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UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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民俗学的に今も昔も日本人は変わらないなと

私はライフワークとして日本の民俗学について、特に性について調べることが多いのですが
かつて当事者から取材記録が残っている江戸時代後期から昭和中期頃までの日本人と
現代社会学的に見る現代の日本人というのは環境こそまったく異なっていながらも
その根は変わらないなと調べれば調べるほどわかってくるんですね。

特に調べておもしろいのは上流階級ではなく庶民や下層民の文化だったりします。
上流階級のほうが文献として記録が多く残っていますが、どうしても”しきたり”などがあって
どこも画一的になってしまい、かつ体面を慮ってしまって人間臭さがないんですよね。
海外に対象を求めると、貴族の奇行や性的倒錯などの例が多数見つけられるのですが
これはあくまで個人の例であって民俗学ではないんですよね。

余談ですが中国大陸の性についても調べたのですが、これがまたひどく退屈なものでしたね。
彼らの文化的背景というのは究極的には「不老不死」であり「養生」こそを追い求めているため
性についても非科学的にしろ、それを追求したものが連綿と続いているのです。
後宮に数千人の宮女をかかえる皇帝でさえ例外ではなく、毎夜多数の美姫と戯れても
射精は5日に1度、皇后に対してのみすべきであるとまで徹底しています。
彼らの文化では射精を我慢して「精」を自分の体内へ循環させることで養生できるという思想があったのです。
しかも清朝になると楊貴妃のような美女に溺れて皇帝が国を傾けないようにと
美女は除外されて普通の容姿の心身ともに健康な女のみを後宮に入れていたそうですから
性的には皇帝であることは恩恵はほとんどなかったとさえ言えます。
それでもきれいでもなければかわいくもない西太后で国は傾いたわけですが。

まあ、中国の話はこのくらいにして日本のことに戻しますと、日本の農村や商人の生活は非常に奔放であり
よく欧米で日本人は性に対して解放的すぎると眉をひそめるこもとも多いのも納得ゆく歴史を持っています。
具体的には過去に夜這いについての記事を本ブログでも何度か書いているので参照してください。
現代社会には「夜這い」の風習はほぼ消滅してしまいましたが源流に流れるものは消えることはなく
別の形として拡がっていっているように感じられるんですね。
ひとつは若衆による村娘の共有化のようなものはなくなったがゆえに、自由恋愛という名のフリーセックスが一般化したことです。
明治以降に導入されたキリスト教的な一夫一妻の価値観を尊しとしながらも内情はかなりフリーなのが実情です。
現に婚前交渉を嫌うキリスト教的な価値観を厳守するような日本人はほとんどいません。
出会い系サイトやSNSなどはいわゆるネット夜這いみたいなものになっているわけです。
昔も夜這いといっても唐突に夜に押しかけるタイプというのは拒絶されて失敗する確率が高いので
昼のうちに娘と会って示し合わせておいて、家の戸締まりを開けておいてもらったりしていたほうが多かったんですね。
そういった示し合わせは平安貴族なら歌のやりとりで雅にやっていましたが農民も似たようなことをやっていたわけです。
そして現代においては直接会わずともメッセージのやりとりで示し合わせているわけです。
しかも実際に会うまで顔がわからないこともあり、女は顔を扇で隠して見せなかった平安時代に先祖返りしたともいえるでしょうね。
つまりツールは変わってもやってることは大差ないわけです。
ただし出会いの機会が均等化されたことにより、それにあぶれてしまった人が多数現れてきたのは現代の特徴でしょう。
かつて村によっては夜這いの相手はくじ引きで決めたり、ローテーションを組んで回っていくシステムも盛んだったので
村人として若衆(今でいう青年会)に所属していれば、まずあぶれることはなかったんですね。
あぶれてしまうのは村八分になった男や馬喰(ばくろう)や博徒など村人としては認められない人々でした。
そういう村外の者が村娘に夜這いをかけたのがわかると通常はリンチを受けて半殺しになったそうです。
とはいえ、そういう者は後家(未亡人)や尼僧に対して夜這いをするのはお咎めなしだったので捌け口は常にあったようです。

現代はというと、そういう捌け口が仮想化してアダルトビデオだったりエロゲームになったりしているとも考えられます。
かつて村外の者というのはごく少数だったのですが、どうしても現代ではことによると半数以上を占めるほどになり
一部の者だけがおいしい思いをしがちだということで、近年は恋愛至上主義の格差などと騒がれたりもするのでしょう。
まあ、昔はほんとセックス意外に娯楽がなかった農村とは異なり他にも娯楽がたくさんあるので
価値が相対的に低下しているということもあるでしょうが、満たされない人のルサンチマンもかなり高まっています。

そういう意味では最近の流行ワードである「マイルドヤンキー」と定義されている人は本当に昔ながらの価値観が守られてますよね。
一昔前の「ワル」と同意義の「ヤンキー」は、とかく反体制、反社会的でしたがマイルドヤンキーは若衆と同じく
地元の自治機構のひとつとして機能しているところがそっくりです。
ちなみに若衆とは若さゆえに悪さもするが一定の自治をムラから認められている組織であり、繁忙期の農作業の手伝い、祭事の準備から
隣村との水争いや一揆のときの割当要員などムラの現役兵力としての役割がありました。
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