L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

SEARCH

CONTENTS
LATEST
LINK
BOOKS

RSS
COUNTER

ライトノベル創作教室ラノベりあん 中二病でも書けるライトノベル教室♪

小説の楽しい書き方講座ブログ 毎週開催の創作塾と連動中!

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

作品の個性とは己のコンプレックスを表現すること

こうして長年、小説の書き方などをたくさんの指導してきているわけですが、その中で伸びる人と伸びない人がいます。
その違いは何かというと、端的に言ってしまえば「カッコつけた」とか「ええカッコしい」ものを書こうとする人はまず伸びません!

べつにカッコいい物語を否定しているわけではなくて、創作する際の作者の姿勢がカッコつけているような人という意味です。
具体的に言葉で表現すると難しいのですが、作品を通して「こんなことを書くオレってカッコいいだろ?」的な雰囲気が漂うというのか
作品の中で作者が見栄を張っているような感じというんでしょうかね。こういうのは残念ながらモノになりません。
どう体裁をよくしても優等生的なおもしろみのない作品にしかならないんですね。
作品そのものが漫画に出てくる「真面目ガリ勉キャラ」みたいな感じなので、人気者になるようなタイプにはならないわけです。

では、どんな作品が面白くなってゆくかというと、個性的な作品には可能性が大いにあります。
そして、その個性とはどこから来るかというと、それこそが作者の「コンプレックス」にあるといっても過言ではありません。
しかし普通の人は自分の弱みを見せるようなことは嫌いますし、それをおおっぴらにするなんてことしませんよね。
でも、こと創作において作者にはそれが大いに求められていて、それができる人は可能性が高くなるのです。
いくら作中で自分のコンプレックスを表明しなさいと言われても一定数の人はプライドが邪魔して絶対できないんですよ。
人それぞれの性格なのでそれが良いも悪いもありませんが、あいにくそういう人は作家には向いていないだけのことです。

たいていの自慢話より失敗談のほうがおもしろいしウケるのと一緒です。
作者の持つコンプレックスをいかに作品の中に織りこんで、それを笑える話、哀しい話などにもっていくかが勝負なのです。
そして、あなたの描くコンプレックスに読者たちが同調することでキャラなりストーリーなりに感情移入してくれるのです!

そもそも学校のクラスなどで中心になるような人気者の話って、そもそもそういう失敗談をからめたものが多くないですか?
ときに自分は傷つきたくないので、その役目を一方的に「いじられキャラ」に押しつけてしまう中心人物もいるでしょうが
真におもしろい人だと思われているような人は、たいてい自分の失敗談やらコンプレックスをあけすけに語ることで
周囲の人たちの笑いをとったりしています。それでいて失敗しているからと蔑まれるどころか一目おかれてますよね?
逆に話のおもしろくない人というのは逆に弱みを見せようとしないで話すため、笑いのないつまらない話になりがちです。
自分の弱みを見せないことはできても誰からも尊敬されるどころか軽く扱われてしまったりするわけですよ。

友達同士の会話も小説も根本は同じなんですね。
要は聞き手や読み手の関心をどうやって得るかにかかっているわけです。
あなたは話のつまらない人間に、そして書き手になっていませんか?

論理的かつ柔軟な思考をしていますか?

小説を書くにあたって基礎的な素養として「論理的」であることと「柔軟」であることが求められます。
しかし多くの人はどちらかに偏ってしまっていることが多いんですね。

まず「理解される文章」を書く、「辻褄の合う物語」を書くには論理的な考え方が必要です。
詩歌ならともかく飛躍しすぎた文章、破綻した物語では読者にとっては意味不明で無価値です。
こういう思考は理系を得意とする人が多いので、男性作家には理系学部出身の人が多いんですね。
作家は文系職業ですが、数学や物理化学がまるでダメという人にはあまり向いているとは言いにくいわけです。

一方で創作である以上は形式張っていたり、常に常識の範疇に収まったようなものでは読者を飽きさせてしまいます。
そこで常識にとらわれないで自由な発想、多角的な視点を持てる「柔軟な思考」というのも同時に求められるんですね。
こういうことを得意とするのも道筋をつけて新発見や発明をする科学者とか技術者のほうが向いていたりもします。

とはいえ理系人間なら誰でも作家に向いているかというとそういうわけでもありません。
なおかつ文学的センスを持ち合わせないといけないですし、小説とは擬人化も含め人間たちの物語ですから
人間の心理や感情をよく把握していないと読者を愉しませたり、感動させたりはできません。

絵画にたとえるなら、画家は自由奔放に絵を描いているように見えるかもしれませんが
実際は遠近法や黄金比、三角系の構図から色彩や光と影のコントラスト、質感や感情の表現に至るまで
下絵のデッサンなど繰り返し研究、研鑽しながら描いているのであって、必ずしも情熱だけで描いているわけではなく
技術と研究を磨き上げたうえでの表現として絵というものに投射しているのです。
観るだけで鑑賞できる絵画でそれだけのことをやっているのに読んで理解しないといけない小説においては
どれだけ論理性が求められ、さらに多彩な表現方法を提示できるかは考えなくてもわかることでしょう。

論理的と柔軟性はどちらがたいせつというわけではないですが、どちらかというと柔軟性は性格由来ですから
確実に訓練や練習で習得できる論理的な思考を鍛える努力をすることが望ましいでしょう。
少なくともおもしろいかつまらないかはともかく意味の通じる物語を書くことができます。
そのうえでおもしろさを追求するほうが良い選択肢だとは思いませんか?

自分以外を愉しませる訓練をしていますか?

創作活動における基礎体力というのは、とりもなおさず「いかに自分以外を愉しませるか」といった能力にかかってきます。
このとこは過去に何度も触れていますが、再度ここにも書いておきますね。
読者という自分以外を小説という手段を使って、とにかく愉しませ、その対価として印税を受け取るのが作家としての使命です。
よって創作活動だけでなく日頃の活動でも誰かを愉しませることを念頭に行動できるようにするのは非常によい訓練です。
作家志望者はどうしても、こういうことを苦手とする人が多いのですが、それでも頑張ってほしいところです。
あなたが小説を書くのは自分が愉しむための自己満足ではなく他者を愉しませる奉仕であることを忘れずに!
この基礎中の基礎を忘れてしまうと、独りよがりの駄作しか書けなくなってしまいます。

では具体的にどうすればいいのかというと、彼女(彼氏)をつくって交際することが最も実益を兼ねた訓練かなっています。
恋愛をすると相手に気に入られるためにどうすればいいのか、またよろこんでくれることはなんだろうと考えることになります。
そうやって相手の気持を汲み取ることができることができる人は、なんだかんだいって作家としてだけでなく
他の仕事全般を含めた人間関係を円滑することにもつながるので一石二鳥、三鳥にもなってくれるのでおすすめです。
同性の友達を愉しませるのでもいいのですが、これはどちらかというと相互に利害関係がなくて基本無償的なんですよね。
小説として考えるなら無料のネット小説でのファンを獲得するようなものであり、敷居も低くやはりタイプがちょっと違います。
何かしらの対価(小説では印税)をもらうという利害関係ありきで愉しませる関係は恋愛関係とよく似ているのです。
あまたいる異性の中から、あなたひとりを選んで貴重な時間やお金を消費するに値するほどの愉しさを与えてくれるかどうか
それがつまらなければフラレてしまうだろうし、見合うだけのものがあれば交際は継続されるわけですよ。
友達同士なら人数制限はないし密に交流しなくとも友人関係は続けられます。

逆に考えてみてください。たったひとりの恋人さえ惹きつけられないような退屈な人、嫌悪感を抱かれるような人で、
どうして数万、数十万、ときとして数百万人にもなる不特定多数のファンや読者を獲得できるでしょうか?
あなたは創作という手段によって、アイドルはその容姿や歌手活動によって、お笑い芸人なら話芸やタレント性によって
その手段は異っても不特定多数の熱烈なファンを獲得しなければいないのは基本的に同じことです。
魅力的な人間性を発露することによってのみ、あなたは評価されることになります。

正直、人間的につまならい人、魅力に欠けるような人に作家も含めた人気商売は不向きです。
ただし文才というのは、容姿はあまり関係ないので芸能人のように容姿で売れ行きが変わることは少ないことくらいですね。
とはいえ作家であっても美人、イケメンであれば出版社がそれを利用して売上をプラス補正させている事例は少なくありません。
じゃあ、どういう人ならいいかというと、だいたいパターンがあります。
第一には昔からクラスの人気者だったみたいな誰かを愉しませることが大好きな根っからのエンターテイナー、お調子者タイプ。
第二に人気者とはいえないが極度の変人や破天荒なタイプ。ただし嫌悪感を抱かれるような傾向でないのは必須です。

男性向けライトノベルの主人公に多いような地味で目立たない、特に趣味もない、彼女彼氏もいない人というのは
創作活動においてアイデアのひきだしも少ないし、あまり尖ったアイデアも思い浮かばないので、どうしても厳しくなります。
たとえヒキコモリであっても1日2時間睡眠でオムツを履きながら1年365日ネトゲをしている廃人というのなら
それは人と話すことさえ苦手だとしても、やっぱり創作的には潜在的なポテンシャルが桁違いなんですね。
しかし毎日5時間、ネトゲにハマってました程度では極端に振れていないので、ただの中途半端でつまらない奴でしかありません。
中途半端かどうかの基準としては、知り合いが「こんなアホな奴がいてさ……」みたいに友達に話してみたくなるかどうかですかね。

とはいえ、そんな超変人タイプというのは、素質なくしてはなれないし、なろうと思ってもできません。
そうすると特にそういった変人傾向がない人は、とにかく人好き、誰かを愉しませることを常に考えているタイプになるしかありません。
友達同士、恋人同士で相手より自分が愉しむことを優先させてしまうタイプなら作家より読者のままでいたほうが幸せです。

おぞましかろうと読者の求める作品を!

昨今、どんなラノベ作品が売れているのかを考察してみると、その傾向は実にシンプルです。
ラノベ志望者ならよくわかっていると思いますが、基本は主人公が魅力的な異性にモテモテな設定であり
読者が主人公への共感を通してモテモテライフを楽しめるかどうかといったことになります。
もしくは女の子だけ、男の子だけといった箱庭的な環境を外から眺めることに楽しみを見いだすタイプでしょう。

この傾向は実に強くなっていまして、実によく似たテンプレ作品が量産されています。
じゃあ、そのテンプレをなぞらえてさえいれば、どんな作品でもウケるかというと、そういうわけでもありません。
テンプレまみれであろうと、そこに一定水準以上のクオリティと多少なりともオリジナリティがないといけません。
でもほとんどの作家志望者はこのクオリティに達していません。なぜなら何がテンプレなのかわからないんですね。
テンプレじゃないと思ってテンプレを書いてしまっているような人がかなりの割合でいます。
そのためテンプレをしっかり認識している人なら、そのレールから外れないようにすることができますが
何がテンプレなのかよくわかっていない人がテンプレっぽいものを書いても肝心なところでレールから逸れてしまい
確実に読者がたのしめるポイントから離れてしまうので、結果的にまったくおもしろくない作品になってしまうんですね。

またオリジナリティを追求しておもしろい作品を書こうとしても、今のラノベはそれが認められるマーケット環境にありません。
過去にも似た例があり、『ウルトラセブン』で今でこそ名作だ傑作だと言われる『盗まれたウルトラ・アイ』といったエピソードは
予算不足のため怪獣のキグルミが登場しないため、毎週、怪獣の登場を楽しみにしていた子供たちを大いに落胆させ
このあたりから視聴率の下落傾向が如実に現れてくるようになるんですね。
あの当時のウルトラマンに求められていたのは、怪獣とウルトラマンの格闘であり、スーパーメカの活躍でした。
しかし予算不足とマンネリ化が進み、スタッフのやる気もなくなってしまったウルトラシリーズは
イギリス作品の『サンダーバード』や水木しげるの妖怪ブームの台頭をゆるしてしまいました。
そして後年、ウルトラシリーズを復活させた火付け役は、なんとくたくたになったヒーローショー用の怪獣キグルミを
プロレスのようにおもしろおかしい実況付きでボコボコ戦わせるだけの超低予算5分番組『ウルトラファイト』だったのです。
斬新なSF設定とか緻密なストーリー、深い人間ドラマなんて、そんなものくそ食らえだったわけです。

今のラノベに求められている作品の幅というのは過去と比較すると非常に狭いものとなってきています。
それだけライトノベル読者層というのが固定化してしまったということでしょう。
読む人はたくさん読むし、読まない人はまったく読まないといったふうに二極化が進んでいるわけです。
だからいくら自分がこういう作品を書きたいという強い思いがあっても、それが大多数の読者層に合わないものだと
なかなか評価されにくいものとなっているようです。
こんなアホらしい作品なんて気持悪くて書いてられるかと思うのは自由ですが、商業ベースで作品を出したいなら
いかに折り合いをつけて書くかにかかっています。そして、そういう意識を持つことのできる人の成長は早いです。
反対に成長しにくいのは、アホらしいものをアホらしいものと思えずに書くことしかできない人です。

正直なところ、ストーリー構成やキャラ造形がしっかりできるくらいの実力のある人にとってライトノベルではものたりません。
極端に言えば、児童書や絵本を書くのもあくまで大人(しかも高齢が多い)であり、子供に書けるものではありません。
読者と同じ水準では読者の求めるものは書けません。それだけは確実です。
アホらしいものなら、どうすればアホらしくなく見えるようにするかとか、いっそ突き抜けてアホを極めるとか
そういう工夫をすることができるかどうかが、作品のクオリティを高める鍵となっています。

とはいえ、ラノベを書きたいと思っている人はラノベが大好きだから書きたいのでしょう。それはいいことです。
でも純粋にラノベ好きのままではラノベ作家にはなれないというジレンマがあるのです。
本当にラノベ作家になれるほどのレベルに達したとき、すでにラノベは満たされない自分になっているのです。




第1作スターウォーズを改めて観て、自分ならこうしたかったなと思うポイント

世間では最新作『スターウォーズ フォースの覚醒』が公開されて、いろいろと騒がれていますね。
期待されすぎているシリーズだけに今作の評価は微妙なものが多いようですが実際のところはどうなんでしょうか?
私としてはこれを機会に第1作(エピソード4)を改めて観なおしてみたんですね。
ストーリーはほぼわかっているので、細かいところや全体の流れなどについて注目してみたんですが
今更ながら「あれっ?」これでいいのと思うところがいくつかありました。

物語の主人公は青年ルーク・スカイウォーカーであり、世界観の重要なキーアイテムは光る剣ライトセーバーです。
作中でも父の形見だというライトセーバーを渡され、宇宙船ミレニアム・ファルコン内で修行というか訓練をしているわけですが
敵要塞デススターに潜入してからはというと敵兵ストームトルーパーから奪ったブラスターしか使ってないんですよね。
作中でライトセーバーで戦ったのはオビ=ワン・ケノービとダース・ベイダーのふたりだけなのです。
第1作公開時はシリーズとしてではなく1本の作品と考えた場合、ルークはキーアイテムを実戦で使っていません。
このシークエンスはかなりマズいですよね。映画のポスターだってルークはカッコよくライトセーバーを掲げているのに……

そしてもう1点、これはやはりマズいなと思ったのはルークは敵役のダース・ベイダーと絡みがありません!
ルークは逃げる途中にオビ=ワンと戦うベイダー卿を目撃したのみで、いっさい言葉も交わしてません。
またデススターを攻略しに宇宙戦闘機Xウィングで出撃しても、ベイダー卿のTIEファイターと空中戦もしてません。
ルークは終始、デススターを破壊するのに夢中であり、それを阻止しようとするベイダー卿を退けたのは脇役のハン・ソロでした。
やっぱり単発作品として見た場合、主人公と敵役との戦いというポイントでは、かなり消化不良でした。
次回作『帝国の逆襲』以降でこれらの点はしっかり解消されてはいるので、シリーズとしては問題ないんですけどね。

制作費と撮影スケジュールの大幅超過でオミットされた結果なのかもしれませんが、普通に物語としてどうすればいいのかというと
やはりルークはダースベイダーと剣を交える必要があり、そこでフォースが使えず未熟ゆえに窮地になったところで
師であるオビ=ワンに助けてもらうも、本編通りオビ=ワンは倒されてしまうという流れがベストだったでしょう。
また宇宙戦闘でもルーク自らが陽子魚雷攻撃に専念するのではなく、雷撃する僚機(Mファルコンとか)の護衛として
これを迎撃せんとするベイダー卿と空中戦を繰り広げた上で、ベイダー卿を破って味方の攻撃を間一髪で成功させるというのが
現在の物語セオリーとしては教科書的だったんじゃないでしょうかね。

他にもレイア姫が口汚くプリンセスらしくないのもどうかなとか、説明不足で変に唐突なシーンもあったりしましたが
このあたりは大筋として気になるものではなかったかなと。全体としてはやはり今も色褪せない楽しい傑作でした。

――なんてことを考えながら鑑賞してみたわけですが、作家志望の人は映画でも小説でもいいのですが
漫然と鑑賞するのではなく、ここはよかった、いや自分ならここを改変すればもっと良くなるなと考えながら観てください。
そして、自分なりの改善点はただこうすればいいんじゃないかとフィーリングだけで思うのでなくて
他の作品ではこうやっていたし、物語のセオリーとしてはこうだから、やはりセオリー通りにやるべきだとか
いやケレン味で敢えてセオリーを外したほうがいいとか、そういうふうに説明ができるよう理詰めで考えてくださいね。
物語作りは囲碁や将棋のような棋譜を作ってゆくのに似ています。ただし2人ではなく独りで完成させる棋譜です。
駒はルール通りに動かねばならず、定石を無視した手は棋譜の美しさを損ねますし、妙手は個性や創造性を発揮します。

これは創作の訓練としてとても実践的で実力アップにつながりますよ。
ただし少なくとも物語の王道やセオリーをよく理解できていないと意味がないので、普段からの多読は必須です!




間違いだらけの創作の順序→成功する確率を最大化しよう!

ここのところ塾生たちの指導でよく話していることがあるのですが、それは創作するときの順序です。
これを間違った順番でやってしまって、プロット段階ですでに落選確実の作品にしてしまっている人が多いです。
たしかに、これが正解という創作方法なんてありませんが、効率の悪い方法もあれば、良い方法もあるのです。
そして大半の人がおそらく効率が最悪の方法を選んでやってしまっているんですね。困ったものです。

では、どういう間違った方法をやっているのかということを説明していきますね。
第一歩となるアイデアをプロットに落としこむ段階からして、すでに大失敗しているわけですが具体的には――
まずキャラの肩書やら物語の進行といった枠組から考えはじめてしまうというミスを犯してしまっているんですね。
そして後からキャラの個性的な性格を付与しようとしたり、物語のウリとなるシーンを考えようとしたりするのです。
イメージ的にはあらかじめ物語における容器や箱を作ってから、その容器に入るサイズの内容物を作っている感でです。

でも、それって良くない手順だってなんとなくでもわかりますよね?
まず普通の商品というものは製品が完成した段階で、化粧箱をその内容物のサイズに合わせて作るものです。
製品のサイズが決まっていないのに、どうして箱のサイズ(縦・横・高さ)を決められるのでしょう?
なぜ小説創作のときだけ反対の手順でやろうとしますか?

あなたが創作において、まず優先して考えるべきことは作品の本質であり、枝葉末節の部分ではありません。
作品の本質(=製品)の形やサイズが決まってから、用意する箱(=枠組)のサイズを適切に指定してください。

具体的には、あなたの考えた主人公の個性、つまり従来作品にはなかったような際立った性格設定が決まった段階で
そのキャラを演出するには、騎士がいいのか、それとも魔王か、はたまた高校生なのかと最適な設定を決めましょう。
まず「騎士」だからと決めてしまってから後付けで個性的な性格を付けようとしてもそう簡単にはいきません。
初級者はもっと詳細なキャラ設定やキャラの相関関係を決めてしまってから、キャラに個性を付けようという無謀なことをやります。
そういう順番でキャラを考えようとすれば、大胆な性格設定を付けようにも他の諸設定が邪魔して整合性がとれず巧く収まらなくなり
結局は無難に小さくまとまった設定になってしまって、たいしてキャラの魅力が引きだせないのは当たり前ですよね。

今の時代、キャラも物語もいかに「尖った個性」のあるアイデアを出せるかが求められています。
ですから大事な個性を殺さないようその尖った部分もきとんと収まるような箱を後から採寸して作りましょう。
けっして事前に作った箱のサイズに合わないからと、せっかくの尖った部分を切ったり削ったりしないように!

そして「尖った個性」を考えるのは並大抵の難易度ではないので、つらく厳しい試練だと覚悟してください。
なので逃げで考えるのが簡単なところの設定(今回でいう箱の部分)から作ろうとする誘惑に乗らないように!





自分が書きたいものではなく、読者が読みたいものを書きなさい

今日のエントリーで言いたいのはタイトルのとおりですし、以前にもたびたび触れていることですが今一度!
わかっている人は当たり前のことですが、こんな基本がわかっていない人できない人があまりにも多くいます。
塾生に対しても常に言っているんですが、なかなか提出課題に反映されていません……

とはいえ、自分が書きたくないものを書けというものではありませんよ。
しかしあなたが書きたいと思うものは、往々にして読者が求めているものではないことが多いのです。
ですので、自分が書きたいものをメインディッシュにしてしまうと読者はつまらないと思ってしまうのですね。
自分が書きたいものについては、あくまで作品の添え物、サイドメニューにしてください。

では、読者が読みたいもとは何でしょうか?
それがわかれば困りはしません。みんなベストセラー作家になれてしまいます。
天才肌なら皮膚感覚でわかってしまう人もいますし、膨大なデータを基に分析で割りだす人もいます。
実際には天才である可能性は非常に少ないし、ビッグデータを入手することも難しいわけですから
一般的には可能な限り手に入る量の情報を基に分析しつつ、足りないところは自分のセンスで補うことになるでしょう。
ところが、この情報が決定的に不足しているというかほとんどゼロの人も少なくないのです。
しかもそれを乏しいセンスで補ったらどうなるか……考えなくてもわかるでしょう。

一般論で言えば情報とは読書量に比例します。あとは人間や世の中で起きていることにどれだけ興味があるのか。
またマニアックな知識は物語に深みを与えることに寄与しますが、作品の根本的なおもしろさや娯楽性は与えません。
人生でどれだけ読書を積み重ねてきたのか、より多くの物語に触れてきたのか、そういうことが基礎体力になります。
いま流行っている作品について考えるにしても、その源流はいつの時代のどの作品の影響が色濃いのか
そして当初の作品からどういうところが変わっているのか、それはどういう世相や風潮を反映しているのか
そういった知識があるのとではないのとでは、次の流行りはどうなるのか、また今の人々は何を求めているのかといったものが
なにも知らない人よりも判断する材料が多くなり、的中する確率、成功する確率は飛躍的に高まるでしょうね。
あなたは何ら装備もないまま、暗闇の中でレーダーや暗視装置を装備した敵と戦って勝てるかどうかを考えてみましょう。
読書量こそが完璧でないにしても暗中模索の創作に対して適切なヒントを与えてくれるレーダーであり暗視装置なのです。
これで多少のセンスのなさもカバーできます。

読書量で武装したあなたは次にセンス、つまり直感に従って前進すべきです。
ただし武装していないなら安易に突き進むのは無謀です。地雷原を幸運だけで突破できるかどうかを試すようなものです。
創作するだけなら死ぬことはないので何度でも再チャレンジできますが、それでも勝機は高いとはいえませんよね。
武装した後は、どうすれば作品がよりおもしろくなるかが直感的にひらめくよう、その霊感や嗅覚を研ぎ澄ましてください。
手に入る情報は完璧ではない以上、最終的な決断は第六感的なものに委ねなくてはならないときがくるものです。
ここで注意すべきは「あなたがおもしろいと思うもの」は必ずしも「より多くの人もおもしろいと思うもの」ではないこと!
エンタメ作品におけるセンスを磨こうとするなら「どうすれば人を楽しませられるか」について常に考えていきましょう。
よきエンターテイナーたらんとするには自分はどうあるべきか」を心に留めておいてください。



一段深い設定をすると、物語の幅も拡がるという話(4)

ついにこのシリーズの最終回です。
今回、触れてみるのは残り3つの【技術】【文化】【宗教】となります。

まずは【技術】について。
西洋風ファンタジーの場合、中世っぽい雰囲気ながら実質は近世という文明を築いているというのが前提としては
だいたいにおいては「産業革命」以前の文明レベルということを念頭に置いておくべきでしょうね。
そのくらいのことはよくわかっていることでしょう。
ただし最近では産業革命での奇形的な進化を遂げたスチームパンク要素のある作品も増えていますというか
欧米の西洋風ファンタジーではほぼスチームパンク風味はほぼ必ずあり、蒸気機関のおもしろ機械類が登場しています。
あと銃砲の有無については好みでしょうが、あったとしても青銅砲に前装式滑腔銃(マスケット、火縄銃)あたりでしょうか。
爆弾のたぐいはについては、すでに古代から「ギリシア火」のような焼夷弾や中世の「てつはう」などの手榴弾もありました。

建築、冶金、木工といったものはほぼ揃っているといっていいでしょう。
コンクリート的建築も既に古代ローマ時代には確立されていました。ただし鉄筋コンクリートは19世紀になってからです。
今では安価なアルミニウムもボーキサイトから精製するのに大量の電力が必要なため19世紀終わりまで超高価な貴金属であり
アルミニウムのネックレスは黄金のネックレスよりも羨望の眼差しだったりした時代もあるわけです。
木工についてはやはり日本のように森林資源の豊富な地域で発展していきます。
しかし古代文明発祥地ではたいてい植林をしていかないので建築と燃料利用のために周辺地域の森林資源は枯渇し
砂漠化していることなども合わせて考えてみると、いろいろアイデアが出てきたりもするでしょう。

また現代人にとって忘れがちなのが医療の一部である「公衆衛生」の概念が一般化したのはここ最近のことです。
「飲料水と汚水を区別する」や「病気予防に手洗い」という真っ当な事実が一般に認識されたのは
やはり19世紀に入ってからのことで、それ以前の人々にはその程度のことも理解されていませんでした。

つぎに【文化】ということになりますが、これは多岐にわたるので説明しにくいのですが、
文化というのがどのように作られるのかということを想像し、シミュレーションして自分なりの世界観での分化を築いてください。
文化はその地域の自然風土や人々の生活、文明レベル、宗教観、歴史などの要素が複雑に絡みあって生じるものです。
一般に平和な時代、安定した政治下において文化は発展して花開いてゆきます。日本の江戸時代もそうですね。
戦乱の時代には日々の糧を得ることや生き残りを賭けた戦いに明け暮れるので文化の発展は遅れがちです。
ただし戦争が多ければ兵器利用のために科学技術は躍進していきます。

最後に【宗教】です。
日本人は宗教観が原始アニミズムの段階で止まってしまっている独特の神道に基づいた認識をしていて
これをもとに仏教やキリスト教を見ているので、ちょっと面倒なんですよね。
ちなみに日本人は「無宗教」という誤解がありますが、無宗教ではありません。
縁起をかつぐ、幽霊を怖がる、星座占いを気にするだけでも、それなりに宗教観を持っていることになります。
宗教を大別すると「多神教」と「唯一神教」の二派に分かれます。
多神教は神道やインドのヒンドゥー教などであり、一神教はアブラハムの宗教ことユダヤ教、キリスト教、イスラム教です。
多神教は基本的に生活習慣や儀式に関するしきたりはあっても、教義が曖昧なことが多いです。
これは征服していった複数の民族の神々を習合してしまって全体の整合性が破綻してしまっていることにも一因があります。
この点、一神教は征服した民族や敵対する民族の神々はすべて悪魔にしてしまうので破綻しにくいんですね。
ユダヤ、キリスト、イスラム3教共通の神であるヤハウェは元々はシナイ半島の弱小山神の一柱だったと言います。
この地方には他により有力な神々(バル-、ベル-など「王」を冠する名の悪魔が多いのもこのため)がいましたが
古代ローマ帝国でキリスト教が国教に定められ、世界展開したことにより今では弱小神だったものが唯一の神となっています。

設定として考えるなら、多神教が信奉されるのは基本的に自然が温暖で豊穣であり、教義もゆるいものが多い。
ただし生け贄(人や動物など)など原始的な儀式が残りやすいのも多神教のひとつの特徴です。
それぞれ願い事によって人間は都合よく神を複数使いこなすことが多く、神話での神も妙に人間くさいものです。
最高神は男神であっても、実質的な信仰の中心は大地の豊穣を司る大地母神に多くの信仰を集めるでしょう。

対して一神教が信仰されるのは砂漠や荒れ地など自然が厳しい地域であることが多く、
さらに厳しい生活の中、一族の生き残りのためにリーダーである家長の権限が強い家父長制だったりもします。
ですから女神ではなく唯一神は男神でなくてはなりません。教義もしきたりも厳しくルール違反を絶対に許しません。
これは社会生活でもルール違反を認めることで容易に全滅してしまいかねない過酷な実生活に裏付けられます。
このような厳格な戒律により宗教によって人々は秩序と契約を重んじる文化が生まれます。
ただし副作用として異端、異教、異民族に対して非常に厳しい態度や迫害、殺戮を正当化する教義が強調されます。

以上4回にわたって書いてきましたが、自分だけのファンタジー世界を考えるにしても歴史や地理、民俗学など
最低限の知識がないと、既存作品から上澄みだけをなぞった凡庸な世界しか想像できません。
そもそも『ロード・オブ・ザ・リング』の作者からして言語学者として異世界の各種族の言語をイチから構築するという
とんでもないマニアックな観点で作られた経緯があるわけで、実はファンタジー作品は奥が深いんですね。
私もこだわったときには、異世界のある惑星の大きさから自転周期や重力についてまで計算して作ったこともありましたが
まあ、そこまでやるのは完全にやりすぎなのでやめておいたほうがいいでしょう。
とはいえ現代日本の学校が舞台の作品より必要な知識は非常に雑多になるので、自分なりに知識を深めていってください。

一段深い設定をすると、物語の幅も拡がるという話(3)

さてさて、このシリーズも長くなりましたが、あと2回で終わらせたいと思います。

前々回は主に【軍事】などについて、前回は【地理】【気候】【国家体制】の4項目について考えてみようというものでした。
今回の第3回目は【産業】【経済】【流通】を、次回は【技術】【文化】【宗教】の6項目について簡単に触れておきましょうか。
ここらの設定はこだわるともうキリがないので、ここではできるだけ簡潔に述べるようにしたいと思います。

まず【産業】についてですね。一般的な女性向け作品における西洋ファンタジーであるなら、
だいたいどの国も主な産業は「農業」および「牧畜」が基盤となるでしょう。
あまり深く考えなければ小麦が主な穀物なんでしょうか。牧畜なら牛、豚、鶏、羊、山羊、馬などの家畜がいるのでしょう。
ただし現代の感覚よりも収穫の効率はずっと悪いことを考慮しておいてください。
つまり基本的に食べ物は今の感覚よりもずっと”高価”です。
たとえばずっと値段の変わらないタマゴ(鶏卵)は大量生産が可能になり効率化されることで値上げされていないだけなので
江戸時代くらいになっても農家が片手間に飼育している地鶏から採取できるタマゴは数が少なく今なら1個500円くらいでしょうか。
基本的には昔はどの食物も無農薬有機栽培なのですから現在の価値観とすると最高級品の値段を想像するといいでしょう。
また農業にとって最重要の治水、灌漑は大規模な土木工事を伴い莫大な費用も要するので
それを指揮統括するには君主の権力と財力がないと不可能であり、安定した大国であるほど農業技術が進歩していきます。

農業以外だと大工や石工、鍛冶屋など専門技術職はいますが工業生産品というのはほとんどありません。
雑貨などは農家の片手間の副業として作られていることが多く、同一規格で大量生産できません。
そして国家財政を潤すものとしては鉱山経営などが盛んに開発されていました。
金山、銀山など国家や領主が直接経営すれば、年貢や税とはちがいまる儲けなので利益も高いので魅力的です。
あとは海外貿易ですがこれは後述の【流通】のときに。


【経済】は複雑で難しのですが、最低限考えるべきは、どのように人々は生活を営んでいくのかということを考えましょう。
ヨーロッパの場合、通貨が早くから導入されてきましたが、主な効果は銀貨と銅貨になります。
金貨や金塊というようなものは貴族でもない限り使用しませんでしたし、物々交換もまだ多かったでしょう。
また為替や手形というものはまだ普及していないくらいのほうがわかりやすいかもしれませんね。
ただ注意が必要なのは経済というのは自給自足的な生活では発達しないものです。
簡単に言ってしまえば、余っているものを売り、足りないものを買うことで経済がまわります。
貿易などが発展すればするほど、そして職業が専門化、分業化すればするほど経済は複雑になっていきます。
なので同じ国内であっても都市と隔絶した寒村などは経済に関する考え方も違ってきます。

そこで生産された経済商品を動かすのが【流通】です。
そして今も昔も流通の主役は海路、つまり船による輸送です。
地中海のような内海ならガレー船、大西洋のような外洋なら大型帆船が海運と海軍の主力となります。
ガレー船というのは古代からあるタイプの船で帆走もできますが基本は50~200人くらいの漕ぎ手がオールで漕ぐ船です。
人を多く載せるため人だけでなく食料や水もあって荷物の積載量はあまり多くないですが無風、逆風でも進めるし早いのが特徴で
イタリアの都市国家が商船兼軍艦として好んで使っていたタイプです。
漕ぎ手は若手商人でオールを漕ぐ代わりに一定量の手荷物を船に持ち込めてそれを渡航先で売買することができ
またイスラム勢力や海賊に襲われたときは全員が兵士となって戦うため、海軍力としても最高峰でした。
逆にイスラムのガレー船の漕ぎ手は鎖につながれた奴隷なのでイタリアの船と戦うとまず勝ち目はなかったようです。
またガレー船は長距離の移動が難しいため中継地点である島々の確保と防衛は貿易立国としての至上命題でした。
大型帆船は基本的には新大陸発見とか大航海時代が前提となって開発されたものなので文明度としても
遠洋航海が可能な文明レベルとして設定した場合に用いるべきでしょう。

陸路については古代ローマでは石で舗装された街道を網羅して迅速に大部隊を行軍させられるよう整備していましたが
中世にはメンテナンスも行われず、近世に至っても当時のような舗装道路はほとんどなくなり路面はあまりよくありません。
商品は馬車もしくは荷駄によって運びますが、船と較べると積載量もスピードも格段に劣ります。
ですので内陸部の都市よりも港に近い都市のほうが大いに賑わい発展します。
その際たるものが異国との貿易であり、香辛料や美術品など稀少価値から高値で売買されるので国も富み栄えます。
ですから内陸の町ならば河川を有効に使って流通に用いたり、人工的に運河を作ることになります。
古代中国では昔から都は内陸部にあることもあり隋(7世紀)に総延長2500キロの運河を開削しました。
このような大規模工事もまた統一王朝の権力があってこそのもので、小国が分立しているような情勢では不可能です。

あと大前提として冷蔵・冷凍技術などはないので新鮮なものを遠くに運ぶということは不可能です。
生産地以外では生鮮食品などはありません。食料品といっても、ほぼすべて保存食に加工した食品となります。
牛乳を飲むよりもチーズやバターを食べる機会が圧倒的に多いでしょうし、生肉よりもハムやべコーンが主体となります。
もちろんサラダなんてものは古代ローマ人がいなくなってからは20世紀の終わりになるまで一般には食されませんでした。
野菜などもほとんどが酢漬けや塩漬けなどしたものしか口にできなかったし、しようとも思わなかったのです。

今回はこのへんで終わりです。
今回の項目もそうですが、すべての項目にわたって、上は国家規模から下は庶民の日々の暮らしまで
ひとつの設定が決まるだけで、全体に渡り大きな影響をおよぼしてきます。
完璧にシミュレーションしろとまでは言いませんが、あらゆる設定が複雑に絡み合い影響を及ぼすことだけは憶えておきましょう。
そして、そのシミュレーションをする際にパターンとして役に立つのが実際の”歴史”です。
年号や歴史的重大事件を覚えるような歴史の勉強ではなく、その次代を生きていた人々(王侯貴族も農民も)が
どんな暮らしをしていたのか、食べていたもの、年中行事や祭祀、その他風習や風俗などに思いを馳せてほしいものです。

たとえばアメリカ人(英国人)はベーコン風味のコーヒーとかベーコンの香水があるくらいベーコン好きなのは有名ですが
すでに11世紀には十字軍でエルサレムに向うイギリス騎士たちに自分たちの船を利用してもらうため
とあるイタリア商人が考えたキャッチコピーとして「聖地までの船旅の食事にはベーコンが付きます!」という記録があり
その当時からアングロサクソンは無類のベーコン好きだったというような逸話まで膨大な歴史には無尽蔵に秘められているのです。

一段深い設定をすると、物語の幅も拡がるという話(2)

前回の続き、特に女性向けラノベ作家志望者が陥りやすい欠点についての考え方のちょっとしたアドバイスとなります。

前回では女性作家志望者はファンタジーのプロットを考えてもらうと「謀反の宮廷陰謀」と「隣国の侵略」ばかりで
しかもこれらを深く考えていないので、たいていワンパターンであり従来作品や他のライバル投稿者の作品と差別化できないため
なかなか成長できないままになってしまっているというお話でした。詳しくは前回分のエントリーを読んでください。

それでは今回は、ならば「ファンタジー作品」を書くときに設定として頭のなかで考え、整理しておくべきことを挙げていきましょう。
とはいえ、実力のある人であれば言われなくてもやっているものです。できていなかった人は一層の精進をお願いします。

まずファンタジー世界、ここでは特に多い「西洋風ファンタジー」の俗に「中世ヨーロッパ風」と呼ばれている
一般的な世界をベースに考えてみたいと思いますが、ここで最も注意しないといけないのは女性向けファンタジーの99%以上は
実は「中世」ではなく「近世」をベースに構築された文明レベルだということをしっかりと理解しておきましょう。
具体的にはヨーロッパでいうところのルネサンスから産業革命前までの世界ということですね。

実際の中世というのは「暗黒の中世」と呼ばれるくらいで、古代ローマ帝国の高度な文明を蛮族の侵攻により失ってしまい
その蛮族たちが築いた粗野で野蛮、不潔な文化レベルと、キリスト教への苛烈な信仰により精神を支配された世界です。
王族も貴族もほとんど文字を読めませんし、とにかく暴力的なほど英雄とされてしまう気風さえありました。
疫病と飢饉が蔓延し、異教や異端宗派は皆殺しが日常ということで、日本の作品では少ないですが通常「ダークファンタジー」と
分類されるジャンルの作品に近いのが実際の中世なんですね。でも、あなたの作品はダークファンタジーではないはずです。

王侯貴族があるそこそこの教養を持ち、宮廷騎士が王宮に侍っているような世界観は、だいたい近世前半の文化レベルです。
もともとメルヘン、童話、騎士物語といったものが創作されたのが近世になってからで、そのときの世情を反映されているのです。
中国でも『水滸伝』では【宋の時代】の史実を脚色したものですが、文化や習慣は執筆された【明の時代】のものとなっています。
当時の人は時代考証ということはあまり関心もなかったので、そういうふうになっていったのです。
史実に忠実にやる必要は微塵もありませんが、そういうことを前提となる史実を知っているのか知らないかは
物語を創作するにあたってアイデアをひねる際に大きく影響してきますよ。歴史にはアイデアの種が無尽蔵に埋まっています!
ではさっそく、あらかじめ創作前に考えておくべきことを項目としてみていきましょう。

まずは基本的なところから【地理】です。
その国が沿岸にあるのか、内陸にあるのか、はたまた島国なのかといったことですね。
国の地理により経済産業や軍事、文化などは大きく変わっていきます。
さらに内陸国でも平野が多い土地と山岳地域では、産業構造や人口の数なども違ってきますよね。
フランスのように肥沃な平野の国であれば大きな人口を抱えられるので大国になりやすいわけですが
スイスのように険しい山岳地帯であれば農業が発展しにくく結果的に人口も少なくて貧しくなります。
あるいは、よい港があれば異国との貿易で発展できるわけでイタリアの都市国家のように小国でも豊かになるでしょう。
基本的に経済的に豊かな国ほど文化や文明は進歩し、貧しい国はそれほど文化は発展しにくく素朴になります。

つぎに地理と同じく【気候】も大事な要素です。
温暖な国であれば農業が盛んになりますが、ロシアのような寒冷な国では大国であっても農業に適しません。
また寒冷地法は農業で自活できないため、モンゴルやバイキングのように掠奪を生業とする部族や国家となりやすいですよね。
スイスのように時計産業が成立するまでは他国への傭兵派遣が収入を得る唯一の方法だったような国もあります。
そして傾向として快適な気候ほど宗教は多神教となり融和的な教義になりますが、砂漠や寒冷地で発生する宗教は
自然の厳しさをそのまま神格するためとリーダーの重要性が高まるので、厳しい戒律の一神教になりやすいなど
その土地の習慣や気質などにも大きく影響を及ばしていきます。
南国の人が一般的に怠惰なのは家の裏山に行けばパパイアやマンゴーがいつでもあるし、海には魚もたくさんいるから
特に仕事しなくても生きていけるからであり、そのため文明を進歩させる必要もないので原始的に留まりやすかったりします。

そのつぎに【国家体制】についても考えておきましょう。
たいていの場合、「国王」がいて、その子弟の「王子」や「王女」が主人公の物語が多いわけですが、実際その王様は何者なのか?
そこのところをしっかり考えている女性作家志望者には未だ出会ったことがありません。
まず「王政」であってもどういう王政が存在するのか知っていますか?
中華皇帝やルイ王朝のような中央集権的な絶対王政もあれば、議会が優先される英国や日本のような立憲君主制もあります。
または実権もなければ統治する土地もなく、有力諸侯の選挙で選ばれる神聖ローマ皇帝なんてものも存在していました。
あなたの作品においては文明レベルは近世となっていますので、国王が直接政治をとりしきる親政というのは現実味がありません。
中世であれば封建制により王と諸侯・騎士は契約の上に主従関係を結びましたが、基本的にゆるい関係であり
王もまた絶対的に強者ではなく、かえって他の諸侯ほうが強い場合もあったので国の統治は不安定でした。
つまり王のやりたいようにやれないわけで、配下の有力諸侯や騎士たちの言い分を聞かないと反乱を起こされてしまうのです。
よって隣国の侵攻というのがあったとき、有力諸侯が裏切ることも多く長期間の乱戦になりがちなんですね。
そういう世界観でやりたいなら百年戦争や薔薇戦争などを参考にしてみてください。

さて、上記のような古い封建制を覆したのがフランスの太陽王ルイ14世で、国家の権力を国王に集中させることに成功して
今まで地元の領地で武装していた諸侯や騎士たちを王宮に集めて近くに暮らさせ、その軍事力を削いだわけです。
日本でも徳川幕府が天下統一を果たした江戸時代になってからは参勤交代というのがありましたよね。それと似ています。
これと前後して今まで諸侯や騎士に頼った少数精鋭の軍隊から傭兵や国民兵など大兵力動員が可能になっていきます。
こうなると騎士たちの存在意義が薄れてしまったため、騎士が懐古趣味で作らせたのが今に残る騎士物語の数々です。
とはいえ最初に国民兵を導入したのはナポレオンなので、あなたの作品ではちょっと進歩しすぎかと思いますから
ここでは騎士から傭兵へと軍隊の主役が変わったくらいの雰囲気がちょうどいいのかもしれません。
一口に「傭兵」とはいえっても日本のよくあるファンタジー的な傭兵と史実の傭兵はまったく異なる存在なので注意してください。
史実の傭兵というと犯罪者やゴロツキをはじめ、数合わせで誘拐された農民や乞食も多数含まれているので
お世辞にも立派なものでありません。ただし傭兵隊長クラスだと貴族の庶子(私生児)や騎士くずれが多かったようです。

あと、このくらいのレベルの文化レベルにおいては、通常は合議制なり議会制が発展していって
王様も議会の承認なしには好き勝手な政策で国を動かすようなことはできなくなってきています。
それ以上に国家の予算や施策などの規模や複雑さから国王がひとりでどうこうできるレベルでもありません。
しかし実際に独りでやろうとしたのが後醍醐天皇の「建武の新政」で、結果的に大きな混乱を招いて失敗したと習いましたよね。
また大臣職も貴族だけではなく王の任命する大商人など民間登用も多かったので、ますます権力とカネ、軍事は国王に集中し
中世の頃とはうってかわって王と貴族たちとの権力の差は広がってゆく時代でもありました。

今回は大枠のみではありましたが、このくらいにしましょう。次回は国を動かすために必要な経済や産業について書く予定です。
国によって収入を得る方法はいろいろ異なりますし、収入のことを考えていないでの国家運営もありえません!
広告:
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。