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UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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深く深くダイブせよ AKR48作家修業日記(26)

底が浅い


きょうはいつも弟子を指導していて、気になることを書いていきましょう。

一言でいうと、浅い!

もうね、この一言に尽きます。
弟子だから率直に言ってしまいますが、とにかく考えることの底が浅いんですよ。
でし夜だけでなく照子もそうだったんですけれど、キャラなり設定なりストーリーなり
およそすべてにおいて、あまり突っこんで考えてみないんですね。

だから師匠である私のちょっとした質問に詰まってしまうわけですし、
それ以前に表面しかなぞってこないから他の作品との差別化もつきにくいし、
作品の魅力を引きだすところまで物語を煮つめることができないわけです。


深い思考と広い思考


この底の浅さを自覚している人はまだいいんですが、自覚してない人も多いんですね。
もっと深く考えてといっても、なかなか指導どおりに考えられないわけです。
「深く」と言われてもどうすればいいのかわからない。
だから「広く」考えてきてしまう人もたくさん見てきました。
でも創作に必要なのは「広く」より「深く」なんですね。

深くとか広くとか言われても、いまいち観念的でわからないという人のために説明しておきましょう。
広くというのは、とりあえず設定の項目を増やすみたいなことです。
一見すると、設定が詳細になって深みが増しているようにも見えますが、これは裾野が広がっていくだけで
設定に深みが増しているというのとは、ちょっとちがうんですね。
深くというのは、1つの設定において因果関係をはっきりさせることにあります。
キャラ設定で「無鉄砲な性格」というのを設定したとしましょう。
このとき、どのくらい無鉄砲なのか、どうして無鉄砲なのかといったことを突きつめることが
設定を深くするということになります。

好例としては夏目漱石の『坊っちゃん』の冒頭部において、それが凝縮されています。
親譲りの無鉄砲さについて、子供の頃からの無茶な来歴が披瀝されていて、とてもわかりやすいですよね。
ナイフの切れ味を証明するために自分の指を切ったとか、二階から飛び降りたとか尋常じゃなありません。
読者としても「無鉄砲」と書かれていても、このようなエピソードが書かれていなかったら
まさかこれほどまで主人公が無鉄砲だとは思うわけもないわけですから、
無鉄砲な性格という1つの設定が深く掘り下げられ、しかも印象的になっています。

簡単に言ってしまうと、設定のひとつを裏付ける縦につながる設定を加えることが深く考えることです。
反対に広く考えるのは、設定同士が並列的に加えられてゆくことです。
実際にやってみると、どっちがどっちと言えないような微妙なものがありますが
感覚として縦につながる設定が「深い」で、横につながるのが「広い」となります。
ここに注意して自分物設定なり、世界観設定について考えてみてください。


知ったかぶりの思考停止


あと前々から注意していることですが、頭で知っているだけでわかっているつもりになってしまい
そこで思考を停止させてしまう人が少なからずいるので、これもよくよく改めてほしいですね。
知識というのは実践できて、はじめて実力となるもので、聞きかじりは無知も同じです。

たとえば歴史の講義で「大化の改新」というのが出てきたとしましょう。
小学校のカリキュラムを終えていれば、645年に中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺して云々ということくらい
知っていて当然なわけですが、だからといって「俺、そんなことくらい知ってるよ」といって
それ以上、なにも考えなかったらどうでしょうか?
そして「そうか、そうか。知っているなら話が早い。大化の改新について論文を書いてみてくれたまえ」と
先生に言われたりしたら、おやすい御用ですとすらすらと書けるでしょうか?
普通だったら書けないですよね。本気で論文としてまとめようとしたら日本国内の状況だけに留まらず
中原や朝鮮半島などとの外交問題や軍事的脅威といった当時の国際事情などにも言及しないと
そうやすやすと書けないことくらいは、歴史を選択していなかった人でもわかるでしょう。
この例で言うなら「俺、知ってるよ」と言えるのは、論文をすらすら書けてしまうくらいのレベルからです。
教科書に書いてある程度のことは知っているうちに入りません。
なぜなら、それを用いて何かを実践するということができないからです。
これでは、たんなる教養でしかありません。

小説創作についても同様です。安易に知っているからと思考停止してしまえば、それまでです。
ものすごく底の浅い作品しか書けなくなってしまいます。
ソクラテスではありませんが「無知の知」を自覚し、常に探求心をもって事に当たれば
「もう知ってるからいいや」なんてことはなくて、さらにその先を考えるクセがつくでしょう。
そういうことできるようになると、勝手に「一を聞いて十を知る」ことができるわけです。

あなたは常に深く考えるクセをつけていますか?
ちょっと知ってるだけで考えるのをやめて思考停止してませんか?


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