L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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ライトノベル創作教室ラノベりあん 中二病でも書けるライトノベル教室♪

小説の楽しい書き方講座ブログ 毎週開催の創作塾と連動中!

【3月オフ】いかに設定情報を文章に織り込むか

ライトノベル志望者を指導するゼミ形式のオフを毎月やっていたのですが
1月2月と開催できなかったので3ヶ月ぶりとなってしまいました……
それでも参加者にとって得るものがあればいいなと思っています。

毎回参加してくれている方はかなりの完成度にしあがってきてくれていますし
初参加、数回目の参加者もそれなりの進度で着実に成長してくれているんじゃないかと思います。

そこで今回気になったのは、自分で作品を書いているときは、どうしても客観的になれないため
「読者にやさしくない」文章を書いてしまいがちになるというポイントですね。
これはもう第三者に指摘してもらわないと駄目なのですが、意外と難しいもので
小説における文章力がない人にはなかなか見極められないため、友達などに読んでもらっても
この点に関してはさほど有益なフィードバックが得られないんですよね。

どの時点で、設定上のどんな情報をいかに出すか、またその情報を効果的に演出できるかが鍵となります。
特に「効果的な演出」となると、これを判定できる人はなかなかいないんじゃないでしょうか。
これができるようなら実際にプロ作家になっているか、編集者としてやっていけるでしょう。

ここでは詳しく書きませんが(オフに参加した人の特権ですので)
ヒントとしては、情報を適切な箇所で生のままだしてみても、やっぱり説明調っぽくなってしまいます。
それをどうにか加工することで、説明っぽく感じさせないだけでなく、より読者に印象づけるのが演出です。

とはいえ、まずは適切な箇所で必要とされる情報を文章に織り込めてからの話であり
これができている人というのは、たいてい三次選考くらいまではいけてる人だと思います。
それ以前の段階の人は、まずそこから注意しながら執筆してみてください。
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ニコ動考察計画、そしてヘイトスピーチへ

ニコニコ動画の有料会員の伸びが好調のようです。
主に20歳代の有料会員数は全体の4割近く、金銭的に余裕のない十代の無料会員の支持も大きいはずです。
しかし、どうも私はニコニコ動画が苦手なのです。
かつてというか最初期の頃は有料会員だったこともありますが半年ほどで無料会員に戻りました。

なぜか? 理由は簡単なことで、個人的に音楽に対してまったく興味も関心もないからです。
そしてニコニコ動画で絶大な人気を誇るのが多くが楽曲そのものや
「歌ってみた」とか「踊ってみた」みたいな音楽関連なんですよね。
才能のある素人歌手やボーカロイドの登場で賑わいを見せたりしていたようなのですが
私にはまったくどうでもいいことばかりに思えてしまったのです。
正直、音楽を繰り返し聞くくらいなら、自然の音とか雑踏の音、震動さえなければ工事の騒音のほうがいいです。
なぜなら自然音は二度と同じ音は繰りかえさないからであり、そこには無限の拡がりを感じるのですが
私にとって何度も何度も同じ曲を繰りかえし聞くのは頭がおかしくなりそうなほどで拷問に近い感覚なのです。
たぶん、そういう人は滅多にいないので、なかなか共感はしてもらえないでしょうね……

ですので「NO MUSIC, NO LIFE」なんて言う人もいますが、私の周りから音楽がなくなっても
私の生活は5%と変化しないんじゃないかと思ったんですが、いや、それどころか
この世から音楽がなくなれば私の人生はもっと充実していたんじゃないかとさえ思えてきました!
考えても見てください。仲間内で集まると何かというとカラオケに行こうなんて言いだす奴がいますよね?
なぜに素人のたいして上手くもない歌を聞いたり、あまつさえ歌いたくない歌を歌わせられるというのに
自らお金を払わなければいけないのかと思うと、まったくもってバカらしく思えてならないのです。
カラオケに言って歌を歌うのがストレス発散だったり、異性へのアピールの道具だったりするのなら
それは行きたくなるのでしょうが、あいにく私はそういう考えはないのですから。

日本では合コンとか趣味のオフ会とか、ほとんどテンプレのごとく1次会は居酒屋で飲み会、2次会はカラオケですよ。
私はアルコールも飲まないので、若い頃は本当に二重苦でしかありませんでした。
もともと大食漢でもないですから焼き鳥数本など安っぽい小皿3品ほどとウーロン茶3杯くらいで
会費3000円とか4000円とかアホらしくてやってられませんって。
同じ金額ならカジュアルフレンチやイタリアンのコース料理が食べられますよ。
今だと話題の三つ星レストラン出身のシェフなんかが格安で提供している「俺のフレンチ」とか行けば
超高級フレンチで5万円はとられるような絶品料理が堪能できる金額です。

じゃあ行かなければいいじゃないかということになりますが、そういうわけもありません。
つきあい関係はそれでも極力参加しないようにしていたわけですが、やっぱりかわいい女の子と出会いたかったのです。
必ずしもかわいい女子が参加しているとは限らないし、いたとしても自分と馬が合うかどうかわかりませんが
とにかく出会いの場として考えるなら、居酒屋だろうとカラオケだろうと我慢しながら
お金だって合計5000~6000円は楽しくなくても気前よく払うだけの価値があったのです。
若かったから堪えられたんでしょうね。それに何度かの美味しいおもい、成功体験に魅了されてもいたのでしょう。
しかし今だったらとても無理でしょうね……効率が悪すぎます。

もしも世の中から音楽がなくなれば、カラオケ店だってなくなるでしょう。
それはもう願ったりかなったりです。そしてカラオケの代わりに乱交パーティでもやればいいんですよ。
そっちのほうがよっぽど直接的で楽しいし、世の中はもっと平和になるんじゃないかと、私は思うのです。

閑話休題。
ニコ動からだいぶ離れてしまいましたが、マーケティングのためにも再度ではありますが
意識的にニコニコ動画に無理にでも浸ってみようかと思うのです。
意外と音楽ジャンル以外のものでも自分の琴線に触れるものがあるでしょうし
個人的にはまるで興味のない音楽でもどういうものが流行っているのか知っていて損はないはずです。
この世から音楽が消えてなくならない限りはw

感涙させるストーリーには2つの秘訣がある!

人を感動させるような作品を書きたいと思っている人は多いでしょう。
とはいえ、どんなふうにストーリーを書いてよいか迷っている人も多いはず。

今回は読者に感動の涙を流させる2大パターンを気前よく教えましょう。
まずは2つのパターンは便宜上、「男性的」「女性的」と名称をつけてみます。

それでは男性的パターンから。これはもう単純明快ですよね。
「見返りを求めない自己犠牲あるいは献身」です。
これの極地は自ら命を犠牲にして誰かを守る特攻ですよね。
映画『アルマゲドン』なんかが代表的な例となっています。

そして女性的パターンもまたよく見かけるものです。
「(不可避の)宿命や障害にめげず健気に頑張る」ですよね。
代表例は、いわゆる難病ものですよ。

どちらもお涙ちょうだいが見え透いていて気に入らないという人もいるでしょう。
しかし作者の意図が見え透いてシラケてしまうのは演出上の問題であって
ストーリー的には大別すると、この2パターンのどれかに相当する場合が普遍的です。
まあ、多少なりとも創作をかじっていれば、わかっていて当然のことですが
改めて考えてみるということは、なかなかないんじゃないでしょうか?

そして、この2つの秘訣を知っていたからといって、すぐに人を感動させる作品が書けるかというと
そういうわけではなくて、あくまで人が感涙する構造を明らかにしただけなので
これをどうやって自分のものしていくかは、あなたしだいとなります。

臭いお涙ちょうだい物語になってしまうか、感動の大巨編になるか!
あなたにとって自己犠牲とはなにか、健気に頑張るとはなにかをよく考えて
あなたなりの考え(つまり従来作品にはなかったかたち)を作品のなかに投影していってください。

深い洞察力あっての何気ない表現なのです

小説のなかで書かれているちょっとした巧い描写というのがあります。
たいていの読者はさらっと読み流してしまい、ほとんど気づくことはありません。
とはいえ、このちょっとした巧い描写の積み重ねが作品の評価に大きな影響をおよぼすのです。

では、どういう描写が巧いのかといえば、それはもうそのことに知悉していて、深い洞察あってのものなのです。
それは情景描写にもありますし、主人公の心情描写にもあります。
特に心情描写というのは、その登場人物になりきるくらい、その人格を自分のものとしていなければなりません。
よく初心者が陥る血液型とか誕生日のどうでもいい設定ではなく、本当に必要な設定――
つまり、その人物がどういう考え方をするのか、何を正しいと思い、どんなものを嫌うのか
そういう心の中の設定こそしっかりと決めておかないと、その人なりの言動ができなくなってしまいます。

ですから小説では必ず登場人物が存在する以上、人間というものを深く知る必要があります。
世の中にはどういう人間がいて、いつもなにを思い考えているのかといったことを常に考えてみましょう。
そのパターンが多ければ多いほど豊かな人物表現を可能とする材料となってくれます。

そういうことができないでいると、ただストーリーに沿って、物語の役割の通りに動く人形しか描けなくなります。
そして初心者の場合、この手の人間味のない主人公を描いてしまうことが多いんですね。

とはいえ、もしも男性向けライトノベルで、ヒロインを描こうと思ったら、そのままの女性を投影すると失敗しがちです。
そういうときは、あなたの(   )を参考にして投影してみると、意外と巧くいきますよ。

(   )にはいるものは、答えを教えてしまうと、そのまま流して深く考えなくなってしまうので
自分でよく考えて、自分なりの答えを見つけてくださいね。
あなたの答えが私の意図する解答とはちがうものになるかもしれませんが、それもまた正解かもしれません。

プラモデルの歴史を調べてみる

ちょっと興味がでてきて、国内のプラモデルの歴史に関する本を何冊か図書館で借りて読んでいます。

日本初のプラモデルといえばマルサンの「潜水艦ノーチラス」ですよね。
もちろんアトランティスのほうじゃなくてアメリカ海軍の原子力潜水艦です。
これって米ラベル社キットのコピーだったんですねw
とはいえ、いちから未知の素材プラスチックで玩具を作るのは相当な苦労をしたようですが。

とはいえ、他にも異論があって、和工製ダットサン1000(自動車)が初の製品だったのではないかとか
コピーではなくオリジナル製品ということならニチモの伊号潜水艦(自動浮沈モーターライズド)とか
昭和33年からはじまるプラモデルの歴史はさして長くはないながら、零細企業が群雄割拠していたため
1000種類を超えるプラモデルが発売されていた関係上、不明な点が多いんですね。

しかも零細なだけに倒産も多く、ヒットをだしたメーカーも今に残るメーカーは多くありません。
マルサンも輸出向けブリキ玩具から怪獣ソフビ人形などヒット商品も数多かったのに今はありませんからね。
とはいえ、昭和の時代は国内生産だったので金型が行方不明になることはあまりなく
借金のカタとして他のメーカーに売り飛ばされたりして、今も残ってるのが多いようです。

特にお城のプラモで有名な童友社は倒産したメーカーを今も数多く販売してます。
というかお城のプラモも本当は他メーカーの製品だったんですけどね。
なので国産初のノーチラスなんかも復刻で発売とかしていたりして、今も入手は難しくはありません。
出来はどうかとうと、まあ今のガンプラとはクオリティはまったく別次元ですけど。

そういえば、ちょっと昔は駄玩具の100円プラモが陸海空とあらゆるシリーズがあったのですが
いまでも簡単に手にはいるのはバンダイの「宇宙戦艦ヤマト」シリーズくらいですよね。
値段は2倍の200円となっていますが、昭和50代の製品をそのまま売り続けているのはすごいと思いますよ。
余談ですがヤマトシリーズの「巨大戦艦」は1ミリ程度の部品ばかりで100円プラモ史上最高難易度です。
ちなみに小学生時代の私はあまりに小さい部品の多さに2度も挫折しました……

こじつけですがプラモデルって小説創作の訓練にもなると思うんですよ。
完成図を予想しつつ、必要な部品を正しい行程で組み上げてゆく。
それだけでなく単に素組するだけでなく、よりよくするにはどこをどう改造すればいいのか
穴を開けたり削ったりして精度をあげたり、パテを盛ってボリュームをつけたりとか
どんな色を塗ろうとか、リアルに表現するには錆や汚し、破損箇所を作ろうとか、いろいろ方法があるわけです。
総合的な物作りを立体物を通して学ぶにはいい教材だと思うんですけどね。

その点、今の出来がよすぎるガンプラは工夫のしがいがないというか、下手に工夫するとマイナスになるので
想像力を働かせながら、ものを作ってゆくという楽しみ方としては惜しいんですよね。
とはいえ『ガールズ&パンツァー』の戦車のプラモデルみたいのもひどいと思うわけです。
あれってオリジナルは香港製のマニア向け上級者キット(総部品数2000点超、タミヤ製の10倍以上?)を元に
内装関係の部品などを省略した簡略版キットにアニメ設定用のデカール(シール)を付けただけですからね。
ガルパンのアニメを観て、ちょっと興味がある程度の初心者に作らせようなんてかわいそうですよ。
いくつかガンプラを作ったことのある程度の人には、まず完成させられない難易度らしいですよ。
ちなみにガルパンを観て戦車のプラモを作りたかったら、タミヤ製品+自作デカールのほうが確実ですよ。

ラノベではなく一般文芸をめざす人へ

このブログでは基本的にラノベを書くために知っておいたほうがよいだろうということなどを
つれづれなるままに書き綴っているわけですが、実はほとんどのことはライトノベル以外にも通用します。
なぜなら基本となるところは共通ですし、昨今は小説の全てがラノベ化しているからでもあります。

ただしライトノベルと一般小説では大きなちがいがあるんですね。
特に少年向けを書いている人にとっては、ちょっと転向するのが酷なことかもしれません。
というのも少年向けと一般小説(大衆系、純文系問わず)では、まったくことなることがあるのです。

それはなにかというと「読者層」なんですね。
少年向けラノベの8割9割は若い男性をメインターゲットにしているわけなのですが
一般小説の読者層には、若い男性の占める割合は限りなく小さいのです。
つまり若い男性はラノベに集中してしまい、一般小説にはあまり手をださない傾向にあるのです。
では、いったい一般小説を読んでいるのはどんな層かというと、20代~40代くらいの女性層が多いんですね。

この読者層のちがいがどういうことを意味するかというと……一般小説作品に美少女ヒロインは不要だということです。
その代わり登場人物には、大人の女性が憧れるような格好いい男性や等身大の女性が求められます。
ラノベの主流である男性に都合のよい(=童貞の妄想上の)女性は基本的に受け容れてもらいにくいのです。
同様になんのとりえもない冴えない少年や青年が主人公なんて女性読者には共感されないんですね。
これは読者の好みの問題なのでしかたありません。

もしも、あなたが少年向けラノベを書きたいし、一般文芸も志したいなんて思っていたら
その意気やよしなのですが、描かないといけない作品はまったく正反対といっていいものとなるでしょう。
しかも女性向け作品を書くということは、とどのつまり女性の心をつかめないといけないわけですからね。
ラノベのように妄想力だけで書けるものではありません。

余談ですが巧い恋愛小説を書ける男性作家は女心の機微がわかるので、たいてい女性にモテモテです。
数多くの女性と浮き名を流したり、やたら美人女優と結婚したりしてますよね。
逆にいうとリアルでモテないような男性作家に女性を感動させる恋愛小説を書くのは至難だということでもあります。
まったく世の中は不公平なものです。私も精進していつか極上の恋愛小説を書いてみたいと思ってます……

くだらないことに夢中になってますか?

小説などという酔狂なものを書こうというですから、それ自体が無駄の極みみたいなものです。
しかし、それだけに真面目にやっていればどうにかなるというものでもありません。
真面目にやるなら普通に働いたほうがマシなのは誰にでもわかります。

とかく芸人とか小説家とか人気商売は安定しない水物です。真面目とは相性が悪いのです。
そんなわけですから、その手のことをやってやろうというのはよっぽどの趣味人か阿呆です。
しかし阿呆では仕事になりませんから、趣味人ということにしましょう。

趣味人とはなんぞやというと、その本質はくだらない、役に立たない、無駄なことに夢中になれる人かと思うのです。
小説家志望なら小説を書くという行為自体に夢中になるのは至極当然としても、
それだけでは書くことだけが目的となってしまい、おもしろい作品に仕上がらないのではないでしょうか?
やっぱり物語なり内容なりも小説以外のところで趣味人であるほうがおもしろい作品になりやすいわけです。

興味をもって夢中になることはなんでもいいと思います。
それこそまったく役に立たないことのほうが新境地に達することができると思いますし。
しかし、ひたすら受動的になってしまうと、これは物書きには向きません。
クリエイターであるからには、常に疑問を持つべきです。
そしてその疑問の答えをできるかぎり調査したり思索する必要があります。

たとえば、ある物に関心を持ち、それをコレクションするようになったとしましょう。
夢中になるのはいいことですが、ただ集めるだけでは、そこから拡がりがありません。
その集めているものの起源や成り立ち、どうしてそういう色や形をしているのか、どこでどういうふうに作られているのか
人との関わり合いや時代におよぼした影響はどうだったのかなど、調べてみればおもしろそうなことが山ほどあるはずです。
これらをおもしろそうと思えないのであれば、そして実際に調べたり考えたりした経験がないのであれば
それは大多数を占める消費タイプであって、物書きになれる創造発信型タイプではないということになります。

世の中はネットによって誰もが気軽に情報を発信できるようになりましたが
実際にどんなつまらないことでも(掲示板の書きこみでさえ)発信している人は非常に限られています。
下手に情報化社会になってしまっているので、ネットで検索すればたいていのことが苦労せずにわかります。
昔のように関連資料や文献を渉猟したり、足を使って実地調査なんてことはしなくて済んでしまいます。
それだけに情報を気軽に消費することで、真の意味での研究調査、試行錯誤をしなくなってしまったんですね。

このような安易に答えが見つかってしまうようになってしまった昨今の状況では、
全体として敷居が低くなったといえますが、深く追求する意欲を削いでしまっているのが今の状況でしょう。
そんな中で、どうでもいいことに夢中になってしまえるということが、学者やクリエイターに向いているわけです。

あなたにとって夢中になっているものはなんでしょう?
そして、それは安易な消費だけに留まっていないですか?

日昌晶が漫画キャラになるようですw

詳しいことはまだ書けないのですが、妙な巡りあわせもありまして、
このたび私、今春に出版することになる本に登場するキャラクターになるようなのです。
本といっても小説ではないですし、かといって同人誌の類でもありません。

恥ずかしながらイラスト化の参考資料にと自分のスナップ写真も提出してしまいました……
どのような感じに仕上がるのか、まったく唐突な展開ですよね。
しかもどんな絵柄になるとか一切不明です。

あとイラストによるキャラだけでなく、写真付きでの対談あるいはインタビューも掲載されるかもしれません。
しかも雑誌ではないので、かなり長いあいだ書店で見かけることになるかもしれません。

万事塞翁が馬といいますが、なんとも不思議な展開に自分でも驚いています。

模型では黒は黒く塗らず、白は白く塗らない。小説もまた同じ

プラモデルなどで色を塗るときの基本テクニックとなっていることなのですが
本物の色が「黒」だからといって、黒(ブラック)の塗料を使って塗ってはいけないんですね。
同じく本物の色が「白」でも、白(ホワイト)の塗料で塗ってはいけません。

どういうことかというと、なんでもいいですから実際の黒い物や白い物を見てください。
あるいはネットで画像検索してもいいですよ。特に屋外にある大きな物(自動車など)がいいでしょう。
その色は本当に真っ黒だったり、真っ白だったりしますか?
光の反射のぐあいで、本物に使われている塗料は黒ではあるけれど、見かけ上は黒ではなく灰色ですよね。
それも思ったより薄いグレーだったりするわけです。
同じように白い物も見かけ上は、思うより濃いグレーになっているんですよ。

そしてプラモデルのような模型というのは、たいてい実物大ではなく縮尺模型です。
もし実物大なら本物と同じ色、可能であれば同じ塗料で塗れば、そのままの色彩を表現できます。
ところが縮尺模型の場合、同じ色で塗っても、同じように見えてくれないんですね。
もともと実物は屋外の日光下での光りぐあいなのに対して、ディスプレーモデルは蛍光灯など人工照明下ですから
そもそも照明の光量や色調、光の当たり方も異なっていますから、前提条件がまったくもってちがっているんですね。
さらに光は大きな物と小さな物では影のでき方が異なるということもあって見え方が全然ちがってくるのです。

ですから縮尺模型では、実物が完全に黒いものであっても、それよりも薄いグレーで表現するんですね。
同じように白であっても、白に少量の黒や茶、青、緑、などの塗料を少し混ぜて使うわけです。
そうするとその色自体は黒や白ではないのですが、見かけ上は黒より黒らしく、白より白らしく見えてくれるのです。

これは色だけでなく形もそうなんですね。
人間の目の構造として大きな物を見ると、その像が歪むことになりますので
実物そのままに縮小してしまうと、小さな物では像が歪まないので違和感を感じてしまうのです。
なのでプラモデルなどは象の歪みをあらかじめ計算して、実物とは少しだけフォルムを変更してるんですね。

小説もまた描写という面では、同じように表現すべきなのです。
本物と同じように描けば、それが本物らしくなるのかといえば、そういうことはありません。
むしろ本物とまったく同じように描いてしまうことで、リアリティが失せてしまうこともあるわけです。
特にこの性質が顕著なのは会話文ですよね。
本物の会話をそのまま文章に起こすとすると、それはすごくリアルになるように思えますが
実際には文章として読むとなると、冗長すぎて意味がよくわからなかったり、支離滅裂に見えたりするんですね。
なぜなら文章にすると、どうしたって声の抑揚や間というものを正確に表現し得ないということがありますし
会話で話している人たちは、当事者であるから会話の内容についてあらかじめ熟知していますが
第三者である読者にはあずかり知らぬことですから、会話している当人たちの共通認識として
あえて言わないでいることなどはわかるわけがないので、情報が不足してしまうんですね。

つまり事実を歪めてディフォルメをするからこそ、よりリアルになるということが非常に多いのです。
リアルを追求すればするほど技巧的なテクニックを要するということを注意してくださいね。

今も残る帝国海軍艦艇は何隻あるでしょう?

昔のものとして、お城に関しては全国に多く現存天守や復元天守があり観光地となっていますし、お城ファンも数多いかと思います。
私も子供の頃はお城が大好きで旅行で近くにいけば必ず見にいきましたし、プラモデルも数多く作りました。
最近ではお城マニアで有名な春風亭昇太師匠の著作『城あるきのススメ』に感化されて中世城郭にも興味がでてきました。
中世城郭というのは天守閣とか立派な建物などない戦国時代中期頃までの簡素な城砦のことで
石垣なんかもないくらいで、基本的には空堀と土塁くらいしか遺構が残ってないんですけどね。
つまり地面の凹凸だけの遺跡です。マニアックですよね。

同じくらいマニアックじゃないかと思うのが艦艇遺構じゃないかと思うのです。
日本は海洋国家ですから、それこそ無数の軍艦を建造してきました。
しかし軍艦というのは戦争をするための兵器ですから、その多くが撃沈されて海の藻屑となっています。
沖縄沖に沈む戦艦大和の残骸写真を見たという人も多いことでしょう。
大和型に次ぐ巨艦で連合艦隊旗艦だった戦艦長門なんかはビキニ環礁の核実験で標的艦とされて沈没してますしね。
なんと長門は2度の核爆発に耐え、4日間も沈まなかったというから凄いものです。
現在は放射能の影響もなくなり、人気ダイビングスポットとして海底に擱座した長門を見物できるそうです。
しかしマーシャル諸島のビキニ環礁まで行くのはなかなか大変です。
(ちなみに水着の「ビキニ」は原爆級の衝撃的な水着という意味でビキニと命名されたそうですよ)

日本国内で見学できる艦艇はというと、もっとも有名なのは戦艦三笠ですよね。
横須賀の三笠公園に記念艦として鎮座するのは日露戦争時の連合艦隊旗艦です。
戦中の金属不足で主砲などは供出されてしまい、現在はコンクリート製だったりしますが
唯一、当時の勇姿を拝める軍艦としては貴重な存在となっています。

戦闘艦ではないですが、お台場の船の科学館に係留されているのは特務艦の宗谷です。
戦時中の特務艦というよりも戦後の南極観測船としてのほうが有名ですけどね。
これは現在も船籍を有していて出航可能な状態で保存されている貴重な艦船です。

横浜に係留されている氷川丸は貨客船でしたが、戦中に徴用されて病院船として活躍しました。
同じく横浜にある帆船の日本丸は戦時中に帆走艤装をはずされて石炭運搬船として利用されたりもしていたようです。

しかし特出すべきは、北九州市にある軍艦防波堤でしょう!
ここのは日本海軍のなんと駆逐艦が3隻もあるのです。その駆逐艦とは、柳、冬月、涼月の3隻になります。
このうち冬月、涼月は戦艦大和の沖縄特攻作戦に随伴した駆逐艦だったりもします。
しかし、戦後に防波堤として利用すべく沈められたものであり、かつ冬月、涼月のあるところは
現在は完全に埋め立てられてしまったがために、googleマップをよく見ると、
うっすら地面の色が異なって2隻の艦影が確認できる程度しかないんですよね。
しかし柳はかろうじて艦体を確認できる程度には残っています。
とはいえ艦上構造物は金属泥棒の被害に遭ったり、風化したりしたので、何も残っておらず、
艦の周りもコンクリで補強してあるため、いわれなければ船とわからないんですよね……。
しかも桃型駆逐艦の柳は大正時代の建造で、太平洋戦争時には練習船としか使われてませんでしたし。

かえすがえすも惜しいのは、海防艦の志賀です。
志賀は鵜来型海防艦で小型艦艇ながら帝国海軍らしいフォルムを持っていたんですよね。
戦後は海上保安庁の巡視船こじまとして利用され、退役後は千葉市美浜のこじま公園に保存されてたんですよ。
長らく海洋公民館として利用されていましたが、老朽化を理由に1998年に残念ながら解体されてしまいました……
太平洋戦争に参加した帝国海軍最後の艦艇として展示目的なら、まだまだ利用価値はあったと思うんですけどね。
現在、志賀はわずかにいくつかのパーツが展示されているだけになってしまいました。
知っていれば、解体する前に見学に行ったのですが……私も現物は見たことがありません。

そんなわけで、実は国内には太平洋戦争に参加した軍艦は1隻もないのでした。
その前後の時代の艦艇や非戦闘艦なら三笠、宗谷、氷川丸、日本丸、柳の5隻はかろうじて見ることができます。
HOMENEXT →
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