていた。

夜這いの方法には大別して2通りあった。1つは日中に約束を取りつけて夜這いをかける方法と、もう1つはいきなり寝所に忍びこむ方法がある。どちらも半々くらいだったようで、成功率は前者は邪魔が入らなければ100%だが、後者は20~30%くらいだったらしい。
女の家に忍び込むには、戸を開けておくなど女の協力がないときは忍者のごとき秘術が尽くされたという。そのため夜這い初心者は夜這人(よばいと)と呼ばれるベテランに弟子入りして、見張りなどをやらされる見習い期間がある。夜這いではなく性体験自体については年上の女に手ほどきしてもらう場が用意されている地域もあった。

かつての農家の家屋は鍵などかかっていなかったが、戸の立て付けが悪かったり、床が軋むなど音を立てやすかった。また娘と両親は同じ部屋に並んで寝ていることが大半であり(よくて板障子一枚隔てる程度)、いかに親に気付かれないよう音を立てないかが肝心だった。
また親も夜這いに寛容な家もあれば、資産家や旧家など夜這い防止に戸締まりが厳重な家もあった。ただし見つかって現場を押さえられると、たいてい袋だたきにあうのが普通であり、ときには槍で刺し殺されたり、銃で撃たれたりした事件もあった。
もっとも重要なこととして、夜這いは屋内に月明かりさえ届かない真闇の中で行われていたということにつきる。これは現代人にはなかなか想像できないシチュエーションだろう。そのため準備手段として、明るいうちに娘の床の位置を確認しておき、現地では完全に手探りで行動することになる。そのため娘のつもりで母親や祖母に夜這いしてしまうことや、男に行ってしまう場合も多々あった。わざと一夜で母と娘の両方に夜這いをかける精力家も珍しいことではなかったらしい。

男は夜這い相手の女にいくばくかの土産を用意するのが一般的だった。わずかな金銭もしくは飴などの菓子類が多く、羽振りのよい者は白粉や化粧水を渡した。
男が女を選ぶ基準は美人かどうかが多いが、サービスがいいかどうか、また相手から誘われたかどうかでも大きく変わっていった。女同士の見栄もあって、だれも夜這いの来ないのは恥ずかしいという感覚もあり、また純粋に性欲の昂ぶりを隠すということがあまりなかったから、女から積極的に誘いをかける者も多かったという。
さらには肉欲の追求だけでなく、ゲーム感覚で親が厳重に夜這いを警戒している家にわざわざ挑戦する攻略を目的とする場合もあった。あたかも昔年のリアルなメタルギアソリッドである。
そして全国的ではないが女から男へ夜這いに行く村落も少数ながら点在していたようだ。さらに特定の男だけを受け容れる女もいれば、絶対に断らない女とがいて、後者のような女の場合、あぶれた非モテ男たちが多いときには十人以上が列をなしていたというが、女としては三人目くらいを相手にしているうちに寝てしまって意識はなかったらしい。このような400人以上(村の人口を考えると数世代に渡る男の村人全員だろう)の相手をしたとされる女は驚くほど健康で長生きであったとも言われる。

つづく


実際、リアルなファンタジー小説を書こうなんてことになると、このような事柄も含めないといけません。
モデルとなる中世ヨーロッパも実際には日本と変わらず夜這いが盛んだったわけですし。
たびたび教会が弾圧する魔女のサバトなども、この手の農民たちが古代から行ってきた
夜這いや乱交のことをさしているのは言うまでもないことでしょう。
特にキリスト教のような唯一神教ではなく多神教のファンタジー世界なら、この傾向は更に強くなります。
しかしながら青年読者層には刺激が強すぎるのと、読者の感覚と完全に乖離してしまっているので
ここまで描くことはないとは思いますが、架空の世界観に深みを与えるのに知っておくのは悪くないと思います。

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ムギャオーの叫び声に学ぶ人間失格キャラ

私自身はTRPGはやらないのですが、TRPG界のこまった人たちの報告をまとめたサイトがあります。
TRPG経験者ならば、だれでも知っているのでしょうが、そのサイトというのが……

ムギャオーの叫び声 困ったちゃんのまとめ

よくある2ちゃんねるのまとめサイトのひとつなのですが、『クトゥルーの叫び声』をもじった感じからして
TRPGらしさがあふれていて、ほほえましいですよね。
しかし、ここで星の数ほどといっていいほど報告されている困ったちゃん(通称「困」)は
クトゥルフ神話の旧支配者たちよりもコズミックホラーじみていて、燦然と輝いてます。
キャラクター創作において、ダメキャラを考えるときに、本当に役立つ実例集なんですね。
架空の存在とかではなく、いちおう実在の人物たちなので、やることなすこと活き活きとしていて
周囲の人々の困惑ぶりや阿鼻叫喚ぶり、修羅場の数々が手にとるようにわかるんでよね。

ダメ人間というものを描きたいときは、ぜひ覗いてみてください。
きっとあなたの予想の斜め上をゆく困ったちゃんたちが、あなたの作品のモデルになってくれるでしょう。

ちなみに「ムギャオー」というのは、かつてゲーム中に自分の思い通りの展開にならないことに
逆上したベテランの某プレイヤーが「ムギャオー!」と謎の奇声を発してゲームを途中放棄し
走り去っていったという故事に由来しているそうです。

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