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UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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ライトノベル創作教室ラノベりあん 中二病でも書けるライトノベル教室♪

小説の楽しい書き方講座ブログ 毎週開催の創作塾と連動中!

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自分の本当に書きたいことを考えてみよう

毎週開催している創作塾では、現在塾生たちに自分の本当に書きたいことを考えてもらっていますが
なにか私が期待しているようなものが出てこないんですね。
どうしてなのか、いまいちど考えてみたところ、納得のいく考えが思い浮かびました。

そうなんです。個人的に私が書きたいことと言われて連想するのは、常に読者目線なんですね。
つまり自分が書きたいことというのは、大前提として「読者が喜んでくれるもの」がありまして
その中から私自身が読者に提供できるもの、自分が興味をもったことを書きたいなと思うわけですが
どうもそういう考え方は誰にでもあるものではないようなんですね。

「自分が書きたいものはなんですか?」と訊ねると、多くの人は自身が好きなものを思い浮かべてしまうようです。
そして、そこに読者とか受け手がどう感じるかなんてことは考えもおよばないということがわかってきました。
私としても意識して考えていたわけではないのですが、改めて考えるとおそらくそういうことなんでしょう。
これは私にとっては読者目線で書きたいものを考えるクセがついていたし、それが当たり前だったので意外そのものでした。
それで、はたと思い当たったのは、塾生たちは自分の作品をどんなタイプの人に読んでもらいたいとか
読んでどう感じてほしいみたいなことをあまり考えてこなかったようですね。
考えていたとしても自分の考えを一方的に押し付けるかたちで「伝えたい」みたいなものでしかないんです。
読者の立場にたって、どんな作品を読んでみたいかという基本的なところに思いを巡らすことなく
ひたすら自分が書きたいものを探しているわけです。これではいつまでたっても独りよがりな作品しか書けません。

「作品を書くこと=読者の喜び」という奉仕の精神というと大仰かもしれませんが、創作というのはそういうものなんです。
作家っていうのは「尽くすタイプ」なんですね。そうでないとやってられません。
自分の書きたいことを減らしたり隠したりまでして、客である読者に媚びるような作品なんて書きたくないという性格の人なら
小説家という仕事は向いていませんので、それなら評論文や論文で好きなことを書いていったほうが幸せになれます。

もしあなたが自分が本当に書きたいことは、とにかく読者が喜んでくれるものという意識はありますか?
自分の好みや考え方、伝えたいものだけを一方的に読者に押しつけようとしていませんでしたか?



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なぜハルキストはキモチわるいと言われてしまうのか?

今年も恒例の村上春樹ノーベル賞落選の模様が大々的に報道されていました。
そんななかノーベル賞受賞の報を待ち構えていたハルキストなる村上春樹の熱烈なファンがクローズアップされましたが
これを見たネット界隈での感想はというと「ハルキストはキモチわるい集団」みたいなものが散見されるんですね。
これもいつものことで取り立てて変わったことではありません。

ですが、なぜハルキストはキモチわるいと言われてしまうのでしょうか?
そもそも私の持論として「村上春樹の作品が好きな男はモテる」という法則を提言しています。
なぜかというと、それは村上作品の作風のせいなんですね。
村上春樹作品にたいてい共通しているポイントというのがありまして、それが何かと一行で表現するならば

ゆきずりの女とセックスしながら「世界は空虚に充ちている」とかつぶやいてしまう男の物語

というふうになるんじゃないでしょうか。
もちろん、これが村上作品のテーマではないんですが、表層的に捉えると、ほとんどの作品がこんな感じなんですね。
つまり村上作品の主人公というのは「文化系リア充な男」なのです。
これといって目立つこともなく、女にがっついているわけでもないのに、なぜか勝手に女のほうから寄ってきて
いつのまにか不特定多数の女たちとベッドをともにしてしまうみたいな感じなわけですよ。
それでいて烈しい恋愛にはならない。どこか醒めている雰囲気が漂っているみたいなハードボイルドなのです。
こういう男のライフスタイルに共感できる人、憧れる人が村上春樹のファンになるわけです。
で、たいていの文化系の男というのは非モテですから、村上春樹的主人公に共感できないし
自分の人生を真っ向から否定するような作品を前にしては徹底的なアンチに走ってしまう人も少なくないでしょう。
特にネット上で「おまえら」とか呼ばれている層には天敵になるんじゃないでしょうかね。
そうなるとハルキストは「キモチわるい」とか「意識高い系w」とか彼らの嘲笑の的になってしまいます。
結果として一部のモテる文化系男だけが村上春樹ファンになるわけです。
「村上春樹の作品が好きな男はモテる」というより「モテる男は村上春樹の作品が好き」ってわけです。

でまた一般文芸作品というのは男性読者よりも圧倒的に女性読者のほうが多いので村上春樹ファンにも多くの女性ファンがいます。
で、そんなハルキストな彼女たちはこんな文化系リア充男が好みだったりするわけです。
そもそも村上春樹作品に登場する女性というのは、すごい美女というのはあまり登場しません。
いくらリア充男でもしょせん文化系なので寄ってくる女も似た感じの文化系で、どこか地味な印象のある女性が多いようです。
それでいて個性的な女性の登場人物に女性ファンは自分と重ね合わせたりして共感するのかもしれませんね。
実際に映像や画像で見る女性ハルキストもまた老いも若きもそんな雰囲気が漂っているのが多いのもおもしろいです。
なんていうんですかね、特に美人でもないし派手でもないけど普通にモテてます(モテてました)みたいな女性というんですかね。
逆に男性ハルキストはちょっとオサレ系な中高年タイプが多く見受けられ青年層というか若い人が少ないです。
これは今の若い人に女性との交際経験が圧倒的に少なくなってるなんてアンケート結果と何か関係があるのかもしれません。

とはいえ、ライトノベルはというと「現実世界でモテる男(女)は読まない」ので、村上作品とは対極なんですけどねw
文化系のモテる男女の雰囲気みたいなのを感じてみたいという人はぜひ読んでみてください。
ただし村上作品を読んだことでモテるようになることはないので予めご承知ください。



ラノベ創作塾日誌~なかなか当たり前のことができない

久しぶりに当ブログにコメントをもらいました。
「当たり前のことを毎回グダグダよくここまで恥ずかしげもなく書けますね。 説教っぽいことしたいだけの無能でしょあんた」
ほんと、いつも思うんですが自分でも「アタリマエ」のことしか書いてないよなと思います……
とはいえ、生徒を実際に持って教えてみると、こんなこともわからないでやってたのかと思い知らされるので
しかたなしに当たり前のことを地道に教えてゆくしかないんですよね。
最速!と謳い文句の創作塾でしたが、いろいろと教えてゆくなかで塾生たちに当然わかっているのを前提にしていて
そのうえでどうやればいい作品が書けるかのヒントを教えてゆくつもりだったのですが
実はさっぱりわかっていなかったということに気付かされ、じだいにカリキュラムはどんどん基礎に戻って今に至ります。
そして私は説教が嫌いなので、塾生は実感してると思いますが同じ注意を3回繰り返すと明らかに怒っています。
これではいけないなと思いますが、ついつい語気が荒くなってるんですよね。

きっと、このコメントを書いてくれた人は優秀なんだと思いますよ。
そういう人は勝手に作品書いてさっさとデビューしてしまうので別にブログなんて読まなくていいと思いますよ。
こんなところで基礎学習するなんて時間の無駄です。

さて、創作塾でいま考えてもらっているのが創作に関しての自作品の方針についてなのですが、かなり停滞しています。
指導をはじめる段階では、こんな初歩まで教えるつもりはなかったのですが、基礎ができていないのに
応用を教えても身につくこともなく、なかなか進展しないので仕方なく、これに何週間もかけています。
塾生にはもっと意識改革してほしいのですが、今まで染みついたものを変えるのは難しいようです。

前にも書きましたが、やっぱり「自分の書きたいもの」というのが完全に「自分の好み」とイコールになってしまってるんですよね。
どうにか考えを変えてもらおうと、いろいろ言っているのですが頭でわかっていても実行は難しいのかもしれません。
「自分の書きたいものとは、読者が喜んでくれるもの」というふうに考え方を変えてゆかない限り今後の成長はないでしょう。
誰しも知り合いにおもしろい話をする人というのがいるでしょう。
そういう人たちはどうして、おもしろい話ができるかというと、聞き手をおもしろがらせてやろうと意識してるからです。
相手のことも考えず好き勝手に一方的に話していたとしたら、たいてい聞き手にとってはウザいだけですよね。
そのくらいはわかってもらえると思いますが、こと小説になるとそれをやろうとしてるんです。

一方的に作者の好みや考えを読者に押しつけようとするんですね。勝手すぎると思いませんか?
まあ、読者にお金を払って読んでもらうというのなら、そういうスタイルもありでしょう。
でも実際は読者が作者にお金を払って読むわけですから、お客様である読者のことをもっと考えてあげましょう。
もっと他人の喜びを自分の喜びとして感じられる感性を育んでいってほしいです。
とはいえあからさまに読者に迎合したりおもねったりすると読者に見透かされてしまうので注意してください。



ラノベ創作塾日誌~センスがないことを前提に考えぬこう

創作塾で教えていて、プロットなどを書いてもらって「じゃあ、この作品のウリはどこなの?」と質問したりしますと
「魅力的なキャラ」だとか「軽妙なかけあい」みたいなことを塾生の全員が言ってきたり書いてきたりするんですね。

しかしながら、私がここまで教えてきた限り残念ながら塾生は4人ともその手のセンスは見当たりません。
そもそも魅力的なキャラとか軽妙なかけあいがスラスラと書けてしまうのは、それだけでセンスのある人なのです。
センスがある人がいるということは、反対に言うとたいていの人が持っていないということでもあるんですね。
だから自分の作品のウリを「キャラ」や「かけあい」にするのはやめようと指導しています。
さすがに落第点では困りますが、キャラもかけあいも及第点でよしとして、その他のポイントをウリにしましょうと。
たしかに目につくヒット作というのは、そういうキャラやかけあいに注目しがちですが書きたいと思っても書けない人が多いのです。
ただし、そのうちスキルがあがって書くことができるようになるかもしれないので日々の精進は必要ですけどね。

さて、そういったことを踏まえて、創作するに際してこのブログを読んでいる大半の人にアドバイスしたいことは
自分には際立って卓越したセンスのない凡人であることを前提にして物語を考えていってほしいということです。
凡人ならば、どうすればいいかはセンスのよしあしではなく、すべて物語を計算して考える習慣がつきます。
もしもなんらかのセンスがある人であれば、それはそれで邪魔ではないので計算の上にプラスされるからいいじゃないですか。

自分のセンスに頼らず、どうすれば読者がよろこんでくれる物語を創作できるか、その一点に絞って
よくよく自分のアイデアを練ってみてください。そして自分の武器となるもの、苦手なものを明確にしましょう。
こういう考え方をするだけで、あなたの創作スキルはかなり上達することうけあいです。

なにせ95%以上の作家志望者は「この世に存在ない自分のセンス」に依拠して作品を書いているトンチンカンなのですから
ここで「すべて計算づくで考えぬかれた熟考」に基づいて書かれた作品が負けることはありません。
そのためにも考えるための根拠や資料となるものへの深い造詣や鋭い分析力が必要になってきます。
そして、この造詣や分析力というのは、センスの有無にあまり左右されず努力に比例することになるので
努力をサボっている人はすぐにわかるものです。センスもない、努力もしないなら作家どころか何事も成し遂げられません。

少なくとも人一倍の努力くらいはしましょう。たとえば作家になりたいなら年間100冊は読んでいて普通です。
というよりも読むなと止められても100冊は読んでしまうような人が作家になるんですね。
それとライトノベルを目指すなら、この100冊にライトノベルは含みません。他のジャンルのものを指します。
もし今までライトノベルしか読んでないのであれば、今すぐにでも年間200冊のペースで読み始めないと
本気で作家を目指している上位のライバルとの差はますます開くばかりだということを肝に銘じておきましょう。



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