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UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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オタクっぽいゲームかどうかのちがい

前回の記事でウォーゲーム日本史を紹介したことに関連して、ふと思ったことなのですが
なぜにウォーシミュレーションゲームというのは、とかくオタクっぽくとらえられがちなのかと考えたのです。

たとえばオセロはオタクっぽいイメージはないですよね。いくらやりこんでもオセロオタクにはなりません。
オセロの強さを求めれば、強いプレイヤーであり、いろいろなオセロボードを集めてもコレクターでしょう。
どうも同じゲームでもオタクらしさはないし、そもそもオタクと呼ばれる人の食指が動かない種類でしょう。
ところがシミュレーションゲームはボードであろうと、コンピューターであろうと常にオタクっぽいイメージだし
実際にオタクと呼ばれる人が多く興味を引かれて集まってきているのも確かなのです。
その最たるものがTRPGなんでしょうね。あれはなりきるためのゲームですから。

このちがいはどこから生じているのか?
と考えたときに、私がふと思いついたのが「なりきり要素」があるかどうかでした。
つまりシミュレーションゲームというと、プレイヤーは通常、軍司令官や将軍になりきることを求められます。
遊戯王などのTCGなども、設定としてはプレイヤーは「魔法使いになって云々」みたいな設定になってます。
そしてコンピューターゲームにいたっては、ほぼすべてが自分の分身を使ってプレーするスタイルです。

ところがオセロもそうですが、チェスや将棋、バックギャモンといった伝統的ゲームはというと
なりきり要素というのは、ほとんどないわけです。その点がほかのゲームとちがう。
チェスをプレーしている人で自分が「キング」になりきってプレーしてる人は稀なはずです。
そう、あくまでプレイヤーは本人そのまま、特殊な設定とか、誰かになりきってはいないのです。
だからこそ、オタクっぽいイメージを生みだすのは「なりきり要素」の有無ではないかと仮説を立てたのです。

裏をかえして考えてみましょう。
そうするとオタクが特別に求めるのは自分ではないなにかになりたいという「変身願望」ではないのかと。
であるならば、ライトノベルなどオタクに求められているのも、そこにポイントがあるはずでは?
それを作品のなかに活かすにはどうすればいいのか、それを考えるのが作者のアイデアなんでしょうね。
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