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UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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我が一族の住む城址に思う

こう見えても私の祖先は一応、城持ちの武家でした。そして本家はというと未だにその城址に住んでいます。
とはいっても現代人のイメージする立派な石垣や天守閣のある大規模な近世城郭ではなく、小規模の中世城郭です。
中世城郭というのは、たいてい水の張った堀に石垣ではなく空堀に土塁、漆喰塀ではなく木柵、
天守閣どころか建物といえば平屋の粗末な小屋(兵舎、厩)が数棟と簡素な物見櫓くらいしかなかったでしょう。
現代人の感覚でいうと、よく言えば砦、悪く言えば山賊の根城みたいなものにすぎませんがw
城内には数百人が詰められればいいほうで、よく戦国ドラマで数時間で落城したと報告されるくらいの城だったでしょう。

我が一族の城はというと、一族が戦国初期に土着したところを見ると、その頃に築城されたもので
舌状台地(陸の岬のような地形)を利用した平山城的な縄張り(構成)だと推定されます。
現在の母屋や蔵は舌状台地の付け根の斜面を階段状にした部分(曲輪)にのみあり、そこに居住していますが
本来は長さ300mほどの小さな舌状台地の先端頂上部に櫓などを建てていたのではないかと思うのですが
史料などは皆無ですし、江戸時代の一国一城制で破壊したでしょうから遺構等もあまり残っていません。
後北条氏の領内で小田原と鎌倉の中間地点にあったところを見ると、そこそこ重要な拠点だったかもしれません。
でも豊臣秀吉の小田原征伐のときにどう切り抜けたのかわからないのですが、領地は温存されたようで
その後、江戸時代には幕府直轄の天領となった後も我が一族は地侍(郷士)として地域に一定の勢力を持っていたようです。
家格はかなり低かった(貧乏御家人程度?)と思われますが庄屋や代官のようなことをやっていたようなので
地域一帯の年貢米の徴収などを管理していたからお金には昔から余裕があったようで
明治から昭和まで地方議員を歴任したり、いまの当主(伯父)も叙勲されていますから
まだまだ地元ではかろうじて名士と言えるのではないでしょうか。

さりとて昔のことを調べようとしても、今となっては甲冑はおろか刀一本ない状況であり
現存するのは戦国時代まで遡る墓石や供養塔といったものくらいで、わからないことだらけです。
よって城について興味を持っていろいろ調べてみたいのですが、中世城郭の城址なんて土塁の斜面が残ってればいいほうで
ほとんど住宅地に埋没していたり、完全に山に戻ってしまったりして往時の姿を想像するのは難しいです。
また父がまったく歴史などに興味がないのと驚くほど子供のときのことを覚えていないので
手がかりを得るのさえほとんどできなくなってしまっています。

とはいえ、歴史に名を残さない全国にそれこそ無数にあった弱小城でも、先祖が築き治めていたとなれば愛着もありますから
できればもっとよく調べて記録などを残せればと思っているのですが……かなり難しいでしょうね。
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