L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

SEARCH

CONTENTS
LATEST
LINK
BOOKS

RSS
COUNTER

ライトノベル創作教室ラノベりあん 中二病でも書けるライトノベル教室♪

小説の楽しい書き方講座ブログ 毎週開催の創作塾と連動中!

自己満足に陥るな!

ひとりで作品を書いていると、どうしても陥りがちなのが読者のことをまったく考えないで
自分本位に原稿を書いてしまうというミスが多くなりがちです。

自分本位な作品とはどういうものかというと、いくつかパターンがあります。
まず圧倒的に多いのが作品内の情報の提供、つまり文章内の説明の過不足ですね。
作者にとっては当たり前の前提とか、知っていて当然だと思ってることについて
作品内で特に説明を加えずに、いきなり書いてしまうという絶望的なミスです。
書いている本人は物語を作っている全知全能の神にも等しい存在名わけですが
読者はなんら予備知識もなく読み進めていくわけですから、そのことを念頭において書くべきですよね。
会話文だらけで誰が誰のセリフかわかりにくいなんていうのも典型的な事例です。

加えてダメなのは、あまりにもストーリーを練りすぎて、他人にはわけがわからないほど
複雑だったり、登場人物が多すぎたりするミスなんかもありますね。
このミスをやらかしてしまう人は、設定大好きな人とか、あまりにも長く構想している人とかに多いです。
はっきり言ってしまうと、そういう作品は第三者的にはまったくおもしろくもおかしくもありません。
自分がたのしみたいがために書きたいのか、誰かをたのしませたいために書きたいのか
そこのところをちゃんとはっきりさせながら作品にとりくんでみてください。

同人活動であれば自分の好きなように書いてもいいと思いますし、そうするべきでしょう。
でも誰かに読んでもらいたい、さらには出版もしたい、お金もほしいという目的があるなら
自己満足な作品を書くことは許されません。そこがプロとアマチュアのちがいだと思ってください。
スポンサーサイト



アイデアをかたちにするために必要な3つのものとは?

あなたがすばらしいアイデアを思いついたとします。
そして、それを作品にしたいと考えるのは当然のことでしょう。
しかし、なかなかどうして、そう簡単には作品というかたちにならないことってありませんか?
今回は、そういう人のために必要な3つのものを教えましょう。

まず第1に必要なものは「持続力」です。
遅くてもいいから毎日書き続けられるかどうかで作品は完成するかどうか決まります。
極論としていえば毎日1行でも書いていれば、いつかは作品は完成します。
しかし気が向いたときだけ書こうとすると、たいていは挫折するものです。

第2に必要なものは「客観的な判断力」です。
思いついたアイデアは本当にすばらしいものなのか、作品として通用する者なのかといった判断です。
これができていないと誰にも認められない作品を書きあげるだけになってしまいます。
これを鍛えるのはなかなか難しいんですけどね。

第3の必要なものは「できるだけ多くの知識」です。
すばらしいアイデアを作品とするとき、どういうストーリーや演出をすれば、それがもっとも活かされるのか
そういうことを考えるときに必要となってくるのは、どれだけ多くの物語のパターンを自分の中に持っているか
ひとえにその知識量にかかってくるといっても過言ではありません。
ラノベを書くにしてもラノベしか読んでいないようでは劣化コピー作品しか作ることしかできないでしょう。
何事も基礎なくして応用はありません!

さて、あなたはこの3つのものを持っていると言えますか?
持っているなら、存分に発揮して執筆に励んでください。
持っていないなら、本格的に執筆する前段階として、この3つのものを体得することをおすすめします。

mixiが廃れてきたのは残念(性的な意味で)

昨今、若者のあいだではツイッターやLINEにおされてmixiのシェアが大きく落ちこんでいるそうですね。
mixiを活用してきた私としては残念に思います。

なにより健全っぽいイメージの出会い系ツールとしてmixiほど有効なところはなかったんですけどね。
ツイッターやLINEは使い方にもよりますが、基本的にはあらかじめ面識のある人同士か緩いつながりの他人で
恋愛関係を新たに築くには、あまり向いてない媒体だと思うんですけどね。
しかしながらmixi運営もそのことを強く認識しているためか、最近は規制が強まりましたからね……
アダルトコミュをつぶし、メッセの内容も検閲して、少しでも出会い系と思われる文章を書くと
警告メールが届くとか尋常じゃないと思うので、しかたないんでしょうね。
久しぶりにmixiで存在に気づいた異性の友人とメッセをやりとりしてて
「今度、また遊ぼうよ」とメッセを送っただけで警告の対象とかありえないですから
まあ、この凋落は自業自得だと思います。

そもそもは会員数の拡大を狙って18歳以下も獲得しようとたがために「出会い系」で抵触する可能性のあるものを
すべて排除したことで、もともと緩い出会いを含めてのコミュニケーションを求めていたユーザーから
すっかり見放されてしまったというのは、よりマイナーですが非モテSNSと同じ末路でしたね。
SNSというコミュニケーションツールで、コミュニケーションの一形態にして若者にとっては重要なものである
「恋愛」「出会い」の要素をなくしたりしたらどうなるかわかっていたと思うんですが
おそらくグリーやモバゲーの成長に焦ってしまって目先の未成年会員の数につられたんでしょうね。

ラノベもSNSも恋愛要素がないというのは、麺のないラーメンみたいなものでしょう。
いくら美味しいラーメンスープが店の売りだとしても、肝心の麺がなければお客が満足しません。

設定にこだわるということの極限を指輪物語に見る

今週末、『ロード・オブ・ザ・リング』の前日譚である『ホビット 思いがけない冒険』が公開になりますね。
関連して『指輪物語』に関する解説本を読んでいるんですが、トールキンの世界観というのはすごいですね。

言語学者であったことから、物語の世界は「まず言葉ありき」で創造されているわけですが
エルフの言語だけでも複数ありと、中つ国で使用されるいくつもの言語が詳細に設定されています。
だからこそ映画のなかでも、ちらっとしか映らないモリアにある壁に描かれた文字もでたらめのデザインではなく
トールキンの設定したドワーフ語でドワーフの歴史がびっしりと書かれていたりしているんだとか。

さらに物語や登場人物も世界中の神話のオリジナルとして構築されているんですよ。
つまり世界に散らばる神話や説話というのは、実際に史実として起きたことが曲解されて伝わった伝承であり
その起こった本来の出来事を綴った一遍が『指輪物語』なんですね。
だから『指輪物語』はトールキンの創作ではなく、ホビットが事実を元に書いた記録を英訳したという体裁なのです。
そういうわけですから『指輪物語』の登場人物や出来事はヨーロッパだけでなく遥かチベットの神話まで採取、研究したうえで
そこに共通する物語構造を再構成していることで、あらゆる神話の構造を内包しているわけです。
また名前や地名も古英語やケルトやゲルマン、北欧などに語源求めていて、必ず深遠な意味を持っています。

『指輪物語』は異世界ファンタジーではなく、この地球にかつてあった国々の先史時代の歴史としているんですね。
このほど世界観や設定を研究し尽くしているからこそ、今もってファンタジー小説のベースになっているのもうなずけます。
たしかに現代のライトノベルでファンタジーを書くうえでも必要はないとは思いますが
どこまでこだわれるかということを知りたい人は、ぜひ『指輪物語』を読んでみてください。
映画では省略されてしまっている緻密な設定の洪水に押し流されず、それを感じてみてください。

手引きとしては『図説トールキンの指輪物語世界 神話からファンタジーへ』を参考にするといいでしょう。
エルフの特徴や宿命とはいかなる神話を参考にして生まれたのか?
ドワーフやオークといった名詞の語源、そしてどんな古代詩や神話に依拠した命名なのか?
普段、ファンタジー作品では当たり前となっている初歩的な設定というものが
実は古来から普通に存在していたものでもなく、それでいてトールキンがゼロから創作したフィクションでもなくて
伝承をふまえてトールキンが研究や分析を加えることで再構成したものであることがわかってきます。

作品に演出を心がけていますか?

アマチュア作家の多くは、ストーリーに対しては凝って考えてくれるのですが
そのストーリーを盛りあげるための演出をどうしようかと考えて執筆している人は意外と少ないんですね。
ちゃんと演出を考えておかないと、どうしてもメリハリのない単調なものになりがちになってしまいます。

ストーリーというのはある程度、王道やセオリーといった定番が決まっているので
これを大きくはずすというのは基本的に得策ではないんですね。
だからこそあなたの作家性をどこで出すかというのは演出方法にあるわけです。

演劇や映画でも演出が異なれば、シナリオが同じでもまるでちがう作品になります。
ほかにも漫画だってコマ割りを変えれば別物となるわけです。
ですから表現方法を変えるだけで、あなたの作品はがらっと変わってきます。

ここでいう演出というのは文章表現だけでなく、そのシーン自体への表現なので
ときに舞台や小道具を変えたりすることも演出のひとつと考えてください。

あなたは自分の作品にどんな演出を加えていますか?

アニメに見る敵役の変遷~アトムからエヴァまで

『鉄腕アトム』からはじまる日本アニメに登場してくる「敵役」を鳥瞰してみると
全体としてトレンドがあることがわかってくるんですね。

最初期の敵役というのはアニメ以外、神話や民話の時代からそうなのですが
基本的には単純な「悪者」「悪人」でした。
時代劇の悪代官や悪徳商人などが典型例でしょうか。
彼らは純粋に殺人や強盗、汚職など犯罪行為を犯す存在だったわけです。
日本アニメの悪役もまた最初期はマッドサイエンティストや数人の手下を抱える悪党が多かったんですね。
『マジンガーZ』のドクターヘルなんかは、この部類にあてはまるでしょう。

悪人も犯罪を犯すには単独犯では難しいので、自然の流れとして徒党を組むことになります。
それが上下関係や階級などがきっちりと確立した集団となれば「悪の組織」となります。
仮面ライダーのショッカーやサイボーグ009のブラックゴーストなどは
高度に組織化された世界的犯罪組織として登場してきます。

そして、その次に大きな大変革が訪れます。
それが今もって人気が根強い1978年放送の『機動戦士ガンダム』です。
この物語の敵はジオン公国です。そう、敵役はついに「国家」単位になるのです。
それ以前にも『宇宙戦艦ヤマト』の敵役はデスラー総統の支配するガミラス帝国ではありましたが
ガミラスとジオンでは決定的に異なる点があります。
というよりも味方サイドである国際連合と地球連邦のちがいですね。
それはヤマトの国際連合(地球防衛軍)はガミラスに一方的に侵略された側であり
ヤマトの目的はガミラス帝国打倒ではなく放射能に汚染された地球を守るためにコスモクリーナーを
イスカンダルまで取りにいくというという自衛・平和目的になっているわけですから
絶対的に正義であるのに対して、地球連邦はスペースコロニーに対して圧政を強いた側であり
これを正義というにはあまりにも無理のある設定になっているんですね。
つまりガンダム以降、国家間の戦争というどちらにも正義のないかたちを描くことで
それまでの単純でわかりやすい善と悪というかたちではないものが提示されたんですね。

ガンダム以降の80年代リアルロボットアニメでは、この流れをうけて善悪が曖昧な敵役が主流となります。
『太陽の牙ダグラム』では地球政府を敵役として植民地惑星の反政府ゲリラの物語でしたし
『装甲騎兵ボトムズ』になると、もう戦争の目的さえ忘れ去られるほど戦い続けている二勢力であり
しかも主人公は傭兵でありどちらの勢力にも共感することがないんですね。
しかし、こうした戦争を題材としたアニメはしだいに難解なストーリーになってしまったこと
子供たちの理解を超えて廃れていき、その反動で『魔神英雄伝ワタル』などシンプルな二頭身ロボットや
小学校がロボットに変形して小学生たちが戦う『絶対無敵ライジンオー』などが流行することになり
敵役は「悪人」や「悪の組織」に戻っていってしまうんですね。
それが90年代ロボットアニメの主流となっていきました。

そしてさらなる転換期として登場するのがOVA『トップをねらえ!』(1988)でした。
この物語の敵役は宇宙怪獣でした。これは非常に斬新かつ古典的でした。
従来のアニメの敵役は多かれ少なかれ人間だったのです。
たしかに設定では宇宙人だったり地底人だったり、アンドロイドだったりすることもありましたが
基本的には人間と同等の存在であり、人間と同じような思考を持ち、感情さえあったのです。
しかし宇宙怪獣にいたっては、コミュニケーションはまったくとれない理解不能な存在であり
なぜ人類を攻めてくるのかさえわからないまま戦わなくてはならないのです。
この設定は斬新でしたが、裏を返せば『ゴジラ』や『ウルトラマン』の怪獣と同じなんですね。
バルタン星人やメカゴジラのブラックホール第3星人やキングギドラのX星人などは
コミュニケーションがとれるので侵略目的もわかるわけですが、怪獣の場合は大半が意思疎通できません。
おそらく制作スタッフが怪獣映画世代とかぶるために、アニメにも怪獣が登場したようですが
コミュニケーション不可能な圧倒的な力としてだけの敵役はどんどん拡がっていきました。
そして、その最も有名な作品は『トップをねらえ!』と同じガイナックスで作られた
『新世紀エヴァンゲリオン』となるわけですね。
エヴァの使徒はキリスト教的な風味をつけていますが、これは「怪獣」そのものです。
目的不明にして圧倒的な力、コミュニケーション不能の存在なのです。
そして、このトレンドが1990年代後半から現在までつづいている状態です。

実際、物語を創作するうえで「意思疎通のできない敵」というのは厄介です。
お約束のライバル関係とか、人間対人間であることゆえの葛藤が描けないんですね。
具体的には少年ジャンプのような少年漫画的バトルをすべて放棄しないといけなくなるわけです。
そして人間関係は事実上味方内だけで完結してしまうため物語を拡げるのが難しいのです。
逆に考えれば、より深く主要キャラの日常的な関係や感情的なものを深く描けるというメリットもあり
怪獣型敵役がいまもよく見かけるのは、そういった特性を活かしてのことなのでしょう。

しかし小説媒体は会話が主体ですから「話せない」敵というのは、とても扱いですよね。
ゆえに怪獣は映画など映像作品によってもっとも輝く素材だったわけです。
それでも上に挙げたメリットのために会話不能な敵を登場させる小説も少なからずでてきました。
とはいえ、そのメリットとデメリットをよく理解したうえで登場させないと
まったく盛りあがらない作品になってしまうので、よくよく注意してください。

気持ち悪さの解析

ちょっと前にテレビを見ていたんですが、そこに各界のマニア(素人)を集めて紹介する番組があったんですね。
で、その番組を見ていて思ったことなんですが、マニアとかオタクとかいうと
どうしても「気持ち悪い」というイメージが先行しがちだったりするわけですが、
どうして気持ち悪く見えるのかということをこの番組を見ていて、本当によくわかりました。

番組内では5、6人の素人であるオタクが登場するわけですが、もっとも気持ち悪く見え、
さらに番組内でも突っこまれていたのは、実はジャンル的にもっとも普通っぽい趣味のオタクでした。
かなりマニアックというか他に誰が同じ趣味を共有しているのかさえわからないような他のオタクたちは
独特の雰囲気を感じさせはしますが、まったく気持ち悪いという感じはしなかったんですね。

では、この気持ち悪く見えたオタクとそう見えないオタクとのちがいはどこにあるのでしょうか?
端的に言ってしまうと、基本としてはコミュニケーション能力の差なんですよね。
気持ち悪く見えないオタクたちは自分の趣味をそうでない人にいかにおもしろいものであるのかを
わかりやすく説明することができるし、そのトークに司会者や視聴者もついつい引きこまれまていきます。

ですが気持ち悪く見えるオタクはその説明がうまくできないんですね。
それだけでなく他人が理解していないのに自分だけでたのしそうにしてるところが不気味さを煽るのです。
もともと誰かにわかってもらおうと話していないのは、発声からわかるんですね。
普通の人は誰かに話すときは、相手に声が届くようにイメージとして前へと声をだしますよね。
それが気持ち悪さを感じさせる人は、誰かに話すときでも声を前へと発声せず
自分の口元、あるいは喉元に声を滞らせるような発声、つまり不明瞭なくぐもった発声をするんですよ。
地声のキーが高くても低くても、なんかこうこもった話し方をする人っていますよね。あれです。
しかも声量も伝える意志があるのかわからないほど小さいので、何を言ってるかよくわかりません。
ただでさえ他人が共感しにくい内容を、不明瞭な声で話されても、これをわかれっていうほうがおかしいです。

さらに会話の基本である視線を相手に向けるということも苦手なようなので
視線を合わせて話せば、その人に対して話していることがわかりますが、虚空を見つめられたりすると
誰に話しかけているのかよくわからないし、そもそも声も小さいから独り言とさえ思えてきます。
逆に凝視してくる人もいるので、、そういう人だと相手は不安感と恐怖を感じてしまいます。

そして話し方だけでなく、ボディランゲージについても気持ち悪く見えるものがあります。
それは動きが内向きで細かく、さらに会話内容と挙動が一致していないところです。
たとえるなら昆虫とかミミズのような動きといいましょうか、多くの人の生理的に受けつけない生物の動きです。
反対に言えば、あまり動かないか、動作を大きくゆったりと動けば気持ち悪く見えないんですね。

最後にこれはなぜかということがよくわからないのですが、気持ち悪く見える人は小道具が好きみたいです。
かつてマスメディア的にオタクの典型となった宅八郎氏もマジックハンドがトレードマークでしたが
私が見た番組でもっとも気持ち悪く見えた人もまた手にアイテムを持ってるんですね。
番組で紹介するために持参してきたものなんですが、自分の番が終わったらしまえばいいものを
なぜか番組中ずっと持っていて、これが気持ち悪く見える動作と相乗効果をだしてるんですよ。

人は理解しがたいもの、奇異なものを本能的に避けます。
だから気持ち悪く見える人というのは、相手に対して理解不能に見えてるからこそ、そう思われてしまいます。
不明瞭な発声と話し方、誰に話しているのかわからない視線、気持ち悪い挙動や仕草……
こういうものが相俟って気持ち悪く見えてくるんだということがよくわかりました。
もしもあなたの小説に気持ち悪い登場人物を登場させるときは以上の点を抑えていれば
かなりインパクトのあるキャラクターとなってくれると思います。かなりビジュアル的ではあるんですけどw

また自分が気持ち悪く思われたくない人は、以上の点を気をつければ
背格好や容姿とは関係なく少なくとも見た目が気持ち悪く見えることはまずありませんよ。
気持ち悪さというのは、動きをともなったときにこそ本領を発揮するもののようです。

投票率は高すぎてもよくないらしい

ついでなんで今日も選挙ネタです。

世間では投票率が低かったといって、なんとか1%でも投票率を高くしようという風潮がありますが
実はあまり投票率が高すぎると、かえって政府のためにも国民のためにもならないんだそうですよ。

なぜかというと、政治に関心のない人、20歳以上でも国政を判断するに充分な知識がない人というのがいるからです。
投票を義務化するなどして投票率を100%にしようものなら、そういう人までが投票することになるわけですが
こういう人はちゃんと国の運営について考える能力を持っていないわけですから
政党の政策や候補者の理念や人柄とかいったものを判断材料にすることができずに
選挙ポスターを見て好みのデザインの候補者を選んだりとか、テレビでよく見るタレントを選んだりとか
そういう薄弱な理由で投票してしまうことが容易に予想されるし、現に今も多いと思います。
しかし、そういう人が多すぎるとまちがった方向に進みかねないんですね。

しかも政治に関心の薄い人たちは身近で近視眼的な利得に惑わされやすいので、
候補者も後先考えずに口当たりのいいおいしいことを公約をしたりするようになっていってしまいます。
たとえば前回の民主党の「子供手当」とか、かつての公明党の「地域振興券」みたいなばらまきなんかですね。

かつて市民の多くが「政治に関心を持ちすぎたこと」で、政治的見識のない人々の意見で迷走してしまい
民主政治から衆愚政治になりさがり衰退したのが古代ギリシアのアテネなんだそうです。
同じ都市国家のベネツィアでは二の轍を踏まないよう、政治家は貴族のみ、官僚は市民のみとわけることで
衆愚政治に陥らないようにしていました。そう考えると世襲議員も実はわるいことばかりではないんですよね。
一代で成り上がると、どうしても本人の世代だけで財を成そうとするため収賄などにより腐敗しやすいのは
科挙のあった歴代中華王朝や現共産党政権を見れば火を見るより明らかでしょう。

そういうことを考えると、特に政治に関心のない人は投票しないで、わかる人だけが投票するほうがいいようです。
ところが、あまりに投票率が低いと今度は特定の主義主張を持つ利権団体、教団、市民団体といった組織票によって、
これまた偏った政治に進んでしまいかねないので、そこそこ母数もないと困ります。
ということで、だいたい6~7割といった現在の投票率というのは数字の上ではバランスがとれていると思いますよ。

あなたは選挙で投票するだけの政治的見識を持ちあわせていると言えますか?

背景を気にしてますか?

直接的には小説とは関係ないことなんですが、男女の感性の違いについて書こうと思います。

私はウォーハンマーをはじめとして昔からプラモデルとか模型趣味があったわけですが
昨今ではネットのおかげでプロモデラーだけでなく、素人作品の作品を見ることができます。
素人とはいってもプロとの境界は曖昧で超上級者もいて、途中経過まで掲載して解説してくれたりもするので
私としては大いに参考になるんですよね。

それはさておき、自分の作品を専門サイトに投稿したり、ブログに掲載したりするときに
作品自体の出来は非常によいものであっても背景が……という作品が結構見かけるんですよね。
なにもジオラマ作品を求めているわけではないので、作品の写りさえよければいいとは思いますが
背景に万年床らしき布団に床に積み上げられた漫画本やゲームソフト、それから空き缶、弁当ガラ……
すごくカッコいいモデルだとしても、そういう見苦しいというか生活感あふれたものが写りこんでいると
(しかもモデルルームのような小ぎれいさはなく、かなり乱雑な汚部屋らしき感じなのが大半)
やっぱり鑑賞するほうとしては少なからずげんなりしてしまうんですよね。

そこで私なんかが思うのは、もっと背景にも気を遣わないのだろうかという疑問です。
しかし、これはひとりふたりの特別なものじゃなく、かなりの割合をしめる傾向なんですよね。
たぶんプラモデルやフィギュアの撮影者というのは、きっと対象物しか目に入ってないし
写した写真を見ても背景を気にすることもないし、汚れた部屋を公開することを恥と思ってもいないわけです。
たぶん、男ってそういう感じで、対象物そのものしか見えにくい生き物なんだと痛感するしだいです。

ひるがえって女はというと、同じくアクセサリーや人形などを撮影して公開している人も多いのですが
前述のような背景を晒しているような人はまずいません。
たいてい写真に写りこむ背景を気にして、アングルや小物などそれなりに工夫しているのがわかるんですよね。
自撮りのコスプレ写真なんかだと対象物が大きすぎて部屋を隠しきれず
漫画で埋め尽くされた本棚など自分の部屋が背景に写りこんでいることもありますけどね。
それでもやっぱり大半の女性は傾向として対象物だけでなく背景も重要視しています。

これは写真撮影だけでなくメイドカフェなんかでも同じ傾向が見られるんですよ。
男性向けのメイドカフェの場合、たいてい店舗の内装や備品はシンプルというかチープなことが多いです。
もう機能さえ充分ならデザインとかクオリティとかあまり考えていないんですよね。
それはもうかわいいメイドさんがいれば、それだけで男は満足であり、店内の調度品にこだわって
下手に料金があがるくらいなら、必要最低限の安物でも充分だと思いがちなわけです。

逆に女性向けの執事カフェあるいはホストクラブなんかを見てもらうとよくわかると思いますが
方向性のちがいはあれど内装や調度品、什器にはこだわり抜き、かなりの金額をかけるのが普通です。
それだけ雰囲気重視であり、カッコいい男子だけでは満足しきれないことのあらわれだったりします。

このようにして男と女では同じものを見ているようでも、同じように見ていないし
さらには同じように考えることなどまったくないということがよくわかる例じゃないでしょうか。
小説でも男性向け作品はキャラ重視傾向が強いのに対して、女性向けは世界観にもこだわりを持つのは当然ですよね。

あなたの作品に登場するキャラクターも男女のちがいで、ものの見え方がちがうことを意識させてますか?

サークルクラッシュ同好会とかあるんですね

ネットを見ていたら「サークラ同好会」というのが目についたので、よくよく調べたら京大のサークルでした。
そして活動についてなどをよく読むと、やっぱり『四畳半神話大系』の森見登美彦系団体でしたw
”京大+非モテ男子”といえば、もう森見系しかありえないですよね。

ところで「サークルクラッシュ」あるいは「サークルクラッシャー」というスラングは知ってますか?
簡単に説明するなら、女性に免疫のない男ばかりの文化系サークル等に女子部員が入ってくることにより
色恋沙汰でてんやわんやとなり、結果的にサークルが空中分解して崩壊してしまう現象を「サークルクラッシュ」
そしてその原因となった女子を「サークルクラッシャー」と呼ぶんですよ。
「サークラ」は「サークルクラッシュ」あるいは「サークルクラッシャー」の略語です。
昔はゲームセンター(やっぱり男だらけ)によく出没していたので「ゲーセンクィーン」とも呼ばれていたようですね。

で、サークルクラッシャーである女子についてですが、大別すると確信犯と天然系の2種類がいるようです。
どちらも一般的にはあかぬけない容姿や性格なのですが、男子校あがりの童貞の巣窟みたいなサークルでは
かえってすれていないことからモテモテになってしまうということもあり
確信犯はみんなにちやほやされたくて、天然系は気づかないまま男子部員に思わせぶりな言動をしてしまうことで
男子部員の多くが姫を守るための童貞騎士になってしまうようなんですよね……
実際には確信犯でも女の本能で動いているだけで無自覚なタイプもいれば
サークル内で権力を掌握しようとして部長や幹事長などと付き合って女王になるタイプもいるしで
確信犯と天然系の境界も曖昧だったりするので、サークラ女子は十人十色といった様相を呈しています。

しかし男子の童貞騎士団のほうはほぼ画一的なんですよね。
これはもう絵に描いたような女に免疫のない非モテ男子そのものです。
サークラ姫の取り巻きになるわけですが互いを牽制しあうこともあって、なかなか行動しきれないんですね。
そのくせストーカーになりやすいとか困った性質も併せ持ったりします。

サークルクラッシュするのは、この童貞騎士たちが姫争奪で争乱状態になることで起きます。
姫とだれが付き合うかで揉めて、互いにいがみあった結果、けんか分かれというのが多いようです。
姫がひとりを選んで穏便に争乱は終結しても、サークルはフェイドアウトなんて例もよくあります。
いちばんいい思い出になるのは、自分が姫と付き合ってると思っていたら
実は童貞騎士団の多くが同じくそう思っていることが露見した場合ですよね。
いわゆる「穴兄弟」とか「間婦(まぶ)だち」というやつです。
この場合、そのときは絶望的な気分になりますが、あとあといい思い出やネタになるし
なによりいい勉強になって二度と童貞騎士にはならずにすみます。
ただ周りの全員と関係があったのに自分だけ姫と何もなかったことがわかると、それはそれで落ち込むでしょうけど。

とはいえ、こういうサークラというのは今はかなり減ってるんだろうなというのが個人的な意見ですね。
そもそも少数メンバー固定のサークルというもの自体が減ってきていて
いまは人の出入りが激しい流動的なサークルが主流になってきているんじゃないんでしょうか。
女子にしても同じジャンルならメンバー固定より流動的なサークルのほうが入りやすいので
自然とそちらへと流れるでしょうし、ますますメンバー固定サークルに女子が来る機会は減っていそうです。
では、どういうものが流動的サークルかというと、SNSコミュニティが代表例ですよね。
交流が活発なところはよくオフ会をやっていると思います。

で、そういうSNSオフ会なんですが、実は女子率が低くても水面下でいろいろ恋愛沙汰がおこってるんですよね。
私自身も実際に何度も経験したし、そこで友達になった人からあとで話に聞いたりしたところでは
たいてい成功裡に終わったオフ会(飲み会)に来ていたメンツの数組は1週間以内に男女関係になってます。
交際という形式もあれば、遊びで、はたまたオフ当日の盛り上がりから勢いでなんてこともままあります。
もし、あなたがオフ会に何度か参加していたら、きっと同様の経験があるはずです。
もしもそういう経験もないし、まったく気づかなかったというのであれば、それはちょっとセンサーが鈍いですねw
正直、イケメンでもなんでもない私のような朴念仁でさえ、かつて飲み系のオフ会に参加すれば
女子のメンツにもよりますが平均して2回に1回はデートするまでは持っていけましたから。
それ以上の関係を求めると、また別のハードルがあるので、さらに確率はさがりますけどね……
飲み系オフなんて名目上はなんと言おうが、半数以上の参加者にとっては合コンと同じようなものですから。

そして、こういったSNSコミュニティのような流動的サークルになると童貞騎士団は結成されません。
なぜなら数少ない姫は速攻でハンターがかっさらっていってしまうからです。
童貞騎士団がサークルクラッシュを起こすまではある程度の醸成期間が必要ですが
流動的サークルでは、その時間的猶予が与えられないのでクラッシュすることがないのです。

ハンターはチャラいやつばかりとは限りません。一見すると地味な普通の男も多いんですよ。
しかし童貞騎士とのちがいは会話で糸口をつかんだら、すぐ口説きにかかり次に会う約束をしてしまいます。
飲み会が終わって女の子が帰りの電車に乗る頃には、もうメールでデートの約束をしはじめてますよ。
少なくともオフ当日中には何らかの約束はとりつけますね。これは本当の話です。昔の私がそうでしたから。
しかも童貞騎士が多いほうがハンターにとっては動きやすいので、男が多い文化系コミュはいい狩場でした。

そういうことからサークルクラッシュ現象はかなり希少になってきていると考えています。
もし刹那的享楽を求めるならば、変なプライドから騎士になるより
プライドなんてないハンターになることをおすすめしておきます。
HOMENEXT →
広告: