L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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ライトノベル創作教室ラノベりあん 中二病でも書けるライトノベル教室♪

小説の楽しい書き方講座ブログ 毎週開催の創作塾と連動中!

文章のクセを伸ばそう

経験上、初級者同士で作品講評をすると、どうしても文章についての言及が多くなるんですね。
状況として原稿全部ではなく一部抜粋なので、しかたない面もありますが、それでも多いですし
流れとして、そっちの方向に話題が引きずられてしまうようなんですね。

理由としてはストーリーやキャラの良し悪しなどは、見極めが難しいので、
比較的わかりやすい文章について話あってしまうのも無理もないことです。
でも、それではスキルアップにはあまりつながらないのもまた事実です。

私見ではありますが、文章は二の次でいいと思います。
美文麗文を書けるからといって、おもしろかったり感動できたりする作品が書けるわけではなく
大事なのは中身なので、文法ミスとか読みやすさとかいった最低限のレベルをクリアしていれば
それほど気にすることはないといってもいいでしょう。

もちろん巧い文章にこしたことはありません。
ただし巧すぎると、すらすら読めてしまって、かえって眠くなったりとか、頭に内容が入っていかないとか
そういう弊害なんかもあるので、少しはクセのある悪文のほうがよい場合も多々あります。

書道だって習字みたいに活字みたいなお手本の字を書く人が評価されるわけではなくて
個性的でいて表現豊かな人のほうが評価されるわけです。
絵画も実物と寸分たがわない模写ができることが評価されるわけではないです。
文学という芸術においても同じだと思って自由に伸び伸びとやってください。

とはいえ「そうか、自由に伸び伸びやればいいんだ」なんて、すぐに思ってしまう人は
たいてい基礎力が身についてないので、文章の基礎を学んだほうがいいですよ。
逆に「いやいや、私はどうも文章が下手で我慢ならないんだよ」と思ってしまう人にこそ
そういう表現の自由な拡がりを感じてほしいと思っています。
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今週末はライトベルゼミ

毎月のことですが、今週の8日(土曜日)13:30よりライトノベルゼミを開催します。

最近のオフ会は参加者の持参した原稿やプロットの添削を中心にアドバイスしてゆく方式となっています。
実際に投稿してしまう前に、できるなら執筆前に自分の欠点や見落としをなくすことで
より有利なかたちで新人賞を狙っていこうという主旨となっています。

これまでにオフ参加者の中から商業的に4人が作家デビューしていますから
参加者の意識が高いこともありますが、独学で執筆するより効果的で効率的な指導だと自負しています。

何年も指導してきた経験で、作家デビューできる人とできない人の差のどこがちがうのかと考えると
基本的には「熱意」だと思うんですよね。
熱意があるからこそオフ会にも、ほぼ皆勤賞で参加してくれていますし、真剣に講義やアドバイスも聴いてくれます。
そして、なによりも聞きっぱなしで終わらせずに、ちゃんと自宅でフィードバックしていることですね。
学校の勉強でもそうですが授業を聞いてるだけでテストでいい点がとれるなら苦労はしません。
聞いてるだけでいいなら大半の人が満点に近い点をとれてしまうでしょう。でも現実は……
創作活動も一緒で基礎やスキルを教えてもらういっぽうでは身につきません。

あなたのできる範囲で努力を継続してください。

邪悪なるシンボルについて

最近、ウォーハンマーのミニチュアを作っていて、改めて思ったことなんですが
欧米人っていうのは日本人が感じる以上に、甲殻類とか軟体類、つまりエビやカニ、タコ、イカについて
嫌悪感を抱いているんだなということが伝わってくるんですよね。

ウォーハンマーは英国製なんですが悪魔のシンボルとしてカニのツメが多用されてるんですよね。
クトゥルー神話だとタコ頭のクトゥルーだとかサカナ顔のインスマス市民(古きものども)とか
もう邪悪なシンボルといえばシーフード三昧なわけですよね。
欧米といっても、これは魚介類を常食しないアングロサクソン系特有なのかもしれませんが。

あと悪魔のシンボルとしてよく用いられる動物にはヤギがいます。
ヒツジは善のシンボルなのにヤギは悪のシンボルというのもおかしいとは思いますが
ヤギ頭に人身の悪魔バフォメットの絵は有名ですよね。
(ちなみにバフォメットはイスラム教の開祖マホメットを揶揄した名称の悪魔です)

あとは西洋のドラゴンは悪魔の化身だけど、東洋の龍は皇帝の象徴ですからね。
ところ変われば、イメージもシンボルも変わるというものです。

でも振り返ってみると日本では、こういうキリスト教みたいな邪悪なシンボルって存在しないんですよね。
妖怪はどうにもコミカルで邪悪って感じがまったくしないんですよね。
今昔物語には「鬼」の登場する話しがいつくつあるわけですが
現代日本人のイメージする角を生やして虎のパンツをはいた固定的な姿というのはなくて
ただの板だったり壺だったりするんですよね。しかもそういう器物が容赦なく人を殺すんですよw
それに器物が年経て付喪神になるという話もありますしね。

日本人は八百万の神々を祀っているせいか、特定の動植物に対して正邪を分けることはしないようです。
そもそも善と悪を二元化するのはキリスト教的ではありますけど。
それはともかく日本人は自然物よりも人工物に対して悪を見ているのかもしれませんね。

あなたにとっての聖なるシンボル、邪悪なるシンボル、それ以外にいろいろな意味を持つシンボルはありますか?
それは多くの人(つまり未来の読者)と共有できるものでしょうか?
シンボルは言外にイメージを伝える有効な手段です。小説に活用すると表現の幅が広がりますよ。
ただし異文化圏の外国人には伝わらないかもしれませんけど、かえってそういうのが好まれたりするんですよねw

第1回ちゅうかなパチパチ体験

あのパチモンサミットの後継企画『ちゅうかなパチパチ』に参加してきました。

サブタイトルは「中国などで氾濫しているいつかどこかでみたようなキャラクター玩具の祭典!」ということで
パチモンワールドは昭和の国産パチモンから大陸のパチモンへと活躍の場を移したのでした。
ということで中華パチモンとはどういうものかとうと、知らない人のために写真をチラリ。

ちゅうかなパチパチ

今回展示されていた中華パチモンを見れば、知らない人でもだいたいわかってもらえるかと思います。
日本の有名なロボットとか世界的に有名な動物キャラなどを著作権無視でパチった玩具たち……
いくつかの製品を見るだけで、そのカオスな雰囲気はわかっていただけるのではないかと思います。
著作権を無視しているからこそ、どうしてそうなるのかといった組み合わせやデザインも多くて魅力的ですよね♪

そしてパチモンサミット同様に今回もおみやげソフビがありました。その名も「ちゅうかなゾウさん」です!
しかも正面のタイコ部分には「ちゅうかなパチパチ」と刻印されているオリジナルグッズですよ。
ぱっと見は鼻といい手といい、なんともいかがわしい表情のゾウのソフビ人形でしかないわけですが
ちょっと後ろを見ると、あれっと思いませんか? そう、ゾウさんの耳のところですよ。
なんとなく見覚えのあるデザインの一部が……

ちゅうかなゾウさん前
ちゅうかなゾウさん後

そうです! 元ネタは知っている人は知っているトラウマ玩具「ハッピードラマーキャット」なのでしたw



とはいえ、そんなに似てないのがパチモンクオリティだったりもします。
それにしても、このドラ○もんと思いきやゾウさんのおもちゃこそが
中華パチモンブームの火付け役だったんですよ~!
初出はなんとテレビ番組『ガイアの夜明け』だったりと、裏話もいろいろ聞けました。
この玩具を知っている人は『トリビアの泉』で放送されたのを観た人が多いんじゃないでしょうか?

そんな密かなブームの中華玩具なのですが、実質5人によってまわっている非常に狭い世界。
今回は、そのうち3人がトークゲストとして登壇、1人が来場ということで
日本の中華玩具界リーダーの80%が集結したのが、ちゅうかなパチパチなのでしたwwww

しかも、狭い世界ながらも、各人それぞれジャンルが住み分けされていまして
インチキ番長さんさんは主に偽トランスフォーマーなどの変形ロボット玩具を
スギやんさんはガンプラならぬ「贋プラ」などプラモデルを
そしてセタ~ンさん(ダイナックコグマ)は上のドラマーキャットみたいな電動玩具(トラウマ玩具)と
得意分野がわかれているところがまた面白いですよね。

今回のトークでは、それぞれどうしてパチモン世界へと誘われたのかという話がありまして
ダイナミックコグマのセタ~ンさんは、本当にダイナミックダイクマ勤務だったという衝撃の事実を知ったり
最初は韓国、そして香港、上海、さらには大陸奥地へとパチモンを発見しに行ってることなど興味深かったですね。
違法すれすれ?な中華玩具を持って税関をくぐりぬける攻防については笑わせてもらいましたし。
ちなみに、いきつけの問屋のお嬢さんロンロンさんは美人で日本留学希望とか貴重な情報もありましたよ。

後半は「トーマス系パチモン進化論」や「中華SDガンダムの元ネタ探し」などのスライドショーから
「機関人トーマス解体ショー」(画像上の右端のやつ)といった実演と、本当にためになりました。
機関人トーマスの中からパチLEGOブロック状のパーツが発見されたのは歴史的大発見でした!

そして最後はおなじみの大抽選会です!
今回はプレゼントの数がちょっと少なめだったということもあり、
ドリンクやフードをたくさん注文して、かなり抽選券を手に入れたんですが
私が当選したのは、ゾウさんの写真にも写っている、青い爆発光をあしらった台座だけでした。
もちろんゾウさんの台座ではなく、贋プラ(1/144)のディスプレー台座なんですけどね。
トーマスなど3体の機関車が合体する変形合体ロボを狙ってたんですけどねw

そんなこんなでパチサミ特有の昭和レトロな雰囲気というものは残念ながらなくなってしまいましたが
現在進行形で日々進化しているパチモン業界を知るには、いい機会だと思っているので次回も期待してます!

またお金を払ってまで、いんちきオモチャなんて見たくないけど興味がある人もいると思います。
そういう人には今週末の3連休に東急ハンズ池袋店にて無料イベント(1日3回転)があるんですね。
『いんちきおもちゃ大図鑑』や『スーパーB級変形ロボット大戦 ダガング』の著者である
いんちき番長さん、加藤アングラさんによるワークショップがあるので行ってみたらどうでしょうか?
変形ロボットなんかのフックトイ(チープトイ)の実演販売もやるみたいですよ!

精神論は口に甘し?

このブログを始めてから数年が経ちましたが、特にコメントがもらえたり
よく評価してもらいやすい内容というのがありまして、それが精神論なんですよね。

私も好きで書いているので、べつに精神論も嫌いじゃないんですが
どんな仕事でも精神論だけでは、どうにもならないというものがあるわけです。
俗にいうブラック企業なんかは無茶なことも精神論でおしつけたりしますが、どう考えても無理があります。
でも言うほうも簡単なんだけど、逆に言われるほうも実は簡単なんでしょうね。

ちょっと意外な感じもしますが、理論や理屈って理解するのに素養や基礎力を必要とするけど
精神論って特に何も能力がなかったとしても、言ってる意味はわかるんですよね。
だから多用されるわけなんでしょうけど……

そういうわけで精神論の弊害というのも見極めたうえで精神論を受け容れてもらえるといいなと思うわけです。
何事も鵜呑みにしてしまうと、ろくなことがないですからね。いつも話半分くらいがちょうどいいんですよ。
人から聞いた話を基にして自分の独自見解を導きだせれば、それでいいわけです。
基礎力が身についていれば、そうそうトンデモ理論を導きだすこともないでしょう。

でもトンデモ解釈する人も少なくないんですけどねw

作家も健康第一

東京では、まだまだ残暑厳しい日々が続いていますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

私はというと自覚症状がないまま夏バテしていたらしく、ふりかえってみると体調不良でしたw
いやあ、普段通り健康だと思っていたのですが、第三者に指摘されてはじめて
やたら疲れやすかったり、免疫力が落ちていたりしていたことに気づいたわけです。

作家という仕事は原稿を書いてなんぼの仕事であります。
肉体労働者ではないのですが頭脳労働者なんですね。
資本家ではないので、座っているだけで勝手に収入があるわけではないので
人一倍、健康には気をつけなくてはいけないのですが、まったく情けない限りです。

快適に執筆するためには、少なくとも健康には充分留意してください。
そして執筆を含めてハードワークで体調など崩さないようにしましょう。

無理はよくないですよ、やっぱり。
どうも人気漫画家なんて多忙な人たちは短命なことが多いですからね。
小説家も多作ほど疲労もストレスも溜まりますから、ほどほどに。
長生きするだけが能じゃありません。一度きりの人生、せいぜい愉しく生きましょうよ。
もちろん私はそれなりではありますが大いに愉しんでますよ!

誤解されるサイコパス(1)

興味があってサイコパスについて、いろいろと調べてみたんですが、なかなかおもしろいことがわかってきました。
サイコパスをあつかった小説というと貴志祐介さんの『黒い家』や『悪の教典』なんかが映画化されたりして
日本ではもっとも有名な作品なんじゃないでしょうか。
しかしネット上にサイコパス扱いされている人の大半は正確にはサイコパスではないということ。
それはサイコパスではなくソシオパスなど他の人格障害、あるいは単に性格の悪い人でしかないんですね。
単なるレッテル張りの悪口になっていることも多いのが現状のようです。

本当に優秀なサイコパスというのは、才気あふれ、人受けがよく、魅力的でカリスマがあるように見えます。
被害者は誰しも魅了され言いなりになってしまい、利用し尽くされてボロ雑巾のように捨てられても
まだそのサイコパスを信頼している人までいるくらいなんですね。
普通の人がサイコパスの見せかけの姿を暴いて、その本性を晒す機会は非常に少ないといっていいでしょう。

では、そもそもサイコパスとはどんな人なのでしょうか?
まず遺伝と環境の問題がありますが、サイコパスになるかどうかは遺伝で決定します。
ただし破壊衝動を伴うかどうかといった方向性は環境と密接に関係しているようです。
サイコパスだからといって誰もが暴力的とか破壊的なわけではないのです。
サイコパスは最初からサイコパスとして生まれてくるものであり、その治療は現代医学では不可能、
なによりもサイコパス自身が治療をすることを望んでいないという現実があります。

そして彼らの最大の特徴というのが「良心が完全に欠如している」ということです。
だから罪を犯しても反省することもなければ、自責の念にかられることもありません。
また他者に関して無関心であり、愛情というものを感じることもありません。
とはいえ、もちろん美人(ハンサム)を好むし、性欲もあります。結婚もすれば子供も作ります。
ただし愛情を微塵も感じていないので、完全に合理的な損得勘定からか(相手が高収入や資産家など)
もしくは美しい妻や優秀な子は自己の世間的評価高めるためのトロフィー的存在として
しか認識していなかったりするんですね。
だから必要がなくなれば完全に興味を失うし、邪魔になれば我が子でも殺すことに躊躇しません。

ただしアメリカの人口の4%、つまり25人に1人(日本は文化的環境要因でもっと低い確率らしい)は
サイコパスということですから、全てが連続殺人鬼になるわけではありません。
たしかに犯罪をおかす確率は高いのですが、ほとんどのサイコパスは殺人などの重大犯罪を犯しません。
いろいろなかたちで社会に入り込んで暮らしているのです。サイコパスだけでは生きていけないので!

そして良心がないので、この弱肉強食の社会においては出世しやすいのも事実です。
優秀な頭脳を持った一部のサイコパスは、法を破ることも、人を欺くことにも抵抗がないので
文字通り手段を選ばないことで、社会的な成功を勝ち取りやすいのも当然です。
彼らは政治家、経営者、弁護士、医師、教師といった人を支配することのできる職業を好みますし
そういう職業に就くことで頭角をあらわすことが多いんですね。
なぜなら愛を感じることのできないサイコパスにとって人間関係とは支配するかされるかの上下関係のみで
好き嫌いは自分にとって利用価値があるかないかでしか判断基準でしかないんです。

彼らにとって人生とはゲームであって、他の人間はゲームの駒でしかないのです。
誰もがチェスで相手の駒をとることを躊躇しないでしょう。それがルールで可能だからです。
サイコパスも同様にゲームの駒である他の人間を騙したり、苦痛を味あわせたり、殺したりすることに
まったく躊躇しないしません。なぜなら、そうすることが可能だからです。そこに善悪はありません。
それどころかゲームで勝つとうれしいのと同じで、人を蹴落とすことに快感さえ感じるのです。
他者を支配すること、それがほとんどのサイコパスの目的であり、この支配ゲームのために生きているのです。
そういうことでしか他者や社会と関わることができないからというのもあります。

こういうふうに書いてゆくと、なんだかクールでカッコいいとか、有能みたいな感じもしますが
けっしてそういうわけではなく、いかに優秀なサイコパスでもやがて自滅してゆく運命にあります。
そのことについては、また次回にでも。

最近の児童向けアニメ事情と敵役のことなど

そういえば、ふと思ったことなんですが、最近テレビアニメというと、ほとんど深夜アニメです。
しかもライトノベル原作のラブコメだったり、大人向けの濃厚な内容のものばかり……
あとは少年ジャンプ原作か、アンパンマンといった幼児向けアニメがあるくらいでしょうか。

仮面ライダーや戦隊物、プリキュアなんかもありますが、どうも最近の作品は
かつてないほどに商業主義的で、これでもかと言うほど子供たちにグッズを買わせるために
存在しているような作品ばかりになってしまっているんですよね。
いい悪いに関係なく、そういう作品ばかりというのは選択肢の幅が狭くなってしまうので
いまの子供たちにとっては残念な環境なんじゃないでしょうか?

昔はというと世界名作劇場とか日本昔話とか、そういう児童文学や民話なんかを題材にして
関連オモチャを売るためではない作品が一定数存在していたし、根強い人気がありました。
オモチャ目当てではない作品のほうが再放送しやすいので多かったですしね。
今もローカル局やNHKのBSで何十年も昔の作品を細々と再放送はしていますが新作は皆無な状況です。

それに個人的な見解ですが、やっぱり記憶に残る作品って、キャラ物のアニメよりも
ストーリーのしっかりした作品のほうが子供心に印象に深く刻みこまれることが多いんですよね。
児童文学原作の『ガンバの冒険』に敵役として登場する白イタチのノロイはトラウマ級の怖さで
あれを見た世代の子供たちに多くのトラウマを残し、いまだに最兇の敵役とまで呼ばれていますしね。
ガンバを観てない人には、たかがイタチ、フェレットとしてペットになるような小動物が
なんでそんなにトラウマになるほど怖いのかとか理解できないかもしれませんが、とにかく怖かったのです。
未見の人はぜひ観てみることをおすすめします。
原作小説『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』もいいんですが
原作版ノロイはアニメよりも上品すぎて、アニメのあの残忍さにはちょっとものたりないかな?

作品の中で敵役を登場させるときにノロイの存在を知っているかどうかって
けっこう大きなアドバンテージになるかもしれませんね。
昨今は最後まで得体の知れない非コミュニケーション型の敵役が登場する頻度も高くなっていますが
主人公とコミュニケーションがとれないまったく異質な存在(映画のエイリアンとか)というのは
結局のところ物理的な強さばかりでしか恐怖を演出できないわけですよ。
いっぽうで対話可能な敵役というのは、主人公たちの心の弱さにつけこんで陰謀を巡らしたり
ささやかな希望を囁いては、直後に自ら踏みにじって主人公を絶望にたたき落とすなど
心理的な陰湿さや残忍さといったものから恐怖を演出することができるんですよね。

どちらのタイプの敵役をチョイスするかは作品しだいのところがありますが
基本的にビジュアル効果のない小説は後者のコミュニケーション型敵役のほうが有利でしょうし
読者の脳裏にトラウマになるほど強烈にイメージが刷りこむことになるでしょう。

恋愛を諦めない人々

モテない人のなかには「もう恋愛は諦めた」みたいな発言をする人がいますよね。
でも、そういう人に限って生身の女性を恋愛対象とするのではないけれど、
2次元キャラを「嫁」とか呼ぶことで、いわゆる疑似恋愛にすがることが多いのも現実です。

まあ、大人の女性が恐い(童貞をバカにされそうという恐怖)からという理由で
いたいけな女児に性欲を向けてしまう代替性ロリコンよりはマシですけど。
余談ですが「ロリコンは直せます」のネタポスターにもありましたが、
根っからの性的倒錯である真性ロリコンとはちがって代替性ロリコンは治りますよ。

もし本当に恋愛を諦められるなら、残るは「性愛」だけか、性愛すら放棄するかしかありません。
かつて出家した僧侶も女犯を禁じられているから代替として稚児に性欲を向けていたわけですから
性愛すらも放棄することは、よほどのことがない限り難しいのではないかと思います。
そして性愛だけになってしまうと、完全に異性は性欲の対象でしかなくなってしまいますが
実はそういうカサノバ的な人というのは、ほとんど相手に困らなかったりするわけです。

なぜなら童貞とかセックスが下手などのコンプレックスは相手に嫌われたくないからであって
性欲の対象としか異性を見ていない人は相手を物のようにしか見えていないから
相手に好かれようが嫌われようが、やれれば関係ないということになって恐怖なんて感じないわけです。

ですから実際、相手のことを気にしてしまうようなモテない人は性愛を放棄できていないし
そもそも恋愛そのものを放棄するなんてことは絶対できないわけです。
経験しすぎて食傷気味に嫌気がさす人はいても、求めても叶わない人が心から諦められるはずがありません。
だから本人がなんと言おうと、たいていの人は恋愛が好きなんですね。
恋愛は諦めたなんていうのはイソップ物語のすっぱいブドウでしかないわけですので本気にしてはいけません。
中には強気に「俺は本当に諦めてるんだ!」と強弁する人がいるかもしれませんが、
本当に諦めていたら気にならないから、そんなふうには言わないでしょう。

そしてライトノベルの大半がラブコメかラブロマンスを軸にしているのも無理からぬことなのです。
また”ラノベ好きな人に恋愛経験豊富な人はまずいません!” これは真理です。
恋愛経験が豊富な人は、それなりに別のジャンルの作品を好んでいますし、
そもそもあまり本を読まないタイプの人が多いんですよね。

つまりライトノベルを書くときは、いかに恋愛初心者あるいは恋愛未経験者にとって
夢と希望を与えられる作品にできるかどうかにかかっています。
つらい恋愛の現実を突きつけられることを読者は望んでいません。
そんなことはお金を出して文庫本を買わなくても、物心ついた頃から嫌というほど味わっているのです。
じゃあ、どんなことを恋愛初心者(未経験者)が好ましい展開だと思っているかを察して
それを物語に織りこめるかどうかで、あなたの作品の成功や評価に直結していくわけです。

あなたはそこのところをよく知悉していますか?
知識としてではなく、センスとして感覚的に備わっているでしょうか?
既存作品について「恋愛未経験者向け」「恋愛初心者向け」「恋愛中級者向け」「恋愛上級者向け」と
クラス分けしてみて、そこに何があり、それぞれどこが異なるのか、具体的に考えてみてもおもしろいですよ。
ちなみにほぼすべての少年向けライトノベルは未経験者向け作品が占めているように思えますし
いっぽうで一般文芸では大半が初心者向け以上で、未経験者向けというのは少数派になっていますよね。

事実は小説より奇なりとはいうけれど……

よく言われる言葉ですよね。この「事実は小説より奇なり」というのは。
べつに私も否定はしません。実際に本当のことだと思います。

ただし……そう、ただしがつくんですけどね。
小説より不思議なことって、そうそう滅多に起こらないんですね。
たいていの現実は特筆することもない波瀾万丈のかけらもない平々凡々とした営みがあるだけです。

そして、もうひとつ忘れてはいけないことがあります。
いくら不思議なことが起こっても、それが小説よりおもしろいかどうかはわかりません。
なぜなら、いくら不思議でも突拍子もないことって現実には起こることも多いんですが
それって因果関係とかまるでわからなかったり、ただの偶然だったりすることも多いんですね。
しかし、ただの偶然で事件が起きてしまったり解決してしまったりする作品に読者は納得はしれくれません。
物語には物語のセオリーというか決まりがあり、このポイントを押さえておかないとカタチになりません。

同様に現実はたいていだらだらしていてまとまりがありません。
実際の現実世界では、事件なり出来事の主軸から逸れるようなシーンやエピソードばかりです。
しかし小説世界では関連性のないシーンやエピソードはほとんど存在しないんですね。
もし現実世界と同じ構成の物語を書いたとしたら、ひどく退屈だし、テーマを見失ってしまうでしょう。

事実は小説より奇なり。ただし、おもしろいとは限りません。
それのことをよく頭に入れて、では小説では現実とはどういうふうに変えていけばいいのか考えてみてください。
HOMENEXT →
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