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UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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都知事選からバレンタイン粉砕デモまで~ネットの影響力

大雪と都知事選も終わり、きょうは2月13日。あしたはバレンタインデーです。
きのうは今年も渋谷で『バレンタインデー粉砕デモ』が革命的非モテ同盟の主催で開催されました。
ちなみに参加者は16名で、そのうちのひとりが私でした。
しかもちゃんと警察に申請したデモなので警察の先導車輌や警官も寒い中、警備してくれました。
写真や動画は検索すれば見つかるので、興味ある方は探してみてください。

さて私はというと、ここ最近ブログも更新せずになにをやっていたかとうと、まあサボっていたわけですが
ただサボっていただけではなく、都知事選当日には家入かずま選挙事務所にちょっとだけ行ってみたり
20:00の選挙終了時には田母神としお支持者の集まっている会場へと足を運んでいたりしたんですね。
当選の見込みがそもそもない家入事務所は投票日当日には撤収作業にはいっていましたが
田母神陣営は熱烈な支持者の集まるなか熱気に包まれていました。
が、開票速報ですぐさま出口調査により舛添当選が流れてしまいましたが……
会場にいた田母神支持者は結構年代は幅広かったのですが、女性の年齢層は比較的若く男性は高齢層が目立ちました。
もしかしたら若い男の子ってほとんどいなかったんじゃないかと思います。
マスコミがイメージするようないかにも「ネトウヨ」っぽい青年というのはいませんでした。
なので落選が伝わったときには本気で泣いている女性の姿が何人もいたのが印象的でしたね。
逆に家入事務所のほうは男性はかなり若い人が集っていましたね。そして女性のほうが男性よりも高めかなと。
本当は宇都宮けんじ選挙事務所にも行ってみたかったのですが時間的に断念しました。
やはり選挙は開票時にだれか(特に支持している候補)の事務所にいるとおもしろいのでおすすめです!

今回、私が注目していたのはネットの反響がどのくらい実社会に反響するのかというものでした。
日々ネットの力が大きくなってきている昨今、実際に投票という行為をともなう選挙において
ネットの意見はどのくらい反映されるのか、とてもわかりやすい指標になると考えたのです。
いろいろと年代別の投票動向などがすでに発表されていますので、その詳細については割愛しますが
結果として現段においてネットの声は実社会においては大勢を変えるほどの影響力はないということです。
ネットでは舛添候補のネガキャン一色でしたが、実際は圧勝ともいえるほどの大差でした。

しかしながらマスコミ的には中盤までドクター中松と同列の泡沫候補としてあつかわれていた田母神候補が
結果4位ながらも組織票なしに60万票も獲得していたのでまったくの無力でもありませんでした。
田母神支持層は30代、40代に特に厚く、投票率が極めて低いながら20代も比率的には高かったようです。
逆に舛添支持層は60代以降のいわゆるネットを活用しきれていない層に集中しているのでした。
年寄りほど人口も多く投票率も高い選挙においてはまだまだネット言論は少数派でした。
とはいえ、いわゆるネトウヨの中心層は30代後半をピークとしているので、あと15年もすれば
選挙において主流となってくるのは田母神候補のような新保守勢力になってゆきそうです。

一方で宇都宮候補のような左翼候補を支持する人たちも意外と若い人に多くなっているようです。
戦後直後から日本共産党が在日朝鮮人を雇って死人がでるほどの暴動を頻発させていたり
内ゲバで殺しあったり、総括と称してリンチで仲間を殺していた学生運動の記憶のある年配層においては
共産党や共産主義というのは活動当事者以外には忌避すべきものとして脳内にすりこまれていますが
若年層では勢力的に弱くなり、庶民迎合の政策を打ちだす共産党や社民党しか知らないようで
いわゆるリベラル的な思想の人たちに受け容れられているようです。
とはいえ過去の都知事選から見て共産党推薦候補の上限は100万票弱で、ほとんどが組織票だとわかっていますので
組織票の強さはありますが勢力としては田母神支持層とさほど変わらない程度のようです。
さらに街頭演説で動員されていた党員たちを見ると高齢化は隠せず、年を経るごとにどんどん減っていきそうです。

ネットの声の大きさは実際の人数ではなく単に発言する頻度だということは、
ツイッターなどで頻繁に見かける脱原発派が実際にはかなり少数だということでもわかっていますが、
それでもそれなりの勢力として実社会にも影響をおよぼしつつあることがわかってきました。
まだ全年代でネットは活用されていないため、まだ新聞やテレビのマスコミの影響を強く受ける世代は多いわけですが
これも時を減れば徐々に変わってゆき、20年も経てば一変してしまうと予想しています。
このような全体を動かしてゆく潮流は変えられないでしょう。

また全体の流れだけでなく、バレンタインデー粉砕デモといった、言い方は悪いですが些細な主張というのは
ネットが普及する以前はまったくもって世間に伝わらなかったし参加者も集まらなかったでしょう。
ですがネットにより全体の中にわずかにしか存在しない少数派でも集まってゆき、これを主張する機会が増えてきています。
都知事選終了直後、私も田母神陣営から外山恒一陣営(前々回の都知事選で「政府転覆」を主張した人)
の集会に6年ぶりに顔をだしてみましたが、今回、外山氏は立候補していないにも関わらず、
なんだかんだ毎夜20人くらいが集まって酒を酌み交わしていたそうです。

全体を覆す大きなうねりとしての影響、少数派が結束してゆく影響をネットは実社会に確実におよぼしつつあります。
まだ世間一般ではその動きを目の当たりにすることは少ないですが、少しアングラ、サブカルまで下りてゆくと
興味深く観察することができますので、いろいろと参加してみて経験してみるのもおもしろいと思いますよ。
そして、そこで思わぬ出会いや交流もできたりしますので、おすすめしておきます。
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青春小説とライトノベルの近くて遠い関係

はじまりは今夜のツイッターのつぶやきからだった。

大人になって青春小説が好きになってきた。
恋愛や仲間とのバカ騒ぎとかあるあるな郷愁を感じるからか。
ふと青春の思い出があまりない人はどうなんだろうかと思う。


最近の私の傾向として青春小説が無性に好きになってきました。
いいですよね、若さゆえの情熱や悩み、なにより愚かさが垣間見える青春小説って。
でも青春現役時代って、そんなに青春小説って好きじゃなかったんですよね。
なんというか等身大すぎて気恥ずかしいみたいなところがあって。
主人公が自分に似ていたりなんてすると共感しつつも抵抗感があるというかね。
まあ、いい歳になって、こういう同世代が抱く近親憎悪的な抵抗感がなくなると
本当にすんなりと昔の自分と対比でき、共感するよりも郷愁を感じるのです。

で、ここからが本題なのですが、実はこういう小説にあるような青春を送っていない層というのはあるのです。
特に目的もなくだらだらと仲間とつるんでは遊んだり、呑んだくれたりとか
誰かのことを好きになってみたり、逆に好かれてみたりとか、
そのほかいろいろな経験があまりないという人は少なくないんじゃないかなと思うわけです。
そういう人にとって、青春小説はおもしろいものなのでしょうか?

山田詠美の『ぼくは勉強ができない』なんて非モテ男子が読んだらトラウマものだと思うんです。
勉強ができてもモテない男には価値はないという絶対的な心理のうえで作品が構築されているからです。
そして青春小説というのは、はからずもそういう残酷さがあるのです。
どんな情けない主人公でも青春を謳歌するとき、その行動が無上の価値となるのです。
だからこそ、そういう行動を経験したことがない人にとっては、自分を否定されたような気分になりやすいのです。
恋愛をしたことのない人が「恋ってどんなことよりも素敵!」という作品を読んだとしたら
友達のいない人が「仲間との友情こそ最高の宝」なんて作品を読んだとしたら
自分が作品の中ではまったくの無価値な存在だと思わないわけにはいかないですよ。

それに対してライトノベルというのは青春小説とは対極に位置する作品ではないかと考えるのです。
内容こそ「恋愛」や「友情」を描いているので似た構造なのですが、まったく似て非なるものなんですよね。
どこがちがうのかというと、決定的な差は「ファンタジー」であるということです。
青春小説だって荒唐無稽な作品はたくさんありますが、ここでいうファンタジーとは異なります。
ライトノベルのファンタジーとは、端的に言ってしまえば「青春を謳歌できなかった人のイメージする青春」なのです。
そう、こういう彼女がいたらいいなとか、こんな仲間と遊びたかったなみたいな脳内の青春そもものなのです。
その舞台が異世界だろうとよくわからない部活だろうと関係ありません。
だからなのか、青春的なもので価値観を押しつけるような作品って少ないんですよね。
微妙に主題がずれていたり、あまり深く言及されていなかったりするわけです。

青春小説が実体験に基づく思い出や郷愁のうえに成り立っているのに対して、
ライトノベルはこうだったらいいのになという妄想のうえに成り立っているといってもいいでしょう。
これは決定的な差となっていると思います。とはいえ両者のあいだには線引きしにくい作品もあるし、
ライトノベルのような青春小説や青春小説のようなライトノベルもあるでしょう。
それでも青春小説とライトノベルの大きな差ではないでしょうか。

読者の抱く最大公約数の願望を理解してますか?

小説という作品が人気を得るために必要な物、それは「読者の願望」を叶える作品を描くことです。
ライトノベルであるなら文化系中高生が憧れるような物語や世界を紡いであげることです。
そして数ある作品の中から読者に注目してもらうための差別化としてアレンジがあるわけです。

ですからそもそもオリジナリティあふれる演出のアレンジがあっても肝心の「読者の願望」に則ってなければ
その作品は面白くないし、感動もしないし、共感を得られないわけですね。
そして作品はある程度読者層を絞ってはいますが、基本的には不特定多数を対象としています。
ですから読者の願望といっても個人のものではなく、より広く受け容れられるような最大公約数的なものでなければなりません。
つまり本質とかエッセンスとかそういう核となるものがしっかり把握していないと最大公約数は見つかりません。
しかしながら本当に見つけられているという人はけっして多くはないんですね。

たいていは軸が据わっていなくてブレていることが多いんですよ。
それをごまかすためにいろいろ付加要素を取ってつけてみたりするんですが状況を悪化させるだけです。
たしかにいろいろなタイプの人の琴線に触れるようなネタを仕込むのも有用な演出です。
でもそれだけでどうにかなるほど小説というのは簡単にはいかないんですね。

とにかく想定する読者の抱く願望の最大公約数を見つけてください。
まだ不慣れなら最大でなくても構いません。できるだけ最大値に近い公約数でもいいんです。
少年向けライトノベルというのは若い男子というのが単純なバカですので意外と簡単なのですが
ここでは敢えて明示しません。自分で悩んで考えてみましょう。
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