L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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ライトノベル創作教室ラノベりあん 中二病でも書けるライトノベル教室♪

小説の楽しい書き方講座ブログ 毎週開催の創作塾と連動中!

君の名は聲の形で乙武さん……真の障害について考える

ちまたでは映画『君の名は』、『聲の形』が大ヒットしてます。
こういうヒット作が出てくると必ず出てくるのがアンチの存在です。
で、これらの作品に対しての否定的意見として出てくるのが「結局のところ主人公たちが美少女、イケメンだから」だから
物語が成立するんだろというものをネット上で見受けました。
たしかにそうなんですよね。入れ替わるにしても、聴覚障害を受け入れるにしても、これがキモメン、ドブスだったとしたら
たぶんこんな美しい物語になることもなく、ひたすら淡々と収束してしまったであろうことは想像に難くありません。
なぜなら恋愛に発展していかないからであり、男女が惹かれあわなければ物語は成立しなくなってしまうわけです。
そう、この世の中、特に若い人たちの基準は美醜に重きが置かれているわけで、醜いことは悪そのものだったりします。

つまり身体障害よりも美醜のほうが、よほど我々にとって大きな問題であり、
美しければ身体障害くらい簡単とは言えなくとも高確率で乗り越えられるというなんとも厳しい現実があるとうことなんですよね。
そこで登場するのが乙武さんです。彼は御存知の通り四肢がほとんどないという重度の障害を負っています。
しかし彼はモテモテです。不倫という道徳的問題さえなければ、彼は美女たちのハーレムを築いて人生を謳歌していました!
男としてはうらやましい限りではないですか! たとえ手足のある健常者で彼を凌ぐほどモテる人は一握りです。
なぜ彼がモテるのか、ひとつに『五体不満足』のベストセラーを契機に彼は高収入であることも一因ですが
それ以前の高校生のときにはもう結構モテていたことを考えるとお金があるからというわけでもないわけです。

最大の要因は彼の顔が爽やかなイケメンであり、知的で話上手という才能があったからなんですよね。
たったそれだけで手足がないことはモテることにおいてハンデになりえないということです。
逆の場合だったらどうでしょう? たくましい完璧な肉体を持つが首から上はひどく醜く、知能も平均を下回っていたら……
ほぼ確実にそんな逆乙武さんのような人がいたら、どんなに障害者差別には反対だと主張する人であっても
彼を対等の人間としてはあつかわないでしょうし、口さがない人々はバケモノとしかみなさないでしょう。
そもそも身体障害者が差別される原因としては独特の容貌などで美しくないからという厳しい現実もあります。
物語に登場する盲目の美女や白痴の美少女がもてはやされることはあっても現実ではほぼ皆無です。

こんなおかしな現実を皮肉った映画として『シュレック』があります。
この中で美しい姫は怪物のシュレックと結婚知るだけでなく、自らも怪物の姿になることを選びます。
とはいえ、この映画は現実を逆手にとったアンチテーゼですから、この裏返しが現実であることを認めたうえでの作品です。

そして、この美醜基準の最大の悲劇が障害者よりも醜い男女のほうが圧倒的に多いという現実です。
だいたい世間的には、美:普通:醜の比率は1:2:2くらいとして認識されるんじゃないでしょうか。
無作為に異性が10人くらい集まったら、いいな、付き合いたいなと思えるような人が数人いる一方で
生理的に無理、頼まれても付き合えないという人が3、4人いる感じですね。だいたいこんなものでしょう?

結論をいえば、身体障害者よりも数が多く、それでいて対人関係においてはハンデも大きいブサイクなのに
行政など社会的にはなんら援助の手を差し伸べていないという事実です。美容整形だって保険は適用されません!
私はこのような社会的に醜いという一点で大きな支障をきたしている人にも支援してゆく必要を感じています。
かつてはお見合い結婚ということで、ブサイクな人でもそれなりに結婚相手が決まてくれる世の中であったのに
いまの自由競争の時代においてはセーフティネットがあまりにもなさすぎます。
民間ではアニメや漫画、ライトノベル、アダルトビデオなどといった物語世界の提供のみが唯一の受け皿ですが
そこに溜まってしまうと脱出するすべはなく、蜘蛛の糸が垂れてくる期待値は地獄よりも低いかもしれません。

独身男性の7割以上が現在交際相手がおらず、4割については童貞であるという日本社会についてどう考えるか
自分として何を提言できるかということを作品の中で語るというのもおもしろいかもしれませんよ!

最近の青春恋愛小説の書き方、そこは虎舞竜【ロード第?章】に鍵がある!

最近、映像化などされるくらいヒットする青春恋愛小説というのは、けっこう類型的なストーリーが多いようです。
そこで今回は、そんな最近の青春小説について、どんなものが読者に好まれているのかを考えてみましょう!

昨今の青春恋愛小説をひとことで言うと、いかに「何気ない青春の一コマ」を貴重な一瞬として描けるかということに
かかっているといっても過言ではありません!
つまり、このツボを押さえていれば、かなり成功に近づくのではないでしょうか!

ここで定義する「何気ない青春の一コマ」というのは、なにも実現不可能な創作上の展開などではなく
現実の中高生の男女の恋愛によくありがちなシーンということになります。
映画やカフェに行くデートだとか、一緒に過ごした学校生活や行事、登下校とかですね。
非モテ男女ではなければ、一度は経験したであろうありふれたあ恋愛のあるある風景のことです。

しかし、これらの普通のあるあるシーンを羅列するだけでは当たり前すぎてつまらないものになってしまいます。
そこでこれらの普通のシーンをいかに劇的に描くか、それが作者の力量であり発想力ともなります。
で、ここで出てくるのが、あの虎舞竜の大ヒット曲【ロード】なのです。
歌詞にある「何でもないような事が幸せだったと思う 何でもない夜の事 二度とは戻れない夜」
この歌の中では明確に語られてはいませんが、恋人が突然、交通事故で亡くなってしまったのでしょう。
それを一年後に回顧するとき、当時はそれほど意識していない普通の出来事がいかに幸せだったか思いしらされる……
そんなストーリーが歌詞にあるわけであり、発表当時はものすごい共感と支持を受けてヒットしたわけですよね。

そして、この原理は昨今の青春恋愛小説においては非常に多用されているメソッドなのです。
『世界の中心で、愛をさけぶ』を筆頭にヒットしましたが、いつもいつも恋人を事故や難病で殺していくという展開では
マンネリになってしまい、読者も飽き飽きしてしまいますから、ちがうものを用意してあげて新鮮味を与えなくてはいけません。

そこで参考にされたのが、さらに昔の作品だった『時をかける少女』(アニメではないほう)です。
時空を超えた恋愛というSF的な要素を加えることにより、主人公の男女は別れる運命を背負わされてしまうんですね。
ここ最近の作品において多用されていますが、ネタバレになってしまうので具体例はださないようにします。
参考までに下に代表的でわかりやすい作品を紹介しておきました。興味があれば一読してみてください。

しかし基本形としては一時的に交わる交点において出会い、普通の恋愛をするようになりますが
双方の運命は何らかの抗えない法則などにより離れ離れになってゆくことになる。
そして、その運命を知ったとき、ふたりは初めてお互いが一緒に過ごした時間の大切さに気づくという展開になります。
ここで何気ない恋愛シーン、つまり読者にとって普通の恋愛シーンなのに無上のものとして昇華されるわけです。

なにより青春時代の恋愛なんていうものは基本的に失恋で終わるものですから、やはり別れというつらい経験と
そして他者にしてみれば特筆すべきこともないふたりの思い出こそが貴重で大切だったという想いは誰しもあるので
それが実際は性格の不一致や相手の浮気などで別れたものであったとしても、
物語としては運命として別れた悲恋として美化されたかたちで描かれているものを読んだ(観た)ときには
より多くの読者が実体験を想起し、当時の感傷的な持ちが喚起され、非常に共感されやすくなり、ヒットしするのです!

かつてのように一般人とは別世界に住む王侯貴族やアウトローの美男美女たちによるドラマチックで熱烈な大恋愛ではなく、
どこにである普通の男女の恋愛、共感されやすいそんな恋愛模様をいかに「たいせつな瞬間」であったかを演出してみましょう。









作家志望者の夏休みの過ごし方のすすめ

もう7月も終わろうとしています。学生さんはもうすでに夏休みの真っ最中でしょう。
ちまたではポケモンGOは猛威をふるっていますが、この夏、作家志望のみなさんはどんな予定がありますか?
この期に原稿を仕上げるのもまたいいのですが、それは夏休みの宿題みたいなものととして考えるなら
他に何をしておくと創作に有利かということを今回は考えていきましょう。

まず学園小説などにおいては、夏はやはりイベント盛りだくさんの季節ですから、おのずとネタの宝庫なんですね!
しかし作者がそのイベントを書こうとする際には、やはり実体験しているかどうかがリアリティやネタの拡がりから
またオリジネリティ、ちょっと異なる視点といった点で大きな差が生じてきてしまいます。
他のアニメや漫画などの作品の中で花火大会や海水浴といったイベントの回を見て、それを参考にしたとしても
結局はその元ネタを大きく越えることはなかなかできるものではありません!
物語では描かれない背景や細部などを理解するには、ひととおり作者は経験できるものならしておくべきです。
異世界ファンタジーのように誰も経験できないことでなら、そこまで差はひらきませんがたいてい触れることのできる経験においては
やはり机上の空論と肌で感じた実体験とでは、そこで得られる情報量が雲泥の差があるんですね。

では、どんな夏のイベントがあるのか、ここであらかた拾いだしてみましょう。

・海水浴(プール)
・花火大会
・夏祭り(盆踊り)
・夏合宿(旅行)
・キャンプ/BBQ
・肝試し(お化け屋敷)
・音楽フェス(各種イベント)
・天体観測
・お盆(墓参り)
・コミケ
・虫取り

だいたいこんな感じじゃないでしょうか。他にもいろいろあります。
そして、これらは一様ではないんですね。都心でのそれと、地方それぞれのそれとはまるでちがってきます。
特に宗教色の強いお盆や祭りなんて地域によって時期も風習も独自色が強いですからね。
そういったものを知っていて、それを作品に活かせると味わいがでるわけです。

あとたいていのイベントはデートと密接な関係にありますので、できればデートで体験するのがベストなのですが
それができない孤独な人は周りのカップルなどを事案にならない程度によく観察してみるのもいいでしょう。
「リア充爆発しろ」とか怨嗟の言葉を吐かず、まるで自分がそのカップルの片割れであるかのような気持ちでなりきってください。
そうすることで追体験すれば、実体験に近いものが得られる可能性があります。

なにより遊びながら学べるというのはたのしいものですよ。
もちろん何もせず家に閉じこもるという経験もまたニートやヒキコモリのキャラクターを描く際には貴重な経験にもなりますので
まだ経験したことがないというのであれば、今年の夏をそうやってすごすというのもまた一興でしょう。

なにをするにも去年とちがったことをできるだけすることで、あなたの心のネタ帳はどんどん膨らんでいきますよ!

作品の個性とは己のコンプレックスを表現すること

こうして長年、小説の書き方などをたくさんの指導してきているわけですが、その中で伸びる人と伸びない人がいます。
その違いは何かというと、端的に言ってしまえば「カッコつけた」とか「ええカッコしい」ものを書こうとする人はまず伸びません!

べつにカッコいい物語を否定しているわけではなくて、創作する際の作者の姿勢がカッコつけているような人という意味です。
具体的に言葉で表現すると難しいのですが、作品を通して「こんなことを書くオレってカッコいいだろ?」的な雰囲気が漂うというのか
作品の中で作者が見栄を張っているような感じというんでしょうかね。こういうのは残念ながらモノになりません。
どう体裁をよくしても優等生的なおもしろみのない作品にしかならないんですね。
作品そのものが漫画に出てくる「真面目ガリ勉キャラ」みたいな感じなので、人気者になるようなタイプにはならないわけです。

では、どんな作品が面白くなってゆくかというと、個性的な作品には可能性が大いにあります。
そして、その個性とはどこから来るかというと、それこそが作者の「コンプレックス」にあるといっても過言ではありません。
しかし普通の人は自分の弱みを見せるようなことは嫌いますし、それをおおっぴらにするなんてことしませんよね。
でも、こと創作において作者にはそれが大いに求められていて、それができる人は可能性が高くなるのです。
いくら作中で自分のコンプレックスを表明しなさいと言われても一定数の人はプライドが邪魔して絶対できないんですよ。
人それぞれの性格なのでそれが良いも悪いもありませんが、あいにくそういう人は作家には向いていないだけのことです。

たいていの自慢話より失敗談のほうがおもしろいしウケるのと一緒です。
作者の持つコンプレックスをいかに作品の中に織りこんで、それを笑える話、哀しい話などにもっていくかが勝負なのです。
そして、あなたの描くコンプレックスに読者たちが同調することでキャラなりストーリーなりに感情移入してくれるのです!

そもそも学校のクラスなどで中心になるような人気者の話って、そもそもそういう失敗談をからめたものが多くないですか?
ときに自分は傷つきたくないので、その役目を一方的に「いじられキャラ」に押しつけてしまう中心人物もいるでしょうが
真におもしろい人だと思われているような人は、たいてい自分の失敗談やらコンプレックスをあけすけに語ることで
周囲の人たちの笑いをとったりしています。それでいて失敗しているからと蔑まれるどころか一目おかれてますよね?
逆に話のおもしろくない人というのは逆に弱みを見せようとしないで話すため、笑いのないつまらない話になりがちです。
自分の弱みを見せないことはできても誰からも尊敬されるどころか軽く扱われてしまったりするわけですよ。

友達同士の会話も小説も根本は同じなんですね。
要は聞き手や読み手の関心をどうやって得るかにかかっているわけです。
あなたは話のつまらない人間に、そして書き手になっていませんか?

論理的かつ柔軟な思考をしていますか?

小説を書くにあたって基礎的な素養として「論理的」であることと「柔軟」であることが求められます。
しかし多くの人はどちらかに偏ってしまっていることが多いんですね。

まず「理解される文章」を書く、「辻褄の合う物語」を書くには論理的な考え方が必要です。
詩歌ならともかく飛躍しすぎた文章、破綻した物語では読者にとっては意味不明で無価値です。
こういう思考は理系を得意とする人が多いので、男性作家には理系学部出身の人が多いんですね。
作家は文系職業ですが、数学や物理化学がまるでダメという人にはあまり向いているとは言いにくいわけです。

一方で創作である以上は形式張っていたり、常に常識の範疇に収まったようなものでは読者を飽きさせてしまいます。
そこで常識にとらわれないで自由な発想、多角的な視点を持てる「柔軟な思考」というのも同時に求められるんですね。
こういうことを得意とするのも道筋をつけて新発見や発明をする科学者とか技術者のほうが向いていたりもします。

とはいえ理系人間なら誰でも作家に向いているかというとそういうわけでもありません。
なおかつ文学的センスを持ち合わせないといけないですし、小説とは擬人化も含め人間たちの物語ですから
人間の心理や感情をよく把握していないと読者を愉しませたり、感動させたりはできません。

絵画にたとえるなら、画家は自由奔放に絵を描いているように見えるかもしれませんが
実際は遠近法や黄金比、三角系の構図から色彩や光と影のコントラスト、質感や感情の表現に至るまで
下絵のデッサンなど繰り返し研究、研鑽しながら描いているのであって、必ずしも情熱だけで描いているわけではなく
技術と研究を磨き上げたうえでの表現として絵というものに投射しているのです。
観るだけで鑑賞できる絵画でそれだけのことをやっているのに読んで理解しないといけない小説においては
どれだけ論理性が求められ、さらに多彩な表現方法を提示できるかは考えなくてもわかることでしょう。

論理的と柔軟性はどちらがたいせつというわけではないですが、どちらかというと柔軟性は性格由来ですから
確実に訓練や練習で習得できる論理的な思考を鍛える努力をすることが望ましいでしょう。
少なくともおもしろいかつまらないかはともかく意味の通じる物語を書くことができます。
そのうえでおもしろさを追求するほうが良い選択肢だとは思いませんか?

自分以外を愉しませる訓練をしていますか?

創作活動における基礎体力というのは、とりもなおさず「いかに自分以外を愉しませるか」といった能力にかかってきます。
このとこは過去に何度も触れていますが、再度ここにも書いておきますね。
読者という自分以外を小説という手段を使って、とにかく愉しませ、その対価として印税を受け取るのが作家としての使命です。
よって創作活動だけでなく日頃の活動でも誰かを愉しませることを念頭に行動できるようにするのは非常によい訓練です。
作家志望者はどうしても、こういうことを苦手とする人が多いのですが、それでも頑張ってほしいところです。
あなたが小説を書くのは自分が愉しむための自己満足ではなく他者を愉しませる奉仕であることを忘れずに!
この基礎中の基礎を忘れてしまうと、独りよがりの駄作しか書けなくなってしまいます。

では具体的にどうすればいいのかというと、彼女(彼氏)をつくって交際することが最も実益を兼ねた訓練かなっています。
恋愛をすると相手に気に入られるためにどうすればいいのか、またよろこんでくれることはなんだろうと考えることになります。
そうやって相手の気持を汲み取ることができることができる人は、なんだかんだいって作家としてだけでなく
他の仕事全般を含めた人間関係を円滑することにもつながるので一石二鳥、三鳥にもなってくれるのでおすすめです。
同性の友達を愉しませるのでもいいのですが、これはどちらかというと相互に利害関係がなくて基本無償的なんですよね。
小説として考えるなら無料のネット小説でのファンを獲得するようなものであり、敷居も低くやはりタイプがちょっと違います。
何かしらの対価(小説では印税)をもらうという利害関係ありきで愉しませる関係は恋愛関係とよく似ているのです。
あまたいる異性の中から、あなたひとりを選んで貴重な時間やお金を消費するに値するほどの愉しさを与えてくれるかどうか
それがつまらなければフラレてしまうだろうし、見合うだけのものがあれば交際は継続されるわけですよ。
友達同士なら人数制限はないし密に交流しなくとも友人関係は続けられます。

逆に考えてみてください。たったひとりの恋人さえ惹きつけられないような退屈な人、嫌悪感を抱かれるような人で、
どうして数万、数十万、ときとして数百万人にもなる不特定多数のファンや読者を獲得できるでしょうか?
あなたは創作という手段によって、アイドルはその容姿や歌手活動によって、お笑い芸人なら話芸やタレント性によって
その手段は異っても不特定多数の熱烈なファンを獲得しなければいないのは基本的に同じことです。
魅力的な人間性を発露することによってのみ、あなたは評価されることになります。

正直、人間的につまならい人、魅力に欠けるような人に作家も含めた人気商売は不向きです。
ただし文才というのは、容姿はあまり関係ないので芸能人のように容姿で売れ行きが変わることは少ないことくらいですね。
とはいえ作家であっても美人、イケメンであれば出版社がそれを利用して売上をプラス補正させている事例は少なくありません。
じゃあ、どういう人ならいいかというと、だいたいパターンがあります。
第一には昔からクラスの人気者だったみたいな誰かを愉しませることが大好きな根っからのエンターテイナー、お調子者タイプ。
第二に人気者とはいえないが極度の変人や破天荒なタイプ。ただし嫌悪感を抱かれるような傾向でないのは必須です。

男性向けライトノベルの主人公に多いような地味で目立たない、特に趣味もない、彼女彼氏もいない人というのは
創作活動においてアイデアのひきだしも少ないし、あまり尖ったアイデアも思い浮かばないので、どうしても厳しくなります。
たとえヒキコモリであっても1日2時間睡眠でオムツを履きながら1年365日ネトゲをしている廃人というのなら
それは人と話すことさえ苦手だとしても、やっぱり創作的には潜在的なポテンシャルが桁違いなんですね。
しかし毎日5時間、ネトゲにハマってました程度では極端に振れていないので、ただの中途半端でつまらない奴でしかありません。
中途半端かどうかの基準としては、知り合いが「こんなアホな奴がいてさ……」みたいに友達に話してみたくなるかどうかですかね。

とはいえ、そんな超変人タイプというのは、素質なくしてはなれないし、なろうと思ってもできません。
そうすると特にそういった変人傾向がない人は、とにかく人好き、誰かを愉しませることを常に考えているタイプになるしかありません。
友達同士、恋人同士で相手より自分が愉しむことを優先させてしまうタイプなら作家より読者のままでいたほうが幸せです。

おぞましかろうと読者の求める作品を!

昨今、どんなラノベ作品が売れているのかを考察してみると、その傾向は実にシンプルです。
ラノベ志望者ならよくわかっていると思いますが、基本は主人公が魅力的な異性にモテモテな設定であり
読者が主人公への共感を通してモテモテライフを楽しめるかどうかといったことになります。
もしくは女の子だけ、男の子だけといった箱庭的な環境を外から眺めることに楽しみを見いだすタイプでしょう。

この傾向は実に強くなっていまして、実によく似たテンプレ作品が量産されています。
じゃあ、そのテンプレをなぞらえてさえいれば、どんな作品でもウケるかというと、そういうわけでもありません。
テンプレまみれであろうと、そこに一定水準以上のクオリティと多少なりともオリジナリティがないといけません。
でもほとんどの作家志望者はこのクオリティに達していません。なぜなら何がテンプレなのかわからないんですね。
テンプレじゃないと思ってテンプレを書いてしまっているような人がかなりの割合でいます。
そのためテンプレをしっかり認識している人なら、そのレールから外れないようにすることができますが
何がテンプレなのかよくわかっていない人がテンプレっぽいものを書いても肝心なところでレールから逸れてしまい
確実に読者がたのしめるポイントから離れてしまうので、結果的にまったくおもしろくない作品になってしまうんですね。

またオリジナリティを追求しておもしろい作品を書こうとしても、今のラノベはそれが認められるマーケット環境にありません。
過去にも似た例があり、『ウルトラセブン』で今でこそ名作だ傑作だと言われる『盗まれたウルトラ・アイ』といったエピソードは
予算不足のため怪獣のキグルミが登場しないため、毎週、怪獣の登場を楽しみにしていた子供たちを大いに落胆させ
このあたりから視聴率の下落傾向が如実に現れてくるようになるんですね。
あの当時のウルトラマンに求められていたのは、怪獣とウルトラマンの格闘であり、スーパーメカの活躍でした。
しかし予算不足とマンネリ化が進み、スタッフのやる気もなくなってしまったウルトラシリーズは
イギリス作品の『サンダーバード』や水木しげるの妖怪ブームの台頭をゆるしてしまいました。
そして後年、ウルトラシリーズを復活させた火付け役は、なんとくたくたになったヒーローショー用の怪獣キグルミを
プロレスのようにおもしろおかしい実況付きでボコボコ戦わせるだけの超低予算5分番組『ウルトラファイト』だったのです。
斬新なSF設定とか緻密なストーリー、深い人間ドラマなんて、そんなものくそ食らえだったわけです。

今のラノベに求められている作品の幅というのは過去と比較すると非常に狭いものとなってきています。
それだけライトノベル読者層というのが固定化してしまったということでしょう。
読む人はたくさん読むし、読まない人はまったく読まないといったふうに二極化が進んでいるわけです。
だからいくら自分がこういう作品を書きたいという強い思いがあっても、それが大多数の読者層に合わないものだと
なかなか評価されにくいものとなっているようです。
こんなアホらしい作品なんて気持悪くて書いてられるかと思うのは自由ですが、商業ベースで作品を出したいなら
いかに折り合いをつけて書くかにかかっています。そして、そういう意識を持つことのできる人の成長は早いです。
反対に成長しにくいのは、アホらしいものをアホらしいものと思えずに書くことしかできない人です。

正直なところ、ストーリー構成やキャラ造形がしっかりできるくらいの実力のある人にとってライトノベルではものたりません。
極端に言えば、児童書や絵本を書くのもあくまで大人(しかも高齢が多い)であり、子供に書けるものではありません。
読者と同じ水準では読者の求めるものは書けません。それだけは確実です。
アホらしいものなら、どうすればアホらしくなく見えるようにするかとか、いっそ突き抜けてアホを極めるとか
そういう工夫をすることができるかどうかが、作品のクオリティを高める鍵となっています。

とはいえ、ラノベを書きたいと思っている人はラノベが大好きだから書きたいのでしょう。それはいいことです。
でも純粋にラノベ好きのままではラノベ作家にはなれないというジレンマがあるのです。
本当にラノベ作家になれるほどのレベルに達したとき、すでにラノベは満たされない自分になっているのです。




第1作スターウォーズを改めて観て、自分ならこうしたかったなと思うポイント

世間では最新作『スターウォーズ フォースの覚醒』が公開されて、いろいろと騒がれていますね。
期待されすぎているシリーズだけに今作の評価は微妙なものが多いようですが実際のところはどうなんでしょうか?
私としてはこれを機会に第1作(エピソード4)を改めて観なおしてみたんですね。
ストーリーはほぼわかっているので、細かいところや全体の流れなどについて注目してみたんですが
今更ながら「あれっ?」これでいいのと思うところがいくつかありました。

物語の主人公は青年ルーク・スカイウォーカーであり、世界観の重要なキーアイテムは光る剣ライトセーバーです。
作中でも父の形見だというライトセーバーを渡され、宇宙船ミレニアム・ファルコン内で修行というか訓練をしているわけですが
敵要塞デススターに潜入してからはというと敵兵ストームトルーパーから奪ったブラスターしか使ってないんですよね。
作中でライトセーバーで戦ったのはオビ=ワン・ケノービとダース・ベイダーのふたりだけなのです。
第1作公開時はシリーズとしてではなく1本の作品と考えた場合、ルークはキーアイテムを実戦で使っていません。
このシークエンスはかなりマズいですよね。映画のポスターだってルークはカッコよくライトセーバーを掲げているのに……

そしてもう1点、これはやはりマズいなと思ったのはルークは敵役のダース・ベイダーと絡みがありません!
ルークは逃げる途中にオビ=ワンと戦うベイダー卿を目撃したのみで、いっさい言葉も交わしてません。
またデススターを攻略しに宇宙戦闘機Xウィングで出撃しても、ベイダー卿のTIEファイターと空中戦もしてません。
ルークは終始、デススターを破壊するのに夢中であり、それを阻止しようとするベイダー卿を退けたのは脇役のハン・ソロでした。
やっぱり単発作品として見た場合、主人公と敵役との戦いというポイントでは、かなり消化不良でした。
次回作『帝国の逆襲』以降でこれらの点はしっかり解消されてはいるので、シリーズとしては問題ないんですけどね。

制作費と撮影スケジュールの大幅超過でオミットされた結果なのかもしれませんが、普通に物語としてどうすればいいのかというと
やはりルークはダースベイダーと剣を交える必要があり、そこでフォースが使えず未熟ゆえに窮地になったところで
師であるオビ=ワンに助けてもらうも、本編通りオビ=ワンは倒されてしまうという流れがベストだったでしょう。
また宇宙戦闘でもルーク自らが陽子魚雷攻撃に専念するのではなく、雷撃する僚機(Mファルコンとか)の護衛として
これを迎撃せんとするベイダー卿と空中戦を繰り広げた上で、ベイダー卿を破って味方の攻撃を間一髪で成功させるというのが
現在の物語セオリーとしては教科書的だったんじゃないでしょうかね。

他にもレイア姫が口汚くプリンセスらしくないのもどうかなとか、説明不足で変に唐突なシーンもあったりしましたが
このあたりは大筋として気になるものではなかったかなと。全体としてはやはり今も色褪せない楽しい傑作でした。

――なんてことを考えながら鑑賞してみたわけですが、作家志望の人は映画でも小説でもいいのですが
漫然と鑑賞するのではなく、ここはよかった、いや自分ならここを改変すればもっと良くなるなと考えながら観てください。
そして、自分なりの改善点はただこうすればいいんじゃないかとフィーリングだけで思うのでなくて
他の作品ではこうやっていたし、物語のセオリーとしてはこうだから、やはりセオリー通りにやるべきだとか
いやケレン味で敢えてセオリーを外したほうがいいとか、そういうふうに説明ができるよう理詰めで考えてくださいね。
物語作りは囲碁や将棋のような棋譜を作ってゆくのに似ています。ただし2人ではなく独りで完成させる棋譜です。
駒はルール通りに動かねばならず、定石を無視した手は棋譜の美しさを損ねますし、妙手は個性や創造性を発揮します。

これは創作の訓練としてとても実践的で実力アップにつながりますよ。
ただし少なくとも物語の王道やセオリーをよく理解できていないと意味がないので、普段からの多読は必須です!




間違いだらけの創作の順序→成功する確率を最大化しよう!

ここのところ塾生たちの指導でよく話していることがあるのですが、それは創作するときの順序です。
これを間違った順番でやってしまって、プロット段階ですでに落選確実の作品にしてしまっている人が多いです。
たしかに、これが正解という創作方法なんてありませんが、効率の悪い方法もあれば、良い方法もあるのです。
そして大半の人がおそらく効率が最悪の方法を選んでやってしまっているんですね。困ったものです。

では、どういう間違った方法をやっているのかということを説明していきますね。
第一歩となるアイデアをプロットに落としこむ段階からして、すでに大失敗しているわけですが具体的には――
まずキャラの肩書やら物語の進行といった枠組から考えはじめてしまうというミスを犯してしまっているんですね。
そして後からキャラの個性的な性格を付与しようとしたり、物語のウリとなるシーンを考えようとしたりするのです。
イメージ的にはあらかじめ物語における容器や箱を作ってから、その容器に入るサイズの内容物を作っている感でです。

でも、それって良くない手順だってなんとなくでもわかりますよね?
まず普通の商品というものは製品が完成した段階で、化粧箱をその内容物のサイズに合わせて作るものです。
製品のサイズが決まっていないのに、どうして箱のサイズ(縦・横・高さ)を決められるのでしょう?
なぜ小説創作のときだけ反対の手順でやろうとしますか?

あなたが創作において、まず優先して考えるべきことは作品の本質であり、枝葉末節の部分ではありません。
作品の本質(=製品)の形やサイズが決まってから、用意する箱(=枠組)のサイズを適切に指定してください。

具体的には、あなたの考えた主人公の個性、つまり従来作品にはなかったような際立った性格設定が決まった段階で
そのキャラを演出するには、騎士がいいのか、それとも魔王か、はたまた高校生なのかと最適な設定を決めましょう。
まず「騎士」だからと決めてしまってから後付けで個性的な性格を付けようとしてもそう簡単にはいきません。
初級者はもっと詳細なキャラ設定やキャラの相関関係を決めてしまってから、キャラに個性を付けようという無謀なことをやります。
そういう順番でキャラを考えようとすれば、大胆な性格設定を付けようにも他の諸設定が邪魔して整合性がとれず巧く収まらなくなり
結局は無難に小さくまとまった設定になってしまって、たいしてキャラの魅力が引きだせないのは当たり前ですよね。

今の時代、キャラも物語もいかに「尖った個性」のあるアイデアを出せるかが求められています。
ですから大事な個性を殺さないようその尖った部分もきとんと収まるような箱を後から採寸して作りましょう。
けっして事前に作った箱のサイズに合わないからと、せっかくの尖った部分を切ったり削ったりしないように!

そして「尖った個性」を考えるのは並大抵の難易度ではないので、つらく厳しい試練だと覚悟してください。
なので逃げで考えるのが簡単なところの設定(今回でいう箱の部分)から作ろうとする誘惑に乗らないように!





自分が書きたいものではなく、読者が読みたいものを書きなさい

今日のエントリーで言いたいのはタイトルのとおりですし、以前にもたびたび触れていることですが今一度!
わかっている人は当たり前のことですが、こんな基本がわかっていない人できない人があまりにも多くいます。
塾生に対しても常に言っているんですが、なかなか提出課題に反映されていません……

とはいえ、自分が書きたくないものを書けというものではありませんよ。
しかしあなたが書きたいと思うものは、往々にして読者が求めているものではないことが多いのです。
ですので、自分が書きたいものをメインディッシュにしてしまうと読者はつまらないと思ってしまうのですね。
自分が書きたいものについては、あくまで作品の添え物、サイドメニューにしてください。

では、読者が読みたいもとは何でしょうか?
それがわかれば困りはしません。みんなベストセラー作家になれてしまいます。
天才肌なら皮膚感覚でわかってしまう人もいますし、膨大なデータを基に分析で割りだす人もいます。
実際には天才である可能性は非常に少ないし、ビッグデータを入手することも難しいわけですから
一般的には可能な限り手に入る量の情報を基に分析しつつ、足りないところは自分のセンスで補うことになるでしょう。
ところが、この情報が決定的に不足しているというかほとんどゼロの人も少なくないのです。
しかもそれを乏しいセンスで補ったらどうなるか……考えなくてもわかるでしょう。

一般論で言えば情報とは読書量に比例します。あとは人間や世の中で起きていることにどれだけ興味があるのか。
またマニアックな知識は物語に深みを与えることに寄与しますが、作品の根本的なおもしろさや娯楽性は与えません。
人生でどれだけ読書を積み重ねてきたのか、より多くの物語に触れてきたのか、そういうことが基礎体力になります。
いま流行っている作品について考えるにしても、その源流はいつの時代のどの作品の影響が色濃いのか
そして当初の作品からどういうところが変わっているのか、それはどういう世相や風潮を反映しているのか
そういった知識があるのとではないのとでは、次の流行りはどうなるのか、また今の人々は何を求めているのかといったものが
なにも知らない人よりも判断する材料が多くなり、的中する確率、成功する確率は飛躍的に高まるでしょうね。
あなたは何ら装備もないまま、暗闇の中でレーダーや暗視装置を装備した敵と戦って勝てるかどうかを考えてみましょう。
読書量こそが完璧でないにしても暗中模索の創作に対して適切なヒントを与えてくれるレーダーであり暗視装置なのです。
これで多少のセンスのなさもカバーできます。

読書量で武装したあなたは次にセンス、つまり直感に従って前進すべきです。
ただし武装していないなら安易に突き進むのは無謀です。地雷原を幸運だけで突破できるかどうかを試すようなものです。
創作するだけなら死ぬことはないので何度でも再チャレンジできますが、それでも勝機は高いとはいえませんよね。
武装した後は、どうすれば作品がよりおもしろくなるかが直感的にひらめくよう、その霊感や嗅覚を研ぎ澄ましてください。
手に入る情報は完璧ではない以上、最終的な決断は第六感的なものに委ねなくてはならないときがくるものです。
ここで注意すべきは「あなたがおもしろいと思うもの」は必ずしも「より多くの人もおもしろいと思うもの」ではないこと!
エンタメ作品におけるセンスを磨こうとするなら「どうすれば人を楽しませられるか」について常に考えていきましょう。
よきエンターテイナーたらんとするには自分はどうあるべきか」を心に留めておいてください。



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