L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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ライトノベル創作教室ラノベりあん 中二病でも書けるライトノベル教室♪

小説の楽しい書き方講座ブログ 毎週開催の創作塾と連動中!

同じ過ちを繰り返していませんか?

創作指導をしているうえで、もっとも困ってしまうのが何度も同じことを指導しないといけないことです。

慣用表現に「二の轍(てつ)を踏む」とありますが、それこそ自分が作ったまちがった轍(わだち)を
何度もたどってしまうようなことをしてしまうんですね。
そうして、いっこうに成長が足踏み状態になってしまうわけです。

どうして、こういうことになるかというと、非常に単純な話なんですね。
それは自分がどうしてミスをおかしているのか理解できていないからです。
なにがまちがっているのかわからないから同じミスを繰り返す、ただそれだけのことです。

ですからまちがいやミスは自分なりによく考えて咀嚼するようにしましょう。
それ以前にどこがまちがっているポイントかを認識するために他の人の意見も聞いてみてください。
ただし何度もいうようですが、ある程度の実力(3次選考通過以上)の人にお願いしてください。
それ以外の素人さんでは「おもしろい」「つまらない」の判断はできても、
どこがどうおもしろいのか、つまらないのかまでは的確にポイントを指摘できません!

私としても毎月オフ会を開いて創作指導しているのは、そういう目的があってのことです。
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嗚呼、スロットカー始動!

やっぱり買ってしまいました、スロットカー!

しかも車輌2台だけでなくホームコース付きで……結構な買い物になりましたね。
でも、ちょっと走らせてみたんですが、やっぱりおもしろいぞ!
ホームコースはビギナー向けの全長7メートルなのでスロットル全開で疾走させることはできないのですが
コントローラーによるアクセルワークでドリフトさせながらコーナーを走らせるのは楽しいですね。
営業サーキットだと30メートル規模が多いようなんですが、さすがにご家庭にはなかなか置けません。
ただ各種道路パーツを買いたすと、もっとテクニカルなコースとして拡張できそうです。
他にもコースと一体化したラップタイム計測器とかジャンプ台なんていうのもありました。

ただコースアウトしやすいというか、コースアウトが前提の遊びなので、車輌が傷みやすいです。
相次ぐ転倒で1時間もしないうちにバックミラーがはずれかかったので強引にはずしてしまいました。
バックミラーを付けるのはディスプレー時のみで走行時は基本なしでいきます。

スロットカーのメリットはコントロールができるのでミニ四駆よりも遊びとして単純にたのしいです。
デメリットは競争させるには、やっぱりコースによって有利不利が出てしまうことですかね。
どうしてもレールの上を走るわけなので、コーナーを回るにもインコースとアウトコースで差がでます。
私のホームコースだと8の字なので距離の差はないのですが、ストレートからインの急カーブに入るレーンと
ストレートからアウトの緩いカーブに入るレーンとでは直線で出せる速度に差がでてしまうようです。
急カーブのほうがドリフトできてたのしいんですがラップタイムはちょっと遅いかも。
基本的に両方のレーンを走って、その平均値を計測するとかいった感じでレースになるんでしょうね。

ホームコースは短いながらも営業コースとはちがって時間を気にしないでいいからじっくり練習できます。
ホームコースで基本操作をマスターしてから営業コースに走らせてみたいですね。
特に羽田空港内に50メートル級のサーキットがあるので、そこでフルスロットルで飛ばしてみたいです!

はっきりいって今やドマイナーとなったホビーではありますが、やっぱり大人のミニ四駆ですよね!
昔を懐かしんでミニ四駆を始めるよりも、趣味の遊びとしてはたのしいと思いますよ。
ただ大会で勝ちたいとか勝利そのものが目的なら大会数の多いミニ四駆のほうがいいんでしょうね。

時代考証はそこそこやろう

韓国時代劇(韓流ドラマ)を見ることがあるのですが、毎度のことながら
その時代考証の適当さと破天荒さには驚かせられます。

戦国大名の御膳にはデザートのプリンが並んでいたし、足軽の鎧は見たからにビニール製……。
石油化学製品を作れる秀吉時代の日本の科学力は世界一だったのかもしれません。

今日見た韓国時代劇(朝鮮王朝時代)では、祭壇にクリスマスでおなじみのポインセチアが飾られてましたw
ポインセチアはメキシコを中心とする中央アメリカ原産で日本への渡来は明治になってからなんですが
朝鮮王朝ではいち早く伝来して、しかも祭壇に飾るほどメジャーな花になっていたんでしょうか?
おそらく時代考証とか考えておらず、牡丹の代わりなのか赤い花を飾ろうと思っただけのような気がしますけどね。

それと朝鮮王朝時代なのに鞍とか鐙とか馬具が全て現代馬術用のブリティッシュスタイルなんですよ。
きっと英国馬術の起源は朝鮮だという主張の上の演出かもしれませんが、実際は蒙古式馬具だったのでは?
乗馬をやっている人が見れば一目でわかると思うんですけどね。
日本だと暴れん坊将軍がカウボーイのウエスタン鞍に乗っていたら、違和感に気づかない人はいないと思います。
このあたりのケンチャナヨ精神は細かいことを気にする日本人には理解できないなぁと。

そういうわけで、特定の知識を知らない人なら、べつに気づくことなくスルーしてしまうんでしょうが
あえて演出効果を狙ったわけではなく、時代考証とかSF考証なんかをなおざりにしておくのは問題です。
小説作品も誰が読んでいるかわかりませんので、中高生向けのライトノベルとはいえ
ちゃんとしておいたほうがいいでしょう。ラノベ読者には細かいことを気にするオタクも多いことですしw

ちなみにさっき「なおざり」という言葉を使いましたが、「なおざり」と「おざなり」の区別はできてますか?
混同しやすい言葉なんで、しっかり概念を理解して区別しましょう。
わからない人は辞書をひくか、ネットで検索してみてください。

女アイドル好きな男はゲイだ!【米国の反応】

アメリカでは、男の子が女子のアイドルのファンだというと、ゲイだと疑われやすいそうです。
たしかに日本でも女の子のアイドルが大好きなゲイやニューハーフは非常に多いですからね。

でも日本人からしたら、なんで女の子が好きなのに「ゲイあつかいされるんだよ!」と
どういう理屈なのか、まったくわからないという人も多いでしょう。
でもアメリカ人にとっては理由はシンプルなんですね。

アイドルなんてものは男でも女でも、そのファンをやってるのは女々しいやつってあつかいなんですよ。
実際にアイドル(男女とも)のファンというのは、若い女子が圧倒的で男子というのは少数派なんです。
男がアイドルに熱をあげるなんて男らしくないから「ゲイ」ってことになるわけです。

いくら女の子が好きだといってもアイドルを恋愛(性的)対象として見るのは異常者あつかいなんですよ。
正常な男子ならリアルな女子(クラスメイトなど)を恋愛対象とすべきというのが大前提なんですね。
だから海外ドラマや映画を見てもアイドルやセレブのファンだという女子はよく登場してきますが
アイドル好きの男子というのは、ほとんど出てこないんですね。
だったらプレイボーイ誌のピンナップガールはどうなんだという批判もあるかもしれませんが
あれはポルノの一種であって恋愛対象とはまったく異なるものとして認知されているのでしょう。

そういえば、ラノベの主人公少年もアイドルに興味あるという設定は非常に少ないですよね。
物語の進行の関係もあってクラスメイトなどに想いを寄せている場合がほとんどです。
でもラノベ読者はというとアイドルと同様の2次元キャラ好きが多いので
いわばねじれ現象になってるのは、とても興味深いですよね。

アメリカンな感性のラノベ主人公とジャパニーズな感性のラノベ読者の対比を考えてみるのも一興でしょう。

データ世代とマテリアル世代の差

最近の若い人たちはデータ世代なんだと思うわけです。
物心ついた頃からあるコンピューターゲーム、そして最近の携帯ゲームも
ゲーム機本体やCDなど物質的なものを介在していますが、
ゲーム本体はデジタルなデータによって構成されているんですよね。
TCGであってもカードという物質を伴っていますが、やはり本質はデータです。
ほとんど最近のホビーやエンタメコンテンツって実体が希薄なんですよ。

それ以前、つまりファミコン以前のホビーはというと電子的なものはなかったので
プラモデルとかラジコンとか、そういうものが子供たちの趣味の王道でした。
よくわからない人は単行本『ドラえもん』のスネ夫のオモチャを参考にしてください。
たいていスネ夫が自慢しているのは、ラジコンかプラモデルですからw

そんなわけで今の若い人とちょっと前の人とは感性がちょっと違うんだなと思うのです。
データ世代の人は自分のオモチャを修理することはまずないですよね。
現在の電子玩具の場合、修理しようと思っても大人でさえできないでしょう。
でも昔のオモチャはたいてい修理しようと思えばどうにかなったものです。
壊れた部品を接着剤でつないだり、接触不良を半田ごてで接続し直したりと
子供や素人でもどうにかなるレベルだったんですね。
しかも粗悪品が多いので壊れやすい……。
プラモデルなんていうのは、そもそもパーツのみの半完成品ですし。

昔のマテリアル世代に子供時代を過ごしてきた人は、
できないなりに自分なりの工夫しようとしたり、改造しようとしたりして
何度も失敗して挫折を経験してきているわけですが
デジタル世代はというとネットで情報も入手しやすいこともあるし
プログラムされたこと以上のことは処理できないようになっているわけですから
攻略法など、いかにメーカーの思惑に沿った遊び方を目指すようになっています。

かつてメンコは何枚も重ねて糊づけしたり蝋を塗ったりとアホな独自改造をしていましたが
今のTCGはカードが痛まない工夫はすれど、カードの能力はルールで決められているので
自分でどうにかするってことは推奨されないし不可能なわけです。
それでもプラモメーカー発のミニ四駆なんかは独自改造の余地を残していますけど
ホビーのメインストリームかというと、そういうわけでもなくて
意外と子供よりも大人に人気なんですよね。

これは、あくまでも私の主観ではありますが、小説の書き方を教えていると
若い世代ほど自分なりに何かを創意工夫するという感覚には乏しいようで
新しく作るというよりも、こういうジャンルの話にしたいからということで
従来作品を参考に最適化して当てはめてゆくように考える傾向が強いようです。
よって全体として整合性のとれた物語を作れるのですが、どうしても斬新さとか
インパクトといったものを出しにくい世代なのかなと全体的に感じています。
そういう中で新規性やインパクトのある作品を出せる人が頭角をあらわすんですよね。

「伸びしろ」のある人、ない人

小説創作において、今後の成長が期待できるかどうかについて考えたとき
教える側として「ああ、これは伸びるな」と思う人というのはどういうタイプだかわかりますか?

まずは理解力ですね。
一を聞いて十を知るタイプは放っておいても勝手に伸びてくれます。
十でなくても、一を聞いて二でも三でも知ってくれたらいいですね。
大半の人はというと、十を聞いて二ないし三を知るくらいなんですよ。
この理解力は学校の勉強と同じ要領です。

つぎに行動力でしょうね、やっぱり。
そもそも小説を書き上げるというのは大変な労力ですし、行動できる人は強いです。
さらに行動派の人は体験や経験に基づく知識も豊富ですし、なにより好奇心も旺盛です。
これほど創作に向くタイプはいません。
内にこもっているよりも外にでるタイプのほうがおもしろいことが書けるわけです。
逆に脳内に深く潜って思索できるという人もまた、ある意味で行動派でしょう。
精神を旅するには相当の実力あるいはセンスがないと難しいので、あまりおすすめはしません。
特にライトノベルのようなエンタメ作品においては、内向きに進むより、外に向かって進むほうが向いています。

このブログを読んでいる作家を志している人は以上の2つのファクターを持っていますでしょうか?
理解力は天性ものものであることが多いので、自身のない人は行動力を鍛えてみてください。
知らない場所に飛びこんでみるとか、より多くの人と会ってみるとか、そんなことから始めてみましょう。
間接的知識のみよりも、ずっと活き活きとしたストーリーやキャラを生みだせるようになりますよ!

イギリス料理はなぜマズいのか?

案の定、ロンドン五輪での選手村食堂の味の評判はいまひとつのようですね。
英国料理のマズさというのは「世界中に英国料理店を見かけない」という理由で有名ですよね。
名物といえばフィッシュ・アンド・チップスくらい……お酒は美味しいと評判のものが多いんですけどね。

もともとがヴァイキングの打ちたてた国家ということで基本が粗食です。
フランスはイタリア生まれの王妃カトリーヌ・ド・メディチによってイタリア料理が持ちこまれ
テーブルの窪みに直にスープを入れ、短剣と手づかみで食べていた従来のフランス料理を
陶磁器の皿と銀製のナイフとフォークで食べる文化へと洗練させて、ルイ14世の頃に開花するわけですが
イギリスはというと、そういう契機が歴史的になかったのが禍しました。
北米のみで南米の植民地もなかったので、間違いのないトマト料理も発展しませんでしたし……
唯一、飢饉に強いジャガイモ料理がメジャーになった程度なわけです。

でも粗食だから彼らの現在の料理がマズいかという理由にはなりません。
素朴な料理だって素材の味を引きだせば、おいしい料理になるわけですから。
ところが、そうならない理由があるのです。
まずイギリス人には「下処理」「臭み消し」といった概念がほとんどありません。
というか、どうやらイギリス人は食材の臭みというのが、あまり感じない文化のようなのです。
生まれたときから食べていれば、そういうものなのかもしれませんが外国人には堪えられません。

イギリス以外では生臭いもの、ちょっと鮮度の悪い食材について、たっぷりの香辛料や濃いソースで味つけして
いい意味で味をごまかすことで料理というのが発展してきた側面もあるわけですよ。
なんせ、かつては黄金と同じ値段で胡椒が取引されたのも、うまい料理が食べたいがゆえのことですから。
ところが香辛料をほとんど使わないというか、調味料というと伝統的には塩と酢しか使わないのが英国料理です。
しかもブラジル料理のように強い塩加減というわけでもなく、やたら薄味なんですね。

つまり食材の持つ臭みそのままに薄い塩味だけという英国伝統料理が美味しいわけがないのです。
特に魚の鮮度にこだわるし、肉の獣臭さが苦手な日本人には天敵のような料理なんですね。
よって食べられるものというとフィッシュ・アンド・チップスかマッシュポテトしかなくなるわけです。

ところ変われば料理も味も変わるというわけで、ファンタジー小説を書く人は
料理についてもこだわってみると、意外な切り口になってくれるかもしれませんよ。

コミケの季節に思う

今年のコミケは猥褻な紙袋を公然と持ち歩くことの是非が話題となっていましたね。
私はというと特に薄い本には興味がないし、暑いのは苦手なので参加はしませんでした。

ただ思うことがあるんですよね。
今回のエロ袋といい、コミケで売られている同人誌のほとんどはエロ本のたぐいになるわけです。
べつにどんな本を買おうと趣味の問題だとは思うので構わないと思うわけですが
二次元キャラ好きの人の中には「リアルな女に興味はない」みたいなことを放言する人が多いんですよね。
これってどうなんだろうなと思うわけです。

たしかに鉄道オタクだとかミリタリーオタクのたぐいであれば
女の子より電車や戦車のほうが好きだから女には興味ないっていう理屈は通ると思いますけど
美少女キャラが好きだからリアルな女には興味ないっていうのは矛盾してるよなと思うんですよ。
「とどのつまり女の子が好きなんだろ!」と突っこみたくなるんですよね。
まあ、当人としては二次元と三次元とは別物って感覚なんでしょうけどね……。

二次元にしろ三次元にしろ女性への性的欲求へ極度に嗜好しているということに代わりはないと思いません?
性的な嗜好があるからこそコミケではアニメキャラのエロ同人誌が最もよく売れるわけですから。
ですから萌えアニメ好きというとだけで「私の趣味は性行為で、しかも相手はいません」みたいな感じで
誤解されやすくなってしまうがために、なかなか世間でも社会的なステータスがあがらないんでしょう。

その点、意外と女性は二次元キャラの美少年が好きだけど彼氏とは別物って感じで両立してる人が多いですよね。
しかし男性はリアルにモテると、もう二次元キャラを卒業してしまうことが多いんですよ。
二次元キャラは男性の性的嗜好においてリアルの代替となってしまっている傾向が強いようです。

だからこそ美少女キャラが好き、萌えアニメが好きって人は
もう開き直って「リアルの女の子も大好き!」と公言してはばからず、実践してゆくといいと思います。
たしかに失敗することも多いし、どうしても成功しない人も一定の割合で(たぶん2割前後)いますよ。
でも失敗をフィードバックして研鑽していけば、やがて成功率も高まっていきます。
今より幸せに美少女キャラとかわいい彼女に囲まれて暮らすオタ充生活も夢ではなくなるでしょう。
ただし男の場合、かわいい彼女と同様に美少女キャラに入れこみ続けられるかは疑問ですがw

そろそろオタクを分類すべきときかもしれない(1)

日本総オタク化といってもいいくらい、オタクはメジャーな分類になってきました。
しかし、そうすると一口に「オタク」でくくるには幅が広すぎて言葉の意味をなさなくなってきています。
そろそろ私たちはオタクを分類する別の定義を見いださないといけないのかもしれません。

その意味でも黎明期からのオタクからひもといて考察していきますと
第一世代のオタクは(そもそもオタクという名前さえなかった頃では)全員クリエイターであり研究者でした。
なぜなら先駆者がいないのですから自分で開拓するしかなかったんですね。
同人誌というのは自分たちの手で発行するものであり、フィギュアも自分で自作するもの、
各種データも自分が調査する(ビデオがないから本放送を本番一発で完璧に記憶する)なりして
まとめてゆくというのが基本だったわけですよ。
そこから発展してオタクグッズを製作したり販売したりイベントを企画したりする会社を
設立してゆく人たちもどんどん輩出されていって、今ではかなり有名な企業も出てきているわけです。

そういったオタクビジネスの基盤が整った後に当然のごとく登場したのがコンシューマーとしてのオタクです。
彼らは特に自分で何かを作ったり研究したりはせず、誰かが作ったものを購入したり
誰かがまとめた本の内容を読んで覚えるといったことが中心となる層ですね。
創造的な第一世代というのは、なにかしたの才能がなければなれないエリート層だったわけですが
第二世代になると、特に才能がなくてもアニメやSFが好きというだけで誰でもなれるオタクが量産され
オタクと呼ばれる人々の裾野を大きく拡げていったわけです。

現在もまた同様の傾向があり、創造的なオタクは一部の少数にとどまっていて
オタクの大多数は消費中心のオタクで構成され、彼らこそがオタク業界を資金面で支える構図となっています。
ということで、そもそもの出自が違うし、その性質も大きく異なります。
よって「創造的」「情報発信型」なオタクと「消費者的」なオタクを言葉として区別していったほうが
概念として誤解されることがないと思うわけです。
だからといって私がここで今から創造的なオタクは「XXXX」と呼びましょうとは提案しませんけどね。

そしてオタクに関わる問題として、もうひとつ重要なファクターがあるのですが、これはまた次回に。

映画の王者はナード『桐島、部活やめるってよ』

青春群像小説『桐島、部活やめるってよ』が映画化されて公開中ですね。
映画は観ていないのですが原作小説のほうは一読しています。

でも、どうも映画と原作はだいぶ違うストーリーのようです。
映画版は神木隆之介演じる映画部員が主人公として全面的に出演するような構成のようですが
原作でのあつかいは、ちょっとした1エピソードにすぎないんですよね。
そもそも原作の登場人物達は学校一の人気者(スクールカーストでいうジョックス)である桐島が
部活をやめたという騒動に校内の生徒がどういう思いをいだいたり行動したりするかを描いているわけですから
基本的に主な登場人物はスクールカースト上位の生徒たちです。
作品でも語られるように「コンドームの値段が高いことに悩む男子生徒」なわけですよ。
つまり「リア充」ってやつです。

で、オタクの映画部員は、その桐島とは最も遠い位置にいるスクールカースト下位のナードですから
作中では桐島ショックが大波ではなく細波ながらも、しっかりと影響しているという描き方なんですよね。
1エピソードの主人公ではあっても、とても全編通しての主人公とはいえない感じなわけです。

でも、やっぱりというか当然というか、ジョックスはこの手の小説も読まないし映画も観ないんですよねw
小説を読んだり邦画を観たりする層というのは洋の東西を問わずナードが中心なんです。
よって主人公に共感する層は常にナードですから、主人公もナードでないといけないわけです。
そして作り手の作家やスタッフもまたナード出身が圧倒的に多い。
というわけでフィクションの世界ではナードが主役になることが圧倒的に多くなっていくんですね。

ですから今回の『桐島、部活~』もまたナード視点かつナードを
主人公に仕立てたストーリーに脚本が改変されたんでしょうね。
それでも映画は原作のテイストを損なっていないということなので
興味がある人は見比べてみるといいと思いますよ。
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