L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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ライトノベル創作教室ラノベりあん 中二病でも書けるライトノベル教室♪

小説の楽しい書き方講座ブログ 毎週開催の創作塾と連動中!

セックス表現における男女作家のちがい

あまりライトノベルでは直接的なセックスシーンというのはないですが一般文芸では少なくありませんよね。
最近の作品を読んでいくと、どうも男性作家と女性作家では、このセックス表現がかなり異なっているように思うのです。

まず男性作家はというとですね、これがまた極端な傾向がありまして、官能小説のように過剰に書く場合もあれば
できるだけ省略してして敢えて書かないという手法の2タイプがあるように思われます。
男性は得てして恥ずかしがりなので、根がスケベでも意外と公に向けて性的なことを表現するのは苦手なようです。
そのため数行であっさりと書いてしまうか、あるいは逆に開き直って濃厚に書くかになってしまうのかもしれません。
また濃厚なシーンを書くにあたっても、これがまた女性作家とは顕著に異なるところなのですが
どうも表現的にいかに多彩にするか、そしてセックスのバリエーションをいかに多くするかといったことに傾注していて
どちらかというとフェチとかSMとかいったマニアックな性癖へと向かってゆくことが多いんですよね。
それでもちょっと直接卑猥な単語を書くのが恥ずかしいのか、それとも読者の要望なのかはよくわからないのですが
なんだかよくわからないほどの比喩を駆使するのは今や官能小説のセオリーとなっていますよね。
あるいは男性向けのアダルトビデオのタイトルとパッケージを見てもらえれば、だいたいわかると思いますが
いかにマンネリを避けるべく、手を替え品を替えといったかたちで表現しようと苦戦しているのかがわかります。
これは小説や漫画などの媒体についても同様の傾向があるように見受けられます。

対して女性作家の描くセックスシーンというのは、従来型であればあまり書かないというスタイルも多いのですが
赤裸々に表現している作品も予想以上に多く見受けられるのが、最近の特徴ではないでしょうか。
このとき同じ濃厚なセックスシーンを描くにしても、男性作家とは大きく異る視点で描かれがちなのです。

男性作家は行為やシチュエーションのバリエーションにこだわる点で、ある意味、ファンタジー的なのですが
女性作家はあまりそういうところは主眼におかず、情念というか本能的な烈しさを表現していて
奇をてらうことなく男女が愛欲のままに肉体を貪るさまを即物的に表現しているんですよね。

このちがいは文章表現とか作風のちがいというよりもセックスにおける男女の考え方、感じ方のちがいなんでしょう。
男というのは性欲に動かされやすいのに、意外とウブなところがあって、いつまでも夢や幻想を持っているようです。
そのため現実では到底ありえないファンタジー的なセックスというのをついつい追求してしまう。
女は逆にセックスにあまり幻想を持っていないわけです。近年はキリスト教的な貞操観念が普及していきましたが
それ以前の女の性というのは、民俗学などの本を読むと奔放というか力強い生命力を感じるほどですから
根本的なところは性の歓びというものに対して大胆になるのも必然といえるでしょう。
私自身の周りでも男性より女性のほうがむしろ性に対しては大胆で奔放な人というのは多いですし。

こういう男女差を念頭に置いて作品を読み比べてみるのもおもしろく、参考になるでしょう。
また実際に異性がどのような性を求めているのかということを感覚的に知るためのヒントにもなるでしょう。
いつも互いに体を重ねながらも、求めているものはまったくちがっていて
よかれと思っていてやってきたことが、実は独り善がりだったなんてことも往々にしてあるかもしれません。

男性読者向けに女性作家の描くセックスシーンのある代表的な作品として例をあげれば
各所ランキングで評価も高く、映画化もされているということで『ふがいない僕は空を見た』をお薦めします。
あらすじは、ごく普通の男子高校生がアニメコスプレ好きな人妻と情事を重ねて……といった作品です。
あと芥川賞を獲った『蛇にピアス』なんかもアブノーマルなようでいて女性らしい表現が堪能できます。
こちらは吉高由里子のデビュー作にしてヌードを披露した映画として知ってる人も多いですかね。

  
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あなたの家に「屋号」ありますか?

「屋号」という言葉自体はだいたいわかると思いますが、意外と知らないことも多いかと思います。

現代的には商店などの店名だといえば、だいたい等しいのではないでしょうか。
「鈴木洋品店」といった零細個人商店のものもあれば「高島屋」「紀伊国屋」なんていう大店の名も屋号です。
江戸時代、武士以外は苗字を名乗れないこともあって、通称としてよく用いられていました。
歌舞伎にも「成田屋」とか「音羽屋」だとかあって、掛け声をかけたりしますよね。
これも最初、役者というのは賤民階級だったので屋号さえ名乗れなかったのですが
人気が出てくるにつれて良民と認められるようになり、表通りに居を構え、かつ副業で店をはじめることが多く、
その店の屋号が元になっているようです。

つまり身分によって名乗れたり名乗れなかったりしたのが苗字や屋号なわけです。
基本的には貴族には苗字がなく「藤原」「源」「平」といった天皇から下賜された姓を名乗っていました。
しかし貴族のほとんどが藤原姓なので、区別するために屋敷のある場所で「一条」「九条」などと呼び習わしていました。
武士になると基本地方在住のため、一応は源平といった姓を持ってはいますが、領地を苗字として名乗ることが一般化します。
ただし公式の場では苗字を使うことなく、性を名乗るが基本でした。
明治期でも西郷隆盛の俗称は「西郷吉之助」ですが、公式の場では「平隆盛」と表記されています。
農民と商人は屋号を名乗っていましたし、非公式ではありましたがたいていは苗字を持っていました。
明治になって全臣民が苗字を名乗るようになって混乱したという面白話はどうも話半分だったらしいですね。
穢多、非人は基本的には苗字や屋号など名乗るべくもなかったのですが、唯一、穢多非人をまとめる頭領のみ
幕府から「穢多頭」の役職を与えられ、自らは矢野弾左衛門、あるいは浅草弾左衛門と称していました。

屋号を名乗れるのは良民(常民)ということになるのですが、これにも幾分差別的な内容を含むものがあります。
基本的に日本の農村において商人や職人は一段格が低いとされていたので、
コンヤ(紺屋)だのイシヤ(石屋)といった屋号は若干ではありますが差別的に用いられていました。
なので紺屋を廃業して農家になってもコンヤと呼ばれ続け、近年まで婚姻などで不利になったとされます。
そういえば今はクリーニング店なのに屋号として「豆腐屋」と普通に呼ばれてしまう地域とか今もあります。
おそらく昔は豆腐屋であり、屋号がそのまま残って苗字よりも一般化してしまったのでしょう。
ムラの屋号は自称よりもアダ名のように決まってしまうので、なかなか変えられないもののようです。

ちなみに私の本家にも屋号があり、その地域では「ムカイ」と呼ばれていたということです。
私の本家は戦国時代は小領主で、江戸時代になってからは幕府天領内の代官相当職ということもあって
本家の屋敷は小山の斜面を切り崩して築いた城址にあったため、城下にある他の家(家臣や領民)から見ると
どこから見ても「向かいにある家」という意味で、いつの頃からかそう呼ばれるようになったようです。
城といっても普通の人がイメージするような立派な天守閣や石垣なんてものはない中世城郭でしたから
堀と土塁、簡単な柵で囲まれただけで、中の建物も簡素な平屋に物見櫓があった程度だったでしょう。
しかし江戸時代に一国一城制で廃城となり、それ以降は三ノ丸のみを屋敷として使っていたようです。

閑話休題。明治になって屋号をそのまま苗字にした家もありますが、その由来などを調べてみると
封建的な身分制度の名残が見えてくるようで、なかなか興味深いものがあります。
もし小説の主人公に名前をつけるときは、そういうことにこだわってみるのもおもしろいでしょう。
苗字によっては、出自や来歴などが一目瞭然というものも少なくないですから。

歌い手はモテるのか検証するイベントに参加してきました

あくびツーリストさんのエロバカイベント『ニコニコ動画で歌い手になってモテてみた』(新宿ネイキッドロフト)に参加してきました。

規格概要としては、たとえ音痴でもニコ動の歌い手になれば女子中高生にモテモテにになれるかということを検証すべく
実際にイベントのことは伏せて、あらかじめ歌い手として活動し、イベント当日に別に用意したライブ会場に
どれだけファンが集まるかという企画だったんですね。

まずはこの企画のために生まれた歌い手ユニット「セロトニン」の歌をご鑑賞ください。



なんといっても、かなりイラストが気合が入っているんですよねw
さらに広告費を1.5万円も出しているので金枠だったりします。
ほんと、歌唱力以外はすべて完璧だったんではないでしょうか!

イベント当日には、有名ボカロPのデッドボールPさんがシモネタを飛ばしていたので
進行も緩急あるものとなって、予想していたグダグダ感はまったくなく抱腹絶倒の数時間でした。
ただライブ会場にセロトニンのファンがひとりも来なかったことを除けば……

とはいえ、しかたありません。
集中的に7曲ほどリリースして最低で再生数30回(9割以上が身内による)で最高でも3000回オーバーでしたからね。
圧倒的に露出が少なく、たとえ音痴でなくてもライブに行ってみようと思う人が閲覧してくれた可能性は低かったでしょう。
今回のモテモテになるという目的に対する敗因はいろいろあるとは思いますが、最大の理由はひとつだったと思います。
音痴以前にセロトニンの音痴担当♂が熟女好きで中高生にまるで興味がなかったこと、これに尽きるでしょうね。
もうやらされてる感満載で、歌い手で一旗あげてやろう、あわよくばあのフツメンな歌い手さんのように
女子高生を妊娠させて訴えられて逮捕されてみたいと思うほど、熱いパトスがなかったんだと思います。
ツイッターとかもやる気なかったですからね。
もし真性ロリでどうにか出会ってやろうとギラギラした餓狼のような輩であればまた結果はちがっていたかもしれませんw

とはいえニコ動に疎い私でしたが、ボカロPも歌い手も本当の素人というのはほとんどいないんだそうですね。
ニコ動でそこそこ程度人気にある人は、ほぼ全員が事務所に所属しているプロなんだそうです。
テレビに出るほどには売れていない末端のプロは星の数ほどいて、そういう人たちがしのぎを削っているのが
いまのニコ動であって、最初期のような趣味でやっているような人はもうほとんど残っていないそうです。
この事実はちょっと意外で驚きを隠せませんでした。


次回は私の知り合いでうまい棒やTENGAのイベントでも有名なおぱんぽんさんとの共催というかたちで
最近の脱出ゲームブームにあやかり「深夜の童貞脱出ゲーム」というイベントをやるそうですよ。
脱出ゲーム好きな童貞さんは参加してみるといいかと思います。
開催日時は失念しましたので、あくびツーリストのサイトを随時チェックしておいてください。
また非童貞、女性の参加の可否などは不明です。

ちなみにアンケートでエロバカ回答をした連れ(半分は私が書いた)がデPさんのサイン入りCDをもらいました!

こういう楽しいイベントはまた参加してみたいですね!

田舎はこわいところだ……

最近、よく田舎はこわいところだという意見が目につきます。
ちょっと前までは医者がすぐ辞めてしまう村とか、村中のいじめに堪えかねて村人を何人も殺めた事件とか
そういうのが多いわけですが、調べれば調べるほど実例が多くて、ちょっと半信半疑でした。

田舎に嫁に行くと夫よりも優先して義父や義兄と寝ないといけないしきたりがあるとか
村に新入りが入ってこない限り、何十年経とうが新入りあつかいで村の雑用をおしつけられるとか
にわかにはそんなことあるかよと思う話がごろごろしているんですよ。

しかし民俗学の本をあたってみると、これらの話がなまじウソではないようなんですね。
実は明治以来の政府の法令や通達とは別に江戸時代以前の村の仕組みやしきたりというのが
少なくとも戦後直後くらいまでは、ほぼ全国的に残っていたのであり
現代においても都市化していない村落においては、いまだにその傾向が色濃いということです。

で、なぜそういう旧来のムラが怖いのかというと、村人の意識にあるようです。
つまり彼らの世界観というのは「おらの村の外の奴らは全て敵だ!」という考えに基づくんですね。
平和でのどかな農村なんかを想像している人には、そんなこと信じられないかもしれませんが
ちょっと前までは、どこも貧乏だったし、食料も満足にあるわけじゃなかったんですね。
そういう状況下において、日照りが続けば、隣村や上流の村との水争いが勃発するし
薪にはじまりタケノコだとか松茸など山の幸をもたらす山林の所有権でもめることが日常茶飯事だったんですね。
たとえば村境の小道の反対側にある隣村の草をちょっとでも食べたのが見つかっただけで
日頃から仲の悪いムラであれば、子供であろうと半殺しにして木に縛りつけるくらいはやさしいほうで
すぐに村の若衆が集団で出張ってきて、双方喧嘩というか戦争が始まってしまうような社会だったんですね。

だからこそ粗暴で問題をおこしやすいムラのほぼ全ての若者たちで構成される若衆の行動が大目に見られていたのは
こうしたムラ同士の争いのために率先して戦う常備軍としての役目があったからこそだったようです。
そして常にムラ同士の戦いに備えているため、ムラの組織は準軍事的体制の傾向が強くなっており
日本国の法令とは別次元に存在するムラの掟は厳しいし、見えないかたちでの階級制度もしっかり決まっています。
そして裏切り者をださないために常に村人同士で何気なく相互監視してるんでしょうね。
だからなにか起これば必ず誰かが見ていて、あっという間にムラ中に噂として広まるわけです。
こういうことが、はた目には村ぐるみで家族同然の付き合いをしてるなんて美化されてますが
実際のところは、そういうドロドロとしている残酷な裏があったというわけです。

それでも昔は祭りの夜の乱交や夜這いなどが一般的だった関係で誰が誰の子だかわからない状況で
子供はムラの共有財産みたいなかたちで育てていたのが、そういうおおらかな風習のみが消え去り
個人主義的な価値観の流入により、より陰湿さを増してしまったのが現代のムラ事情ではないでしょうか。

まあ、とはいえそのような旧来のムラは既に都市化してしまって変質してしまったか
過疎化で消えてしまったかのどちらかで、ほとんど残っていないのが現状かとは思いますが
まだまだ昔のムラ社会の残滓が一部に残っている農村は少なくないようです。
また、こういうことはムラの恥にもつながるので、常に秘匿され表には出にくいようですね。
いかにムラでは聖人君子と尊敬される人格者であってもムラを守るためには外の人間にウソをついたり騙したりします。
かつては傷つけたり殺したりすることさえ辞さずというのが当たり前の世界だったくらいですから!

ちょっと都市部の人には信じられないことが田舎にはまだ根強く残っているんですね。
今後も精力的に昔の庶民の暮らしや風習について調べていきたいと思っています。

最近のラノベはニッチすぎだろ

気付いたら一週間、ブログを更新してませんでした……
いや、コンテストに出品するミニチュアを作っていたなんてことは理由になりませんよね。
気を取り直して書いていこうと思います。

で、きょうのお題はタイトルの通りです。
最近のラノベを見ると、もうネタが尽きたのか中二病や非モテ男の妄想が全開となってきました。
以前から同様の傾向にあったんですが、それでもまだ一般ウケする要素とかあったわけですが
昨今の作品を見ると、ラノベファンであっても読者を選ぶようなニッチな題材が増えてきたのは
私がここで書くまでもなく、みなさんの実感されていることでしょう。

黎明期の和製ヒロイック・ファンタジーやスペースオペラものは影を潜めまくり
ただでさ美少女ヒロインの登場するラブコメばかりがもてはやされる状況はもう十年以上続いていますが
そのラブコメもまた趣味傾向が細分化されてしまい、ちょっとでも読者の趣向と異なると
もう受け入れがたいものになってしまいかねないところまできています。
BLなんかだとすでにもっと進行していて、登場人物が一緒でもA☓BかB☓Aのちがいだけで
前者を大絶賛する人は後者をけなしますし、後者が好きな人は前者を毛嫌いするのと同じようなものです。

問題はちょっとしたちがいで、その作品を受け入れがたくするほどまでにニッチ化してしまったということでしょう。
多様化するにもほどがあるというか、生命の進化でもそうなんですが、あまりにも特化しすぎると汎用性がなくなり
ちょっとした環境変化で絶滅してしまうなんてことはよくあることで、結局はあまり特化せずにやっていくほうが
種としては長生きできるというのはゴキブリやトンボの例を出さずともおわかりでしょう。

絶滅うんぬんはともかく、今後ラノベ作品の傾向がよりマニアックに特化していってしまうと
その傾向が好きなファンは大喜びでしょうが、いかんせん人数が少ない。
そして出 版事業は数をさばいてなんぼの世界であるため、商業展開が苦しくなることが予想されます。
ちょっと前に話題だけ先行した電子出版や、あるいは同人誌、ネットで細々とやるという手もあるんですけどね。

もともとがラノベ自体がニッチなジャンルですので、大衆ウケしろとまではいいませんが
そこそこ最大公約数的にファンを獲得できる作品へと舵を切って修正していかないと、
ますます先細りしてしまう可能性も高いのではないかと考えています。
そのあたり少年漫画は昔からあまりブレないですよね。すなおにすごいと思います。

ですので、これから作品を世に出していこうとする人は、あまり自分のニッチな性癖へと向かわず
いわゆる王道路線を踏襲しつつ、演出として新しさを求めていく方向性もありだと思います。
なんだかんだいっても王道は強いです。結局、最後に勝つのは王道だったりするんですね。

ただ誤解しないでほしいのは「王道」と「平凡」は似て非なるものだということです。
ここの見極めができる人が成功し、できない人はずっと日の目を見ないことになるでしょうから
両者のちがいについては、しっかりと区別していってほしいと思います。

王道作品と平凡な作品の差をどう見極めるかはいずれこのブログでも書こうと思っています。

駄プラモの世界へご招待 その1

ミニチュアコンテストの審査待ちの時間、偶然居合わせたフリーマーケットで入手したプラモも紹介します。
プラモといっても、普通のプラモではなく玩具店ではなく駄菓子屋で売る駄菓子ならぬ駄プラモです。
今回はなかなかバラエティ豊かなラインナップを手に入れることができました。
まずは戦利品3点を御覧ください。

駄プラモ01

左から「スーパーロボ1号」、「電撃ウルトラ大怪獣」、「鋼鉄ジーグ」です!
いずれも当時は100円で売られていたのではないかと思われます。
値付けに800とあるのは無視してください……値札シールをはがすと袋も破けてしまうんですよ。
ええ、定価より高く買いましたとも。プレミアものですからw

いつ頃の商品なのかということなんですが、これがちょっとむずかしいんですよね。
鋼鉄ジーグは正規の版権物でありテレビ番組と連動している玩具なのでわかりやすいですね。
ちなみにアニメを宣伝媒体にして関連オモチャを売っていく方式の元祖がこの『鋼鉄ジーグ』だったとか。
当時、視聴率はあまりよくなかったようですが、オモチャはめちゃくちゃ売れたみたいですよ。
オモチャありきのデザインで、各関節がマグネットの球体関節になっているので可動範囲が広く
しかも同規格のオモチャ同士なら手足など組み合わせ自由自在というのが子供に大ウケでした。
下半身が馬になるケンタウロス型のロボットに変身するのもこのジーグが最初です。

閑話休題。『鋼鉄ジーグ』は1975年(昭和50)10月から1976年8月の放送ですし、
続けて第二弾の『マグネロボ ガ・キーン』が始まったことも考えると、
このプラモは1976年に製品化されたので、ほぼ間違いないでしょう。

駄プラモ02

この鋼鉄ジーグのプラモはパーツを見てもらうと、よくわかるのですが駄プラモのくせに非常に出来がいいです。
構造は駄プラモの特徴である「モナカ」という前と後のパーツを挟んで完成みたいな簡単なものですが
すごくプロポーションがいいし、頭部(顔)のフォルムも非常に原作に近い雰囲気です。
4年後の1980年にはバンダイからガンプラも発売されることになりますし
同じくバンダイからは、今でも販売されている宇宙戦艦ヤマトの100円プラモがあったわけですから
さほぼ驚くほどではないのですが、パチモンガンプラのガンガルとかを考えると非常に精巧です。
少なくとも100円の合体ロボシリーズを多数生み出していたアオシマよりも格段に技術レベルが高いです。
もしかしたら、これはバンダイかその子会社で製作されたものかもしれません。
あくまで想像ですが、当時、これだけの造形のキャラものを作れた会社はバンダイくらいだと思うのですが
いかんせん会社名はどこにも書いていません。

しかもタグに「アクション付き」となってまして、組み立て説明図によるとバネ仕掛けで飛びます……頭が!
ロケットパンチのように頭が飛んでいくというシュールな鋼鉄ジーグなのです。
たしかにアニメではサイボーグである主人公が変身して鋼鉄ジーグの頭部そのものになる設定でしたが
それは頭部と胴体が合体するわけで、飛び出すわけじゃないんですけどねw

ちなみにこのプラモはどうも完品ではないようで、金属バネが入っていませんでしたし
よく見ると包装紙のビニール袋も当時のものではないみたいですね。ホチキスも二度打ちされてます。
とはいえコレクションなので組み立てる予定はないから関係ありませんし、いざとなればバネくらいどうとでもなります。


さて、つぎに特定が難しいのが怪獣なんですよね。
いまでは怪獣のプラモというと珍しいのですがゴジラやガメラなど怪獣映画が全盛期だった頃は
ゼンマイで動く怪獣のプラモがバカ売れした時代があったのです。
ガッパといった、かなりマイナーな怪獣までプラモ化されてたくらいですから。

それを踏まえて、この怪獣プラモを見てみると、まず版権ものである©”マルシー”マークがありません。
なので無版権のパチモン決定です。作った会社は株式会社高藤とありロゴには東京の文字があります。
でも当然ながらもうそんな会社は存在していません!

パーツ構成となぜか袋に封入されているカード状イラストを見ると
完璧に宇宙怪獣キングギドラのようですね。短いながら首も3つありますし、顔も悪くない感じで、
尻尾もご丁寧に枝分かれしていて、パチモンながら好感が持てます。
イラストはあるのに組立説明書はないのは、説明するまでもない部品構成だからでしょうか。
かつてヤフオクで台紙ごと出品されていたようですが、それを見るとイラストの通り
このキングギドラとサイボーグ怪獣ガイガンの2種類のみのソートだったようです。

しかし、これがいつ頃売られていたのかというと、ちょっと戸惑うのです。
オリジナルであるキングギドラが映画に登場したのが1964年の『三大怪獣 地球最大の決戦』ですが
ガイガンの登場は1972年12月の『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』なので、少なくとも1973年以降でしょう。
それと、この「電撃シリーズ」とか「電撃ウルトラ大怪獣」というキャッチフレーズを鑑みるに
「ウルトラ怪獣」という言葉はウルトラマン以降のことで1966年以降、
また「電撃」という言葉も唐突に出てきたとは考えられず、おそらく『怪獣総進撃』(1966)の再編集版である
『ゴジラ電撃大作戦』(1972)に由来しているのではないかと想像できます。
またこの電撃シリーズはロボットもあり、こちらは板尾創路主演でリメイクもされた『電人ザボーガー』のパチモノで
ザボーガーは1974年放送であり、弱小メーカーが金型の高いプラモを同時にリリースできる余力はないとすると
ほぼ確定的に1973年の発売ではないかというのが順当なところでしょう。

私としては第一次怪獣ブーム(1966~1968)のときの商品だったらいいなとは思ったのですが
よくよく考えるとガイガンがいる時点で第二次怪獣ブーム期(1971~1974)のものだったようです。
それでも40年前の駄玩具というのは私が生まれる前でもありますがノスタルジーを感じてしまいます。

最後に残ったスーパーロボット1号については長くなったので次回に譲ります。
小説に関係ない話ばかりですみません……

駄プラモの世界へご招待 その2

駄菓子屋プラモを紹介する後編です。

前回は【鋼鉄ジーグ】(1974)と【キングギドラ(パチモノ)】(1973)を紹介しました。
最後に残るのは【スーパーロボ1号】となります。

このプラモは吊るしの袋入りではなく、ちゃんとした箱入の製品で、入手したものも箱付きでした。
ちなみに中身の構成は下の写真のとおりです。

駄プラモ03

しかしこれがクセモノなんですよね。まずどうやらデザインはオリジナルらしいのはわかります。
でも部品構成もひどいものです。プラモというよりも組み立てオモチャのレベルなんですよね。
はっきり入って贔屓目に見ても箱絵とは別物ですよ……当時の子供が箱絵を見て買ったらがっかりもいいところでしょう。
そして実はこれ販促品なんですよね。写真にもあるとおり「タナベ胃腸薬」というロゴと「プレゼント」の文字があります。
薬局で薬を買うとおまけでもらえたのでしょう。今でこそ缶コーヒーなどドリンクにオマケが付くことが多いのですが
昔はなんといっても薬屋さんで売られている薬や入浴剤などによくオマケが付いてきたものです。
おしらく富山の薬売りの時代から紙風船など駄玩具をオマケとして配っていた名残だったんでしょうね。

とはいえ調べてみると「スーパーロボ1号」は最初から販促品として作られたものではなく
普通に店頭で市販されていたものだとわかりました。
しかもパッケージは2種類ありまして、こちらはちょっとカッコよく描かれた後期バージョンのようです。
もちろん中身は変わらないので、完全に箱絵サギになってしまっていますが……
またこのシリーズは1号から3号までいたこともわかっています。

で、これはいつ頃の製品なのかという年代特定についてなのですが、ネットで調べてみると
意外と広く出回っているキットだったらしく、持っている方も多いみたいなんですね。
その中でこのロボットのデザインの元ネタについての推測としてあったのが
どうやら『UFO戦士ダイアポロン』を意識したデザインではないかとありました。
この1号は微妙なところもありますが2号なんかを併せて見ると、やはりダイアポロンっぽいですね。
元々、ダイアポロンも3体のロボットが合体することで1体のヨロイになるという設定でした。
ロボではなくヨロイなのは、なぜか原理不明にパイロットが巨大化してスーツのように着こむからですw

『UFO戦士ダイアポロン』の放送は1976年ということで、ちょっと意外なのですが
実は前の2つのプラモよりも後の時代の製品だということがわかってきました。
さらにこれは販促品でもあるので、一般販売がある程度落ち着いてから売られたことを考えると
もしかしたらガンダム以降のSFロボット全盛期の1980年代に配布された可能性さえでてきました。
そういえば、私もこんな感じのプラモを作った記憶があるので、もしかしたらこのシリーズを作ったかもしれません。
ただし初期パッケージ版は1976年よりも前に販売されていたのは確実でしょう。
昔のプラモはよくパッケージだけ変えて別物として再販することが多かったんですね。
たとえば大昔のプラモを箱絵だけガンプラっぽくして便乗商法で売りまくった『ガンガル』とかですね。
もしくはロボとか怪獣の頭だけ新規の別パーツにすげ替えてしまうという手もよくありました。
とはいえ初期パッケージは1974年発売の『ロボダッチ』風なので、そこまで古いものではないようです。

こうしたチープなプラモは今となっては郷愁的に味があってよいものですが
当時ははっきり言ってがっかりもいいところの粗悪品だったんですが、
私としては作る過程が楽しいのであって、完成してしまうと興味をなくしてしまうので
あまり大きく落胆はしなかったように記憶しています。
ただし軟質プラ(ABS樹脂)製なので作りにくいんですけどねw

以上で今回の戦利品の紹介はおしまいです。

モテたくないラノベ好きはいません!

少年向けライトノベルのほぼ100%が美少女ヒロインを主軸とするストーリーであり、主にラブコメです。
こうした環境下にあってラノベファンというのは、すべからく「女の子にモテたい!」のです。

「俺はモテたくない! 女なんか興味ない!」なんて戯言をのたまう輩もいますが
だったら未練がましくヒロインとの恋愛が大前提のラノベなんて読みませんよね。
なんだかんだいって女の子が大好きだからこそ、ライトノベルを読んでるしハマってるわけです。

それでも「三次元の女は興味ない。二次元こそ至高っ!」なんて強弁するかもしれませんが
そんなことを言えるのは実際に三次元の女の子と何人も付き合ってみて
それでも自分には二次元しかないと確信した人だけが言える言葉です。
リアルでモテないから二次元に逃避しただけの人は、イソップ童話の「すっぱいブドウ」でしかありません。
三次元を袖にしてまで二次元にこだわれる男はこの世にどのくらいいるでしょうか?
もしいるならば、学問的にはそれを「性的倒錯」(パラフィリア)と呼びます。

まあ、たいていの場合、周りに女の子がいない、相手にされない環境にいるだけの話で
もし男ばかりのサークルに微妙なかわいさの女の子でもちょっとやさしくされれば、その気になってしまって
結果的にサークルクラッシュしてしまうのは火を見るより明らかだと思いますよ。
男なんてそんなものです。素直になったほうがいいことも多いですよ。

それはさておき、そういうわけですからライトノベルを書く側としてみたら
こういったモテたくてもモテなくてモヤモヤしている青少年の気持ちを忖度して
カタルシスを与えられる作品を提供することができれば理論上は成功するわけです。
少女向けなら読者がキュンとする話とでもいうんでしょうかね。

そして現代社会においては残念ながら、モテたくてもモテない人が急増しています。
戦前までは地域コミュニティで筆下ろし会が行われていましたし
農村なら戦後高度成長期前までなら夜這いの風習も残っていましたが今はありません。
性風俗を拒否してしまうと、あとは自力で女の子を見つけなければいけないという高いハードルが立ちはだかり
20代30代の独身男性の1/3は交際経験なしの童貞であり、25歳を超えてもまだ童貞の場合は
悲しいことに統計上は生涯童貞でいる確率が95%以上ということになってしまいます。
この格差は今後ももっと拡大してゆく可能性があるということです。

こうした世情においてライトノベルは恋愛至上主義の負け犬の代替物として存在するのではなく
もっと発展的により夢と希望を与えるものになってゆくことで、現状を打破するように向かってゆくのが
今後の課題ではないかと思うのですが、今のところはどんどん内向きになっていってるんですよね……
ライトノベルではないですが森見登美彦作品だとモテない男ながら異能とか世界を救うとか関係なく
恋愛というもの対して将来的な希望がモテる結末が多いんですけどね。
だからこそ森見作品の主人公はひねくれた非モテ男なんですが女性ファンも多いのでしょう。
ただ彼女たちいわく「森見作品の主人公は腐っても京大生だから」という身も蓋もない意見もありまして
本当にうだつあがらないダメ男だったらファンにはならなかったとのことでしたが……

さて、あなたの書く作品は実際に読者に夢や希望を与えますか?
それとも厳しい現実から逃避させるための麻薬になってしまっていますか?
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