L'Anovelién

UNO=日昌晶

Author:UNO=日昌晶
日昌晶(ひよしあきら)
小説家にして作家デビュー請負人、ストーリーコミュニケーションコンサルタント
原稿執筆や講演・講義、オタクビジネス・マーケティングのコンサルティングまで幅広く活躍中!
 unokyokai@gmail.com

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ライトノベル創作教室ラノベりあん 中二病でも書けるライトノベル教室♪

小説の楽しい書き方講座ブログ 毎週開催の創作塾と連動中!

テーマってなに?

【質問】
以前より気になっていたことなのですが、小説の主題(テーマ)の必然性について教えてください。
ラノベやアクション映画などでは、無い(無いように見える) 作品も多くあり、
もしかすると必然性はない(無くても良い)ものなのかもしれないのですが、
あるとすればそれはなんなのでしょうか?


【アドバイス】
きっとテーマというものを大袈裟に考えているんじゃないでしょうか。
テーマなんていうものは、そんなたいしたものじゃないんですよ。
たしかに重厚なテーマのある作品が、とかくテーマ性について語られることが多いのですが
一見、テーマがなさそうに見える作品でも、ちゃんとテーマはあるんですね。

結論から先に言ってしまうと、テーマとは「作者が表現したいこと」「作品でやりたいこと」です。
だから作者が人間の愛憎を描きたいなら、それがテーマでしょう。
あるいは反戦や世界平和を作者がアピールしたいのなら、それもテーマです。
そして作者が「こんな美少女がいたら萌えるよ!」と表現したければ、これもまたテーマなのです。

さらには作品の内容とはまったくちがうテーマだってありえます。
とにかく予算内で期限内に撮影を完了することだけがテーマの映画だってあるでしょう。
そんなものなんです。テーマなんてあまり難しく考えなくても大丈夫ですよ。

ただし、いくら大仰にかまえる必要がないとはいえ、テーマは明確にしておかないといけません。
何がやりたいのかわからずに、作品を書くことろくなことにはなりません。
算数でも答えを導きだすために数式を立てて計算しますよね。
でも答えになにを求められているのかわからなかったら、手も足も出ませんよね。

たとえば、こんな問題があったらどうでしょうか。
「花子さんは500円を持って買い物に行きました。りんごは1個30円。みかんは20円です。さてどうでしょう?」
往年のダウンタウンの漫才ネタにもなっていましたが、こんな問題は絶対に解けません。
でも、これが算数の問題ではなくて、小説ならできてしまうと思ってしまっている人って意外と多いんですよ。

とにかくテーマを考えるというよりも、なにが書きたいのかというふうに考えるようにしてみてください。

Chechttp://lanovelien.blog121.fc2.com/blog-entry-492.htmlk

読者のことを考えた執筆とは?

【質問】
小説家に必要なスキルとして『読者のことを考える』ということがありますよね。
これがないと、どんな秀筆でも独りよがりになってしまします。
自分も今はこの『読者のことを考える』ということを自分の課題に執筆をしているのですが……
では、具体的に『読者のことを考えた執筆』とはどのようなことなのでしょうか。

自分なりの答えを出そうとしているのですが、なかなかコレだというものが思いつきません。
よかったら、ヒントを出していただくよう、よろしくお願いいたします。


【アドバイス】
そうですね。読者のことを考えて書くのは、とてもたいせつなことです。

特に執筆経験が浅い人は読者目線での情報の出し入れが苦手な人が多いですね。
プロ作家なら編集者がついてチェックしてくれるわけですが、投稿者ではそうはいきませんので
より注意して作品で提示される情報をよく吟味して、かつ整理してあげてください。

あれもこれも書きたいと詰めこみすぎて書いてしまう情報過多になってしまうと
作品のストーリーやテーマが寝ぼけてしまいます。
これはあとになって作者が削ることができますので、まだいいんですが
もっとも注意すべきは情報不足です。
この情報整理の欠点を持つアマチュア作品は本当に多く見うけられます。

たとえば読者的にはどうでもいい世界観の設定説明がだらだらとつづいて情報過多になっているのに
主人公の発言や行動の裏づけになる動機や思惑といったものが、ほとんど書かれていなかったりですね。
もちろん作者的にはつじつまが合っているのだろうけれど
読者にとって主人公の行動は突拍子もないものでしかなく、理解不能な存在となってしまいかねず、
感情移入とか共感どころではなくなってしまってるんですね。

これが典型的な悪例ですので、ぜひこうならないように注意してください。
ほかにもいろいろまだありますが、まずここができていないとすべてがだいなしになってしまうので
まずは、この情報整理について気をつかって執筆してください。

Chechttp://lanovelien.blog121.fc2.com/blog-entry-491.htmlk

小説における今後のニーズについて

【質問】
これから先における小説におけるニーズについて教えてください。


【アドバイス】
ここでいう小説というのはライトノベルのことかと思うので、まずライトノベルについて。
まずライトノベル、特に少年向けライトノベルは、あまり考えないでいいものが現在の主流です。
どういうことかというと、最近の人気作品を見てもらえればわかるように、学園モノが多いですよね。
一時期、主流であった異世界とかSF系がだいぶ下火になっています。
なぜかというと、どうしても読者の読解力というものが低下傾向にあるので
設定を長々と説明しなければいけない異世界モノ、SFモノは敬遠される傾向にあり
特に説明のいらない現代日本の学校を舞台にした作品が、わかりやすさもあってウケているようです。

同年代の男子よりも読解力に関しては格段に高い少女向けは、まだまだ異世界モノが主流ですね。
とはいえ、どちらの読者層もマンガ読者より保守的な層が多いので、意外と変化を好みません。
なので青年マンガのようなチャレンジ精神あふれる異色作品というのはなかなか日の目を見ないですね。
テーマについてはオーソドックスでいながら、演出として斬新なアレンジを加えている作品がいいようです。

あとは基本的にコミカルなラブコメ作品が多いなか、鬱系の作品にも一定の需要がありますが
大ヒットしにくいというのもありますし、アニメ化もしにくいので、
最初からこの手のジャンルをめざしていないのでなければ、おすすめはしません。

さらにライトノベルを超えて、小説全般と拡げてみると「総ラノベ化」が着々と進行中です。
「ライトノベル」というジャンルが確立されて20年が経過したことで、
一般文芸の作者も学生時代に読んでいる人が多いと見えて、
ちょっと非日常的な設定などがライトノベルとよく似てきているんですね。
ライトノベル特有のキャラクターの記号的なあつかい方は、まだそれほど顕著ではないのですが
さらにライトノベル自体が現代日本を舞台とする作品が目立つため、
ますます境界線がはっきりしなくなってきています。

ただし読者の求めているものの本質は今も昔もほとんど変化していません。
そこを見極められるかどうかが作品をおもしろくするかどうかの分かれ目となります。
これは頭で考えるものではなく、感じるものですので、よく自分の心に繰りかえし訊ねてみてくださいね。

Chechttp://lanovelien.blog121.fc2.com/blog-entry-486.htmlk

創作的好奇心を強くする方法

【質問】
このブログでは「好奇心」の大事さについて繰り返し書かれていますが、私はまだまだ好奇心が弱いです。
好奇心をつけるには具体的になにから始めればいいのか教えてください。

図鑑のシリーズのような本を読んだり、Wikipediaを眺めたりする以外で、よい方法がありますか?


【アドバイス】
創作活動というのはアウトプットの作業ですから、常にインプットしつづけないと
作家のリソース(資源)がすぐに枯渇してしまうのは、よくわかると思います。
そして意識的にインプットするためのモチベーションとして、必要となるのが好奇心です。

好奇心を育てるのは本人の性格や気質にもよりますが、努力によって変えてゆくこともできます。
まずはより多くのことに興味をもつことですね。
そのためには身の回りにあふれている情報のちょっとしたことを気にかけることです。
新聞や雑誌、テレビ、友達との会話、外に出ているときに目に入ってくる風景や看板、なんでもです。
その過程で、たしかに図鑑やWikipediaをなんとなく眺めるのもいいでしょう。
しかし、それだけで終わってしまったら、知識を増やすという意味ではいいのですが
好奇心を育てるというには、どうしても不十分です。

つぎのステップとして、気にかけたり、注目したものについて考えるようにしましょう。
なぜそこにあるのか? どうしてそういうことになったのか? 由来は? 語源は?
とにかく目に入ってくる情報、耳に入ってくる情報についての意味と目的を考えてください。
そうすると、改めて考えるとなんてこともないようなことでも知らないことに気付きます。
そうして知らないことがあれば、それについても調べてください。
そしてまたわからないこと、知らないことがあったら、また調べるのです。
いまはWikipediaやgoogle検索などを使えばリンクを辿るだけでたいていのことがわるので便利ですね。

たとえば、いまこのブログを読んでいるあなたはコーヒーの種類についてちゃんとわかってますか?
スターバックスなどが日本にも展開したことで、昔はホットとアイス、それにアメリカンしかなかったのが
なんだかいろいろな種類のコーヒーが出来てきましたよね。

カフェオレとカフェラテのちがいってわかってますか?
さらにカフェ・マキアートやカフェモカとはどんなものですか?
だいたいはわかっているだけでなく、正確にちがいを説明できますか?
たとえばカフェラテやカフェ・マキアートなどはアメリカ式とイタリア式で
作り方も材料もちがうのを知っていましたか?

こういうことをコーヒーを飲んだときや、コーヒーの宣伝や看板を見たときに
ふと気になることができれば、あなたは好奇心がかなり強いほうです。
なにも感じないでそのまま飲んで終わり、通りすぎて終わりならば、まだまだです。
そういていちいちなんでも気になってしまい、調べずにはいられないと
すぐに知識は拡がってきますし、深まってきますよ。

実際的にはコーヒーの知識なんて小説で使えるかどうかさえわかりません。
でも、そういう無駄知識トリビア知識の積み重ねでしか創作に必要な知識は増えないんですね。
ですから、ぜひ無駄な知識を身の回りの情報からどんどん吸収していってください。

Chechttp://lanovelien.blog121.fc2.com/blog-entry-413.htmlk

専門知識を作品に活かすコツは?

【質問】
専門知識についての質問です。
知識を得る段階でいちばん有効な方法は、やはり読書でしょうか?
専門家に聞ければいいのですが、私のまわりにはコンピュータに強い人がいませんので……

さらに得た専門的な知識をあまり専門的になりすぎず、かつ説得力を持たせられるように
活用するにはどうすればいいのですか?


【アドバイス】
mixiでいい質問があがっていたので、今回はさらに発展させて回答してみましょう。

まず専門知識によらず、知識を得る一番の方法は好奇心を持つことです。
小説家に限らずクリエイター職の人にとっては本当にこれにつきるんです。

そして実際的な方法としては、読書や資料を集めたりといった能動的なアクションもありますが
常に好奇心をもってアンテナを高くしていれば、なんでもない日常の中からも
意外なことを知ることができるでしょう。 いわば情報収集の受動的なアクションですね。
そして自分の好奇心感度の高いアンテナにひっかかったものについては
けっしてそのまま放置することなく気になったことは、すぐに調べてください。
google検索やWikipediaなどネット検索でもいいですし、
辞書で調べてみたり関連書籍を読んでみるのもいいでしょう。

ちょっとした興味をもつと、なにかしらの疑問を抱くものです。
そして疑問を解決する過程で、通常はさらに疑問を抱くことになりますので
それらを追求してゆくように、どんどん調べていってください。
このとき詳しい内容については記憶して覚える必要は特にありません。
忘れたらまた調べればいいだけです。

それよりも調べてゆく過程で、関連事項で派生的な情報も得られますので
「ああ、こういうふうにつながっていたのか」みたいな知識の枝を広げるよう意識してください。
どこでなにがつながっているのか、調べれば調べるほど、この世の中はつながりあい、連鎖しています。
そうすると、作品のネタで「これを書こう」と決めたとき、知識のつながりが頭にはいっていると
簡単に発想を拡げてゆくことができるんですね。

そして作品に得た知識を活用する際の目安として心得てほしいのが
アウトプットは インプットの5%くらいにするとバランスがよくなるということです。
人間というのは欲張りだし、せっかく得た知識なんだからと、
なんでもかんでもつめこみたくなるのはわかります。
しかし、それらすべての知識が「作品をおもしろくする」わけではないんですね。
作者的にはとても興味深くても、作中において読書にはどうでもいいウンチクで
かえってストーリーがわかりにくくなるなんてことは、ままあるわけです。

私もかつては詰め込みすぎのきらいがあったわけですが、反省を繰りかえすことにより
個人的な経験則ではありますが、利用できるのは、だいたい5%が最適だという考えにいたりました。
ですので、得た知識で利用できるのは5%、多くても10%くらいだと割りきって書く意識をもつと
ほどよく良質で興味深い知識のみを選別できて、しつこくない作品が書けます。

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戦争3(近世編) 架空異世界構築シリーズ

ようやく異世界ファンタジーの世界観でよく見られる近世についてです。

小領主が幅をきかせた封建制の中世世界から、フランスを筆頭に国王による中央集権化が進み
かつての貴族や騎士たちは領主というよりも廷臣や宮廷騎士となっていきました。
よって中世よりも国家として動員できる金も人も増大したことで戦争の形態も異なってきました。
それと銃(マスケット銃など)の登場もまた戦争を劇的に変化させていきます。

まず中央集権で財力が国王に集中したことで、国王は直接、兵士を雇うことができるようになりました。
さすがに金食い虫の騎兵をたくさん雇う余裕はないので、傭兵は歩兵(槍兵、銃兵)が主体でした。
高価な重装騎兵である騎士も少数では、烏合の衆といえど多数の歩兵に敵うはずもなく
また銃火器に対抗できる装甲を纏うのは物理的に不可能であったがために甲冑は無力化してしまい
戦場の花形は騎士から傭兵へと移りゆき、騎士階級は没落していったのです。
この時代、特に有名になった傭兵はドイツの悪名高きランツクネヒトなどですね。

しかしながらファンタジー作品では戦争のプロみたいに描かれる傭兵ですが、
史実の傭兵の大半はならず者か犯罪者、そして人数合わせに拉致されてきた農民が主体でした。
武器や防具も粗悪な槍などをレンタル(もちろん有料)で支給されていまして
身ひとつで戦場を渡り歩くため、鍋釜など生活雑貨から全財産まで全て身につけて行軍します。
ですから、ぱっと見は武装したホームレスみたいな集団だったわけです。
傭兵隊長は傭兵あがりか素行の悪い貴族の三男坊なんかが身持ちを崩してやっていたようです。
給金は農民に較べればそこそこの額でしたが、たいていは傭兵隊長の息のかかった賭場と移動娼館によって
ほとんどの金が巻きあげられて、再び傭兵隊長の元に還元されてしまうシステムになっていましたから
兵士たちはたいてい貧しい生活を強いられていました。

また契約金は兵数によって決まるので、傭兵隊長は兵数を水増しして金を要求するし
下士官もまた戦死者を生きていることにして死人の給料をちょろまかすことが多かったりしたので
契約上の公称の兵数と実際の兵数ではかなり隔たりがあったということです。
ですから軍隊として統率力もなければ、戦力としてもそれほど期待はできません。
平時には獰猛にして戦時には臆病というのが傭兵の相場でした。
掠奪強姦は当たり前ですが、近世までは軍隊の当然の権利なので犯罪ではありません。
それより問題は忠誠心が皆無なので、不利と見るや簡単に契約主を裏切ること、
傭兵隊同士の戦争ではなあなあになってしまい夜襲や奇襲はしないなど勝手にルールを作ったりして
適当に戦ってごまかしたりとかすることでした。

そこで登場するのがスイス傭兵です。
スイスは山岳地帯で農耕は不向きで貧しく、時計など精密機械工業が発展するまで唯一の輸出品が
周辺諸国よりも大柄で屈強なスイス人男性そのものだったんですね。
どうでもいいですが『アルプスの少女ハイジ』のおじいさんも原作では元傭兵という設定だったりします。
スイス傭兵の特徴はブランドを意識したことで、当時の一般的な傭兵と異なっていました。
それは契約主を最後まで裏切らず、最後の一兵まで戦い抜くというポリシーです。
自国の家臣がみんな逃げだしてもスイス傭兵だけは国王を見捨てなかったのです。
今もヴァチカンの唯一の軍隊である傭兵隊がスイス人限定なのは、かつて多大な犠牲を払いながらも
最後まで教皇を守り抜いた実績があるからなんですね。
そのためスイス傭兵は各国で引っ張りだこで戦地でスイス傭兵同士が激突するということも頻繁にありました。
スイス傭兵は郷土の地域別編成が基本でしたが、親兄弟が敵味方にわかれることもあったことでしょう。

こうして傭兵が戦場の主役となっていましたが、それと同時に騎兵も変革の時代を迎えていました。
銃によって無効化された装甲騎士の装備は格段に軽装となり全身甲冑はヘルメットと胸甲くらいになりました。
装備が軽装になれば、コストや維持費も安くなり、それなりの兵数をそろえることができるようになり
再び古代世界のように歩兵部隊に対して突撃をかけることができるようになりました。
武器は投槍だけではなく、長槍、サーベル、短銃などが用いられ、さまざまな騎兵が各国で運用されいきます。
基本的には、突撃を行う重騎兵と威力偵察などを行う軽騎兵に分類されることになります。
さすがに小さいときから乗馬訓練を必要とする騎兵は傭兵で賄うことはできなかったので
大半は騎士や貴族の師弟がその任を負っていましたが、かつての特権階級的存在ではなくなっていました。

会戦に参加する兵数も再び古代世界同様、万単位になったことで、形式的な騎士の戦闘ではなく
戦略や戦術が重要視されてくることになり、陣形などいろいろと研究されるようになるのはこの頃からです。
プロイセンのフリードリヒ大王は斜行戦術を導入して、2倍の兵数の敵に大勝したりもしました。
傭兵主体の歩兵を規律正しく戦場で動かす努力は並大抵のものではなかったようで
逃げようとする兵士は容赦なく射殺することで規律を維持していました。

ということで、近世は一言で言えば、銃と傭兵の戦争ということになります。
日本でも火縄銃が伝来し、これを織田信長が世界に先駆けて本格的に実戦投入したことで
実に世界シェアの半分以上(説によって6~8割)という膨大な銃を保有している銃大国でした。

異世界ファンタジーでは世界観が主に中世の皮をかぶった近世であることがほとんどなので
銃はあまり登場させず、これを弓矢に換えて描くことが多いようです。
あるいは銃の代わりに魔法という場合も多々あります。
少女向けでは読者の興味が薄いので戦争シーン自体が少ないのですが、
こうした基本を知っておくだけでも、かなり作品の幅が拡がると思いますよ。

次回は世界初の国民軍が組織されたナポレオンの時代の戦争について書いていきます。

Check

自分のスタンスを知ろう【宗教編】

前回の政治思想に続いて、今回は宗教観です。
政治思想以上に厄介なのが宗教で、日本人は特に宗教アレルギーがあり、
それゆえ抵抗力がまるでなくて簡単にカルトにはまってしまう人が多いわけです。
今回は日本人の根底にある宗教観を整理してみましょう。

小説において登場人物の生死を書くことは多いはずです。
では作品の中では語られなくても、死後の世界はどう考えていますか?
登場人物の認識のあり方で登場人物の考えや行動は変わってきますよね。
今回は特に「死生観」について書いてみたいと思います。

日本では「良い人は天国に、悪い人は地獄に行く」と考える人が最も多いはずです。
または「輪廻転生などの生まれ変わり」を信じている人も多いですね。
では、このような考えはどこから来ているのでしょうか?

死者が天国と地獄に行くというとキリスト教を思い浮かべる人が多いと思います。
しかしキリスト教においては、そのような教義は一切ありません。
キリスト教の教義においては、近い将来にキリストが再び地上に降りてきて 最後の審判を行います。
このとき生きている人と共にアダムとイブ以来の全ての死者が蘇って裁きを受けることになります。
そして敬虔なキリスト教徒は神の国に、異教徒と異端者は地獄へと堕とされます。
ですから実はキリストが再臨していない現在、天国にも地獄にもまだ誰ひとりいません。
欧米で火葬を嫌うのも霊は最後の審判まで遺体と共に眠っている考えるからです。
そして裁きの基準はキリスト教徒かどうか、ユダヤ教ではユダヤ人かどうかであって
心の正しい人、徳の高い人が天国に行くわけではありません。
ヤハウェ神との契約を守った者(=キリスト教徒)だけが救済されるのです。

次に仏教についてですが、実は仏教の開祖ゴータマ(お釈迦様)の説法では
実際に知ることのできない死後の世界を語ることは慎むべきだと言っています。
本来の仏教は宗教よりも哲学に近いものなので、日本の多くの宗派に見られる後生の仏教は
仏教以前の多神教(ヒンドゥー教、道教、日本の神道など)の影響を受けていて
今のような信仰のかたちになったことを理解しておいたほうがよいでしょう。
輪廻転生というのは、植物が一年を通して芽生え、茂り、実り、枯れる循環を
なぞらえた世界中の農耕民族由来の古代宗教観で、本来の仏教とは無関係の概念です。
そして仏教は宗教色が薄く、インドで流布される段階で多神教の影響を色濃く受け継いだために
他宗教に対して比較的寛容であり、一神教のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の救済の教義に比べると
熱心な信徒であるよりも、人徳のある者が極楽浄土すると考えられる風潮があります。
唯一、日蓮宗系のみが日蓮自身が自分の教える信仰以外は淫祠邪教と説いてしまったがために
一神教的な価値観が強くなり、歴史的に仏教系カルト教団の多く生みだしています。

また日本においては、刑事物でもお馴染みですが、死んだ人はホトケ様になります。
しかし「」とは悟りを開いた者のことで、死んだら誰もがなれるものではありません。
正確には、あの観音菩薩でさえ悟りきれず「仏」になっておらず(故意になっていない)
現世の人々を救済して修行をしている最中であるとされています。
では、なぜ日本では死んだら、みんなホトケ様になるのでしょうか?
ホトケと仏教の言葉を使っていますが、これは神道の「カミ」そのものです。
神道は八百万(やおよろず)の神々というくらいで、万物に宿るものとされています。
民俗学的にはキリスト教などの一神教のGODと区別するため「カミ」と書きます。
西洋的な解釈では神様というより精霊に近い存在のではないでしょうか。
この思想を真正面から扱っているのが、「もののけ姫」ですね。
カミとなった者は生前の善悪の行いによって差別されることはありません。
むしろ怨みを持って非業の死を遂げた者ほど懇ろに祀ってあげないと 怨霊になって祟ると考えます。
平将門(神田明神)や菅原道真(北野天満宮)への信仰は怨霊鎮撫の信仰です。
ですから靖国神社の英霊たちは戦争で非業の死を遂げているわけですから
粗末に扱えば怨霊になりやすく、最も大切に祀る必要があると考えるわけです。

しかし中朝韓の特定アジアでは、全く別の大陸的宗教観が存在しています。
それは悪人、罪人は死んでも未来永劫、許してはならず罰し続ける思想です。
この思想を反映しているのがキョンシーです。
キョンシーは顔のお札で封印し続けないと人を襲って災いをもたらすのです。
中国人は死体は蘇って仕返しをするのだと感覚的に漠然と思っているのですね。
中国の歴史書には敵の死体を塩漬けで保存し、ときどき死体の一部を削ぎとって
肉片を口に含んで噛み砕いて、吐き捨てるという慣習もあったということなので
「死者に鞭打つ」思想が徹底されているのです。
日本的な感覚では死んだら罪は帳消しになりますが、大陸的には死後もその子孫も罪は未来永劫続くのです。
ですから大陸の宗教観ではおとしめなければならない”日本軍人の亡霊”を日本人が神として崇めるのは、
大陸の人間にとっては、まるで邪神復活の儀式のような感覚にとらわれてしまうのです。
(靖国参拝反対の最大の理由は中共政府の外交カードとしての政治利用ですが……)
しかし宗教観の違いでここまで、考え方が違ってくるということの、よい例ですね。

さて、あなたの宗教観は、どのようなものでしょうか? 人は死んだら、どうなると思いますか?
もう一度、深く突きつめて考えてみることをおすすめします。

戦争2(中世編) 架空異世界構築シリーズ

だいぶ間隔があいてしまいましたが、古代編に続き中世編です。

歴史的には古代ローマ帝国が滅亡し、フランク王国がカール大帝により西欧地域の統一を果たしますが
カール大帝の子らによって大帝国は分割され、やがて衰亡していきました。
その後、ヨーロッパ地域は無数の諸侯らによって分割統治されるようになっていき、
かつてのローマ帝国のような大規模な軍隊を維持することはできなくなっていきます。

中世における戦争として有名なのは「十字軍遠征」「百年戦争」「薔薇戦争」などがあります。
この時代の戦争の特徴は、古代の歩兵と騎兵による軍団制から先祖返りした騎士の一騎打ちになりました。
騎士の装備は城ひとつと同じ金額がかかるほど高額であり、軍備や食糧についても自前調達なので
騎士や貴族といった諸侯のみが装甲騎兵として従軍することしかできなくなってしまい、
かつて主力であった歩兵は騎士の従卒として脇役に追いやられていきます。

戦闘の規模としては、1つの会戦に騎士が数百から多くて数千、
これに歩兵や弓兵として2倍から3倍の歩兵部隊を率いるのが経済的な限界であり
古代世界のように数万人規模の国軍は組織されていませんでした。
また国軍ではなく、あくまで封建制によって従う諸侯の連合軍であるため
有力貴族が司令官の職にこそ収まりますが、指揮権は統率されていないのが普通で
諸侯は配下の手勢を目先の欲に駆られて勝手に動かして混乱を招くことも多々あったようです。
十字軍のみは宗教的熱狂もあって、この当時としては壮大希有な大兵力が何回も投入されましたが
十字軍としてひとつに統率されていたわけではなく、あくまで諸侯単位の指揮によるものでした。

また騎兵とはいえ十字軍などが行われた中世の初期において鎖帷子にバケツのような兜の甲冑は
30~50kgとあまりに重たすぎて、とても乗馬しながら素早く動き回ることができず、
そもそも騎兵突撃はある程度の数が揃わないと簡単に打ち破られてしまうために
古代ギリシア時代のように戦地まで馬で移動し、戦場では下馬して戦う戦法が主流となりました。
中世の騎士は颯爽と馬を駆って戦う「騎兵」ではなく「乗馬歩兵」に分類されるような兵種だったのです。

また、この時代は甲冑の発達がめざましく、鎖帷子(チェーンメイル)から鈑金鎧(プレートアーマー)へと
進化してゆくことで、それに対抗する武器も変化し、新しいものが発明されてゆきました。
ファンタジー作品では、なにかと万能感のある長剣ですが、史実的には全時代を通じて
主力武器になったことは一度もありません。
あくまでもサイドアーム、補助的な武器であり、それだけに装飾など凝らすことができ、
権威の象徴として扱われてきたために、そのような幻想が生まれたのでしょう。
(日本でも古代の兵は矛や戈、中世の武士は弓もしくは薙刀、近世は槍、そして銃が主力兵器でした)
中世においては金属の鎧に対して斬るための剣はまったく無力なため、鎧の上から骨折させるべく
打撃を重視した巨大で肉厚な剣や、それよりもっと効果的な戦鎚(バトルハンマー)や戦矛(メイス)が
実戦における騎士の武器としては好まれ、いろいろなバリエーションが生まれました。
ただし競技としては騎兵槍(ランス)による馬上槍試合と剣の試合が行われています。

従卒や歩兵は騎士とは対照的に軽装もしくは平服が多かったようです。
後期になると厚手の綿をキルティングにした布鎧や半兜(サレット)で武装する歩兵も登場しました。
歩兵はあくまで鎧で動きが制限され、落馬すると自力で乗馬できないような騎士の補助が主任務でしたが、
やがて弓兵として戦場でも活躍の場を得て長弓(ロングボウ)や弩(クロスボウ)で戦うことになります。
百年戦争において、イギリス軍の長弓がフランス軍の弩を圧倒した話は有名ですね。
弩は機械式に強力な弦を巻きあげるため、太矢(ボルト)の威力は鈑金鎧を貫通するほどでしたが
どうしても弦を巻きあげるのに時間がかかるため、連射の効く長弓のほうが有利だったのです。
ちなみにモンゴルなどアジア圏の騎馬民族の短弓は威力が弱く、命中精度も低いので
命中精度が低いのは集団戦による一斉射撃で補い、威力不足は毒矢で補うのが通常です。

またヨーロッパ圏の特徴として、十字軍遠征の成果により未開の僻地にすぎなかったヨーロッパに
当時、最先端の科学力を誇った文明国イスラム圏の高度な建築技術を導入したことで
荘厳な大聖堂の建設(ゴシック様式)と同時に城塞都市建設を得意とすることになりました。
ただでさえ大兵力を動員できないことで攻城戦は非常に困難で攻囲が数年におよぶこともありました。
日本の城のイメージとは異なり、大陸の城は町ごと城壁で囲まれていて、
食糧もしっかり備蓄されていると、ちょっとした小都市でも攻略するのは至難の業です。
そのため都市を完全に攻略することは少なく、基本的には包囲した後に交渉で有利な条件を引きだして
すみやかに撤退するというのが攻城戦の目的となっていました。

それと当時の戦闘は粗野で野蛮そのものでもありましたが、敵への憎悪や愛国心とはないに等しく
基本的には自分の領土の拡大や安堵が大なる目的であり、小なる目的は近隣の村々への掠奪でした。
そのため敵の有力貴族を殺害し、完全に打倒してしまうことにメリットがあまりないため
たいていは身分にみあった大金の身代金を要求して、身代金が支払われればすぐに解放しました。
騎士階級が没落した近世初期には、身代金目当てに大商人や輸送物資などを誘拐して
身代金を要求する盗賊騎士が横行していたというのは、以前鉄腕ゲッツの紹介で書いたとおりです。

このような中世騎士の戦闘は小規模の戦士階級とその従者たちによって繰り広げられていきますが
20世紀まで諸侯が乱立するドイツとは異なって、フランスは早くに王により統治がはじまり
大規模な軍隊を組織できるようになったことと、傭兵による歩兵部隊の導入で
残酷で野蛮な戦闘であったけれども、どこか儀式的であった戦争は変革を余儀なくされ
戦争は組織的な大規模殺人へと様相を呈してゆくことになります。

実はとりたてて中世の戦争は甲冑の格好よさとは反比例しておもしろくありません。
女性向け作品としては、戦術とか戦略とかあまり関係ない一騎打ちなので書きやすいようでいて
実は諸侯が乱立する戦国時代のため、女性が大好きな宮廷陰謀劇とかはあまりないんですね。
みんなが大好きな宮廷が形成されるのは、絶対王制が確立される近世以降のことです。
次回は、その近世の戦争について書いてゆきます。

戦争1(古代編) 架空異世界構築シリーズ

今回は異世界ファンタジーでは避けてとおれない戦争についてです。
ミリタリーオタクとか詳しい人は、べつに今更な情報ばかりとなってしまいますが
女性だと、ほとんどなにも知らないという人が多いんですね。
読者ウケするという理由もありますが、どうしても宮廷陰謀に終始してしまうきらいがあります。

そこで今回はさらっと戦争の歴史や変遷について要約を簡単に説明していって、
その後、時代別、地域別の戦争に説明していこうかなと考えているところです。

さて溯ること戦争の起源は、先史時代の部族抗争が国家間の大規模な戦闘になってはじまったわけです。
やはり数十人の少人数の戦闘では戦争とはいえませんが、だからといって何人から戦争なのかというと
それもはっきり線が引けるわけではないですが、さすがに数百人規模なら立派に戦争ですよね。

そんなわけで、戦争の起源は古代国家の成立からはじまったといってもいいでしょう。
古代国家は農業の発展によって食糧事情がよくなり、生産に従事しない兵士をたくさん持つことができました。
最初は、徒歩の歩兵のみで構成され、武器は槍か矛、それと弓矢であり狩猟用具と大差ありませんでした。
古代の兵士は徴兵制のため、防具と武具は国家が用意するものですから、かなり簡素で粗末でした。
普通、異世界ファンタジーで、よく出てくるような金属製の鎧というのは、いつの世でも大変高価で
今の感覚でいうと、フェラーリなどの高級外車くらいの値段がしたのです。金持ちしか持てなかったのです。

さて軽装歩兵と弓兵の次に登場するのが、戦車兵です。
戦車といってもタンクではなく、チャリオットのほうで2~4頭の馬がひく4輪または2輪の馬車です。
古代の馬はサラブレッドというより大きめのポニーくらいの小型種ばかりなのですが、
小柄な馬でも集団で突進されると、これはもう恐いなんてものじゃないんですね。
とはいえ攻撃力としては2ないし3人が乗り込んでも、ひとりは馬を操る馭者、ひとりは防御専門の楯持ち、
残るひとりが投槍か弓矢で武装しているにすぎず、その投槍も数本しか装備していませんでした。
馬車本体の生産コストも馬を養う維持費も高く、訓練も難しいのに攻撃力はさほどではありません。
実際の威力よりも心理的効果が高い兵器だったわけです。

これが馬に直接に騎乗するという、なんともシンプルな方法が考案されると
戦車は時代遅れになってしまい、なんと20世紀の第二次世界大戦前まで騎兵が戦争の主力とされるのです。
そうして戦車は古代世界においてさえ指揮官の移動用に使われるだけになり、やがて消え去りました。

そうして歩兵と騎兵の兵種が誕生することになりました。
ここまでは主に当時の先進国にして大国だったメソポタミア地域からエジプトの国々の話です。

一方でヨーロッパの端、古代ギリシアでは他の地域とは異なって騎兵は用いられず、
馬は戦地までの移動手段のみに限定され、戦争は歩兵のみによって行われるようなります。
しかも、その歩兵は超高価な青銅の鎧と兜、そして大きな円楯と槍で武装していました。
重装歩兵の誕生です。彼らはメソポタミアの歩兵のような徴兵された農民出身ではなく
地主階級の資産家であり、高価な鎧や槍、そのほか食糧なども自腹で負担しました。
戦争に参加することは名誉なことであり、高貴な者の義務となっていたのです。
彼らはファランクスと呼ばれる密集方陣を組み、正面から激突して戦いました。
その戦闘力は驚異的でしたが、動きは遅く横や後ろからの攻撃にもろいという弱点がありました。

そんな騎兵と軽歩兵のペルシア帝国と重装歩兵のギリシア諸国連合が激突したのがペルシア戦争で、
結果としてはサラミスの海戦で壊滅したペルシア侵攻軍の撤退によりギリシアが勝利しましたが
その後、ギリシア重装歩兵の名が高まって傭兵としてペルシアに雇われたりします。
ギリシア傭兵団がペルシア帝国のお家騒動の内戦に巻きこまれ、3年間で6000kmも各地を転戦しながら
故国ギリシアに帰還したアナバシスは、なかなか手に汗握る物語ですね。

そして重騎兵、軽騎兵、重装歩兵、軽歩兵(散兵)、弓兵といった複数の兵種を
ひとつの戦闘単位として編成するという軍事革命を起こしたのがマケドニアのピリッポス2世で
その効果を実戦において遺憾なく発揮したのが、その子アレクサンドロス大王でした。
「鎚と金床」戦法と呼ばれる戦術は、左右に配置した騎兵が鎚のごとく敵歩兵隊の横腹に襲いかかり
混乱して乱れた敵歩兵の戦列に対して、縦列16人×横列16人で構成される重装歩兵の密集方陣シンタグマの圧力で
金床のようにじりじりと攻めて蹂躙するという戦術は、大規模戦闘ができなくなった中世以降を除き
ナポレオン時代から第一次世界大戦の直前まで基本戦術として長く有効でした。

他にもマケドニア軍はギリシア軍よりもかなり長い槍を用いることで
そのリーチを活かして有利に戦うことができました。
長い槍を用いるのは、後世、織田信長や豊臣秀吉も使った手でもあります。
マケドニアでは後ろに配置された兵も槍で戦える利点を重視したのに対して
日本では足軽の練度の低さを補うためと理由は異なりますが。
(なぜか中部地方の兵が弱いのは県民性なのか大日本帝国陸軍でも最弱ぶりは有名でした)

その後、アレクサンドロス大王の死により崩壊した世界帝国を席巻したのが、ご存じローマ帝国で
基本戦法はマケドニアの戦法を踏襲していますが、長い槍より更にリーチを求めて投槍を用いました。
歩兵は遠距離用、中距離用、近距離用の3本の投槍を各自装備していて
それぞれ重さや重心の位置がちがいにより敵との距離によって投げわけました。
投槍は直接、敵を殺傷するよりも敵の楯に突き刺して、楯を使用不能にすることが狙いでした。
そのため槍の穂先は銛のように”返し”がついていて、さらに槍の先端部は簡単に曲がるようになっていたので
いちど刺さると抜けにくく、さらに曲がってしまって敵が投げ返す危険性がないようになっていました。
槍を投げつくすとグラディウスという諸刃の短剣で白兵戦を行いました。

ローマの兵制は軍団(レギオ)を1つの単位として、1個レギオの定員は5000~6000人でした。
ガリア(現フランス)へなどの大遠征ともなれば10個レギオくらいが作戦に参加していました。
しかしながらローマ帝国崩壊後は大兵力を維持できる強大な専制国家がなくなってしまったので
再びローマ軍団並みの大兵力を動かせるようになるのはナポレオン時代まで待たなければなりませんでした。

またローマはギリシアと同じく歩兵を重視していたので、上位の騎士階級は存在していましたが
兵種としての騎兵は外国人傭兵が主流となっていました。
また10年ほど兵役を務めると、ローマ市民権(世襲)が与えられるシステムもありました。
市民権は他にも大金で買うこともできましたし、正規軍はローマ市民のみで構成されていました。
ちなみにSF小説の名作『宇宙の戦士』では、この軍務と市民権の設定が使われていて
選挙権は兵役経験者のみに限定されるという設定でしたね。
しかも機動歩兵となった主人公は白人ではなくフィリピン系だと最後に判明する仕掛けになっていました。
作品発表当時、非白人が主人公ということで米国内でかなり物議をかもしたそうです。

そんな無敵のローマ軍団でしたが、国家の制度疲労による内部崩壊とゲルマン民族の南下により滅亡し
やがてヨーロッパは中世、そして近世への時代を迎えます。
異世界ファンタジーは「中世ヨーロッパ風」とはよくいいますが、
実際、日本作品の9割は中世ヨーロッパというより近世ヨーロッパ風の世界観となっています。
次回は、このファンタジーでよく使われる時代の戦争について考えていきましょう。

執筆途中で書きなおしたいときはどうすればいいですか?

【質問】
現在執筆中の原稿を「書き直した方がいいのでは?」と思ったときどうしたらいいでしょうか?
一度最後まで書き上げて検討しようと思い、苦戦しながらも書き続けていいものか
それとも駄作なのは明らかで、それならばいっそ早い段階で中断すべきものかわかりません。


【アドバイス】
これも誰もが作品を書けば、必ずぶち当たる障碍のひとつですよね。
このお悩みの解決方法は状況によって異なってくるので気をつけてください。

まず作品(特に長編小説)を完成させたことのないのならば、出来など関係なく完成させてください。
そもそも初めて書いた作品が受賞レベルに満たないのは当然ですから、気にすることはありません。
それよりも、まずは小説を書きあげて完成させたという実績を作ってほしいのです。
それが何よりも大事なことなんですね。
まだ1作も書きあげていない人が、途中でやめて別作品にとりかかっても、
その作品もまた気に入らなくなって中断してしまい、いわゆる中断癖がついてしまいます。
いつまでも作品を完成させられなければ投稿できないし、ゆえに受賞する可能性もゼロです。

つぎに何作も作品を仕上げている人にとってはどうでしょうか。
その場合、諦めて中断したほうがいい場合があります。
それは主人公のキャラクター性に魅力がない場合です。
キャラが立っていれば、意図していないストーリー展開でも、おもしろくなる可能性を秘めていますが
キャラに魅力がないと、もう手の施しようがありません……挽回は不可能です。
そして、つまらない作品の9割以上は主人公が魅力的ではないんですね。
残念ですが、そういうときは新しい作品にチャレンジすべきです。

しかしながら、できれば執筆途中に悩みたくないですよね。
悩みは継続か中断か以外にも、執筆速度を遅くさせるという害があります。
では、どうすれば迷わずにすむのか?

それは建築と同じです。ビルを建設するのも家を建てるのも、絶対に設計図が必要ですよね。
しかも計算しつくされた緻密な設計図です。いい加減な設計図では犬小屋さえ作れません。
そして小説でいうところの設計図にあたるのがプロットです。
でも小説を書くときにプロットを書かなかったり、曖昧で適当なものを書いたりする人が多いんですよね。
だから小説を書いている途中で作品に歪みが生じて「あれれれ……」となってしまうのです。
プロットの段階でよく練って、チェックしていれば、杜撰な設計や設計ミスを減らせますよ。

あなたの作品がおもしろいかどうかは主人公の設定を決めた時点で7割決まってしまっています。
作品の大黒柱である主人公設定に、作品を支えるだけの強度がなかったり、曲がっていたりしたら
もう柱となる木材を選ぶスタート直後の段階で失敗しているわけです。
半年なり1年かけた作品は残念ながら欠陥住宅さながらの駄作になることが最初から決定しているんですね。
そんなことにならないように、とにかくプロットをたいせつにしましょう。

言葉では簡単に言えるんですが、どんなプロットがよいプロットなのかということを
見極める力っていうのは、経験とセンスがものをいうので、各自、見る目を鍛えてもらうしかありません。
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