L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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ライトノベル創作教室ラノベりあん 中二病でも書けるライトノベル教室♪

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新年からクトゥルフ

あけまして、おめでとうございます。
新年一発目のブログ記事はいきなりクトゥルフ関連です。

クトゥルフ神話、あるいはクトゥルー神話とも呼ばれるものを知っているでしょうか?
20世紀初頭の小説家H.P.ラヴクラフトによって創造された架空の神話であり、
作中で語られる宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)の核心となるものです。

ただしラヴクラフト本人によって「クトゥルフ神話」として体系づけられることはなく
彼の友人であったオーガスト・ダーレスによって体系化され、またラヴクラフトの死後にも
クトゥルフ神話を共有する作品群を多くの作家が継承されることになったのでした。

ということで、日昌晶自身はやはり元祖的なラヴクラフト作品に魅了されるんですね。
中でも代表的な作品といえば『クトゥルフの呼び声』『インスマウスの影』『ダンウィッチの怪』の3作です。
とはいえ邦訳タイトルも、まちまちで『クトゥルーの呼び声』『インスマスを覆う影』『ダニッチの怪』など
微妙に異なっていたりもするので、一連の作品を探すのも面倒だったりするんですよね。
まあ、この作品を予備知識なしに一読しただけでは、なんかよくわからない、どこがホラーなのか
あるいはSFなのかもよくわからない三文小説としか思えないわけです。
よくいえば幻想小説、悪く言えば妄想小説といったところでしょうか。

しかし、そんな一見するとB級小説でしかない作品が、世界中で多くの者を魅了し
今もなおクトゥルフ神話を題材に、あるいはモチーフに新作が作り続けられているということは
単なる一個人の妄想ではないなにかがあったと考えるほうが自然と思うわけです。

そう、そしてラヴクラフト作品の多くは、宇宙的恐怖を垣間見た者が残した者たちや
その者たちが死を前に遺した記録を読んでしまった者たちをも狂気へと駆り立てるのが定番なように
なんでもない短編小説の奥底には狂気を湛えているのではないかと思うのです。
しかし後にダーレス以降の定番になるように単純に怪物たちが登場する物語には
そこまでの狂気はないように思えるわけで、とりわけラヴクラフトの作品にはそれがあるようなのです。

私がそんなラヴクラフトが書き残した狂気に気付いたのは、それほど昔ではありませんでした。
そう、彼の描く恐怖の一端を実体験として目の当たりにしたのだと気付いたとき、
私のなかで日常の中に澱んだ狂気が実体化したのです。

長くなりました。つづきは明日にでも。

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ラノベゼミ開講 TRPG実習

クトゥルー体験談のつづきを書こうと思っていたのですが、なぜか書くのがためらわれるので
もうしわけないのですが今回はべつのことを書こうと思います。

新年ということで、毎月やっているライトノベルオフを今年から大学でよくやっているゼミ形式にして
ラノベゼミとして個別対応したかたちで、実践的に指導してみようということになりました。
どう転ぶかわかりませんが、今まで以上に参加者のレベルに即した指導をしていきます。

1月の第1回目は、簡易TRPGのシステムを使ってのキャラとストーリーの関係性を
体得しようという内容になっています。
実は初心者や中級者くらいまでは、どうしても個性的なキャラクターをなかなか作れないんですね。
これは理論的に指導しても、なかなか理解してもらいないことのひとつでもあるので
実体験として感覚的に体で覚えてもらおうと、TRPGを使ってみることにしました。
とはいえ、普通にTRPGをやるわけではありません。

教材として使うのは『CLAMP学園TRPG』というシステムで、本来は女子中高生をターゲットとして
考案されたらしいTRPGなので、ルールや遊び方も簡単になっています。
普通のTRPGなら各種ステータスの数値が10種類前後あるのですが、
CLAMP学園では3種類――「知力」「体力」「時の運」の3種類のみで、これに一定のポイントを振りわけて
それぞれ10段階で各種能力が決まるという、しごく単純なものになっています。
これに50種類以上の「特殊能力」から1つないし2つ選んでキャラクターを作るだけです。
(もしよくわからなくてもトランプをランダムにひくだけで自動的にキャラが作れてしまいます)
成功判定も簡単で、何個ものダイスを転がして数値を比較するということはなくて
トランプを1枚ひいて、ハートとダイヤなら成功、クラブなら失敗、スペードは不幸な失敗といった感じで
ルールとして憶えることは可能な限り少なくなっています。さすが女子学生用です。
しかも通常はシナリオやダンジョンマップを作成するのに必要不可欠なゲームマスターも必要ありません。

今回は各自で何人かのキャラをルールに則って作ってもらって、実際にプレーすることで
それをどうやって動かせば、ストーリーとして面白くなるのかを考えてみようという感じです。
予定では最初に練習も兼ねて複数人で1キャラずつ担当でプレーしてルールに慣れてもらったら
つぎのステップでは各自で複数人のキャラを考えてもらい、それを有機的に動かしてもらい
キャラクターの個性がストーリー構成とどういう関係性にあるのかを感じてもらおうと思っています。

キャラの個性によっては、ストーリーとして動かしやすい、転がしやすいキャラもいれば
設定としてはおもしろくても、いざストーリーのなかで動かそうとすると、活かしきれなかったり
おもしろい動きをさせにくいといったキャラがいることに気付いてもらえると思います。

どうしても頭では理論や仕組みがわかっているけど、実践できていない人はぜひ参加してみてください。

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ステマ! ステマ! ステマ!

最近、ネットの書きこみをちょっと見れば、たいてい「ステマ」がどうのこうのと書かれていますよね。
このステマの意味は「ステルス・マーケティング」ということで、
ちょっと前までは「サクラ」とも呼ばれていたようなよくある概念なのですが、
バカのひとつ覚えのように、ここ最近はなにがあってもステマ、ステマとうるさい限りですよね。
でも、ちょっと前は、やたら「オワコン」と書きたててたことでもわかるように一過性のブームです。
新しいオモチャといっしょで、新しい言葉を憶えると使いたくなるのが人情ですからね。

とはいえ、このようなブームを小説の作品内で使うのは大きなリスクがあります。
ブームというのは、そのムーブメントが大きければ大きいほど反動や風化も早いですからね。
たとえばちょっと前のギャグなんかやろうものなら、お寒い感じになってしまうのといっしょです。

ですので、こういった流行語を大々的に作品にとりいれたり、セリフにいれたりすると
書いている時点ではとてもおもしろくても、出版された時期にはもう古くなってるかもしれません。
数年後には、まったくつまらない、あるいは萎えさせてしまうことになるでしょう。
本というのは映画やドラマなんかよりも長期間にわたって消費されることを前提としていますので
流行の最先端を採りいれても、時間経過とともに陳腐化してしまうのです。

あえていうなら宇宙開発などで使う技術は、最先端よりも技術が確立された一世代前を使うのと同じく
「嗄れた技術の水平思考」とはちょっと異なりますが、そういう気持ちで考えてゆくのがいいでしょうね。

逆にTVコマーシャルや流行歌(死語化してきましたが)は、消費期間がタイムリーで短期間なので
小説のようにタブーとはならず、かえって率先して用いられています。
媒体によって、ブームの扱い方がちがうということですね。

あなたは流行やブーム、最先端のものを作中でどうやって扱っていますか?

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クトゥルフ的恐怖の実体験 第1話

1月4日分のつづきになります。
それにしても、この記事を書こうとすると、どうしても何かしら見えない力なのか
書けない事情がつぎつぎに起こるのは偶然だったのでしょうか?

私がクトゥルー的な恐怖を感じてしまった実体験は、まるで『インスマスの影』のようでもあり
『ダニッチの怪』のようでもあった、言いしれぬおぞましさを感じるものでした。

それは、もうだいぶ昔の話のことです。季節は今と同じく冬のこと。
その頃、私は作家としてすでにデビューしていましたが、他にもいろいろなことを経験していました。
なかでもこの出来事と出会うきっかけとなったのも偶然の巡り合わせのようなものでした。
そう、私はなぜか知人の依頼でカップリングパーティーのスタッフをすることになったのです。
しかも東京在住である私が日本海沿いにある雪国の某県のレストランで行われるイベントに……
おわかりのとおり、私との接点はまるでありませんでした。親戚も知り合いもいない。
私にとってカップリングパーティーのスタッフ経験は、これが最初で最後になります。
それなのに知人と連れだって自動車で長駆移動し、そのレストランへと向かいました。

うらびれた町はラヴクラフトの描くインスマスやダニッチのような不気味さは感じられないものの
その当時、とある大規模な天災によって壊滅的な被害を被った地域でもあったので
私が行ったレストラン周辺では、家屋の倒壊など目立った被害は見あたりませんでしたが
人通りは少なく、たまに見かける住人たちもどこかしら生気を感じられませんでした。

レストランはその地域では、なかなか立派なイタリアンレストランで1階と2階が客席で50席以上、
女子高生らしきウェイトレスも5,6人はいました。
厨房に何人いたかはわかりませんが、それなりにいたと思います。
カップリングパーティーはレストランの地下にある団体用個室で行われることになっていました。
参加者数は40人程度と、地方のイベントとしては、それなりの規模でした。
そう、ちょうどバレンタインデーの時期でした。

ここまでのところ、どこがクトゥルーなのかと思うでしょう。
そしてパーティー自体はごく普通に始まり、特に書くこともなく普通に終わりました。
しかし私が戦慄したのは、パーティーそのものではなく、その参加者、それも2人だけなのです。
このふたり、ひとりは男性で、もうひとりは女性なのですが、見たからに普通ではありませんでした。
そう『インスマスの影』において、インスマスの住人がインスマス顔と呼ばれるような奇怪な風貌、
魚とも蛙とも形容される容姿をしていたように、彼らにも他の人にはない特徴があったのです。

(つづく)

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クトゥルフ的恐怖の実体験 第2話

彼らの風貌は一見すると、普通の人のようでしたが、数十人の男女が集まるパーティーにあっては
やはりどこかしら奇異な印象を与えるものでしたが、気にしなければ気付かない程度だったかもしれません。
しかしながら、私が彼と彼女に気付いてしまったのは、その行動にあったのです。

私はカップリングパーティーの前座として、開始時間前に話すきっかけもかねまして
カードゲームのUNOなどの簡単なゲームを参加者にやってもらっていたのですね。
たいていの人はUNOなどのカードゲームであれば、一度や二度はやったことがあるし
そもそも難しいルールがあるわけでもないので、はじめてプレイする人もすぐ慣れるものなのですが
参加者のこのふたりだけが、どうしてもUNOのルールを理解しきれず、とまどってました。
私はスタッフなので、丁寧にサポートするのですが、どうもおかしい。

そして気付いたのは、このUNOに手こずっているふたりの風貌がよく似通っているということでした。
私はゲームのルールをこれ以上、説明してもわかってもらえなさそうだし、
相手もおもしろくないだろうと思い、話を逸らす意味でも、こう訊いてみたのです。
「おふたりは親戚か何かだったりしますか?」
ちょっとした好奇心からでた質問でした。
答えは意外にも「いいえ」というものでした。
しかし親戚でもないのに、よく似た風貌というのは不思議だなと思っていると、
隣にいた他の参加者が「近くに住んでいるんですよ」と教えてくれました。
「へえ、そうなんだ」
私は特に不審を感じないまま、そう相槌を打ちました。

しかし考えてみると不思議なんですよね。
近くに住んでいると教えてくれた男性は、どうも直接には彼らを知っているわけではなさそうなのに
さも当然そうにこたえられるというのは、どうしてなのかということです。
では、この地方では有名人なのかといえば、そういうわけでもなさそうです。
表現は悪くなってしまいますが魯鈍で陰気な雰囲気が拭えない、そんな感じなのです。

ここで私は気付くべきだったのです。
このふたりは他の参加者とうちとけないというか、今にして思えば避けられていたのではないかと。
そして『インスマスの影』を知っていながら、その可能性をすっかり忘れていたことを。
そのときはまったく思いもよらなかったのは、きっと風変わりな怪奇小説の主人公のような
あり得ない体験を自分がすることになるとは、ほんの少しでも予想すらできなかったからだと。
しかし現実には、そのちき私はインスマスを目の当たりにしてしまったのです。

彼が同じ地域に住んでいると教えてくれたのは、なにも彼らを知っているのではなく
彼らの住む地域には、彼らのような風貌の住人が多いことを知っていたということなのです。
そう、インスマスの住人がインスマス面をしているのと同じように……

(つづく)

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キャラクター愛

おもしろい小説を書くには、自作中の登場人物に愛を注ぎましょう。

※ただし作者としての愛を。けっして読者(消費者)としての愛ではないように。

作者の愛と読者の愛とはまったくちがうものです。
作者は作品という世界の創造主です。だからこそ、その愛は神のごとく遍く降り注ぐべきです。
そして人間ですから多少の贔屓くらいは気にしなくてもいいです。

しかし、やってはいけないのは特定のキャラに妄執してしまうことです。
周りが見えなくなってしまうような愛の注ぎ方はやめましょう。
中級者でも何年も同じ作品を書いている人にわりと多いんですよ。
全体の調和――それが作者としては大事なのです。

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ついにヘルピット完成

久しぶりにライトノベルとは一切無関係の趣味ウォーハンマー関連の記事です。

ようやくというかベース色を塗ったまま放置状態だったミニチュアをなんとか仕上げました。
だいたい数日かければ、素人でもこのくらいはできるという作例として掲載誌ときます。

ヘルピット・アボミネイション

こいつはネズミ人間の種族「スケイブン」の改造実験モンスター「ヘルピット・アボミネイション」です。
ウォーハンマー・ファンタジーバトルは異世界ファンタジー世界のミニチュアなので
基本的にはドラゴンとかグリフォンといった定番モンスターのミニチュアが多いわけですが
これはオリジナリティあふれる奇怪な造形でして、ネズミの頭が10個、肢も大小10脚
さらに部分的には機械化され、下半身には車輪までついています。

ペイントは生体実験による産物ということで、スキニーマウスみたいにピンクっぽくしつつ
壊死しかけの紫がかった皮膚に血管を血走らせ、さらに獰猛なモンスターということで
憐れな敵の返り血を全身に浴びて血まみれといったイメージで仕上げてみました。

これで練習を兼ねて作っていたスケイブンのモデルは、すべて完了となります。
よほどのことがないかぎりは、新しく作ることはないでしょう。
ネズミ部隊は数で勝負のアーミーなので、もうちまちまたくさん作るのは勘弁……
それでもゲーム的にはギリギリで1000ポイント分の部隊まで編成できると思われます。
滅多にゲームをすることはないでしょうが。

これからはヴァンパイア勢力のスケルトンやらゾンビを作っていこうかなと思っていますが
どうも一度集中して作成すると、その後の2ヶ月ほどは飽きて放置してしまうので
完成するのはいつになることやら……
一応、血まみれのグール(屍食鬼)60体はペイントが終わっていて土台の仕上げを残すのみなんですが
その前に屍体の山をゾンビが牽く荷車コープス・カートのほうを先に作りたいなと。

気長にやっていきたいなと思いますが、どうも日本ではイマイチやってる人は少ないので
今あるミニチュアのすべてが完成する頃には日本展開が撤退してるかもしれませんけどね。
これからはじめようという奇特な趣味人が増えるといいんですけどね。

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現代小説の文体わかってますか?

先週、テレビ番組で日本文学史上、最初に「~である。」という表現を使ったのは尾崎紅葉とのことでした。
日本初にして世界初の小説といえば千年前に書かれた紫式部の『源氏物語』であり、
近代小説の先駆者といえば『小説神髄』『当世書生気質』の坪内逍遥というのは有名な話ですが
寛一お宮で有名な『金色夜叉』の尾崎紅葉が今も使われる「である調」の提唱者とは知りませんでした。

坪内逍遥以前の物語作品といえば、江戸時代の「戯作」でした。
弥次さん喜多さんでおなじみの十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や
今もなおモチーフによく使われる滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』なんかが有名ですが
この時代の作品は、文語体で書かれたもので、口語体ではなかったんですね。
そこで言文一致を提唱したのが、坪内逍遥であり、彼は落語や講談を参考に作品を書くのですが
やや軽佻浮薄であると批判されてしまい、『浮雲』の二葉亭四迷がようやく成果をだすのですが
そんな過渡期の明治にあって発明された文体のひとつが「である調」だったわけです。

おもしろいことに現代に至るまで小説の方向性を決定づけた文豪、夏目漱石のデビュー作は
そのまんま『吾輩は猫である』と「である調」がそのままタイトルになっているんですよね。
それだけ「である調」というのは画期的な言い回しだったというわけです。

さて、ずいぶんと前置きが長くなってきましたが、あなたは自分の文体を意識して書いていますか?
こうして今、簡単に小説の文体の歴史を書いてみましたが、それだけでも先人の努力があってこそ
ライトノベルといえども、そのスタイルが確立しているということを忘れないでください。

そして小説の文体というものを考えて書きたいならば、夏目漱石は必ず読んでおきましょう。
しかしもっとも有名な『吾輩は猫である』は、まだ慣れていない最初期の作品のため
できれば、それ以外の作品が好ましいですね。『こころ』『三四郎』あたりがおすすめです。
以前にも書きましたが、特に『三四郎』はライトノベルの始祖ともいうべきストーリーなので
ライトノベル作家志望なら一読どころか何度も繰り返し読んでほしいところですね。

そして夏目漱石の作品で感じてほしいのは、100年以上前に書かれた作品であり
小説というジャンルが誕生して間もない頃の作品だというのに、ほとんど今の小説と変わりません。
時代的に文化風俗にちがいから聞き慣れない単語がいくつか散見するかもしれませんが
文体としては、まったくといっていいほど違和感がなく、しかも完成されています。

現代小説は、いわば夏目漱石の文体をお手本にしてきたといってもいいくらいなので
漱石の文体と現代小説の文体にちがいがないのは当たり前かもしれませんが
それでも今も遜色なく通用する完成度を確立しているのは驚愕すべきことだと思います。

あなたは先人の知恵を活用しつつ自分なりの小説を書いていますか?
それとも独学だけで文豪たちが築いてきた遺産を超えられると本気で信じていますか?

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どうでもいいことが輝くとき

他人にとって「どうでもいいこと」はネタの宝庫です。
なぜならライバルも注目していないわけですから、作品に特色がでてくるんですね。

しかしカン違いしやすいのは、以下のまちがいを犯していることに気付かないことです。
作者にとってもどうでもいいことを作品に書こうとしてしまったり
作者がネタを活かしきれず退屈なものにしてしまったりするというミスです。

他人にとってどうでもいいと思えることを、切り口を変えておもしろく見せるには
作者の感性とスキルが必要になってくることを忘れてはいけません。
いわば宝石の原石と同じです。
職人の手によってカットされ、磨きあげてこそ価値があるわけで
ダイアモンドでさえ原石のままだったら、そこらの小石と大差ないし
それなら安いガラス玉のほうがよほどきれいですよね。

あなたはネタの素材を磨くための努力を普段からしていますか?
たいして内容のない雑談で人を笑わせたり、魅了したりできる人は、その素養があります。
もしも雑談だとイマイチ盛りあがらないという人は、スキルがまだ不十分なことが多いですね。
たしかに会話は苦手でも文章では巧いという人もいますが、私の経験上では稀です。
やっぱり売れている作家さんは話をしても凄くおもしろい人ばかりですね。

会話というのは文章とちがい相手の反応がダイレクトに返ってきてフィードバックしやすいので
感性やスキルを磨くという意味では、いい練習になりますので、積極的に練習してみてくださいね。

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芥川直木賞から本屋大賞へ

今回の芥川賞、直木賞の受賞者は実力や作品内容とはべつに話題性に乏しいなと思いました。
近年に限らずこの傾向は長いこと続いていて、女子高生だった綿矢りさが受賞して以来
なかなか世間的に凄い評判になるってことはなくなってきたのが残念なところです。

たいてい今の直木賞、芥川賞で注目されるのは、美人かどうかくらいですからね。
男性作家は負け組ニートで一過性の話題になったのが最近あったくらいで
哀しいことにかつてのような大人気流行作家へと押しあげる起爆剤とはならないようです。

もっともブームを巻き起こしたのは石原慎太郎のときはすごかったらしいですね。
後に大人気俳優となる弟である石原裕次郎の遊び仲間から聞いたという話を題材にして
大学の同人誌の穴埋め原稿として2日間で書かれた『太陽の季節』が芥川賞を受賞し、
主人公の青年が彼女の前で障子をチ○ポで突き破ってみせるという過激な描写もあり
さらに一橋大学の現役大学生という最年少の受賞者にして二枚目ということで
ちまたの青年はみんな石原慎太郎の髪型を真似た「慎太郎カット」にして
「太陽族」を名乗っては湘南をはじめとする夏の海へと繰り出したものらしいですよ。
兄慎太郎のごり押しで弟裕次郎を端役ながら『太陽の季節』の映画に出演させ
その後の慎太郎原作映画『狂った果実』では主演となり国民的ヒーローにまで仕立てたくらいですからね。

しかし現在の直木・芥川賞受賞作品にも受賞者にもそんなブームは起こせそうにもありません。
あれだけ革新的だった作品で戦列デビューを飾った石原都知事が両賞の選考員であり
しかももっとも保守的な評価をくだしているというのもおもしろいにはおもしろいんですけどね。
ちなみに受賞作『太陽の季節』は時代性と先取りしたことで高い評価と人気を獲得したものなので
いま読みかえしてみると、おそろしくつまらないというのも皮肉なものです。

そんな凋落しつつある直木・芥川賞に対して、勢いがあるのは本屋大賞ですよね。
この本屋大賞をとれば、まずベストセラーは確実となっているのが現在の風潮です。
ノミネートされただけでも、たいていドラマ化、映画化されてしまうくらいですからね。
まあ、ある程度、売れていないとノミネートされにくいという面もありますけど。

選考委員は現役書店員ということで、老害化しやすい文壇の重鎮が評価する賞よりも
「いまの空気感」といったものや「流行の兆し」なんかに敏感なところが
読者の目線に近いために、受賞作品が読者に受けいれられやすい理由なんでしょうか。

なんにしても各文学賞には結果的に読者が喜ぶ作品を選出してほしいものですね。
と他人事のように書いてみました。

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