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UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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自分のスタンスを知ろう【宗教編】

前回の政治思想に続いて、今回は宗教観です。
政治思想以上に厄介なのが宗教で、日本人は特に宗教アレルギーがあり、
それゆえ抵抗力がまるでなくて簡単にカルトにはまってしまう人が多いわけです。
今回は日本人の根底にある宗教観を整理してみましょう。

小説において登場人物の生死を書くことは多いはずです。
では作品の中では語られなくても、死後の世界はどう考えていますか?
登場人物の認識のあり方で登場人物の考えや行動は変わってきますよね。
今回は特に「死生観」について書いてみたいと思います。

日本では「良い人は天国に、悪い人は地獄に行く」と考える人が最も多いはずです。
または「輪廻転生などの生まれ変わり」を信じている人も多いですね。
では、このような考えはどこから来ているのでしょうか?

死者が天国と地獄に行くというとキリスト教を思い浮かべる人が多いと思います。
しかしキリスト教においては、そのような教義は一切ありません。
キリスト教の教義においては、近い将来にキリストが再び地上に降りてきて 最後の審判を行います。
このとき生きている人と共にアダムとイブ以来の全ての死者が蘇って裁きを受けることになります。
そして敬虔なキリスト教徒は神の国に、異教徒と異端者は地獄へと堕とされます。
ですから実はキリストが再臨していない現在、天国にも地獄にもまだ誰ひとりいません。
欧米で火葬を嫌うのも霊は最後の審判まで遺体と共に眠っている考えるからです。
そして裁きの基準はキリスト教徒かどうか、ユダヤ教ではユダヤ人かどうかであって
心の正しい人、徳の高い人が天国に行くわけではありません。
ヤハウェ神との契約を守った者(=キリスト教徒)だけが救済されるのです。

次に仏教についてですが、実は仏教の開祖ゴータマ(お釈迦様)の説法では
実際に知ることのできない死後の世界を語ることは慎むべきだと言っています。
本来の仏教は宗教よりも哲学に近いものなので、日本の多くの宗派に見られる後生の仏教は
仏教以前の多神教(ヒンドゥー教、道教、日本の神道など)の影響を受けていて
今のような信仰のかたちになったことを理解しておいたほうがよいでしょう。
輪廻転生というのは、植物が一年を通して芽生え、茂り、実り、枯れる循環を
なぞらえた世界中の農耕民族由来の古代宗教観で、本来の仏教とは無関係の概念です。
そして仏教は宗教色が薄く、インドで流布される段階で多神教の影響を色濃く受け継いだために
他宗教に対して比較的寛容であり、一神教のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の救済の教義に比べると
熱心な信徒であるよりも、人徳のある者が極楽浄土すると考えられる風潮があります。
唯一、日蓮宗系のみが日蓮自身が自分の教える信仰以外は淫祠邪教と説いてしまったがために
一神教的な価値観が強くなり、歴史的に仏教系カルト教団の多く生みだしています。

また日本においては、刑事物でもお馴染みですが、死んだ人はホトケ様になります。
しかし「」とは悟りを開いた者のことで、死んだら誰もがなれるものではありません。
正確には、あの観音菩薩でさえ悟りきれず「仏」になっておらず(故意になっていない)
現世の人々を救済して修行をしている最中であるとされています。
では、なぜ日本では死んだら、みんなホトケ様になるのでしょうか?
ホトケと仏教の言葉を使っていますが、これは神道の「カミ」そのものです。
神道は八百万(やおよろず)の神々というくらいで、万物に宿るものとされています。
民俗学的にはキリスト教などの一神教のGODと区別するため「カミ」と書きます。
西洋的な解釈では神様というより精霊に近い存在のではないでしょうか。
この思想を真正面から扱っているのが、「もののけ姫」ですね。
カミとなった者は生前の善悪の行いによって差別されることはありません。
むしろ怨みを持って非業の死を遂げた者ほど懇ろに祀ってあげないと 怨霊になって祟ると考えます。
平将門(神田明神)や菅原道真(北野天満宮)への信仰は怨霊鎮撫の信仰です。
ですから靖国神社の英霊たちは戦争で非業の死を遂げているわけですから
粗末に扱えば怨霊になりやすく、最も大切に祀る必要があると考えるわけです。

しかし中朝韓の特定アジアでは、全く別の大陸的宗教観が存在しています。
それは悪人、罪人は死んでも未来永劫、許してはならず罰し続ける思想です。
この思想を反映しているのがキョンシーです。
キョンシーは顔のお札で封印し続けないと人を襲って災いをもたらすのです。
中国人は死体は蘇って仕返しをするのだと感覚的に漠然と思っているのですね。
中国の歴史書には敵の死体を塩漬けで保存し、ときどき死体の一部を削ぎとって
肉片を口に含んで噛み砕いて、吐き捨てるという慣習もあったということなので
「死者に鞭打つ」思想が徹底されているのです。
日本的な感覚では死んだら罪は帳消しになりますが、大陸的には死後もその子孫も罪は未来永劫続くのです。
ですから大陸の宗教観ではおとしめなければならない”日本軍人の亡霊”を日本人が神として崇めるのは、
大陸の人間にとっては、まるで邪神復活の儀式のような感覚にとらわれてしまうのです。
(靖国参拝反対の最大の理由は中共政府の外交カードとしての政治利用ですが……)
しかし宗教観の違いでここまで、考え方が違ってくるということの、よい例ですね。

さて、あなたの宗教観は、どのようなものでしょうか? 人は死んだら、どうなると思いますか?
もう一度、深く突きつめて考えてみることをおすすめします。
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