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UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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中国人が命を賭けるメンツとは何なのか?

この前、中国についてのエントリーを書いたので今回はそれに派生して、ちょっとした考察です。

今も昔も中国人はメンツを何よりも重んじます。
メンツは「面子」と書きまして、中国由来の外国語で日本でも定着していますよね。
比較的新しい(たぶん戦前)外来語なので、読み方も中国読みだし、だいたい意味も同じです。
同義語としては「対面」とか「面目」とかがあります。加えて麻雀由来の「メンバー」の意味もありましたね。
しかしながら意味はだいたい同じでも、その重さは日本人とはまったく異なるのがこのメンツなのです。


前提条件として、中国は儒教文化であり中華思想のエリアです。
この儒教の理念にとって大事なものとして「秩序」の概念があります。
簡単に言うと人には順位や序列が決まっていて、常に序列を守れば争いも起きず平穏に正しく暮らせるというものです。
中華皇帝を頂点として下は乞食まで1位からビリまで万人の順番が決まっている世界、それが儒教世界です。
そして身分が上の者は下の者を慈しみ、下の者は上の者を敬う――なんとすばらしい世界でしょう!
ただし、それは理想郷の話であって、現実世界では上の者は下の者に横柄、横暴となってしまいますし
下の者は上の者を妬んだり、へつらったり、あるいは諦めの境地で無抵抗になってしまっています。

ですから中国人は意識的にあるいは無意識的に、この秩序の順位を常に気にします。
そして順位を乱すようなことを嫌いますし、あわよくば自分の順位を高めたいと狙っています。
なにより自分の順位を下げるようなことは何があっても許せないのです。

この点、日本人は友人や同僚、隣人に対して上だとか下だとか常に意識することは少ないんですよね。
たしかに上下はあるでしょうが、あえてそれを見ないようにするのが日本人です。
たとえるなら日本人の世界観ではなだらかな斜面の丘に立っているようなものです。
見上げれば天皇を頂点として、丘の上には政治家やら富豪やら芸能人などがいるのはわかっていますが
周りを見渡せば、斜面はなだらかなので平地のように見えるので、近くにいる人との上下は気になりません。
ところが中国人(朝鮮人も含めて)はなだらかな斜面ではなく階段のような段差なのです。
ひとりひとりが異なる段差に立っているため、同じような境遇の隣人であっても何センチ上なのか下なのか
ささいな差であっても常に意識しないではいられません。
そしてわずかでも上の立場であることが確保できれば、下の人に対して横柄に振る舞います。
儒教としては上の者は上の者らしく下の者に振る舞うことが正しいマナーであって
日本のように「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」なんていう謙遜はかえって悪しき行為なんですね。

メンツとはこのような儒教文化圏における自分の順位を守る(できれば上げる)ことを意味します。
だからこそ自分が人脈が広いこと、あるいは金持ちであることを堂々と自慢してきますし
自分の周囲での評価を下げるような他人前で注意されたり怒られたりすることを異常なまでに嫌います。
そして、ここで重要なのが、このメンツを守るためならば何でもするし、してもよいと考えていることです。
メンツさえ保てればウソをつこうが卑怯な手段をとろうが、ときに犯罪行為だって許されると思っているのです。
もちろんメンツを一度でもつぶした相手とは絶交や敵対となり、関係修復はほぼ不可能になります。

そこが「命惜しむな、名こそ惜しめ」という日本人の名誉感とメンツが相容れない概念なんですね。
同じ周囲からの評価を気にするとはいえ対極にあるといっていいでしょう。
どうして、このような差異が出るかというと、もうひとつの理由があるからです。

日本人は素直にミスや失敗を認めて謝れば、それは正しいことをしたとその人の評価があがる場合が多いですね。
見苦しく言いわけをするくらいならウソなどつかず正々堂々と振る舞うことが正しいと考えているからです。
これは「謝罪」というものがミスや失敗といった行為そのものに対しておこなわれているからです。
ちょっと意味が異なりますが「罪を憎んで人を憎まず」みたいな言葉もあるくらいですから
日本人というのはミスや失敗といったことを謝り反省すれば、それ以降はそのことについては不問とされ、
いわゆる「水に流す」という文化があり、人間関係を円滑にしています。

しかしながら中国人や朝鮮人など中華圏では、そうではないんですね。
「謝罪」は「失敗した行為」ではなく「失敗した人」に向けられるのです。
つまり謝罪というのは「私は悪い人間であり、正しいあなたよりも格下の存在です」という意思表示なんですね。
ですから謝罪することは儒教的な上下の序列が決定づけることにほかならないのです。

ここで日本人の感覚とはずれてきて、互いに反目しあうことになります。
よく中国、朝鮮、韓国では「日本は先の戦争について反省していない」と常套句のように責めますよね。
これは外交カードであり、日本からカネや技術を引きだす魔法の言葉でもあるわけですが
それだけでなく日本と彼らとの謝罪とか反省の意味が元々ちがっているからこそ起こるものなのです。
日本人は日中戦争や日韓併合という行為について謝罪し、謝ったからには全てを水に流して
一から新しく友好的な関係を築いていこうというふうに思っているはずです。
しかし彼らはちがいますよね。謝罪というのは「日本は中国(韓国)より格下です」と認めたことですから
「下の者なら下の者らしく上の者である我々にもっと媚びへつらえ、そして我々の言うことに従え」という意味です。
それなのに日本はさも謝ったんだからいいだろう的に何事もなかったように振る舞うのが気にくわないのです。
そうすると「日本は反省してない、謝罪がたりない」ということになってしまい、日本人を辟易させるのです。
中国や韓国では謝罪したから終わりではなく、謝罪してからの態度が問題となるわけです。
そのため日本人的に考えれば「中国人や韓国人は何度謝罪しても永久に許さない」というふうに見えるわけですし、
実際につぎの戦争でも起きて序列が変化しない限りは、彼らはずっと謝罪を求めてくるでしょう。

こういうわけですから、いつまでたっても日本と中国の軋轢はなくなりはしないでしょう。
同じ単語を使っていても、そもそもその概念が異なるのですからいつまでも平行線を辿ることになります。

中国人のメンツとは過度の上下関係に基づく秩序意識であり、日本人とは相容れない概念であることを理解しつつ
彼らと交流する方法を模索してゆく必要があるのです。
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コメント

from 7C
中国人が序列に拘るのは政治的場面だけで、日常はそうではないそうです。なので中国人が日本に留学者や就職すると「先輩-後輩」関係に戸惑うそうです。

中国人は宗族関係を中心に幇会や情誼、関係など、狭くて濃密は人間関係の中に生きています。この中で自分の能力や財力を認めてもらうことが「面子」です。これは認め合いがあり得ますから、序列とは直接関係ないものです。

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